J-141 尾根の先端を目指して
眠そうな顔をしたリトネンさんが、朝食のパンを齧りながら俺達のところにやってきた。とりあえずスープは飲んだようだな。
相変わらずのリトネンさんに、とりあえず安心した。
「起こされなくても起きられたみたい」
「目覚まし時計3つは強力にゃ!」
エミリさんの驚いた声に、ポツリとリトネンさんが呟いた。
3つではなぁ。1つだと止めてしまうだろうけど、さすがに3つは止められなかったようだ。
リトネンさんがコーヒーを飲み終えるのを待って、俺達は食堂を出る。
砦の外に出ると広場の真ん中に飛空艇が移動してあった。
舷側の搭乗口から乗り込むと、荷物をブリッジ後部の棚に入れておく。ミザリーは通信機の設置されたテーブル脇の棚に入れているようだ。
テーブルの引き出しを開けて、不足がないことを確認している。
ハンズさんとイオニアさんはブリッジ後部のベンチシートに座っているから、全員がブリッジにいるってことだな。
「皆乗ったな? テレーザ、エンジンを起動してくれ。とりあえず4つ全てに異常がないことを確認したところで、メインエンジンを停止しよう」
「了解。メインエンジン起動……。続いて補助エンジン始動……。冷却水温度上昇中……」
「続いて、『ジュピテル機関』作動。重力場形成はどうだ?」
「2基ともに異常なし。エンジン冷却水4機ともに適温範囲で安定……」
「外に退避信号を出してくれ。……よし、退避したようだな。誘導員が下がっている」
「砦から通信、『発進を許可する』以上」
ファイネルさんとテレーザさんが、飛空艇の発信シーケンスを淡々とこなして状況確認を行っている中、ミザリーの声が割り込んだ。
「リトネン、出発できるぞ!」
「なら早めに出発するにゃ。ミザリー、砦に『出発する』と通信を送って欲しいにゃ」
リトネンさんの指示に、直ぐにカタカタと電鍵を叩く音が聞こえてきた。
「出発にゃ!」
リトネンさんの指示と共に、ゆっくりと飛空艇が上昇を始める。
ドワーフ族の誘導員や整備員が俺達に手を振ってくれてるから、俺も両手を振って応えるのはいつものことだ。
互いに手を振っている相手の姿が見えるんだから、頑張れという気持ちは十分に伝わってくるし、相手にも伝わると思う。
「高度300ユーデ……、なお上昇中」
「高度1500まで上昇して回頭を行う。メインエンジン停止、補助エンジン団旗を継続」
「了解。メインエンジン停止。冷却水は補助エンジンの系統に接続……」
かなり砦が小さくなってきたし、ほとんど真下だから前に乗り出さないと見えない。前方には砦の北の尾根の北側の風景が広がっている。遠くできらきら光っているのは湿地帯の沼かもしれない。
やがて時計周りに飛空艇が方向を変え始めた。砦が見えなくなってきたのは回頭と同時に進行し始めたのだろう。
「軸線を180で固定。第一巡航速度に出力を上昇させる……。リトネン、尾根沿いに西に向かっている。尾根の先端まで2時間も掛からんぞ」
「尾根の先端から30ミラル辺りで南に向えば良いにゃ。尾根5つ先で反転するにゃ」
「高度は偵察飛行を始める前に上げた方が良いでしょうね。2500辺りまで上昇できないかしら?」
「飛行船と空中軍艦の飛行高度の中間地帯ってことか。それぐらいなら少し寒いぐらいで問題はないぞ」
隙間風は、今のところ冷たくはないんだが、さすがにその高さなら寒さが感じられるだろう。休憩時間を利用して少し着込んでくるかな。手袋も防寒用を用意しておいた方が良いのかもしれない。
薄手の革手では、指先が冷たくなってしまいそうだ。
「エンジン異常なし。『ジュピテル機関』の安定を確認」
「ベルトを外しても良いぞ。……テレーザ、少し着込んで来い。これからは冷えるだけだからな」
テレーザさんが操縦席を離れて、ミザリー達を誘って着替えをしてくるようだ。
リトネンさんはまだ席に座ったままなのは、イオニアさんと遅れて向かうんだろうな。
「2時間ほどは何もないはずだ。俺達は休憩を兼ねて最後で良いだろう」
「まだ着替えなくても十分だと思うんですが?」
「寒くなってからでは遅いからな。それに偵察中ではそう簡単に着替えも出来ない。暑ければ、防寒服を脱いで座席の横に置いておくんだな」
座席の横に置くなら、3分も掛からずに着込むことができるだろう。
とりあえずは、飴玉でも口の中で転がしながら景色を眺めているか。
女性達が着替えを終えると、今度は俺達3人が着替えを行う。
トラ族にイヌ族と人間族だからなぁ。着替えを見ると俺が一番寒がりに思える。
「だいぶ厚手のセーターだな。俺はこれだぞ!」
ハンズさんはシャツの上に薄手のセーターを着るだけのようだ。寒くなったらその上に直接防寒服を着込むだけらしい。
「ハンズのところは隙間風が来ないからな。それにヒーターもあるんだ。リーディルのところが一番寒いな所だよ」
ファイネルさんのところは操縦席だから周囲に操作盤がある。足元が寒いということは無いらしい。
俺の座席は銃座だからね。周囲はガラス窓だから暖房装置なんて設置するのは根本的に無理なんじゃないかな。
「その分、眺めは良いんだから諦めるんだな。エミル達が毛布に包まって監視をしている時には、砲塔区画で温まれば良い。ベンチのブリッジ側には冷却水の配管が回してあるから、あたたかいぞ」
収納庫が無くなったのかな?
ファイネルさんに確認すると、整理したと話してくれた。
「必要な工具はすべて入ってるし、大きいのは後部銃座の通路の壁に取り付けた。ハンズがぶつかることはないぞ」
フェイネルさんの最後の言葉は、驚いてファイネルさんを見てるハンズさんに向けての言葉だ。
直ぐにハンズさんが船尾に向かったけど、直ぐに戻ってきた。
「あれなら問題ない。それにしても上手く取り付けたな」
「少し通路を広げてある。補助エンジンの点検にも具合が良いとドワーフの工房長が言ってたぐらいだ」
とは言っても、手のひら分ほどの拡張らしい。工具類を設置したから、ハンズさんには通路が広くなったとは感じなかったようだ。
せっかくだからと、着替えが終わったところで、コーヒーを飲みながら一服を始める。そういえば、いつもの窓が天井付近に移動している。
折りたたんだ羽を付けたから窓位置を変えなくてはならなかったようだ。
窓は必要だろうな。側面銃座が無くなったから、明り取りの窓でもあるし、なんといっても換気のために必要だ。無くなったならここで一服を楽しめなくなってしまう。
「さて、そろそろ戻るか。リトネン達に文句を言われそうだ」
3人でブリッジに戻ると、今度は女性達が砲塔区画に向かう。
ゆっくりと休ませてあげよう。まだ、哨戒区域までだいぶありそうだ。
ファイネルさんと俺が操縦席に収まり、ハンズさんが前部銃座に座る。
「なるほど、隙間風ってことか。これは上空に行くとかなり寒くなるぞ」
「それでかなり着込んできたんです。今は少し暑いぐらいですよ。でもここは風を防いでくれますね」
「だろう。後ろのリトネンの方が寒そうだ。もっともリトネンの事だからブランケットをかぶっているんじゃないかな。薄手のブランケットが座席にあったぞ」
ミザリーも用意していたぐらいだ。やはりブランケットは色々と使えるってことだろう。
「まだ北の尾根が続いているな」
「出発してから2時間も経っていない。もう1時間もすれば先端だ。昼過ぎには哨戒を開始することになりそうだな」
陸地沿いに5つ先の尾根を目指すということなんだろう。
果たしてやってくるんだろうか?
クラウスさんの話では、10日も経たない内にやってくるらしいからなぁ。
1時間ほど過ぎると、なるほど尾根の先端が見えてきた。海までは距離があるんだろうが、この高度だからしっかりと海が見える。
やがてリトネンさん達が帰ってきた。
ずいぶんとゆっくりしていたのは昼食を食べてきたらしい。
「ポットにスープが入ってるわよ。サンドイッチが1人2つだからね」
食事を取ろうとブリッジを後にする俺達の後ろから、エミルさんの声が聞こえてきた。
1人分ずつきちんと包まれているはずだから、心配しなくても大丈夫なんだけどなぁ。俺達が子供みたいじゃないか。
苦笑いを浮かべ、後ろも見ずに片手を振ってブリッジを出る。
給湯室からポットを運び、ベンチの上に置いてあった紙包みから昼食のサンドイッチを取り出す。
人数分の3つだから、夕食分まで食べるようなこともないよなぁ。
各自がカップを取り出して具の少ないスープをポットから注ぐ。
「丁度良い暖かさだ。冷えると不味いし、熱くては直ぐに飲めないからな」
「砲塔区画にも簡単な電熱器を設けたら良かったなぁ。ここでコーヒーを飲む機会は結構ありそうだ」
「弾薬があるからなぁ。もっともタバコは良いってことらしいから、それほど注意する必要が無いのかもしれん。作るとしても、金属製の箱に中で温めることになりそうだ。帰ったら工房長に相談してみよう」
2人の会話を聞いていると、次の偵察飛行時には熱々のコーヒーが飲めそうだな。
食事が終わったところで、カップにお茶を入れてタバコを楽しむ。
ファイネルさんが持参した水筒のお茶は、かなり温いけど少し甘みがあった。砂糖をスプーンで何杯か入れてきたらしい。
「この水筒だって、改良を考えているらしいぞ。なるべく冷めないようにすると言ってたが、そんなことができるとは思えないな」
「それなら、水筒を直接電熱器に掛ける方が便利だと思うがなぁ。技術者ってのは変なところに拘るし、知恵を出すらしいぞ」
でも、それが出来たら何時でも銃座で暖かいコーヒーが飲めそうだ。
銃座でコーヒーを飲むときは、蓋つきのコップで飲まないといけないんだよなぁ。俺としてはそっちを何とかして欲しいところだ。
少し冷めたコーヒーを、グイっと飲むのが俺の好みだからね。
一服を終えたところで、ブリッジに戻る。
そろそろ哨戒空域に入るらしいから、銃座に座り座席の背に防寒服を掛けておいた。
「良いところに帰ってきたにゃ。そろそろ高度を上げて南に進路を変えて欲しいにゃ」
「高度2500。速度は第1巡航速度で良いかな?」
「その半分で良いにゃ。のんびり見張るにゃ。常に陸地が見えるようにしてほしいにゃ」
「了解! テレーザ、補助エンジンの回転数を2割方落としてくれ。ゆっくりと『ジュピテル機関』の出力を上げるぞ……」
上昇しているらしいのだが、体で感じることは出来ないな。飛空艇の前が上を向くわけでは無いから、かなりゆっくりと上昇しているのだろう。
「高度2500。回頭を始める……。軸線120度で進む……」
南東方向ってことだな。陸地を常に眺めながらだから、安心できる。
さて、やってくるのは右手だろうな。双眼鏡を取り出して首に掛けておく。
今のところ見えるのは、海と空と白い雲だけだ。




