ともだちとお昼ごはん
「ごめん。遅れてしまったね」
息を切らせてガゼボに現れたファビオを見上げ、ビオラは首を振って、水筒からカップに飲み物を注いでファビオに手渡した。
「そんなに待ってないだよ。女子に捕まってたんだべ。教室から見えただよ」
ファビオはカップを受け取って一口飲んだ。
「何これ?トマト?」
「トマトジュースだ。レモネードで割ってあるんだ。飲みやすいべ?」
ファビオは、ごくごくと飲み干した。
「物凄く旨い!」
ビオラは満足そうに口角を上げた。
そして、ベンチの座面にランチョンマットを敷き、パスタの入ったケースともう一つ水筒を取り出して置いた。
「トマト尽くしだけどな、水筒の中にトマトソースが入っとるから、このパスタの上に掛けて食べてけろ」
ファビオは、いそいそとベンチに腰掛け、言われた通りに間口の広い水筒の蓋を開けた。
トマトとニンニク、バジルの香りが立ち上る。
パスタの上で傾けると、鮮やかな赤のソースが湯気を立ててゴロゴロとした具と共に流れ出た。
「凄い!旨そうだ」
「お口に合うかわからないけどな」
ビオラは少し照れながら、自分の分をランチボックスから取り出した。
パスタはかなり美味しかった。
せいぜい、サンドイッチかパンケーキだろうと予想していたのだが、良い意味で裏切られた。
田舎とはいえ、仮にも貴族の子女がこのように本格的な料理を作れるなんてかなり珍しいことだ。
「益々、興味深いなぁ、ビオラは」
そうだべか?と答えながら、ビオラはクルクルとパスタをフォークで巻くと綺麗に口に運んだ。
マナーもしっかりしているようだ。
「小さな頃から野外炊飯で鍛えられるんだ。どうせなら旨いもんが食いたいから、研究したんだべ」
野外炊飯?貴族の子女が野宿?
あっという間に平らげてしまった空のパスタケースを持ってぼんやりしているファビオを見て、ビオラはナプキンを取り出してその口元に当てた。
ビクッと身体を震わせ、驚いて見るファビオに構わず、ビオラはファビオの口周りをナプキンで拭った。
拭った後で顔を上げてファビオを見て笑った。
「アンタ、可愛らしいな」
ファビオは、思わず赤面した。
こんな扱いを受けるなど、幼い頃以来だ。
「マリオによく似てる…」
その後、ビオラが小さく呟いた言葉に反応してファビオは訊ねた。
「マリオって?」
ビオラは言い淀んだ。
「あ、うーん、何だろ、相棒だべか。マリオもトマトが大好物でな、大きい図体をしてるくせに手が掛かるんだべよ。甘えん坊でな」
ファビオは首を傾げた。
相棒ってフィアンセのことだろうか?
まあ、ビオラも侯爵令嬢なのだから、そのような存在がいてもおかしくはないのだが…だけど…
「僕は甘えん坊ではないと思う」
ファビオは、ちょっとムッとして反論した。
「そうだべか?女子を侍らすのは寂しがりの甘えん坊だからじゃねえの?」
「……」
女はどちらかというと苦手だ。
でも、それを口に出すことは出来ない。
ファビオの体質上、女性と関わらずに生きることは難しい。
女好き、スケコマシと罵られても、対面上そうしておく必要があるのだ。
黙ってしまったファビオを気遣ってビオラが慰めた。
「ファビオはきっと、番にまだ会ってないだけなんだな」
番その言葉を聞いて、ファビオは心臓が跳ねた。
番の観念など普通の人間には無いはずだ。
この娘はやはり普通じゃない。
ファビオがビオラの素性をどうやって探ろうかと考えていたところ、ビオラが息を呑む気配がした。
「やあ、良い天気だねファビオ。外でランチをするには最適だ」
エミルが約束通り姿を現したのだ。
ビオラは、キラキラしたオーラを纏った美男子をじいっと見つめ、口を引き結んでいる。
ファビオは立ち上がり、胸に手を当てた。
「エミル殿下、ご機嫌麗しゅう」
頷くエミルを確認したあと、ビオラに視線を向けて囁く。
「ビオラ、こちらは第三王子のエミル殿下だ。ご挨拶を」
ビオラはすくっと立ちあがり、制服のスカートを摘まんだ。
「お、お初にお目にかかります。ドラゴ領から参りました、ビオラ=コッセラと申します。お、お見知りおきおきくだせ、さいませ」
たどたどしいが堂々と挨拶をするビオラを、エミルは微笑みながら見ている。
「あー、なるほど。ドラゴのお姫様が入学するかもとは聞いていたけど…君がそうなんだね」
ファビオはエミルの発言に驚いてビオラを見た。
ビオラは、表情を変えずに立っている。
「コッセラ殿は良く君が王都に来ることを許したね」
ビオラは黙っている。
「ここでの暮らしは、向こうと勝手が違うからたいへんだろう?何か困ったことがあれば言ってくれたまえ」
「……」
ここまで無言を通すと、さすがに不敬に当たる。色々問い詰めたいこともあるが、ファビオはそっとビオラを小突いた。
それでも動かないビオラを不信に思って良く見ると、カチンコチンに固まっている。
どうやら緊張しているらしい。
「あー、殿下、コッセラ嬢はどうやら殿下にお会いして、緊張の余り言葉が出ないようです。僕が代弁しても?」
エミルは一瞬、呆気にとられた表情をしたが、咳払いをしたあと承知した。
ファビオがビオラの耳元に囁く。
「ビオラ、いつもの話し方で良いから僕に教えて」
「お、おら、標準語は何とか出来でも、王子様と話すなんで良くわかんねくで」
ビオラは泣きそうになりながらファビオに小声で訴えた。
「わかってるよ。大丈夫」
ファビオは、ビオラの背に手を添えた。
エミルは、その様子を興味深そうに見ている。
「実は、お父様は大反対だったべ。何とか説得してここに来たんだ。単位を一個でも落としたら、即、帰るって約束だべ」
「勉学に励み、良い成績を取ることを条件に入学を許可していただいたそうです」
エミルは頷いた。
「生活する上で困ったことはないだよ。ひとりぼっちは辛かったけど、ファビオが友達になってくれたし」
「お手を煩わせることは特に無いそうです。僕が友人として、上級生としても、コッセラ嬢を手助けをしたいと思っておりますのでご安心下さい」
エミルは笑顔を浮かべて二人を見た。
「それは心強いね。ファビオは優秀だ。卒業後は王宮で官僚として任務に付くことも確定しているしね。おおいに頼ると良いよ」
そこで、エミルはファビオに顔を向けた。
「……ファビオ、ちょっと良いかい?」
ファビオをガゼボの外へ誘い、小声で話す。
「面倒な事になったよ。君のペット様はちょっと特殊でね。まさか本当に入学してるとは思わなかった」
「そういえば、さっき、ビオラのことをドラゴの姫君と呼んでたね?」
エミルは頷く。
「君が彼女に珍しい『気』を感じたのも無理はない理由がある。その辺のことを含めて、後日改めて話すよ」
そう言い残してエミルは去った。
ファビオは釈然としないままガゼボに戻った。
ビオラが脱力したようにベンチの背もたれに寄りかかって、疲れた顔でファビオを見やった。
「すまないな、ファビオ」
「気にしないでよ。殿下も何とも思ってないみたいだし」
ファビオはビオラの横に腰掛けて笑いかけた。
ビオラは上目遣いでファビオを見てから、安心したように大きなため息をついた。
「そうだか、なら良かった」
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
結局、ビオラに聞きたいことも聞けずにその日は別れた。
ファビオは少しばかり胸がもやもやしたが、ビオラの側にいたお陰で体調はすこぶる良かった。
女生徒を口説く必要もなく、その夜は久しぶりにぐっすりと眠ることが出来た。