★ 01 帝国の闇 【発端】
帝都から四方に延びる幹線道路を使えば、私のケイランド領には6時間で来れる。
制圧した地方の施政を行う地方代官の新旧交代を何とか乗り切って、この地にある別荘に帰ってきたのは2日前のことだ。
王宮内の派閥闘争は、私が父上から家督を引き継いだ10年前よりも酷くなった気がする。
これも第14代皇帝陛下がまだ幼い所以に違いないが、それを補佐する3人の宰相殿達の意見が対立してばかりだからだろう。
先代皇帝陛下が命じた統一世界の構築には、まだまだ先が長い。
広大な帝国領土から算出する富と戦力となる兵士に事欠くことはないが、この頃少し考えるところもある。
この戦は、終わることがないのではないだろうか?
1万とも言われる貴族の中、王宮に参内できるものは2千人弱。貴族会議に出る資格のあるものはその中の100人だ。
皇帝陛下の臨席する最高会議に出る資格のある貴族は更に少なく12人でしかない。
宰相はこの12人の中から選ばれた者達だ。
掃いて捨てるほどの貴族の数ではあるが、この頃断絶する家が出てきたことから話がややこしくなっている。
名ばかりの準爵達や参内資格の無い貴族であるならいくらでも代替ができるのだが、参内資格ある貴族となると簡単ではない。
家系を遡って、その貴族名を引き継ぐものを探さねばならないし、その者が貴族を引き継げるだけの器量があるかどうかも問題だ。
長子継承の原則を変えることは度々だ。長子が必ずしも優秀とは限らない。
後継をきちんと定めてあるなら問題はないのだが、えてしてそれを忘れることが多いようだ。
それにしても、代官職の代替わりが鬼門のようだ。低級貴族から中級貴族へ移す段階で、搾取の手を広げているようにも思える。
たとえ領地を得ることがなくとも代官職であるなら、十分な富の分配は行われているはずなのだが……。
書斎の扉がコンコンと叩かれ、執事であるリモンドが一礼をして書斎に3歩入ってきた。
「お館様。クリンゲン閣下がお越しでございます」
「やってきたか! 待っていると伝えてくれ。侍従達には別室で歓待して欲しい」
「了解しました」
私に頭を下げると部屋を出て行ったレイモンドは、父親の代から執事をしている。
領地経営のほとんどを、レイモンドに任せられるほどの有能な執事だ。
長男を自分の後継にと努力してくれているから、長男に準爵の地位を与えるのもそれほど先にはならないだろう。
トントンと先ほどよりも大きく扉が叩かれた。
思わず苦笑いを浮かべる。この叩き方は親友であるクリンゲン卿に違いない。
「待っているんだ。さっさと入って来い!」
扉が開き、長身でがっちりした体格を士官服に包んだクリンゲンが入ってきた。
「親しき仲にも……、というじゃないか。こっちに来てると聞いたのでやって来たんだが」
「まあ、座ってくれ。直ぐに飲み物も運ばれてくるはずだ」
苦笑いをしておる友人に、ソファーに腰を下ろすよう伝えると、私も執務机を離れてソファーに向かった。
メイドが運んできたワインで、互いの健康を祈ってグラスを合わせる。
さて、クリンゲンはイグリアン方面軍の筆頭参謀だ。私のところにやって来たということは、何かあったということになるのだろう。
「卿は『鷹の目』という言葉をきいたことがあるか?」
いきなりだな……。確か十数年前にその名が宮殿内で話題になった記憶がある。
和が帝国の精鋭を率いる士官を150人以上倒した狙撃兵ではなかったか?
降伏した王国軍から逃亡したらしいが、数年後に銃撃戦で倒したことが報告されているし、その時兵を率いていた小隊長は、準爵から永代貴族に上がったはずだ。
「まさか。2人目の『鷹の目』が現れたというのか? 父上から話を聞いてはいるが、誰が爵位を引き継ぐかで、貴族会議が頻繁に開かれたと聞いている。
『帝国内で活躍して欲しいものだ』とまで、私に言っていたぐらいだから、会議はかなり荒れたに違いない」
我がケイランド家は最高会議に参加する13番目の貴族でもある。宰相になることは絶対にないし、最高会議での評決にも加わることはない。
だが最高会議に上程する諮問は、ケイランド家が全てを取り仕切ることになっているのだ。
いくら宰相が私に詰め寄ろうとも、私が上程しない限り最高会議の諮問案件になることはない。諮問の結果を皇帝陛下が裁可して皇帝印を押さない限り、予算も軍も動かすことができない仕組みが構築されている。
「たぶんかなりの数の嘆願が来てるんじゃないか? 今のところは参内貴族が2名だけだが、準爵はかなりやられているようだ。
私のところの将軍も私に今後の行動計画の見直しを迫ってきているぐらいだ」
「軍の増強は、簡単ではないぞ。荘園から引き出すとしても、直ぐに兵にはなれんだろうし、戦が数十年も続いているのだ。荘園の男達の数が減っているぐらいだからな」
「それは俺も知っている。そこでだ。征服地から兵士を集めることはできないだろうか? さすがに現在銃火を交えている地方からでは無理でも、初期の征服地であるなら問題は無さそうに思えるのだが?」
「既に始めているよ。数十年前の戦を知らない世代なら問題はないからね。かつての帝国内と初期の征服地で比較すると7対3というところだ。
卿が知らなかったとすれば、同化政策は上手く進んでいるということになりそうだな」
少し驚いた表情をしているが、数年前にそれを上程して裁可を得ている。
戦で帝国内が疲弊するのでは本末転倒も良いところだ。
特に修正も無かったのは、12の貴族に直接的な影響がなかったからだろう。
「始めていたのか……。となると、その比率を変えて欲しい。帝国内は現状のままで比率を5対5にして欲しい。帝国内に留め置くなら問題はありそうだが、全て辺境の戦場に向かわせるなら問題はあるまい」
それによって得られる兵士の数は数万というところだろう。士官だけでも300人を越えそうだ。参内貴族も10人程使うことになる。
反論が出てきそうだな。
「卿の苦労は私の責任でもある。要は力攻めで早めに終わらせたい、ということになるのだろう?」
「ああ、その通りだ。兵器廟に行って、使えそうな新兵器も受け取ってはいるが、兵士の数が戦を左右するのは昔も今も変わらないからなぁ」
「簡単ではないぞ。まして先ほどの『鷹の目』が最高会議の貴族の耳に入っているとなれば、新たな部隊の指揮官の人選で大荒れになる」
兵員の増強に問題は無かろう。
あるとすれば、せっかく片付いた貴族の仕官先をどこにするかになるはずだ。
宰相の派閥を考えながら、参内貴族の中でそれなりの人物を探さねばならない。そして1番の問題は、誰を新たな兵団の指揮官に任じるかだ。
「やはり、大隊規模での増員が欲しいのだろう?」
「出来れば2個大隊。私の上官殿も、中将から大将にできる。館で女を侍らして酒を飲んでいて欲しいところだ」
思わず笑みが浮かんでしまった。
卿も苦労しているのだろう。
確か卿の上官は、グレイドス卿であったはずだ。貴族会議の参集貴族でもあるから、そろそろ引退させても良いのではなかろうか。クリンゲン卿を新たな方面軍の指揮官に据えても良い頃合いだろう。
それなら他の方面軍への増援を考慮しても、4個大隊で済みそうに思えてくる。
「卿は前線に出ぬようにお願いする。卿にもしもの事があれば、代替が効かぬ。それに私は何時も1人でワインを飲まなくてはならぬ」
「後者の方が理由だろう?」
そう言って、ボトルから私のグラスにワインを注いでくれた。
「出来れば、他の方面軍に推挙して欲しいところだ。既に2年を過ぎている」
「ふむ……、適材が思い浮かばんのだが?」
「陛下の相談相手はどうだ? 戦に口を出すが、いまだに実戦を知らぬ輩だ。得意そうに作戦に修正を加えようとするばかりで、実情をまるで知らん。王宮のかつての戦記を読み漁っただけで我等に指導しようというのだから、誰からも嫌われているようだ」
卿の話が終わったところで、互いに笑みが浮かんでしまった。
なるほど……、2個大隊の増援を指揮して東に向かうなら喜んで陛下の裁可を促すに違いない。
能無しのグレイドス卿は昇進で後方に下がるはず、戦は戦を知らぬデイシュタイン卿が仕切ることになる。
……さて、何年耐えられるだろうか?
逃げ帰ろうものなら、2度と皇帝陛下の右に立つことは出来ないだろう。
これは、3宰相とも賛意を示すに違いない。宰相達の機嫌が良いところで懸案の兵器工廟への予算増額を図っても良さそうだな。
「良い案を聞かせて貰った。卿とはこれからも長く友とありたいところだ」
「なら、そろそろ嫡男の結婚を認めても良いのではないのか? ローザンヌがこの頃私に辛く当たるのだ……」
「今回の上程次第だろう。卿が貴族の派閥争いに加わらぬことも、良い方向に向かうはずだ」
3宰相の派閥から嫡男の正妻候補をしつこく迫られている。
派閥に属さない貴族は数は少ないが存在する。その多くが軍人ではあるが、妻であるならそれでも問題は無いだろう。私の正妻も軍人の娘だ。
「ここだけの話にしておいて欲しい。数日後には王都に戻る。結果はこちらに戻り次第知らせるよ」
「感謝する。向こうの戦はこちらの大陸とは少し異なる。猟兵部隊の資質がまるで異なるように思えてならん」
「我が軍の士官学校に問題は無いように思えるが?」
「士官はそれなりだ。だがその下が問題だ。徴兵して小銃を持たせただけでは兵士にはなれん。1か月程度の訓練で送り出すのであれば、戦場では使い物にならん。少なくとも半年は訓練が必要だ。前線で半年後には3割が減るありさまだからな」
それが、前線の停滞している原因なのだろう。だが、貴族会議でそれを出すことは難しいかもしれない。
民衆はどこにでもいるのだ。
食えなくなって志願する兵士も多いと聞く。
兵士がいくら倒れても、士官が残っていれば作戦は遂行できるはず……。
「ここだけの話だ……。デイシュタイン卿に2個大隊を預けて東に向かわせた場合、数年も経たずに、旧エンデリア王国への帝国の支配は頓挫するぞ」
その言葉に、思わずクリンゲン卿の目を見据えてしまった。
「それほど驚くことではない。かのエンデリアは兵士と士官の能力が帝国と逆であると考えれば良い。
帝国が、その士官達を庶民にしてしまった。残った兵士の一部が反乱軍を組織している。能力は極めて高い。
そこに、無能の将軍と戦場を知らぬ軍略家が帝国兵士を指揮するのだ。結果は見えている」
なるほど。これは少し根回しが必要になりそうだ。
表は最高会議の上程で良いだろうが、その後の対応についても考えないといけないだろう。
待てよ。……次の兵器の懸案事項が無くなったと、工廠からの知らせが届いていなかったか?
その効果を確かめるとともに、帝国に反旗を翻した連中を一気に滅ぼすのもおもしろそうだ。
「ありがとう。卿は良き友人だと、得心出来た。私にもかなり利が得られそうだ」
「領地で知らせを待っているよ。よろしく頼む」
身を乗り出すように腕を伸ばした卿に手をしっかりと握る。
公平であることが我が家の家訓ではあるが、それは貴族に対しての事。軍に少し顔が利くことになるなら、これからの私の活動も少しは容易になるかもしれん。
クリンゲン卿の乗った蒸気自動車を玄関で見送ると、書斎に戻り早速上程所を作り始める。
何時もよりペンの滑りが良い。
表と裏の柵を同時に進めて、しかも3宰相の同意も得なければならない。
さらに、エンデリア領を一時的に反乱軍に明け渡して、その後の対応策も作っておく必要がある。
のんびりと領地を巡ろうとしていたが、それよりもこちらの方がおもしろそうだ。
この上程次第では、私は父上を越えた人物と称されるかもしれんな。
書き上げた素案を見ながら、ワインを頂く。
文面を読み進めると、次第に顔が緩んでくるのが自分でも分かる。
さて、そろそろ床に就くか……。今夜は良い夢が見られそうだ。