ともだちの意外な一面
それから数日後、ファビオとエミルが2階廊下を移動していたところ、窓の外からワッと歓声が聞こえてきた。
二人は顔を見合わせ、窓から階下を見下ろした。声の出所は武道場からのようだった。
武道場には円形の練習場が9つ設けられ、生徒らが分かれて練習するのだが、その中央の練習場に生徒が群がっていた。
注目を集めているのは、今まさに剣を交わしている2人のようだ。
1人は体格の良い生徒で、大剣を力強く振っている。
対するのは小柄な生徒で、しかし、動きが素早くトリッキーだ。
見たことも無いほど低く剣を構え、相手の剣を躱して移動する。
時にはくるくる回転し、高く跳ね、片手を付いて宙返りをする。
その度に周囲で見学している生徒達が沸く。
「キャーッ、ビオラ様っ、頑張ってーっ」
女生徒の一人が叫んだ名前に、ファビオはまさかと思い、窓から身を乗り出して凝視した。
小柄な生徒は、突き出された剣を身を低くして避け、そのまま相手の股ぐらを通り抜け、背後から首筋に剣を突きつけた。
ラベンダーグレーの切り揃えられた髪が揺れて、その顔を覆う。
「終了!勝者、ビオラ=コッセラ!」
講師が手を上げた。
きゃぁぁぁーっ!女生徒の黄色い声と、男子生徒の野太いおおおーっという歓声が、武道場の空に響きわたる。
ファビオは放心していた。
隣のエミルは手を叩いて讃えた。
「相手は、確かゼクソ将軍の次男のダントンだぞ。中等部でも大会を軒並み制覇してきた逸材のはずだが…それに勝つとは。さすがだね。予想以上だ」
ファビオは、そろそろとエミルを見やる。
「いったい、ビオラは何者なんだ?」
エミルは挑発的に笑った。
「君には教えてあげるつもりだったけど、ちょっと惜しくなったなぁ。僕もあの娘と仲良くなりたくなった」
ファビオはムッとして答える。
「勝手に仲良くなれば良いだろう」
「君にしか懐いていないようだから、諦めていたんだけど…」
エミルは窓枠に腕を掛けて女生徒に囲まれるビオラを見ている。
「見事に噂も払拭して、一転人気者になったようだし」
ファビオは、エミルを睨んだ。
「何が言いたいんだよ」
「もう、君の手は必要としないんじゃないか?」
ファビオは、ビオラを見た。
群がる女生徒達を掻き分けて、近づく男子生徒がいる。
先ほどまで戦っていたゼクソ将軍の子息だ。
ファビオは窓枠に掛けられた手をぐっと握った。まさか、ビオラに言い掛かりを付けにきたのではあるまいか。
ハラハラして見つめていると、ダントンはビオラの前に進み出てその手を取った。
ブンブン上下に振っているところを見ると、どうやら握手をしているらしい。
ファビオは額に手を当てて息を吐いた。
(紛らわしい真似をするな、脳筋め)
胸の内で悪態をつく。
そんなファビオの様子を隣のエミルが面白そうに眺めていた。
待ち合わせたいつものガゼボに、ビオラは遅れてやってきた。
いつかのファビオのように息を切らしている。
「ごめんな。ファビオ、お腹すいてるだろ?」
ビオラは大きなランチボックスをファビオの隣にドサッと置いて中を探っている。
ファビオはいつもと変わらないビオラの態度に妙に安心していた。
「急がなくても大丈夫だよ。お弁当は楽しみだけどね」
ビオラは嬉しそうに笑った。
何故かその笑顔に胸が高鳴ってファビオは目をそらした。
「今日はトマトのシチューだ。良いガブが手に入ったんだ。鶏の香草蒸しもあるべ」
次々と取り出してランチョンマットの上に並べていく。
ファビオは水筒の蓋を開けた。
柔らかい湯気とトマトとスパイスの匂いが立ち上る。
「パンに付けて食べるだよ。ちょっと固めだけど、このシチューにはこれが合うんだべ」
スライスされた楕円形のパンが、紙ナプキンの敷かれた箱にぎっしり詰められて
いた。
「ちょっと多くないかい?」
ビオラは勢い良く腰掛けると、長細い水筒からカップに水を注いで飲み干した。
「今日は武術の授業があったでな。お腹がすくと思っていつもより多めにつくっただよ」
「ああ、エミル殿下と見ていたよ。大活躍だったね」
ビオラは目を輝かせてファビオを振り返った。
「見てたのか?実は、武術は得意なんだべ。やっと実技が出来て張り切っただよ」
ファビオはビオラに聞きたいことがたくさんあったのだが、何からどうやって訊ねれば良いか迷っていた。
女性の扱いは慣れているはずなのに、ビオラには上手く出来ない。
「皆、絶賛していたようだね。これで変な噂をする奴らもいなくなるんじゃないか?」
ビオラは、シチューの入った水筒に、パンを浸している。
「どーだろな。話しかけてくれる人は増えたけども、魔女の力を使ったせいだ、とか言う奴も中にはいただよ」
ファビオは顔を曇らせた。
魔女とはどんなものかも知らないくせに、勝手な先入観と憶測だけで、ものをいう奴らには辟易する。
「ともかく、武術は合格点をとれそうだね。単位を落としたら領地に帰らないとならないんだろ?」
ビオラは、パンを頬張りながらウンウンと頷いた。
「来月は第一期の試験があるけど、他の教科は大丈夫なの?」
ファビオが何気なく訊ねると、ビオラはゴクリとパンを飲み込んだあと、暗い顔をして俯いた。
「実は、自信が無いだよ。暗記系は何とかなるにしても、数学と外国語が…」
「外国語は何を専攻してるの?」
「旧語学だべ。故郷には余り習得している人間がいないから、是非取ってこいと言われてるだ」
「数学と旧語学なら教えれるよ」
ビオラは、顔を上げてファビオを見た。
「本当だか?」
「ああ、旧語学はもう単位を取得したし、数学もどちらかというと得意だよ」
ビオラは、パァぁと顔を輝かせた。
「ファビオはスゲエな!王子様が優秀だって言ってたものなぁ。本当に教えてくれるのか?」
ファビオは頷いた。図書館は人が多いから、書庫で放課後に待ち合わせる事にしようと提案する。
「そういえば…」
ビオラはふと思い出したようにファビオを見た。
「ファビオの女子とのトラブルとやらはその後どうだべ?」
「え?ああ、うん。最近はないかな」
ビオラはホッとした顔でシチューをスプーンで掬った。
「ファビオがおらと友達になったのは、それが目的だったろ?それを聞いて、最初は何て奴だと思っただけども、ファビオは良くしてくれるから、何か、おらばっかりやってもらってばかりで申し訳なくなってな」
ファビオから積極的に近づくことはなくなったが、寄ってくる女生徒は一定数いる。
何とかあしらってはいるが、ファビオの変化を疑わしげに思って探りを入れてくるようになった。
これまでのファビオなら、甘い言葉や口付けのひとつで丸め込むところだが…
「ファビオが友達になってくれて良かったべ」
無邪気に笑いかけるビオラの笑顔と言葉に、胸がきゅっと締め付けられて、ファビオは挙動不審になる。
ビオラと過ごすようになってから女嫌いが加速したような気がする。
最近は女子に対して甘言を囁くことすら苦痛なのだ。
ビオラのラベンダーグレーの髪が涼しい初夏の風に吹かれ、サラサラと揺れている。
漏れる光が反射してキラキラ輝いている。
ファビオはそっと手を伸ばしてその髪に触れた。無意識だった。
ビオラがスプーンを持ったまま目を瞬いてファビオを不思議そうに見た。
ファビオは一瞬見惚れてすぐに我に返り、ゴミがついていたと誤魔化した。