君を思う
ビオラは途方に暮れていた。
遥か上空に見えていた空は紅く染まり、夜の訪れを予告している。
今のうちにもう一度辺りを探索しようと、壁に掴まって立ち上がった。
落下した時に挫いた左足首がズキズキと痛み、ビオラは顔をしかめた。
(油断したべ)
ひょこひょこと足を引き摺りながら、石造りの通路を進む。
暫く行くとボロボロの扉が現れ、通路を塞いでいた。
この先には広間がある。
広間にはもう一つ扉があるが、重厚な鉄製で、しかも錆び付いているのでびくともしなかった。
(やっぱり、ここで大人しく助けを待った方が良いだべか)
ビオラは引き返す。
確実に外へ続いているのはビオラが落下したあの穴の入り口だけだ。
しかし、ここは学園の裏手に広がる森の中。
ビオラを陥れた学生らも、滅多に人が来ない場所だと言っていた。
叫んでも声を拾って貰うことは難しい。
現に、大声で助けを求めたが、何の反応も得ることが出来なかった。
自力で外へ出るには3階建ての建物の高さほどあるこの壁を登る必要がある。
身体能力が高く体力にも自信があるビオラだが、蔓延った茨の間から尖った岩が幾つも突き出している壁を登るのは難しい。
何より足を負傷している状態では却って危険だ。
ビオラは再び冷たい石の上に腰を下ろし、膝を抱えた。
ふとよぎったのはファビオの顔だった。
この学園で唯一の友人だ。
明日になればファビオがビオラが居ないことを不信に思い、探ってくれるかもしれない。
そうじゃなくとも、ファビオの事を思うと気持ちが温まる気がした。
(今夜はここで過ごすしかないべか)
ぐう、とお腹が鳴った。
ファビオは、言い様の無い不安に襲われていた。
何故だか無性にビオラの顔を見たかった。
ランチはいつも通り一緒に過ごしたが、放課後に用事があるとの理由で、今日の勉強会は中止になった。
ビオラからの気の補給はいつもより減少したわけだが、たった一回抜けただけで、こんなに渇望するようになるなど普通ではないと思う。
しかし、いてもたってもいられない。
ファビオは、学園の学籍管理担当を訪ねた。
「申し訳ございませんが個人情報はお教えできません」
予想通りの答えが返ってきた。
「どうしても今日中に伝えたいことがあるのです。何とか住所を教えて貰えませんか?」
「お力になれなくて申し訳ないですが、規則なので」
分厚い眼鏡を掛けた中年の女子職員は頭を下げる。
ファビオは思案する。
ビオラは学校指定のアパートから通っていると言っていた。
指定アパートは、確か6軒、こうなったら全部回るか…。
たった一目会えば、安心出来るのだ。
踵を返し、廊下を駆け足で進むファビオに、前から歩いてきたエミルが気付いて声をかけた。
「どうしたんだい?そんなに急いで」
ファビオは説明するべきか迷った。
何の根拠もない不安に駆り立てられていることは、果たして報告すべき事案だろうか?
しかし、エミルであれば、ビオラの住所は聞き出せる。
ファビオは意を決してエミルに話した。
エミルは眉を寄せた。
「それは心配だね」
「杞憂かもしれないのだけど…」
エミルはファビオの肩に手を置き、ファビオの目を真っ直ぐ見た。
「君は自分の感覚を軽視するべきではない。それに、ビオラは王宮にとって重要人物で保護対象なんだ。すぐに調べさせよう」
エミルとファビオは、学園から王宮へ繋がる通路へと向かった。
「念のために、クリスタルの使用許可を貰っておこう。君は僕の執務室で待機してくれたまえ」
ファビオは頷いた。
毎度の事ながらエミルの手際の良さには畏れ入る。
複雑な事情を抱えたファビオを、臣下とするべく進んで引き受けてくれた同い年の王子。
普段面には出さないが、一生遣える主として定め、尊敬をしていた。
ファビオはエミルの執務室のソファーに腰掛け、
目を瞑り、深呼吸をして気を静めた。
「ビオラ=コッセラは、部屋に戻っていません」
ファビオとエミルは報告を受けて顔を見合せた。
嫌な予感が的中したことになる。
外はすっかり日が暮れている。
若い子女が1人で出歩く時間ではない。
「それに、学園を出た形跡もありません。」
「なんだと?」
ファビオは、顎に手を当てて考えこんだ。
「学園敷地内でなんらかのトラブルに巻き込まれたという事だろうか?」
「まだ、学園内にいる可能性はあるね」
「捜索させていますが、屋外を含めると学園の敷地はかなり広いので…」
エミルは、ファビオと目を合わせて頷いた。
「クリスタルの使用許可は下りている。ファビオ、ビオラの居場所を占ってくれ」
ビオラは、空の星を数えて暇を潰していたが、それにも飽きて、旧語の単語を大声で読み上げていた。
「あがしは明かり、あがりは東、あげずはトンボ、あめんぼーはつらら、あもじょは……なんだっけ?」
「あもじょはお化けだよ!」
頭上から降ってきた声にビオラは顔を上げた。
ランプの灯りに照らされるブルネットが見えた。
「ファビオ!」
ビオラは、叫んだ。
すごい、本当に助けに来てくれた。
しかも、こんなに早く。
「ビオラ!大丈夫かい!縄梯子を下ろすけど、登れる?」
ビオラは大声で答えた。
「実は、足を挫いただ!ロープを下ろしてくれれば、身体に縛りつけるで、それで引っ張ってくれれば良いべ」
ファビオは、穴の壁面をランプで照らして何かを確認しているようだ。
しばらくして、ファビオから穴から離れるようにとの指示がきた。
てっきり、縄を投げ入れてくれるのだと思ったビオラは面食らった。
ファビオが落ちてきたのだ。
いや、正確には降りてきた。
ホウキと共に。
ビオラは唖然としてその様子を見ていた。
片手にランプ、片手にホウキを持ち、フワフワと石の床の上に着地する長身のファビオ。
ファビオは穴から少し離れた場所で壁に凭れてこちらを見ているビオラを見付け、駆け寄った。
「ビオラ!心配したよ。座って、足を見せてごらん」
「え、あ、うん」
ファビオは、ビオラの足首を確かめている。
ビオラは、その様子をポォと見つめていた。
(さっきのはなんだったべ…)
気にはなったが、ファビオの顔を見ていると安堵と嬉しさと疲れがどっと押し寄せてきて、思わずファビオに抱きついていた。
ファビオはビオラを抱きとめて背中を優しく擦ってくれた。
「怖かったろう?良く頑張ったね。もう大丈夫だ」
「野宿には慣れてるだけど、やっぱ、ちょっこり不安だったべ。ファビオが来てくれて嬉しい」
ビオラはファビオの体温と心音、いつもの薫りに包まれて、冷えた心と身体が暖まっていくのを感じていた。
「それにしても、どうやって脱出するだ?そのホウキに掴まれば良いだか?」
ビオラはファビオの脇に置かれた棕櫚のホウキをチラと見た。
ファビオは頭を掻くと、
「あー、ごめん、これは2人は無理なんだよね。…強度的に」
「そうだか」
ちょっと残念そうなビオラを見て、ファビオは決心したようにその両手を握り、目を合わせた。
「ビオラ、君に黙っていたことがある。実は…噂の魔女の子孫とは、僕の事なんだ」
ビオラはファビオの真剣な光を湛えたエメラルドグリーンの瞳に目を合わせた。
「そうだか」
ビオラのあっさりとした返事に、拍子抜けしたファビオは一瞬言葉を失った。
「…驚かないの?…それに、君は僕と間違えられて迷惑しただろ?」
ビオラは考える。
そもそも魔女の存在とはどういったものなのかビオラは詳しく知らないし、噂の件にしてもファビオのせいではない。
「魔女の子孫だろうが何だろうが、ファビオはファビオだべ」
ファビオは、握ったビオラの手におでこをつけた。
「ビオラ…」
ファビオの正体は隠すべきことなのだろう。
きっと王宮ぐるみで。
魔女の血を受け継ぐ者がどういった基準で発現するのかは知らないが、自ら望んだものでは無い筈だ。
恐らくファビオには人知れない苦労がある。
ビオラは俯くファビオのつむじを見て、その柔らかな髪をくしゃくしゃと撫でてやりたい衝動に駆られた。
さみしがり屋のファビオ。
自分だけは、ずっと側にいてあげるんだと、唐突に、しかし強く決意した。
ランプで照らした穴の壁は狭く、所々鋭く尖った岩の突起があった。
更に茨が生い茂っており、ロープでビオラを引き上げるのは危険と判断した。
エミルによると、この穴は大昔の礼拝堂兼王族のシェルターであり、王宮と隠し通路で繋がっているという。
ファビオはビオラに案内されて、鉄製の扉の前に立っていた。
「なるほど…。これは人の力では無理そうだね」
「びくともしなかっただよ。閂が錆び付いているし」
ファビオは思案した。
これは思ったよりたいへんそうだ。
ファビオの魔女としての能力で、物質の構造を変える事が可能なのだが、対象が大きければそれだけ力を消耗する。
自然界から精気を吸収出来たという歴代の魔女と違い、ファビオは生き物からしか精気を摂取出来ない。
故に、軽薄な遊び人を装って、女生徒から口移しで精気を貰っていたのだ。
今日は既に得意でないクリスタルの占いと浮遊術で魔力を消費した。
この扉をどうにかするには源になる精気が足りない。
「どうにか出来そうだべか?」
ビオラが隣から心配そうにファビオの顔を覗き込んだ。
「ちょっとぐらい傷ついてもおらは大丈夫だから、やっぱ、ロープを下ろしてもらうべ」
ファビオは唇を噛んだ。
そんなことはさせられない。
ランプに照されたビオラは、既に傷だらけだ。
足首の痛みに気がとられて気付かなかっただけだろう。
制服もボロボロだし、頬や手に血が滲んでいる。
ファビオは意を決してビオラに身体を向けた。
「ビオラ、お願いがある」
ビオラは、アメジストの瞳でファビオを見上げた。
「うん。おらで出来ることは何でも協力するべ!」
ファビオは、唾を飲み込んだ。
「僕とキスをしてくれないか」