J-003 水路を抜けて森の中へ
ミザリーから貯金の一部を受け取って、雑貨屋に向かう。
調味料とライ麦粉を買い込んだが、量は多くはない。ついでに銃弾を10発ほど買い込んでおく。
「ライフル銃の弾丸は販売が禁止されたけど、これはだいじょうぶよ。今日も狩れたの?」
「4匹獲れました。でも、今日は無駄弾が出てしまって……」
「そんな日もあるわよ。明日、頑張れば良いわ!」
俺の頭をガシガシ撫でながらお姉さんが慰めてくれた。
良い姉さんなんだけど、これでしばらくは会うことも出来そうにない。
「そうですね! 頑張ります」
しっかりとお姉さんの顔を見て告げると、お姉さんが頷いてくれた。
手を振って雑貨屋を出ると、次はパン屋に向かう。
トマトほどの大きさの丸いパンは砂糖が入っているから甘いんだよなぁ。猟が上手くいった時に何個か買って帰るんだけど、今日は3個買い求めて帰宅する。
リビングのテーブルには野菜がたくさん載っていた。
畑の野菜を全部取り入れたんだろうか?
「準備を手伝ってほしいよ。これも、持って行きたいんだけど……」
「半分にしといた方が良いんじゃないか? 嵩張るから運ぶのが大変だよ」
う~ん、と声に出して悩んでいる。
この季節なら山菜も採れるだろう。無理は禁物だ。病弱の母さんを連れて、山を2つ越えるんだから。
「母さんは?」
「部屋で荷造り中。着替えを少しと言ってたよ」
確かに着替えは必要だろう。これから寒くなるんだから。毛布も1枚なら俺が担いで行けそうだ。
古い背負いカゴには、もう荷物が入っていた。
鍋と食器に、食料品と言ったところだろう。音がしないように俺やミザリーの衣服で包まれているようだ。
どのぐらいあるのかと、片手で持ってみる。
どうにか持ち上げられるから、担ぐぐらいはできそうだ。
買い込んできた調味料とパンは、狩りで使う革袋に入れておけば良いだろう。
「水筒が1つしかないんだけど」
「ポットに水を入れてカゴに入れておけば大丈夫だ。それに山の水場の見つけ方を教えて貰ったから、心配はないと思うよ」
そもそも山越えの道なんてないからなぁ。小さな小川に沿って山に入り、尾根の低い場所を越えて次の小川沿いに歩く……。そんな旅になるはずだ。
山2つを越えるとしたら、早くとも3日は掛かるに違いない。
母さんの脚を考えると5日は見込んでおいた方が良さそうだ。
野菜を半分にして手籠に詰め込んでいる。上に布を被せておけば飛びだすことも無いだろう。残った野菜を、今夜の具沢山のスープにすれば腹持ちも良いんじゃないかな。
ミザリーが少し早めに夕食の準備を始める。ライムギの粉を捏ねだしたのは、新たなパンを焼くためだろう。
どれ、俺も準備をしておくか。
部屋に戻ると、客用の毛布を引き出してきつくロープで丸めた。
俺の家で一番上等の毛布だから、これに包まれば少しは温かく過ごせるだろう。
母さんとミザリーは寒がりだからなぁ……。
丸めた毛布をそのままにしてリビングに戻ると、テーブルの上に焼き立てのパンが乗っている。
「食べちゃダメだよ!」
思わず手が出たみたいだな。 苦笑いをしながらテーブルに座ると、母さんが部屋から出てきた。
着替えだとミザリーが言ってたけど、だいぶ細長い包みを手にしている。
「帰ってきたのね。これを持って行きたいんだけど……、少し重いのよ」
「どれどれ……、なるほどね。だけどこれぐらいならだいじょうぶだよ。それと、これは水筒?」
衣服にしては嫌に重い。だが母さんのお気に入りが入ってるんだろう。これぐらいは問題ないが、一緒に古びた水筒があった。
「父さんの持ち物だけど、山なら水は少ないでしょう?」
「そうだね。ポットを持って行こうと思ってたんだけど、これもあるなら心強いよ」
ミザリーが腰に下げて行けるだろう。
まだ荷物はあちこちに置いてある。少しは整理しておかないと。何時、誰がやってくるか分からない。
夜逃げだから慎重に行動しないと……。
だけど、俺達だけなんだろうか?
他にも、夜逃げをする人達がいるかもしれないな。
夜が更けると、町はすっかり静かになってしまった。
戸を開けて家々の集まっている方を見ると、通りに松明が焚かれていた。夜逃げを警戒しているのかな?
それとも襲撃犯の仲間の逃走を、見付けようとしているのかもしれない。
今夜は満月を過ぎて7日目だ。
半欠けの月が上がるのを、じっと待つ。
荷物の分配も終えたけど、少し荷を軽くすることになってしまったのは母さんとミザリーの体力を考える仕方がないな。母さんが部屋から持ち出した細長い荷物は背負いカゴの上に丸めた毛布と一緒に載っている。
暇つぶしに俺が作った簡単なハシゴに、ミザリーは着替えの包と俺の狩りで使っている革袋を乗せて背負っていくようだ。革袋が膨らんでいるのは、焼いたパンの包が入っているのだろう。
母さんはテーブルクロスに、着替えと残った食料の包を包んで背負って行くと言っている。場合によっては途中で廃棄しなければならないかもしれないな。
用意がすっかり整ったところで、扉を開けて外を見た。
少し明るくなったのは、東には下弦の月が登ってきたからだろう。
幸いにも通りには誰もいないようだ。松明も燃え尽きてきたようで明かりが小さくなっている。
「そろそろ出掛けるよ。通りには誰もいない」
俺の言葉に母さん達が腰を上げて、荷を背負って杖を持つ。
俺もカゴを背負うと、猟銃を肩に掛けて杖を握った。
家の裏から畑を横切り、町の外へと向かう。
さすがにいつも出入りしている大通りの門は使えないし、町を囲む塀の通用門も使えないが、それ以外にも外に出る場所はたくさんある。
崩れた塀や盗賊の開けた穴は、適当に塞いだだけだから直ぐに出ることができる。
とはいえ、それらも今夜は見張られているかもしれないから、俺達は水路に向かった。
町に流れる水路は川から引き込まれているが、雨が降らないから今は干上がっている。
水門もあるんだが、古いものだから柵の鉄棒がいくつか抜け落ちているんだよなぁ。そこを通るのはそれほど難しくはないはずだ。
水路に入ると、真新しい足跡がいくつか目に付いた。どうやらここを使って逃げ出そうとする者は、俺達だけではないらしい。
早めに山裾の森に入らないと、厄介なことになりかねない。
町から1kmほど離れたところで岸に上がり、野良道を森に向かって歩き始めた。
少し母さんが疲れた感じに見えるけど、森に入ったら休んでもらおう。
まだ見通しの良い場所だから、早めに去った方が良い。
森に入ったところで一休み。
母さん達が水筒に入れたお茶で喉を潤している間、俺は町の方を警戒する。
誰も付いてこないようだ。
先客はかなり先に行っただろうし、俺達はのんびりと干上がった小川を辿りながら尾根を越える場所を探そう。
森の中を1時間程歩いたところで、仮眠をとることにした。
ちょっとした崖を見付けたところで、藪を利用して横になる。少し離れた藪から、雑木の枝を折り取って俺達の姿が見えないようにしておく。
数時間の仮眠を取ったところで、ミザリーが焼いたパンを3人で割って食べた。
水筒のお茶を3人で飲むと、残りは三分の一ほどになってしまった。
ポットにも水を入れてきたからね。明日ぐらいは持つはずだ。
「追ってくるかな?」
「だいじょうぶだろう。少なくとも町の方には人がいなかったよ。夜逃げをして山に向かう人はいないんじゃないかな? どちらかと言うと北東の村か、東の町を目指すと思うんだよね」
ミザリーが俺に顏を上げた時には、心配そうな表情をしていたけど、少しは気が楽になったのかな。母さんと一緒に話を始めた。
出発前に、再度町の方を眺めたけど、森の中だから見通しが悪い。それでも視点を動かして遠くまで確かめてみた。
耳を澄ませても、聞こえてくるのは小鳥の鳴き声だけだ。近くに人がいないことに外ならない。
「そろそろ出掛けるよ。なるべく奥に行こう」
「そうね。一眠りできたから、かなり楽になったわ」
母さんの声に力がない。母さんのペースで歩くことになりそうだな。
先頭はミザリーが歩き、その後ろを母さんが付いていく。
ミザリーが度々後ろを振り返って母さんの様子を見ているようだ。殿は俺が周囲を警戒しながら進む。
今のところは問題なさそうだな。
夕暮れまで、更に森を進む。
緩い斜面が続いている。杖を頼りに進んでいると、たまに電気ネズミやバネウサギを見掛けることがある。
この辺りも良い猟場違いないが、あまり深く入ると野犬が出るらしいから普段は近づかない場所だ。
とはいえバネウサギが俺達を見ても逃げないところを見ると、野犬の群れは遠くに出掛けているのだろう。
日が傾く前に、狩れた小川の大きな石の影に焚き火を作る。
近くの藪から枝を切り出して左右を塞げば、石の傍で母さんが横になれるだろう。
野菜と干し肉でスープを作り、平たいパンを1枚ずつ食べることにした。
水は貴重だから、カップに半分ほどのスープになってしまったが、食べればそれだけ体力が付くだろう。
「誰も来ないよね?」
「こんな場所で野宿をしてるんだから、猟師だと言えばいいさ。念のために、これを預けておくよ。こんな風にしっかりと両手で握って撃つんだぞ。トリガーを引けば、弾が飛び出す。2発撃てるから野犬が来た時には、援護してくれよ。これが予備の弾丸だ」
簡単な代物だけど、援護があれば野犬も何とか倒せるだろう。猟銃と合わせれば3発撃てるんだから、1匹倒せば群れが散ってくれるんじゃないかな。
それでも向かって来たなら、杖を振り回そう。
力一杯叩きつければ、野犬だって倒せるはずだ。
水筒の蓋を取って、焚き火近くに置いて温める。
お茶はやっぱり温かい方が良いからね。
残ったお茶を3人でカップに分けると、少しずつ口にする。
夜は長いからなぁ。明日の明け方まで俺が見張っていよう。
母さんとミザリーが外套に包まって横になった。
焚き火の明かりで、何時ものように銃の手入れをする。布で磨くだけだけど、時間つぶしには丁度良い。
たまにランタンフクロウが、明るい目で周囲を照らしながら飛び去って行く。
秋だから、虫の音が喧しく聞こえる。
煩く思えるほどだけど、危険を知らせてくれることも確かだから感謝しないといけないな。
真冬でなくて良かったと思いながら、再び銃身を磨き始めた。