忠告
「凌久くん~今日空いてる?」
「一緒にご飯行かない?」
凌久の周りには今日も人が集まっている。廣瀨くんファンクラブがあるとかないとか。
柚希は凌久が「無理」とすげなく断る姿をチラリと見たがそのまま楽譜に視線を落とした。選考会が明後日に迫ってきている。今は凌久はどうでもいい。
鬼のような勢いで目は楽譜を追いながら小刻みに指を動かす柚希のことをいつもなら周りで話している友達は遠くから眺めている。この選考会の重要性が分かるからが半分、本人には言えないがちょっと怖いからが半分である。
「ねぇ、羽澄さん?」
ふいに目の前から声が聞こえた。顔を上げると部活で同じフルートパートの三年生大和蒼依が立っていた。
柚希は大和のことが苦手だ。勝ち気な顔つきで負けず嫌いで、二年前のコンクールに一年から柚希だけが選ばれたことを今でも根に持っているしつこい子だからだ。
それでも同じパートで、柚希を三年生のいじめから守ってくれたことには感謝してるし、大切な仲間だとは思っている。
でも今まで部活以外で話したことはなかった気がする。……柚希が一方的に避けていたともいうが。
「どうした?」
聞くと大和は親指を扉のほうに向けてクイクイと動かした。
「ちょっといい?」
「……いいけど」
廊下に出て話すのかと思ったら大和は真っ直ぐ階段へ向かって歩きだした。
「大和さん?」
「いいからついてきて」
大和の後ろを柚希は歩いていく。階段を登って大和は屋上に出た。
「あの、良かったの? 屋上って立ち入り禁止だよね」
「ほんと羽澄さんは真面目なんだから」
数日前にも聞いたようなことを凌久だけでなく、あまり親しくなかった大和にまで言われるとは心外だ。
「わたし真面目?」
思わず聞くと大和は大きく目を見開いてそれから笑いだした。今まであまり見たことのない笑顔で大和が柚希を見る。
「いや、それ以外ないでしょ」
「ええっ!?」
「確かに羽澄さんは努力家だし、失敗しても気にしないとこは大胆だと思うけど、やっぱり基本的に根は真面目だよね」
驚いた。今までは凌久にしか言われていなかったから全然気にしてなかったけどどうやら本当のことらしい。
「ま、そこが羽澄さんの良さだとは思うけど」
大和はそう言ってフェンスに寄りかかる。
「それで、なんでここに来たの?」
「秘密のお話がしたかったから」
大和はいたずらっぽく笑うと表情を引き締めた。
「幹部メールに先生からまわってきたんだけどさ、今日先輩たち来るんだって」
「え?」
「コンクール選考会直前の後輩に激励したいって言ってるけど何か嫌な予感して」
「嫌な予感?」
「普通こんな選考会の前に来る? ただの迷惑行為でしょ。私は羽澄さんに会いたいんだと思ってるけど」
この『会いたい』は好意的な会いたいではないだろう。
「それで提案なんだけどさ、今日は部活休んだら?」
「なんで?」
「だって羽澄さんのこと動揺させに来るんだよ? 分かっているなら最初から会わないほうがいいと思うけど」
大和はどこか変わった。二年前から会うたびに睨み付けてきたきつい目に今は分かりやすく心配の色が浮かんでいる。
柚希には大和が何故自分の心配をしているのかがよく分からなかった。吹奏楽という特性上、曲を作り上げるときには全員が心を一つにしない限り完成しないが、選考会の前である今は自分以外はライバルである。いや、それどころか、昨日の自分ですらライバルである。
「わたしが動揺して選考会で失敗するほうがいいんじゃないの?」
思わずそう聞くと大和は笑った。すべてが吹っ切れているような顔だった。大和はフェンスに肩ひじをつくと柚希の方を見ずに話し出した。
「あの時は確かに悔しかったし、一緒に練習してたはずなのになんでこんなに置いていかれたんだろうっていう焦りもあったけど。もう二年前のことだよ? 引きずってたらやってられない。だってその間にも羽澄さんはどんどんうまくなるんだもん」
「……」
「でもあの時悪いことした。反省してる。羽澄さん、ごめんなさい。ほんとは分かってた。そもそも実力じゃなくて努力の量が違うんだって。羽澄さんが朝練早くから来てるのも、吹きはじめる前に部室掃除してるのも私知ってたんだ」
「え、なんで?」
「私の家、学校そこなの」
大和が指さしたのは学校の真横にある高いマンションだった。
「そこ!?」
「そうだよ。だから窓から見えるんだよね。私が朝ごはん食べてるときに羽澄さんが部室を掃除してるの」
誰もいない音楽室で練習したくて一番乗りで朝練に向かっていた。朝掃除をしていたのもただきれいな空間で練習したかったからだ。その姿を大和に見られているとは思わなかった。
「知らなかった」
「だろうね」
「ねぇ大和さん、もうあの時のことは気にしないでね? それに私、大和さんに助けてもらったし」
「私が羽澄さんを助けた? そんなことあったっけ」
「うん。わたしが部室に閉じ込められたとき助けてくれた」
「ああ、あったねそんなことも」
「わたし、大和さんのことちょっと怖かった。自分が勝った相手に何て言えばいいのか分かんなかったし、嫌われてると思ってたから。だけどね、あのとき大和さんは言ってくれたじゃん。『羽澄さんが選ばれたのは実力だから』って。あのときから多分わたし大和さんのこと好きになってたんだと思う。お礼を言うのが遅くなっちゃったけど、あの時はありがとう」
「あれは自分に言い聞かせてただけだから」
大和はそう言うだけだ。それでもその目元が薄っすら照れているように見えるのは柚希の気のせいだろうか。
「……だから今日は休みなね」
突然話題が戻った。
「行くよ」
「は?」
「だから、行く」
「なんで? わざわざ。バカでしょ」
「バカだからいいの。ここで休んで先輩たちから逃げたくない」
「せっかく忠告したのにそれでも行くって言うの?」
「行く」
「じゃあ、勝手にすれば。その代わり何かあっても今回は助けないからね」
「わたし、二年前とは違うから」
「どうだか。未だに自分が真面目なことに気づいてなかったのに? ま、いいや。も一回考えてから来るか決めなね」
そう言うと大和は戻っていった。と思ったら扉の前で振り返る。
「あと言っとくけど今日来るかは勝手だけど、何かあって動揺して明後日落ちるのだけは許さないからね」
「え?」
「一昨年も去年も私は落ちた。今年こそは絶対に受かる。そのときは、羽澄さん。羽澄さんも一緒だからね」
「……」
「分かった? 約束だからね」
そう言うと大和は柚希の返事を待たずに今度こそ本当に扉を開けて出ていった。
次回は『邪魔者侵入』、明日の更新予定です。
お楽しみに♪