22世紀日本:本を積む暮らし
21世紀に入って20年あまり。
気がつけば、電子の本がごく普通に受け入れられるようになっております。
では、百年が経過した後にはどうなっているでしょう。
あらゆる本が電子となり、紙の本は存在しないのでしょうか?
それとも、人は紙の本を愛し続けるのでしょうか?
フミの部屋の扉を開けると、本の山があった。
部屋の中央に本の盆地があり、布団が敷いてある。
「また、増えてるよ」
わたしは呆れ、入り口から呼びかけた。
「おーい。出てこーい」
もぞもぞと、盆地にある布団が動く。
「んむー」
「んむー、じゃねえよ。飯いくぞ」
返事はない。
仕方がない。わたしは、フミの部屋に踏み込んだ。
本の山の連なりから、フミの寝床までは、細い道がある。床の細道。うふふ。
フミがくるまった布団を剥ぎ取る。下着姿のフミから「ぬぅん」と不満そうな声。
不満なのはわたしの方だ。毎朝面倒をかけやがって。
「おい、起きろ」
「眠い」
「知るか。また夜ふかしして本を読んでたな」
フミが身支度をする間、わたしは床の隙間に座って、寝る前にフミが読んでいた本を広げる。開いた頁に、フミ好みの、ハネがきついフォントが並んでいる。字間はわたしの好みよりやや狭く、行間はわたしの好みよりちょっと広い。
今の時代、紙の本は注文生産だ。本の電子情報を買えば、製本は追加料金でいつでもできる。フミがやってるように、自分の好みに合わせて活字を選べるわけだ。
「人の本を勝手に読むな」
「読まねえよ。見てるだけだ」
「見るな」
「断る」
「バディ、こいつを訴訟して」
フミが宙に声をかけると、チチッ、と音がして天井からAIが声を返した。
『訴訟し、却下されました』
「くそ。日本の司法はこれだから」
「勝利は常に虚しい。いつもすまないな、バディ。フミが相手だと大変だろう」
『フミの人生支援はわたしの役目です。大変なことはありません』
フミの身支度は早い。
細い体を、上下揃いの紙ジャージに突っ込むだけだ。学生全員に毎月支給されるもので、毎日着るから、月末にはよれよれに型崩れしている。紙ジャージのよれ具合から、今が月のいつ頃かがわかるほどだ。
「んむー」
「ほら、いくぞ」
まだ半分寝ぼけたままのフミを連れて食堂へ向かう。
歩きつつ、あわあわと、あくびするフミ。
「夜中まで、何読んでたんだ」
「見たろ」
「活字が並んでるのしか見てない」
「モッセ。『大衆の国民化』だよ。大衆の合意形成としての、儀式や政治運動の本」
「おまえ、他人に全然興味がないのに、やたら政治の本とか読むのな」
「うっせえ」
「本の山も増えてるし。おまえ、あれ全部読む気なの?」
「読まなくてもな。本は積んで山になってるだけで知性を育むんだよ」
「ウソつけ」
「いや本当なんだって」
並んで朝食をとりながら、エンジンがかかってきた──こいつと一緒にいると、こういう古風な言い回しが身についてしまう──フミに、積読の良さを教えてもらう。
曰く、人は意識していなくとも、常時、周囲の刺激を脳に取り込んで情報処理しているのだそうだ。視覚と聴覚は特に重要で、本の山が目に入り続けているのが大事なのだとか。
「実験で有意か確かめたのかよ、それ」
「実験するほど、条件が整えられないんだって」
「ほらみろ」
「うがーっ! いいだろ、誰に迷惑かけてるわけでもないんだから!」
「迷惑っつうか、ダウンロードだけならともかく、製本すると金はかかるだろ」
「ちゃんと、月支給分におさめてるってば」
学生には、国から毎月、教育費が十万新円支給される。昔は学生だと割引制度みたいなのが使われてたみたいだが、22世紀になる前あたりから、割引の代わりに支給金を増やす方向に切り替わっている。
わたしは基本的に電子書籍で本を読む。軽いし邪魔にならない。
だが、フミは可能な限り製本して読む。読まなくても製本する。理解できない。
「電子書籍なんかクソだ。いいか、本は五感で読むんだ。目だけで読むものじゃない。腕の筋肉で重量を支え、手で紙の束をはさみ、指の感触で本を開いてダイブするんだ」
「それだと視覚と触覚だけだろう。五感じゃねえよ」
「屁理屈か! それに、昔だとインクとか紙に独特の臭いがあってだな!」
「今の本にはどっちもないだろう。あるとしたら、フミの汗の臭いだ」
「うっせえ! ちゃんと風呂には入ってるわ!」
フミがギャイギャイとわめく。知性の欠片もない。
やはり、積読に知性を涵養する効果はなさそうだ。
だが、フミが本を読み耽り、わたしに語りまくってくれることで、わたしの知性を育てる役にたってくれる。フミの語る本の概要のうち、半分くらいは間違っているが、それが逆に思考の鍛錬になるのだ。
「……こうして考えると、わたしの知性には、フミの積読が役立ってそうだな」
「なんだそりゃ」
「本だけじゃ、情報にはなっても理解には届かないってことだ」
「むー」
フミが不満そうに唸る。わたしは笑う。
自分の居住スペースが圧迫されないなら、本のある暮らしというのも、悪くはない。
今度、フミに本をプレゼントしよう。きっと積み上げてくれるはずだ。