君との出会い
我が国には魔女伝説なるものがある。
200年に一度強力な魔力を有した魔女が現れ、国に厄災を招くらしい。
その厄災が如何なるものかはわからない。
それに関しての文献がほとんど残っていないからである。
ビオラもその話は聞いたことがあったが、幼い頃に読んだ物語程度の感覚でしかなかった。
なので、王立学園の入学式でその噂を小耳に挟んだときも、気にも留めずにすぐ忘れてしまった。
「魔女の子孫が生徒の中にいるらしい」
だから、まさかこんな形で自分に降りかかることになるだろうとは、予想もしていなかった
ビオラは、所謂、悪女顔であるらしい。
生徒が数人しかいないど田舎の学校では意識することもなかったが、ここ、王立学園において、ビオラは入学当初からあからさまに敬遠されていた。
山奥にある秘境ともいえる土地でひっそり暮らしている貴族など誰も聞いたことがなく、出目が不明の人相の悪い娘として、
『魔女の子孫に最も近い存在』に認定されてしまったらしいのだ。
地元の訛りがキツく、標準語を話そうと身構え、ついつい無口になってしまったのも災いした。
両親をしつこく説得して猛勉強の末に入学した憧れの学園であるのに、友人の1人も作れず3年間を終えるのは寂しい。
ビオラは大雑把な自然に囲まれた厳しくも優しい故郷を思い出し、書庫の隅で涙した。
いつものように、誰も来ない書庫の一角でメソメソ泣いていたところ、話し声が聞こえてきた。
ビオラは隠れていた書棚の影から、そっと声のする方をうかがった。
どうやら一組の男女のようだ。
男の方には見覚えがある。
確か、ファビオ=ジョルダーノとか言ったか、
(いつも女子に囲まれてるチャラい男子だべ)
女子はわからないが、ファビオの取り巻きの1人だろう。
ビオラが観察していると、書棚を背に見上げる女子の顎を、ファビオが指で押し上げた。
徐々に近付く2人の顔…。
(なんだっ、学園内で破廉恥な!)
ビオラは顔を真っ赤にして背を向けた。
予想外の出来事に涙は何処かに飛んでいった。
とにかく自分の存在を知られてはならない、これ以上何かを目にするのも耳にするのも嫌だ、と思い、ビオラは床を四つん這いになり急いで移動した。
今は使用されていない司書室が奥にある。
そこの窓から外に出られるかもしれない…。
うず高く床に積まれた何らかの資料の横を無理やりすり抜け、慎重かつ速やかに進むビオラの耳が、聞きたくもない音を拾う。
リップ音と男の囁き声…
(ひぃ~止めろ~)
ビオラは耳を塞いだ。
その肘が不安定に積まれていた資料の山に激突し、バランスを崩した大量の紙が埃と共に降り注いできた。
ビオラは咄嗟に目を瞑った。
◇◇◇◇◇
突然聞こえた物音に、目の前の令嬢はビクリと震えた。
「あの音は何でしょう?もしや、誰か……?」
ファビオは、安心させるように彼女の腕に手を添えた。
「僕が見てくるよ。こんな寂れた書庫の存在など知る生徒はいないし、以前アナグマが入り込んで荒らすと聞いたことがある。きっとその類いだろう」
「まあ、アナグマが?」
令嬢は不安そうに音のした方向を見つめた。
「君は部屋に戻りたまえ。…今日のことは誰にも言ってはならないよ」
ファビオは、令嬢の唇に人差し指を当てて囁いた。
令嬢は、うっとりとファビオを見上げると名残惜しそうに去っていった。
書類の山から足だけにょっきり出ている光景を見て、ファビオは絶句した。
うめき声が聞こえ、ハッとして紙を掻き分けると、学園の紺色の制服が現れた。
ちょうど腰の部分だったので、そのまま抱え上げた。
現れたラベンダーグレーの髪の女生徒は、四つん這いになったまま、実に豪快に咳き込んでいる。
「がほっ、げほっ、うがはっ」
ファビオはしゃがんで背中を擦ってやった。
「大丈夫かい?」
女生徒は、後ろを振り向いてキッとファビオを睨んだ。
「助けてくれたのは、ありがたいけど、こんな目にあったのは、アンタのせいだべ」
「君、どこの出身?」
ファビオは、女生徒の物凄い訛りに唖然として訪ねた。
「どこでもいーべさ!このスケコマシが!神聖な学園内で何をやっとるべ、触んなし!穢れるわ」
女生徒は、パンパンッと思いきり良く制服の埃を払うと、ボサボサの頭のまま書類を片付け始めた。
「何をボーッと突っ立っとるだ!アンタも手伝え」
ギロリと睨まれて、ファビオは慌てて足元の書類をかき集めた。
書庫に備え付けられた簡素なテーブルに掛けて2人は向き合っていた。
ファビオが食堂で貰ってきたシトラスティーを飲んで、ビオラはぷはーッと息をついた。
ファビオは笑みを浮かべながらその様子を見ていた。
ビオラはその視線に気付き、椅子に座り直して背筋を伸ばした。
そして、つんと顎を上げる。
「じろじろ見ないでいただけます?」
ファビオは吹き出した。
「今更取り繕わなくても…。僕はなかなか良いと思うよ、君の話し方」
ビオラはムッと口を引き結んだ。
「僕は、ファビオ=ジョルダーノ、三年だ。君は新入生かな?」
「ビオラ=コッセラ。一年生だ」
「出身は?民間枠の奨学生かな?」
ビオラはうんざりとした表情で答えた。
「出身は南部のドラゴ。爵位は侯爵だ」
ファビオは、一寸考える。南部のドラゴ?聞いたことがない。
「秘境の領地だから誰も知らないんだべな」
寂しそうに目を伏せる少女を観察する。
珍しいラベンダーグレーの髪は顎の長さで切り揃えられ、長い睫に覆われた瞳は切れ長で目尻が少し下がっている。
つんと上がった鼻に厚めの唇。
良く見れば、顔立ちの整った美少女だ。
「なんだべ。どうせアンタも魔女みたいだとか思ってるんだべ?」
ファビオは驚いて聞き返す。
「君、魔女だって言われてるの?」
ビオラは頬杖をついた。
「迷惑なことだべよ。人は見掛けで判断したらいかんって都会では教わらないんだべか」
確かに、重めの前髪と気だるげなアメジストの瞳、それと、全体的な色合いがエキゾチックな印象ではある。
「僕は美人だと思うけどね。目元と口元の黒子もセクシーだ」
ファビオが片目を瞑ってみせると、ビオラはぎょっとして上半身を遠ざけた。
「お前やっぱり破廉恥な奴だな」
ファビオは困ったように笑って見せた。
「酷いな。女性を誉めるのは紳士の義務だよ。それに嘘じゃない」
はあぁぁぁ、ビオラは大口を開けてため息をつく。
「確かになぁ、アンタくらい口が上手ければ、友達も出来るんだべかなぁ」
「ビオラは友達がいないの?」
「だって、魔女だって決めつけて誰も近寄ってこんのだもの」
ファビオは、身を乗り出した。
「じゃあ、僕と友達になろうよ!」
ビオラは、胡散臭げに視線をよこす。
「えぇ…アンタなんかと友達になったら、余計厄介なことになるような気がしてなんねんだけど」
「僕さ、こんな見た目だろ?女の子とのトラブルが耐えなくってさ。君と一緒にいれば、多少防げるかなって」
ビオラは呆れた。
「それは友達じゃねぇべさ。それにトラブルの原因は見た目じゃないと思う。更に言えば、アンタは信用できないべさ」
酷いなぁ、とファビオは困ったように笑う。
「何だか君、面白そうなんだもの。もっと君のことを知りたいのは本心だよ」
ビオラは暫し考えた。
何はさておき、少しでも1人ぼっちで過ごす時間がなくなるなら良いのかもしれない。
ファビオは上級生だし、学園のことも色々教われるだろうし。
「わかっただ。友達になるべ」
ファビオは、顔を輝かせた。
「早速、明日のランチを一緒にとろう。食堂で待ち合わせる?」
ビオラはいつもお弁当を持参して、中庭の隅でひっそり食べていた。
「そんなら、アンタの分もお弁当作ってやるだよ。嫌いなもんと好物を教えてけろ」
ファビオは大袈裟に喜んで、好物はトマトで、嫌いなものはフルーツだと答えた。
中庭の東端のガゼボを待ち合わせ場所に決めて、2人は別れた。
「やあ、ファビオ」
夕暮れに染まる回廊を鼻歌交じりで歩くファビオは、背後から掛けられた声に振り向いた。
金髪碧眼の美貌の貴公子が、右手を上げてこちらに近付いてきた。
「エミル殿下、ご機嫌麗しゅう」
「堅苦しい挨拶はやめてくれよ。誰もいないんだし」
エミル=ロカ=アジカンは、ファビオの隣に並んだ。
彼は、この国の第三王子にして、ファビオの同級生だ。
「やけに機嫌が良いね?美味しい子猫ちゃんでも見付けたの?」
ファビオは、げんなりとした顔で答えた。
「子猫ちゃんって…止めてくれ。仕方なく食ってるだけなんだから」
エミルは隣を歩く甘いマスクの幼なじみを見た。学園内で数々の浮き名を流すプレイボーイが、実は極度の女嫌いと誰が思うだろう。
「じゃあ、何だ?」
ファビオはニヤニヤと笑った。
「そうだなぁ、面白いペットを見付けたと言うべきか…」
「ペット?糧じゃなくて?」
「物凄く珍しい『気』を持ってる子でね。側にいるだけで満たされる」
エミルは、驚いた。
「は?!そんな人間がいるのか?それは僕も是非お会いしたいものだな」
「明日、中庭でランチの約束をしているから来るといい。紹介するよ」
ファビオはエミルと引き合わせた時のビオラを想像してクスクス笑った。
その様子を見て、エミルは再び驚いた。
そんな表情をする幼なじみを見るのは、久しぶりだったからだ。
益々、ファビオのいうところのペット様に興味が湧いた。