J-006 母さんの教え
どうにか沸いたポットで、母さんがお茶を作ってくれた。
持ってきた食器を戸棚にミザリーが並べたが、皿が3枚にカップが3つ、それとスプーンが5つだからなぁ。
包丁は布で包んで下の引き出しに仕舞っていたが、ここでの暮らしには必要ない代物かもしれない。
お茶のポットは母さんの思いでの品かもしれないな。丁寧に布で包んで持って来たみたいだ。
注いで貰ったカップのお茶を飲みながら、明日からの暮らしについて考える。
母さんはだいじょうぶなんだろうか?
ここまで無理をしたんじゃないかな。直ぐに働いて再び寝込むことにならないか心配になってしまう。
「だいじょうぶよ。通信機の前で座っているだけだから。そんな顔をしないで頂戴。それよりも、リーヴェルの方が心配だわ。今度は人を殺すことになるの……。
貴方の撃った弾丸で、相手の人生が終わってしまうのよ。戦の中では、そうしなければ貴方が死ぬことになるわ。
でもね。それを常に意識しなさい。そうしないと貴方は機械と同じになってしまうわ。人は心を持っている。善悪の区別ができる。それでも倒さなければならない相手に祈りを捧げることは忘れないでほしいの」
「だいじょうぶだよ。母さん達が楽しく暮らした時代に戻れるよう、頑張るつもりだ。そして……、祈りはちゃんとするよ」
果たしてトリガーを引けるだろうか?
最初の猟に出掛けた時も、狙いを付けた電気ネズミに中々トリガーを引けなかったんだよなぁ。生き物を殺すということに罪悪感があるからだろう。
今度は動物ではなく、人間を相手にすることになる。
帝国の連中は、まるで家畜のように住民を殺すようだが、人としての心を持っていないのだろうか?
持っていても、上官の指示に逆らえないのかもしれない。
なら、なるべく苦しむことが無いように殺すことが、せめてもの慈悲になるんじゃないか?
帝国軍が俺達領民を犬やネズミをいたぶり殺すようなやり方を聞くたびに、相手も同じように殺してやりたくなる。
クラウスさんの部隊に入れると聞いて少し心が躍ったのは、そんな思いがあったからだろう。
だけど母さんの話を聞くと、それではいけないように思えてくる。
電気ネズミを狩るように、1発で相手を絶命させることを信条にしよう。
殺す相手を選んで、確実な死を与えることを胸に刻んでおこう。
その前に、神に祈ることもここで約束しておこう。
お茶を飲んで荷物を片付ける。
背負いカゴは、とりあえずリビングの端に置いておけば良い。必要なら誰かに進呈しても構わない品だ。
猟の装備は俺の部屋にあった棚に置いておく。
襲撃で足手まといになるようなら、猟をして貢献すれば良いだろう。
普段着に着替えてリビングに向かうと、時計が19時少し前になっていた。
暇つぶしに読んでいたパンフレットには、夕食は20時までになっていたから、急いで行った方が良いだろう。
母さん達を呼んで、3人で食堂に向かった。
がやがやと賑やかな話声が通路にまで聞こえてくる。
中に入ると列ができていたので、何の列か聞いてみた。
「この列かい? ここで並んで進めば、夕食にありつけるんだ。たぶん新入りだな?
俺の通りについてくれば良いよ。あそこのカウンターで料理を盛りつけて貰える。そしたら空いているテーブルで食べれば良い。食事が終わったら、あの棚に乗せるんだぞ」
「ありがとうございます」と礼を言うと、笑みを浮かべている。
親切な人だな。3人で言われた通り列を乱さないように少しずつ前に進む。
「このトレイを取るんだ。そしたら、こっちのスプーンを取る。トレイと皿が一体になってるから、結構便利だぞ」
真鍮製の薄いトレイは皿のような窪みが3つあった。
トレイを手にして、次はスプーンを取る。
スプーンの先端に深い刻みが付いている。フォークとスプーンを足して割ったような代物だ。これなら1つで2通りに使えるだろう。
カウンターにトレイを乗せると、向こう側の小母さんが鍋からオタマで料理を乗せてくれる。
俺の前の男が「大盛り」と告げている。俺達を案内してくれた女性が言った通りのようだ。
野菜炒めと濃いスープがトレイに乗せられた後に丸いパンが1つ乗った。最後に受け取ったのは飲み物のカップだった。いくつかある中から自由に選べるらしい。俺はコーヒーを選んで、母さん達はお茶だった。前の男は、カップ半分ほどのワインを選んでいた。
今度はテーブルを探すことになる。
見渡すといくつかのテーブルが空いていたから、その中の1つで夕食を食べることになった。
「これなら、毎日の食事より立派じゃないか!」
「色々と苦労しながら揃えてるんでしょうね。さあ、頂きましょう」
味は少し濃いめだな。肉体労働の人が多いのだろうか?
これなら町の食堂の定食より立派だろう。
町では食事に困る人もいるんだが、ここはそうではないらしい。やって来て直ぐにこの食事が頂けるのなら、もっと早く来るべきだったと思ってしまう。
食事が終わると、直ぐに部屋に戻ることにした。
結構疲れているからなぁ。明日は目覚まし時計の音で起きられるだろうか。
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目覚まし時計をミザリーが部屋に持って行ったから、今朝は叩き起こされてしまった。
ずっと短い眠りを撮ってばかりだったから、ぐっすりと寝込んでしまっていたらしい。
既に7時を過ぎているらしい。
パンフレットに書かれていた共同の洗面所で顔を洗って、3人で朝食を取りに出掛けた。
朝食は野菜スープとバターパンに干した杏子、それにお茶が1杯の素朴なものだ。
「迎えが来るらしいから、部屋で待っていれば良いね。カギは3つ受け取ったから、それぞれ1個持てるね」
「忙しいと残業もあるみたいに書かれたよ。医務局は忙しいみたいだから、ちょっと心配」
「夕食は一緒に取りましょう。待ってるわ」
不安そうなミザリーに母さんが声を掛けている。
俺も不安ではあるんだが、まさか今日から戦をしに出掛けることは無いだろう。
母さんだって、直ぐに通信機を使えるとも思えないんだけどなぁ。
部屋で待っていると、仕事が始まる30分前に扉を叩く音が聞こえた。
ミザリーが扉を開けると、20歳前ぐらいのぽっちゃりとしたお姉さんが立っていた。
「医務局にミザリーさんが配属になったと聞きましたので、迎えに来たのですが」
「私です! お母さん、行ってくるね!」
ミザリーが俺達を振り返ると、笑みを浮かべて出掛けて行った。
「優しそうな娘さんだったわね。ちょっと安心したわ」
「お母さんにも迎えが来るんですよね」
「そうよ。貴方もでしょう?」
次のノックは、俺を迎えに来たようだ。
母さんに「行ってくる!」と告げて部屋を出たが、俺を迎えに来たのはかなり年上のネコ族の女性だった。
お母さんよりは若いと思うけど、お姉さんと呼ぶのは少し考えてしまうな。
「私の分隊に入ることになったにゃ。この間1人やられたから、1人足りなくて困ってたにゃ」
「亡くなったのですか?」
「足を撃たれたにゃ。骨が砕けて走れないにゃ」
足が不自由ならば、兵士としての行動も難しいに違いない。その後どうなったのか、ちょっと気になるところだけどね。
お姉さんに連れられて、地上に出た。
どうやら地上に兵隊達の屯所があるらしい。
「こっちにゃ!」
お姉さんが、どんどん先に行く。その先は岩山なんだが……。
岩山の麓に転がっていた大きな岩の直ぐ隣に入り口があった。この岩山の中に屯所があるということかな。
洞窟のような入り口を入ると、2人が並んで歩けるほどの通路が延びている。入って20ユーデ(18m)も進んだらT字路になっていた。
右手に進んでいくと、最初の扉を開けて入っていく。
30ユーデ(27m)四方はありそうな部屋だ。
右手に黒板があり、正面の壁の上にはいくつかの穴が開いてガラスで塞がれている。どうやら明り取りに開けている様で、岩山の中だけどランプの必要がない。
「やって来たな。こいつが新しく俺達の仲間になる。第1小隊の第1分隊にとりあえず置くぞ。リトネン、世話は任せるぞ。とりあえずしばらくは襲撃に連れては行けまい。グレムリンを1丁渡して、銃の操作と撃ち方を教えてやってくれ。猟師をして母親を助けていたらしいから体力はあるだろうし、そいつの父親は結構有名な人物だ。血を受け継いでいるなら腕は確かなのだが……」
「了解にゃ。ファイネル手伝ってほしいにゃ」
「了解だ。銃を受け取ってくるよ。装備はどうするんだ?」
「一通り貰ってこい。あまり訓練ばかりさせるわけにはいかないからな」
クラウスさんに軽く敬礼をして、俺より年嵩の若者が部屋を出て行った。
「5発撃って2発当たるようなら、俺達と一緒に行動できるだろう。それができるようになるまで腕を磨くんだぞ」
「分かりました。俺も、啓礼した方が良いんでしょうか?」
「そうだな。その辺りもリトネンに任せる。イジメるような奴はいないだろうが、もし、そんなことになったなら報告してくれ。俺がぶちのめしてやる」
うんうんとリトネンさんが頷いているけど、真面目な人なのかな? 今の言葉はクラウスさんの冗談だと思うんだけどなぁ。
やがて、ファイネルさんが帰ってきた。ファイネルさんはイヌ族出身のようだ。リトネンさんはネコ族なんだけど、ケンカしないんだろうか?
イヌ族とネコ族は仲が悪いと聞いたことがあるんだけど……。
「これがゴブリンにゃ。旧王国の歩兵が持つライフル銃にゃ」
手に持つと、今まで使っていた猟銃よりもかなり重い。構えて見ると、あまり長く保持できないな。立射はしばらくできないだろう。腕の力を付ける必要がありそうだ。
しばらくは伏射か、銃身を石か太い木の枝に押し付けるような形で膝射ちをすることになるだろう。
「結構重いですね」
「それだけ丈夫にゃ。殴り合いにも使えるにゃ。これが装備ベルトになるにゃ。色々とベルトに下げるから、サスペンダーが付いてるにゃ。
ベルトに下げるのは……。ファイネル、こっちに来るにゃ!」
ファイネルさんを呼び寄せて、ファイネルさんが付けている装備ベルトに下げた物を1つずつ教えてくれた。
弾薬ポーチが2つに水筒が1つ。それに銃剣と小さな革製のバッグだ。
「銃弾はこんな感じで5発が一緒に付いてるにゃ。ポーチ1つに4つ入るにゃ。2つあるから40発にゃ。水筒はカップに3杯分が入るにゃ。バッグにはビスケットとチーズが入っているにゃ」
携帯食料と言うことなんだろう。それほど大きな紙包ではないから1食分と言うことかな。
「制服は無いから、適当で良いにゃ。でも目立つ服装はダメにゃ。今の姿なら問題ないにゃ。それと、これがお揃いの帽子になるにゃ」
ツバが付いた帽子には耳当てが付いている。首筋まで覆うような耳当てだから、この季節では折って上に上げているようだ。飛ばないように後で顎紐を付けて貰おう。
「中々様になったな。それじゃあリトネン、銃の操作と撃ち方を教えてやってくれ」
俺の傍にやって来たクラウスさんが、俺を一回りして頷いている。
それにしても結構な重さだ。スコップまで下げることになったけど、これは必要なんだろうか?