J-097 神殿の屋根裏から
月のない夜に、半分以上黒に染められた飛行船を見付けるのはかなり難しいだろう。
ましてや夜中の22時だからなぁ。通りの街灯や、貴族舘等には明かりが点いているけど、下町は数カ所の街灯が灯っているだけでほとんど真っ暗闇だ。
「あれが目的地にゃ!」
「なるほど、金色に輝いてるんだな。前に来た時には気が付かなかったが、あの大きさではなぁ……」
頭が丸い輪になった杭のようなシンボルを見て、ファイネルさんが呟いている。俺の身長にも満たないんだろうな。
シンボルを取り巻くように設けられた4つのライトで光輝いている。
「この輪に足を掛ければ良いのかにゃ?」
「2つあるから一度に下りられるぞ。ワイヤーは細く見えるが4輪駆動車を吊り下げることもできるとドワーフの職人が言ってたぐらいだ」
輪というよりは鐙だな。2ユーデ半(2.3m)ほどの場所にも金具が付けられ、ロープが輪になっていた。
「下の輪に足を入れて、上のロープを掴んでいれば良いんですね?」
「そうだ。忘れ物は無いだろうな? そろそろ上空だ。降下するぞ!」
ほとんど無風状態だ。
これなら、安心して下りられるぞ。
背中に背負ったドラゴニルのベルトを少しきつくして、上の輪を両手で握ると片足を輪に掛ける。
リトネンさんも同じように足を掛けると。ハンズさんがゴンドラの側面扉を横に引いた。リトネンさんがゴンドラの床を蹴飛ばすと、俺達はゴンドラのすぐ横にぶら下がる格好になる。
「下ろすぞ! しっかり掴まってくれよ」
「そっちも頑張るにゃ!」
リトネンさんの声にファイネルさんが頷くと、俺達の体がゆっくりと下がっていった。
降下速度が結構早いから、上手く屋根に下りられるか心配だったけど、屋根から10ユーデほどに達したところで、急に速度が遅くなった。
これなら、問題ないな。
屋根に足の金具が着いたところで、リトネンさんと同時に金具から足を抜いて、掴まっていたロープを離す。
直ぐにワイヤーが上がっていったのは、俺達の重さ分だけ飛行船の重量が減ったためだろう。
「こっちにゃ!」
銅板瓦のぐしを跨ぐようにして、屋根の上を教会のシンボルマークに向かう。
上から見た時には小さく見えたけど、結構大きな神殿だ。
どうにかシンボルの架台に到着すると、リトネンさんがハッチのようなものを開けている。
屋根のライトやシンボルを、たまに掃除するための出入口らしい。
半ユーデより少し大きな四角いハッチだが、どうにか潜り込めそうだ。
ハシゴを下りて中に入ると、10ユーデほどの部屋があった。部屋の端には下に下りるハシゴがあるようだが、この部屋は何の部屋なんだろうな。
「こっちにゃ。この鎧戸が使えるにゃ。先ずはあのハシゴの所に、これで蓋をするにゃ」
古びた布はかなり分厚いものだ。色が付いているけど暗くてよく分からないな。
かなりの重さだから床を擦り引いて移動したが、これだけ厚い布の塊なら銃声を下に伝えることは無いだろう。
「そっちにあるベンチを持って来るにゃ!」
「了解!」と答えて、リトネンさんの所に運んでくると、鎧戸の板を2枚をナイフで折り取っている。
「これで銃眼が出来たにゃ。鎧戸の下にベンチを置くにゃ!」
下というより横になるな。鎧戸の高さよりも少し高めだが……。ドラゴニルを背中から下ろして、ベンチに乗せると銃を保持するのに丁度良い。もう少し高い方が良いんだけど……。
部屋を見渡してロープの束を見付けた。
その束をベンチに乗せると……。うん、良い感じだ。
「左手に見えるのが王宮にゃ。城門まで約150ユーデ。中庭を介して奥に見える建物が宮殿にゃ。
その右手の2階にある広間でパーティをしているはずにゃ」
宮殿の建物のガラス窓はどれも明るいが、確かにパーティ会場は他の部屋と違って格段に明るい。
テラスには数組の男女がいるようだな。
照準器を通してみると、派手な衣装だけでなく顔立ちまで見える。
「500ユーデというところでしょうか?」
「550ユーデにゃ。ファイネル達が騒ぎを起こしたらテラスに出てくるはずにゃ。軍服や勲章を付けた連中が目標にゃ!」
ドラゴニルをベンチに置くと、シガレットケースから1本取り出して、タバコに火を点ける。
リトネンさんの手が俺のシガレットケースに延びてきたので、咥えたタバコに火を点けてあげた。
「ここに来たのは13の時だったにゃ。あのシンボルをナイフで削ってがっかりしたにゃ」
「金だったら、壊して持ち帰ったと?」
「そうにゃ。下町の貧困が少しは改善したかもしれないにゃ」
信仰心は無いってことかな?
案外、神の啓示で義賊をしてたのかもしれないけど……。
それにしても、良く父さんが捕まえられたものだ。
遠くから小さな爆発音が聞こえてきたので、急いでタバコを消すと鎧戸の隙間からテラスを眺める。
まだ、王都の異変に気が付いていないのだろう。相変わらずテラスで談笑している様子が見える。
「まだ知らせが来ないみたいにゃ。もう少し待つにゃ」
小さな双眼鏡を手に、ベンチに肘をついてリトネンさんが状況を見守っている。
やがて、宮殿に向かって自動車が走っていくのが見えた。
状況を知らせに向かったに違いない。
「始まるにゃ……。照準調整は済んだかにゃ?」
「距離目盛は550。風はありませんが、距離がありますから胸を狙います」
「その銃弾なら、胸でも十分にゃ」
急にテラスから人が消えた。
やがて数人が出てきたが、先ほどと違って全員が男性だ。
「右端から2番目。帝国貴族にゃ!」
「了解……」
既に祈りは済ませてある。神殿で祈ったんだから御利益は高いに違いない。
レティクルの『T』字に目標を捉え、トリガーを引く。
ダァーン!
銃声はかなり大きいな。下に聞こえないかと心配になる。
照準器の視野の中で目標の人物が崩れ落ちる。
即死かな? 周囲の連中は倒れた貴族にはまだ気が付かない。
テラスからジッと南を眺めている。身を乗り出しているのは西方向を少しでも見ようとしているのだろうか?
「右から4番目。かなり地位のある軍人にゃ」
「了解!」
かなりたくさんの勲章をぶら下げているなぁ。重くないんだろうか?
それに、あのお腹だ。自分で足元を見ることができないんじゃないか。
仰け反るように倒れた人物の周りに人が集まる。
「一番左。周囲を見回している人物にゃ!」
「了解!」
確かにキョロキョロしてるんだが、こっちには目もくれない。近くの建物を見てるんだろうけど、神殿からだとは思っていないようだ。
3発目の銃弾が彼の胸に当たる。
当たった瞬間、後ろに仰け反るように倒れるのは銃弾のせいなんだろうか?
新たに小銃を持った一団がテラスに現れた。
狙撃できるのならカウンターも可能だということなんだろうけど、持っている小銃はどう見てもフェンリルのような代物だ。
ここまで有効弾が届くとは思えないな。
「だいぶ増えたにゃ。右から偉そうな人物を倒していくにゃ」
「了解!」
偉そうなということは、上等の服を着ている連中のことで良いはずだ。
先ずは2人倒して、ドラゴニルにクリップで銃弾を装填する。
さらに2人倒すと、テラスに残ったのは兵隊達だけになった。
「左端が隊長にゃ。分隊長では無さそうにゃ」
隊長を倒すと、兵隊達が部屋に我先にと入っていく。
「これを使うにゃ。窓から2発撃ち込んで終わりにするにゃ」
2発の銃弾は、焼夷弾に違いない。
今回は持ってこなかったかあなぁ。 受け取ると。ボルトを開けて薬室内に焼夷弾を装填する。
窓に向かって撃つと、室内に火の手が上がる。もう1発撃ち込んでさらに火の手を広げた。
「これで十分にゃ。急いで屋根に上がるにゃ!」
部屋に上がる布をずらして、床の薬莢を回収する。その間にリトネンさんがロープとベンチを片付けてくれた。
ハシゴを上り、ハッチを開けて屋根に出る。身を低くしてリトネンさんを待つと屋根の中間地点まで移動することになった。
空に向かって赤いライトをクルクルと回す。
直ぐに上空から、赤い光が1回点いた。
上空を見上げていると、突然黒い影が現れる。するすると伸びてきたワイヤーの先に付いた金属製の輪に片足を乗せて上のロープを掴む。
リトネンさんがもう1度、ライトを点けると俺達の体が屋根から離れて上空に向かって上がっていく。
ゴンドラから伸びたハンズさんの手を握り、ゴンドラに下りる。最後はリトネンさんが器用にぴょんと飛び移ってきた。ネコ族だからだろうけど、落ちることは考えないんだろうか?
舷側の開口部をスライドさせれば、俺の胸の高さほどもあるから落ちる心配はない。
ファイネルさんがエンジン音を上げて、王都から飛行船を移動させ始めた。
「30個の焼夷弾を放ったからなぁ、かなり燃えている。今回は倉庫には数発だけだったから、何とか消せたようだ。だが、貴族舘はそうもいかなかったんだろう」
「まだ手榴弾は残ってるのかにゃ?」
「10発残っているぞ。全て焼夷弾だが」
「なら、このまま北上して開拓地に落としていくにゃ。倉庫に落とすなら丁度良さそうにゃ」
湿地開拓を行ってる場所だな。
真夜中だからなぁ。住民被害は無いだろうけど、開拓用の重機を焼くことはできるだろう。
せっかく来たんだから、それもおもしろそうだ。
開拓地の拠点上空に着いたのは3時過ぎだった。
上空300ユーデ付近から、落とした手榴弾は炸裂まで12秒という遅延信管付きだ。
俺達が投げ始めると、ファイネルさんが飛行船をゆっくりと北上させる。
数棟の倉庫の位置が近いから類焼することは間違いないだろう。
2つの倉庫が炎に包まれていく中、俺達の飛行船は北に向かって進んでいく。
「そろそろ識別信号を出すか!」
例の「R1」という奴だな。オルゴールのような円筒を使って、電信と赤いライトの2つで味方に知らせるらしい。
少しずつ、空が明るくなってくる。やがて、尾根沿いに走る街道が見えてきた。
飛行船が東に進路を変える。
もう直ぐ砦に帰れるだろう。




