★ 17 帝国の闇 【 離宮 】
翌日。私が執務室のソファーで目を覚ましたのは、昼過ぎのことだった。
宮殿のシャワー室で厚いシャワーを浴びて目を覚ますと、着替えをして執務室に入る。
メリンダに軽い食事を頼むと、しばらくしてサンドイッチとコーヒーが届けられる。
サンドイッチを摘まみながら、メリンダから帝都の状況を聞く。
バインダーに挟んだ数枚のメモを見ながら報告をしてくれたが、結構詳しく状況を調べてくれたようだな。
実務はケニー並みになってきたというところだろう。将来が楽しみだ。
「……焼失した貴族舘の数は32戸、港の倉庫が6棟。大通りが火災を上手く阻止してくれたようです。下級貴族、商人街に被害はありませんでした。
被災者の多くは家族を所領に戻して、本人達は知り合いの貴族舘の客室へと移ったようです。
それと、今朝方ビットマンが10台の蒸気自動車で、食料を神殿に運んだと報告を受けました」
「ありがとう。中流貴族の連中に被害が集中したのは幸いだったな。下町に延焼したなら、帝都に戒厳令を出すことになっただろう。
当然のように火事場泥棒は出たのだろうが、クリンゲン卿のことだ。大物を数人捕えて公開処刑で済ませるだろう。コソ泥は再犯に繋がらなければ問題ない」
「焼け出された貴族への見舞金はどのように?」
「自力で何とかすべきなんだろうが……、そうもいくまいな。皇帝陛下の金庫から出すことになるだろうが、金貨数枚で十分だろう。それぐらいあれば下級貴族の館ぐらいは立てられる。それ以上に立派に作るなら自分で出せば良い」
「下級貴族舘の建設費の標準を元にすると?」
「その8掛けで良い。簡単な上申書を作ってくれんか?」
メリンダが小さく頷いて執務室を後にする。
食器を乗せたトレイを一緒に持って行き、私の前には調査結果を記したバインダーが残された。
どんな連中だろうと、被災した貴族の名簿を眺める。
知った名前がまるでないのも、貴族があまりにも増えた結果なのだろう。
中級貴族ともなれば、それなりに役目を持っているはずなのだが……。
やはり、貴族制度の見直しは正解だったかもしれん。
帝国の財を無駄に食い荒らす連中が多すぎるようだ。
夕食後にクリンゲン卿が副官を連れて執務室を訪ねてきた。書記を伴っていないということは非公式の会合になる。
メリンダにワインを頼んで、メリンダにも同席して貰う。
「反乱分子とは異なるな。イグリアン大陸の戦では、敵方の飛行船や飛行機が確認された。飛行機の滞空時間は2時間も無いらしいが、飛行船となると……、わが帝国軍でさえ海を越えて向かったぐらいだ」
「帝国の本土だぞ! 帝都が戦場になるとなれば貴族の連中が騒ぎだすに違いない。
それよりも、宮殿は大丈夫なのか? 場合によっては安全な地に幼帝を避難させることも考慮せねばなるまい」
低いテーブルに地図を広げて、さて避難先をどこにするかと悩みだす。
高位貴族館なら、それなりに客室も整っているはずだ……。私の館……、いや、あまり貴族を刺激するのも問題だな。
「何を悩む。先々帝の指示で作らせた離宮があるではないか。あれなら戦艦の主砲を撃ち込まれても耐えられるぞ。
ここだ……。私の領地から少し離れた王族の占有地、荒れた岩山だから猟師でさえ近付かん」
クリンゲン卿の指が地図の一点を指さす。
帝都から東150ミラルに南北に連なる山脈の一角だ。
遺跡の記号と名前だけだ。『リザレーク』古代言語から取ったのだろう。
「確か、負け戦を考えての措置と聞いたが?」
「一般的には、卿の言われる通りだ。だが、実質は少し異なるぞ。王宮での指揮が困難になった場合に使えるようにしたものだ。
後宮の女官や、陛下の身の回りの世話をする者達、それこそ下働きの女官でさえまとめて移動でき、かつ暮らせる離宮だ。
食料備蓄は近衛軍が責任をもって半年分を保管している。
通信設備も充実しているし、守備兵も1個大隊が常駐できる大きさだ。
かつては、花壇や噴水まで作られていたようだが、さすがにそこまで維持しているとは思えんが……」
卿の話を、目を見開いて聞く。
それほどの規模の要塞を構築していたということか……。
軍の上層部だけが知っていたということになるのだろう。軍の予算を使っての施設維持ということであれば、われら文官貴族に知る術もない。
「話には聞いたことがあるが……。軍の施設として管理されてきたということだな?」
「その通り。どうだ? 幼帝の避難先としては最適であろう」
「少なくとも、お世話係と警護の兵は必要だ。100いや200というところか……」
「500で調整した方が良いだろう。武官貴族だけということにもできまい。卿の気心を汲める文官貴族を家族ごと同行させたい」
「500! それほどの人数を送り込めると?」
「言ったであろう? 軍隊だけで1個大隊だと……。近衛兵も半数を移動すれば警備の問題もない。石炭や食料、弾薬の備蓄も十分だ。
調度類もすべて揃っているはず。皇帝一家に代々伝わる家宝類も先々代の命で運び込んである。そういう意味では財宝の保管庫として先々代はあの離宮を作ろうとしたのかもしれんな」
「宮殿の宝物殿は空だというのか?」
「さすがに全てを運びこんだわけではない。皇帝陛下自ら作られたリストにより厳選したものだけだ。それでも半数近くは運んだに違いない」
古の古代技術の品々ということになるのだろうか?
かつての匠の技もその中には含まれているのだろう。金額にしてどれほどになるかは分からんが、優に帝国を再興するだけの財宝があるということが分かっただけでも、今回の内密の会談は意味がある。
「この先も飛行船はやってくるに違いない。見掛けは帝都のままだが。そこに皇帝はおられないということになる。
貴族達に知られずに、皇帝陛下を御移しすることができるだろうか?」
「皇帝陛下は幼帝であることもあり、いつも後宮でお暮らしだ。一般に貴族が拝謁することはほとんどない。そのためにわれらに先帝は託されたのだからな。
身の周りの世話をする侍女達を含めて20人というところか……。
皇帝陛下の行幸に使われた自動車と随行車を使えば問題はあるまい。行幸先は、卿の領地で良いのではないか?
森と湖の傍の館は、先々代がたいそう気に入っていたのを覚えている……」
私の領地は農業と畜産が盛んな地だ。だいぶ開墾を行ったが、湖の近くにある別荘周辺だけは全く手を付けていない。
私の自慢の狩猟地でもある。昔はクリンゲン卿達とよく狩りを楽しんだところだ。
その話を聞いた先々代陛下が行幸を希望して一目で気に入り、私の別荘の隣に自らの別荘を作られたぐらいだからなぁ……。
亡くなる時にその別荘のカギを戴けたのだが、調度品の見事さに驚いたのを覚えている。
「理由には十分だろう。あの別荘なら問題ない。そのままリザレークの離宮にお移り戴き、1か月ほど経過したときに自動車だけを後宮に戻せば良いということになるな」
「口の堅い侍女を残さねばならん。その辺りは卿に頼みたいところだ」
それなりの役者ができる人物ということになるか……。
これは、メリンダに指示すれば問題あるまい。
「われらはどうするのだ?」
「さすがに2人も宮殿を去ることはできまい。子供達を離宮に送ろうと思う。われらが宮殿と共に日の中に消えても、子供達ならわれらの意を汲んで帝国の再建は可能の思える」
いつまでも子供だと思っていたのだが……。
確かに親離れをする時期ではあるだろう。クリンゲン卿のグラスにワインを注ぎ足しながら頷いて賛同を示す。
「侍女の人選もあるだろう。お移り戴くのは10日後でよろしいか?」
「ああ、それぐらいは欲しいところだ。帝都の被害を鑑みて後宮の人事異動ということで対処したい」
互いに身を乗り出して握手をする。
クリンゲン卿が帰ると、すぐにメリンダを呼び出した。
ソファーに腰を掛けさせて、帝都から幼帝を疎開させる計画について話を始める。
小さな手帳に要点を書き込んでいるのはいつものことだ。
「10日後ですか……。問題は、同行する侍女達ですね。調理人や医者はどういたしますか?」
「さすがに誰でも良いということはできんだろうな。同行する貴族の教師もいるだろう。
その辺りの人選を任せるが、1人で可能か?」
「侍女長のグレシア婦人と相談いたします。後宮の事は誰よりも詳しいと聞いております」
「先々代皇帝陛下の第二婦人の妹であったな……。この仕事を父君より任されたときは、いろいろと教えて頂いたことがある。私からもよろしくお頼みしたいと、伝えてくれないか」
「了解致しました。……ところで、ケイランド卿はご同行されるのでしょうか?」
「さすがに私は宮殿にいなければなるまい。離宮にはウエルダー達を子供と一緒に行かせるつもりだ。
子供も幼いから、幼帝の良い遊び相手になってくれるだろう」
「それでは、ウエルダー殿にケイランド卿を訪ねるよう連絡いたします」
「そうしてくれ。それと新人で見どころのある若者を1人見繕ってくれるとありがたい。ウエルダーにも裏の仕事を少しずつ手伝ってもらうつもりだ」
話を終えると、私に深く頭を下げて執務室を出て行った。
ケニーと比べると少し劣っているところもあるが、中々有能な女史だな。ケニーのように変な男に捕まらないようにしてほしいところだ。
パイプを手に取り、火を点ける。
さて、飛行船はどこから来たのだろう?
帝都周辺に監視網は作っているのだろうが、追跡隊も作った方が良いのかもしれない。
帝都爆撃を終えて、真っ直ぐに帰投するとは思えない。
多分に韜晦航路を選んでの帰投に違いない。
クリンゲン卿の言うように、イグリアン大陸からだとすれば輸送船での目撃もあると思うのだが……。
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「父上からの呼び出しだと聞いて、急いでやってきました。私の領地経営に何か問題でもあったのでしょうか?」
緊張した面持ちでウエルダーが執務机の前で問いかけてくる。
私の急な呼び出しを聞いて、とりあえず急いでやってきた感じに見える。
私ほどの器量を持つか、領地経営を任せてみたのだが結構うまくやっているようだ。
不明なところがあれば、レイモンドに相談しているらしい。
レイモンドも孫のように幼い内から見ていたから、さぞかし力になれるのがうれしいのだろう。
帰郷した際に、笑みを浮かべてウエルダーから受けた相談事を話してくれた。
万能な人間などこの世にはいない。何かしら劣っているものだ。
若者がそれを理解できるころには、壮年になってしまうのだが……。
「少し長くなるかもしれん。まずは座って話そう。ソファーに座る前に、紅茶を1つ事務所の連中に頼んでくれないか」
私に頭を下げると、執務室の扉を開けて出て行った。
さて、その間に、話の内容を少し頭の中で整理しておくか……。




