告白
「ギョーム国防大臣の更迭が決まったよ」
ファビオとビオラは、エミルの執務室でその報告を聞いていた。
ビオラを陥れたのはギョーム嬢であることが明らかになり、その他にも余罪が数件あることが判明した。
「本当は穴にロープで吊るしておくつもりだったみたいだべ。一晩そうして懲らしめて、明朝に引き上げると言っていた。確かに手慣れている様子ではあっただな」
しかし、ロープの結び目が甘く、途中でほどけてビオラは落下してしまった。
焦ったギョーム嬢とその手下の下男らは、ロープを回収して逃げていったのだ。
「冗談じゃない!一歩間違えば大事故か最悪、死んでいたかもしれないんだぞ。浅はかにも程がある!」
ファビオは怒りをあらわにした。
「入学当初から同じようなことを気に入らない生徒に対して行っていたらしいよ。皆、大臣の娘に逆らうことは出来なかったらしく、泣き寝入りか、中には気に病んで退学してしまった生徒もいたとか」
王宮を巻き込んでの大問題に発展した今回の件で、査問委員会が開かれ、ギョーム嬢は退学、父親のギョームは大臣の任を解かれることになった。
王都に構えていた屋敷を売り渡してギョーム一家は地方に転居した。
また、学園内の治安と格差問題への見直しを急務とすべきとの声が上がり、改善委員会が設けられ、エミルもその一員に任命されたらしい。
「まあ、良いきっかけになったとも言えるけどね。それも、ビオラが無事だったからこそだ」
「無事じゃない。足の怪我は全治10日だし、擦り傷だらけだったし、制服も新調したんだぞ」
自分の事のように怒るファビオをビオラは照れ臭そうに見た。
「おら、怪我には慣れてるから。…でも、あのまま見つけて貰えなかったら、餓死してたかもしれないもんな。ファビオは命の恩人だべ」
大袈裟だよ…と言ってファビオは、はにかんだ。
その様子をニヤニヤしながら見ていたエミルは、おもむろに口を開いた。
「実はね、今回のギョーム嬢の暴走がファビオに対する横恋慕を発端にしていたということで、上層部で少し問題になってね」
ファビオとビオラは顔を上げて、エミルを見た。
「ファビオの精気の摂取方法について、見直すべきじゃないかという意見がでた」
「どういう事?」
ファビオは困惑していた。ビオラはエミルとファビオを交互に眺めている。
「つまり、精気の補給相手を不特定多数にせず、限定してはどうか、という話になったんだよ」
「それは、つまり…誰かと契約する、ということ?」
「まあ、そうなるね」
ファビオは戸惑っていた。
そんなファビオを心配そうにビオラが隣から見上げている。
そして、それをエミルが愉快そうに見ている。
「この際だからフィアンセとして誰かを宛てがうと言っている。そうすれば、お前の親衛隊も解散するだろうからね。…それとも、補給相手に誰か当てがあるかな?」
ビオラはおずおずと口を開いた。
「だども、ファビオは女性が苦手だって。宛てがうってのも相手に失礼だべ」
「でもね、ビオラ、精気が枯渇すればファビオは無事では済まないんだ。魔力がファビオ自身の精気を蝕んで最悪死に至る」
ビオラは息を呑んだ。
ファビオはエミルを睨んだ。
ビオラに聞かせる話ではない。
そんなことを聞かされたらビオラは…
「じゃあ、おらが補給する!」
ファビオは予想通りの展開にガックリと項垂れた。
「馬鹿言うな…ビオラ、そんなことを君にさせられない」
エミルはファビオの気も知らず、ビオラが名乗り出たことを喜んだ。
「良いじゃないか。ビオラの気は君に合っているようだし、適任だよ」
ファビオはエミルを睨みつけた。
「いくらビオラの気が良くたって、頻繁に補給すればビオラが危険だ。君も言っていたじゃないか、ビオラは保護対象だと。国家にとって大事な人物を危険に晒すなんてこと…」
「それに於いては心配ないんだな」
エミルはファビオの言葉を遮ってビオラを見た。
「ビオラの気は余程の事が無い限り枯渇しないからね」
ファビオは言葉の意味が理解できない。
枯渇しないってそんなことはあり得ない。
精気は自己回復するするしかない。
普通の人間なら…
「普通の人間ならね。ビオラは普通じゃない」
ビオラはきょとんとしている。
どうやら本人もわかっていないらしい。
「ビオラの故郷は旧ドラゴガルド、竜と共存する竜使いが住む国だ」
ファビオはあんぐりと口を開けてビオラを見た。
「ビオラも竜使いで、国の長を務める名家の娘だ」
「ビオラ…本当なの?」
ビオラは、頷いた。
「そうだ。故郷のことは口止めされてたから、詳しくは話せなかっただよ」
「竜使いも特殊な能力を持っていてね、歴代の魔女と同じく自然界から気を吸収できるんだよ」
「竜と付き合うには大量の気が必要なんだべさ。しかも、常に清廉に保たなきゃなんねぇだ。その術を小さな頃から叩き込まれるんだべ」
ファビオは言葉を失った。
まさか、そんな秘密を隠していたとは。
「と、いうことで、当面はビオラから摂取するということで良いかな?上にはそう報告をしておこう」
ファビオは焦った。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。そんな簡単に…!」
エミルは面倒臭そうに手をヒラヒラさせた。
「あとは二人で話し合ってくれ。僕も忙しいんだよ。来客が来るから執務室から出ていってくれる?」
床に赤絨毯の敷かれた王宮の廊下をファビオとビオラは無言で歩いていた。
少し先を行くファビオにビオラは意を決して声をかけた。
「ファビオ、怒ってるだか?」
「怒ってないよ。どちらかというと落ち込んでる」
ビオラはファビオにテテテと走り寄った。
ファビオはハッとして立ち止まる。
「ごめん、ビオラ。まだ足が完治してないのに」
ファビオはビオラの腰を支えた。
「もうだいぶ良いだよ。それより、やっぱりファビオはおらから精気は吸いたくないんだべか?」
「君に迷惑をかけるのは嫌だ」
「迷惑じゃないだ。ファビオは友達じゃねえか。おらも役に立ちたい」
ファビオは堪えるように目を閉じた。
その、『友達』という言葉を聞く度に胸が張り裂けそうになるのはいつからだろうか。
「そうだね。正直言って君の申し出はありがたいよ。…大丈夫、この間みたいな強引なやり方はしない。実際、ビオラの側にいるだけでかなり気は貰えるんだ」
思い返せばビオラは最初から自分にとって普通ではなかった。
「そうだか。じゃあ、なるべく一緒にいるべ」
ビオラは嬉しそうに微笑む。
「でも、足りなくなったら遠慮なく言ってけろ」
ファビオはビオラから目をそらして、わざと冷たく言い放つ。
「そう言う事は軽々しく言わない方が良い。ビオラは未婚の令嬢だし、王子との縁談もある身だ。自覚した方が良いよ」
隣からビオラの視線を感じたが、構わず続けた。ビオラを自分の複雑な事情に巻き込むわけにはいかない。
そのためなら自分の恋情は隠し通してみせる。
「なるべく早く他の補給相手を見付けるから…」
「他のって、だって…、ファビオは特別だって言ったべ」
鼻声交じりの声が聞こえて、ファビオは隣を見下ろした。
ビオラがアメジストの瞳に涙を溜めてうつむいているのが目に入った。
「おらの事が特別だって、触りたいって」
ファビオは息を呑んだ。
「それは…」
「わかっただ。ファビオはおらの事が面倒なんだな」
ビオラはファビオの手を外してスタスタと歩き出した。
「でも、おらも補給役は譲らないから!」
ファビオは、ビオラを追いかけることが出来なかった。
両手をきつく握りしめ、溢れ出る感情と戦う。
しかし、ビオラが涙を拭う仕草が目に入った直後、思わず走り出していた。
「ビオラ!」
ビオラが振り向くより早く、ファビオはその身体を後ろから抱き締めた。
「だって、君は困るだろ?僕が君に友達以上の感情を持っていると知ったら」
ビオラが息を呑んだのが伝わってきた。
「君から摂取する度、僕はきっと冷静ではいられない。精気じゃなくてビオラ自身を求めてしまう。…この間のように」
ビオラは、身体を固くしている。
ああ、言ってしまった。これでもう、友達には戻れない。
側にいられない。
同時に肩の荷が下りた気持ちもある。
打ち明けられない苦しみから解放されるのだから。
ファビオは、そっと、ビオラから離れた。