溢れる思い
ビオラはポカンとした顔でファビオを見たまま静止していた。
「誤解しないで欲しいんだけど、魔力の源になる精気を分けて欲しいんだ。僕はそういう手段でしか摂取出来ないんだ」
ファビオが掲げたランプに照されたビオラは、みるみる顔を真っ赤にした。
「そ、そ、そういうのは、だって、恋人同士がやることだべ!?」
「僕だって、解ってるよ。でも、他に方法が無いんだよ。ビオラが僕をそんな風に思ってないことも知ってるけど…」
ファビオは胸が痛んだ。
そう、ビオラはきっと、嫌だろう。
自分なんかとキスをするなんて。
「ファビオは良いのか?好きでもない相手とそんなこと…」
ビオラは、俯いてボソボソと訊ねた。
それは違う。
少なくとも、ファビオはビオラに友達以上の感情を持っている。
でも、それをこの場で言うことは何故か出来なかった。
「僕は…これまでもずっとそうしてきたから…。慣れてる」
ビオラは再び顔をあげてファビオをまじまじと見た。
「そうだったべか。スケコマシはそのためだっただな。ファビオの事を知る毎に何だか違和感があっただよ。ファビオは本当は誠実で優しい奴だろ?」
ファビオは胸が締め付けられた。
ビオラはファビオの事をこんなにも信頼してくれている。
本当はこんな形でビオラとキスをしたくはなかった。
そう、出来るなら、心を通わせた恋人同士のキスをしたかった。
ファビオは、漸くはっきりと自覚した。
ビオラへの恋心を。
ビオラは決心したように頷いた。
「わかっただ。おらから精気を吸いとってくれ」
ビオラは目を瞑り上を向いた。
ファビオはランプを足元に置いてビオラの肩に手を掛けた。
ビオラから緊張が伝わってくる。
「大丈夫。直ぐ済むから」
ファビオはビオラに顔を近付けた。
ビオラの甘い薫りが鼻腔をくすぐって、ファビオの中の欲望が溢れそうになる。
懸命に自制しつつ、その赤く柔らかそうな唇に自らのものを重ねた。
それは、味わったことのない甘美な体験だった。
ビオラの気が極上であることは予想出来たが、ここまでのものだったとは!
唇が触れた途端、ファビオの理性は吹き飛んだ。
ファビオは柔らかい唇を貪った。
肩に置いた手は、直ぐにビオラの後頭部に移動し、もう片手は腰に回し、ビオラが逃げないように押さえ込んだ。
角度を変え、何度も唇を重ね、それに飽きたらず舌を差し入れた。
ビオラが苦しそうに喘ぐ。
呼吸が整うまで少し待って、ビオラの小さな舌に自分の舌を絡めた。
唾液を飲んで口内を舌でしごいた。
ビオラの手が胸を力無く押しているが、止めることは出来なかった。
もはや精気を吸いとっている感覚など無い、ただ、ビオラの柔らかい唇を、その存在を欲して暴走していた。
「ビオラ…ああ、何て甘いんだ」
「ふ、ファビオ、な、長くない、か?」
「だって、止まらないんだ。ああ、ビオラ、すごいよ。こんなの初めてだ。もっと欲しい…」
あまりの気持ち良さに、身体中に鳥肌が立って疼き始めた。
圧倒的に器に精気が満たされる感覚と、それに呼応するかのように沸き上がる劣情に翻弄される。
ああ、君の全てが欲しい。
ビオラが苦しそうに漏らす声と吐息が更にファビオを駆り立てる。
腕の中のビオラがグッタリと力を抜いた感触で、漸くファビオは我に返った。
「ビオラ…!」
精気を吸い取り過ぎたのか!?
ファビオはビオラの頬に手を当てておろおろとした。
「ごめん、ビオラっ、加減を忘れた。今、返すから…」
そう言って再び唇を近付けたところ、ビオラから顎を押し退けられた。
「いい!いい!いーべっ!大丈夫だから、ちょっと慣れてなくて逆上せただけだ!」
ビオラはファビオの腕から抜け出すと、床に座って両手で顔を覆い、荒い息を整えている。
ファビオは、ビオラの精気が充分残っていることを確認して安堵する。
そして、その側にしゃがみこみ頭を撫でた。
「本当にごめんね、初めてなのに」
ビオラは小さな声でブツブツ呟いた。
「す、凄いだ…ファビオはいつもあんなことを女子と…」
「誤解しないで!いつもはもっとあっさり済むんだ。…女性は、はっきり言って苦手だし。演技とはいえ、余り触れたくないというか…」
ビオラは指先を曲げ、目だけを出してそろそろとファビオを窺った。
「もしかして、ファビオは男が好きなのか?…まあ、おらは、女っぽくねぇ、とは良く言われるけども」
ファビオは、即座に否定した。
「そんなことはない。そういう事じゃないんだ。ビオラは特別ってことだよ」
ビオラはじいっとファビオを見つめて、小首を傾げた。
「おらの精気はおいしいの?」
ファビオはその仕草と質問に胸を撃ち抜かれた。また湧いてきそうになる狂暴な欲望を、必死で押さえつけた。
ファビオは視線を反らし、自らの口を手で覆いながら答えた。
頬が熱い。
「極上だよ。それに…」
「それに?」
「ビオラにはもっと触りたい」
言い捨ててビオラに背を向けた。
叫んで走り去りたい羞恥に駆られるが、何とか耐えた。
「そ、そうだか」
沈黙が落ちて、遠くから梟の鳴き声が聞こえてきた。
「今、何時ごろなんだべかな?お腹すいただ。ファビオはもう夕飯食べただか?」
ビオラがしんとした空気を払拭するように明るく話しかけた。
ファビオは深呼吸をして振り向き、腕を捲って左手を扉に翳した。
「まだだよ。ここから出たら、エミル殿下に王宮料理人が作るフルコースを御馳走してもらおう。…ビオラ、危ないから離れてて」
ファビオは鉄を構成する要素を読み解いてそれを分離していく。
古びた扉の表面からサラサラと砂煙りが上がった。
ファビオに代わってランプを掲げたビオラは、その不思議な現象に目を奪われている。
ファビオが指揮棒を振るように優雅に腕と指先を動かし、それに答えるかのように扉はゆっくりと砂粒に変わっていく。
やがて、小さな砂の竜巻がくるくると回転したのを最後に、立ちはだかっていた扉は消えた。
いや、正確には分解された。
扉の向こうは真っ暗な通路になっていたが、遥か向こうから灯りが近づいてくるのが見えた。
「エミル殿下が迎えを寄越してくれたようだ」
息を吐き、捲った袖を戻して、ファビオはビオラを振り返った。
ビオラは、夢をみるような瞳で、先程まで重厚な鉄の扉があった空間を見ていた。
「おら、魔術を初めて見たけど…凄く綺麗なものなんだな」
ファビオは目を瞬いた。
初回でそんなことを言われたのは初めてだ。
初めて魔術を目の当たりにした者は、その後、大概ファビオを化け物でも見るような目で見た。
ファビオは照れ臭くなり、再び背を向けた。
「ビオラ、僕がおぶっていくよ」
ファビオはその場にしゃがんで背中を向けた。
返事がない。
「…嫌なら良いけど…」
ビオラが足を引きずりながら近づいてくる。
そして、柔らかい手がファビオの肩に掛かかり、ひょいと、横からビオラがファビオの顔を覗き込んだ。
「すげえな。ファビオ。おらの精気も役に立ったべか?」
ファビオは頷いた。
きっと顔は真っ赤だろう。
「じゃ、お邪魔するべ」
ビオラはファビオの背中に乗っかる。
身体の密着を意識しないようにファビオはビオラの足を抱えて立ち上がった。
「おんぶなんて久しぶりだべ」
ビオラは、はしゃいだ声をあげて背後からファビオを覗き込む。
「重くないだべか?」
ファビオはドキドキする鼓動を悟られないようにするのが精一杯だ。
その後もファビオの髪の毛を撫でて、柔らかいべなー、などと言う。
人の気も知らないで…
ファビオは恨めしい気持ちを抱えて、前方の灯りに向けて歩を進めた。