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休まれない日々



大型連休も中間に差し掛かったある日、美都は市の図書館に赴いていた。大きい机に勉強道具を一式広げ、頭を悩ませる。

その横には黙々と問題集を解き進める衣奈の姿があった。今日は一日、図書館で彼女と勉強することになっている。天気がいいだけに籠り切りなのはもったいないな、と思う反面これが受験生としての義務なのだからしょうがないと諦める気持ちもある。

「どうかした?」

と隣に座る衣奈が小声で美都に話しかける。いつもの声で喋ったとしても図書館ではよく響くのだ。

度々頭を抱える美都を見かねて、時折衣奈の方が気付いて話しかけてくれるようになった。

「ここが……何度解いても理解できなくて……」

躓いたのは理科の遺伝の問題だった。国語の文章読解や社会の暗記に比べて理科は数学に近いものがある気がする。

一つずつ論理づけて行って答えを導き出すものだ。美都はとにかくそういった問題に弱かった。だがどうしてそうなるのか理解しなければ先に進めない。勉強においては得意の「これはこうなのだ」という考えで押し通せる程甘くないと知っている。

だからこそ普段使わない思考に混乱するのだ。

「あぁ。ここはね──……」

そう言って衣奈がルーズリーフに図を書いてくれたそれに沿って丁寧に解説を始める。

美都は耳を(そばだ)てながら、問題と衣奈の解説を照らし合わせた。そうしていくうちに理解が深まっていく。彼女の教え方は上手い。自身は文系だと言っていたが、彼女の説明は理論がしっかりしている。だからわかりやすい。

先程躓いたところがあっという間に理解でき感嘆としながら彼女にお礼を伝えた。

再び自分のスペースへと向き直り、教えてもらったところを復習しながら問題を解き進める。基礎が理解できれば応用問題にも対応できるようになる。一人では解けなかったところも解説してもらったおかげですんなりと正解を導き出すことができ、感慨深くなった。

やっと一息ついて美都は思わず天井を仰ぐ。まだまだ課題は山積みだがやはり衣奈を誘ってよかった。誰かと一緒にいる方が自分にとっては捗る。

そう考えていると衣奈もキリがついたのか同じように腕を伸ばした。図書館にかかっている時計を確認するとちょうど15時を回ろうというところだ。小腹も空いてきた。

「外で休憩しない?」

と衣奈から誘いがくる。ちょうど自分もそう思っていたところだった。美都は彼女の誘いに頷き、貴重品を持って席を立つ。周りの目があるので勉強道具は置いていっても大丈夫だろうと判断した。

市の図書館だけあって学校の図書室とは違い蔵書の数は格段に多い。後で少し見て回って見ようかなと思いながらいくつもの本棚を横目に出入り口を目指した。

一歩外に出ると館内とは打って変わっての晴れやかな日で空気も爽やかだった。やはり図書館内は空気が循環していないのだなと感じる程だ。

図書館を出てすぐ近くにある自販機で各々飲み物を買う。頭を使った後は甘いものを飲みたくなる。冬ならば迷わずココアを選ぶのだが流石にさっぱりとしたものが恋しくなり、炭酸入りの清涼飲料水を選んでボタンを押した。

それを持って近くのベンチまで歩く。美都たちと同じように考える人が多かったのか複数あるベンチも埋まりつつあった。なんとか場所を見つけて二人で腰掛ける。

「疲れた?」

「すっごく。でも衣奈ちゃんのおかげでいつもより捗ってる気がする」

「ならよかった。あ、チョコレートあげる」

「わぁ、ありがとー!」

衣奈の気遣いにありがたく手を差し出した。受け取ったチョコレートを口に含み反芻する。

結局ここ数日宿り魔は出現していない。あの時現れたキツネ面の少女についても正体を掴みあぐねていた。

四季の見解は、あの少女が第一中の生徒かもしてないというものだった。確かに考えられなくもない。否、むしろ今思えばそう考えるのが妥当だろう。

しかし美都はそう考えたくない気持ちの方が強かった。もしそうだった場合、誰かを疑わなければいけなくなる。それが加速すると疑心暗鬼に落ちかねない。それを懸念しているのだ。

そんなことを無言で考えながら思わず吐いた溜息を聞いて、衣奈が苦笑する。

「何か考え事?」

「あっ、ごめんね。まぁいろいろと……」

「ううん。こんなこと言ったら悪いけど、美都ちゃん見てると面白くって」

「お、面白い……かな?」

面白いと言われて驚いて目を丸くする。そんなに自分に面白い要素などあっただろうかと小首をかしげる。

「表情がころころ変わるから。なんだか可愛いなぁって」

「! そう、なんだ……」

「でもわたしが見る限り怪訝そうにしている時が多いみたいだけど?」

考え事をしていると表情に出るのは無意識だ。その点を指摘されて少し恥ずかしげに俯く。怪訝そうな顔が多いというのはちょうど四季のことや宿り魔のことを考えている時に見られているのだろう。気をつけなければ。

表情筋をほぐすように両手で頬を持ち上げる。

「ねぇ、美都ちゃんにいろいろ訊いてもいい?」

「? うん。四季とは付き合ってないよ」

最近はそういった質問がつきまとうので先手を打って先に答える。衣奈はその言葉にクスクスと笑いながら言葉を続けた。

「確かにそれも訊きたかったことだけど、そうなんだ。割と一緒にいるとこよく見かけるからてっきり」

「いつ!?」

「えーっと、つい先日かな。お昼の時とか下校時刻の時とか」

言われて記憶を遡る。お昼の時というのは音楽の授業の後か。そして下校時刻の時というのは図書室に出た宿り魔を退治した後だろう。まさか見られていたとは。完全に不注意だ。前者はまだしも後者は危ない。守護者から戻ったばかりの姿だ。今後一層注意しなければと胸に刻む。

「だからそうなのかなって」

「違うよ! 本当にたまたまで……」

「ふーん? 向陽くんと何話すの?」

「え……えっと……」

何か含まれているかのような衣奈からの質問に言葉を詰まらせる。よもや家でのことや宿り魔のことなど言えるはずがない。適当に受け流してしまえばよかったのが考える素振りをしてしまった以上何か答えなければ。そう思って美都は咄嗟に脳裏に浮かんだことを口走った。

「──親族会議……?」

苦肉の策だ。自分でもこの回答はどうかと思う。

すると衣奈はまたクスクスと笑い声をあげた。

「美都ちゃんってやっぱり面白いね」

自分の回答に恥ずかしくなって苦笑しながら目線を逸らす。自分のアドリブ力の無さに頭を抱えたくなる。そう言えばと思って今度は美都が衣奈に質問を返した。

「衣奈ちゃんはどうしてわたしに声をかけてくれたの?」

凛からの情報だが、衣奈は特別親しい友人を作らないと聞いた。初めて会話した時はただの善意だけだったのかもしれないが。

衣奈は少し考えるように先ほど買った飲み物に口をつけた後、再び美都の方を向いて微笑んで言った。

「言ったでしょ? 美都ちゃんて自然と目を惹くの。だからどんな子なのかなって気になってて。話す機会を窺ってたんだよ」

「実際普通すぎて幻滅してない?」

「まさか。こんなに話せて嬉しいくらい」

ああ、またネガティブなことを言ってしまった。しかし衣奈は動じることなく笑みで返してくれた。彼女の言う「目を惹く」と言うのは自分ではわからない。至って普通に学校生活を送っているだけだ。特出すべきこともない。なので褒められることに慣れていないと言うのが本音だ。人から見る自分というものは俄かに解らないものだ。

衣奈に至ってもそうだろう。彼女は同級生の間では秀才と言われており、実際に勉強も良くできて真面目な優等生という表現が当てはまる。しかし話してみると自分たちと何ら変わらないただの少女だ。恋愛のことにも興味があるようだし──あるのはもしかしたら四季との関係についてかもしれないが──背格好や容姿にしてもそうだ。おさげで眼鏡をかけているというテンプレートさが、同級生たちが言う「ミステリアス」なのだろうかと首を傾げたくなる。これまで話してきた中でミステリアスを感じたことはない。

「衣奈ちゃんってずっと眼鏡? コンタクトにはしないの?」

そう問いかけると衣奈の動きが一瞬止まったように見えた。しかしすぐに先ほどど同様に笑みを浮かべる。

「眼鏡の方が落ち着くの。お守りみたいなものよ」

「……そっか」

気のせいだろうか。何かまずいことを訊いたかと思ったが彼女の受け答えは当たり障りないものだ。そう落とし込んで美都は相槌を打った。

それからしばらく他愛のない話を続けたのち、話題は再び恋愛のことに戻ってきた。

「ねぇ、美都ちゃんは好きな人いないの?」

衣奈にそう訊かれて目を丸くした。好きな人、とは複数の意味があるがここでは恋愛的に好きな人という意味合いで出されたのだろう。その問いに一瞬頭で考えたのちに割とすぐに答えを出した。

「いないね」

「そうなの? 興味ないの?」

「興味……?」

興味というのは付き合うとかそういうことだろうか。眉間にしわを寄せて顎に手を置いた。自分の中の興味とやらを探ってみる。

第一今まで好きな人ができたことがない。否、もしかすると遡ればいたのかもしれないが、その感情が解らないのだ。だから付き合うどころか好きな人ができる感覚も自分にとっては曖昧だ。

「あんまり考えたことがないなぁ……」

「難しく考えすぎなんじゃない?身近で気になる人とか大切に想う人とか。そう感じる人はいない?」

「言われてみればいる気がするけど、恋愛的なものじゃない気がする」

大切に想う人ならたくさんいる。だがそれはおそらく恋愛的な枠組みとは違うものだ。尊敬や敬愛といった表現が当てはまるだろう。うーんと唸りながら逆に衣奈はどうなのか訊いてみた。

「衣奈ちゃんは?」

「わたし? いるよ、好きな人」

意外にもあっさりと答えが返ってきて一瞬きょとんとする。すぐさま驚いて重ねて問い質した。

「そうなの!? どんな子? わたしの知ってる子?」

個人のプライバシーの部分であることはわかっていたが気になってつい訊いてしまった。すると衣奈は照れたように微笑んだ。

「内緒。でもちょっと気になるなってくらいだよ?」

「そうなんだぁ……」

ほぅ、と感嘆する。そう言う衣奈の顔は少し頬を緩ませ紅潮していた。彼女にも想い人がいるのだ。それが誰かは知らないが彼女の心を掴んで柔らかい表情にさせるだけの人物なのだ。

恋する少女はやはり可愛いなぁと思う。級友たちの中でもそういった話題になることがある。美都は専ら聞くだけだが、その想いを語る友人たちは纏う雰囲気も華やかだ。それだけで楽しそうに見える。もちろん羨ましいなと思ったことはあるが何分自分にはその感情さえ解らない。そう思って衣奈に先程まで考えていたことを訊いてみることにした。

「ねぇ、誰かを好きになるってどう言うことなのかな?」

ずっと不思議だった。同い年の子達が楽しそうに、時には気恥ずかしそうに恋を語らうことが。自分には解らない感覚だから。敬遠していたわけではない。ただ本当に「解らない」のだ。だから知りたかった。

衣奈はしばし考えた後、尚も思考を巡らせるようにしながら口に出していく。

「そうだなぁ……。意味もなくドキドキしたり、ずっと傍にいたいって思ったり、知らぬ間に目で追ったり。後は守りたいって言う気持ちもそうなのかな?」

「守りたい……?」

「うん。その人を心からそう思えるのも好きって言うことだと思う」

そう言うと「何だか恥ずかしいな」と衣奈は照れて頬に手を当てた。

彼女の言葉を反芻する。守りたいと言う気持ちなら、守護者として覚醒した時にあった。でもそれは目の前で襲われている友人たちを見てそう思ったのだ。

この気持ちが異性に働くと、それが好きと言うことなのだろうか。いつか自分にもそう思える人が出来るのだろうか。

そんなことを考えていると衣奈から「そろそろ戻ろうか」と声がかかる。

美都は頷いて手持ちの清涼飲料水を飲み干す。シュワシュワと音を立てる炭酸水が、喉の奥を刺した。





図書館に戻ってまた数時間したのち、再びキリの良いところを見計らって陽が落ちる前に解散しようと言うことになった。

荷物をまとめて図書館を出ると、あたりは薄暗くなり始めていた。5月に入って日照時間が伸び始めていたものの、先程よりも雲が薄く広がっているせいかいつもより仄暗く感じる。

「今日はありがとう。衣奈ちゃんのおかげですごく捗ったよ」

「それならよかった。わたしも美都ちゃんと話せて楽しかったよ。またいつでも誘ってね」

それじゃあ、と言って別れそれぞれの帰路についた。

衣奈のおかげで驚くほど勉強が進んだ。彼女とともに勉強しようと連休中に約束したのは今日だけだ。今日教えてもらったことを残りの休みの日で復習しよう。あとの課題は数学だ。衣奈も数学に関しては教えるのが苦手だったようで、「わたしよりも詳しい人に聞いた方が良い」と言う助言から、彼女からは主に理科を教わった。

そうなると数学は凛に聞くしかない。だが連休中はフランスに行ってしまっている為聞くことは不可能だ。メールのやり取りはしているが、そこで訊ねることでもないだろう。教えてもらうなら対面の方が良いに決まっている。

さてどうしたものかと歩いていると、衣奈との話をふと思い出した。

(好きな人……守りたいと思える人、か……)

その言葉を脳裏に浮かべる。やはり自分にはまだよく解らない。

守りたい人ならたくさんいる。自分の周りにいる人だ。だがそれは恋愛的な意味ではない。

そういえば衣奈は「意味もなくドキドキしたり、知らぬ間に目で追ったり」とも言っていた。意味もなくドキドキするとはどう言うことなのだろうか。一人帰路を歩きながらうーんと唸っているときだった。

「──っ!」

ハッと顔を上げる。宿り魔の気配だ。

しかし次の瞬間には、本当に宿り魔の気配なのかわからなくなった。まただ。宿り魔に似た気配。美都は思わず顔をしかめる。

「……?」

胸がざわつく。宿り魔に似た気配ならすぐに消えるはずだ。しかし今回は一向に消えない。

美都は気配のする方へ向かって走り出した。歩いてきた道を引き返す。走りながら首にかけてある指輪を引っ張り出す。するといつもより微弱だが反応していることが見てとれた。だがなぜいつもと違うのか。宿り魔ではなくとも、それに近い気配だからなのか。

粛々(しゅくしゅく)──紗衣加(さいか)!」

ひとまず美都としての気配を消し、守護者姿である巴の格好を纏う。なんにせよその場に行って確かめなければ判断できないのだ。気配を辿り足を動かした。あっという間に衣奈と別れた場所を通過する。願わくは彼女が巻き込まれていないことを。

「!」

スポットだ。相変わらず宿り魔の気配とは断定できないがスポットが張られている。巴となったその手で現実との境目を確認した。波紋のように空間が歪む。巴は目視すると一気に中へ切り込んだ。

内部はいつだって仄暗い。反転されている為当たり前なのだが、所謂(いわゆる)夜目が効くようになるまでしばしかかるのだ。巴はようやく慣れた目で辺りを見回した。

おかしい。やはり宿り魔はいない。対象者も見当たらない。これではもぬけの殻だ。警戒しながら前方へ歩いた。

「いらっしゃい、守護者さん」

「──!」

背後からする声に瞬時に反応して振り向いた。目が捉えたのは見憶えのあるキツネ面だった。

「あなたは……!」

前回と同じように、少女はキツネ面から口元だけ出すとクスクスと笑った。その不気味さに背筋に悪寒が走る。

勘付かれないように口を閉じて息を呑んだ。

暗闇の中、少女を見つめる。相変わらず顔は確認できないが背格好は自分とさほど変わらない。だが前回と決定的に違うところがある。着ている衣服だ。黒い羽織の下に纏うものは制服ではない。色の断定はしづらいが黒に近いワンピースに見える。肩下まである髪を結ぶことはせず、無造作に遊ばせている。見て取れる情報はそんなところか。

「どうしたの? 武器は? 剣は出さないの?」

「……っ!」

巴の動向に気づいているかのようだ。巴は少女を一通り確認すると、否が応でも確信せざるを得なくなった。

やはり、この少女は人間だ。

唇を噛み締め空の手を握りしめた。だが宿り魔が憑いているかの判断はできていない。だからこそ迂闊に剣を出すことが出来ないのだ。彼女がただ人間であるだけならば、その身体に剣を向けることは本意ではない。

キツネ面の少女はそれを解って、巴を煽るような言動をした。そして尚も愉悦そうに笑む。

「そんな怖い顔しないの。今日はあなたと話しに来ただけだから」

「! わたしと……?」

「そうよ」

言葉の意図がわからず巴は怪訝そうに呟いた。すぐさま肯定すると少女は続けた。

「ねぇ鍵の守護者さん。あなたは所有者が誰なのか知っているんじゃないの?」

以前、同じような問いかけがあった記憶を手繰り寄せた。菫のいた教会だ。やはりこの少女もあの時の来訪者同様、鍵が狙いなのだ。

「あなたが教えてくれれば余計な犠牲は出さなくて済むのよ?」

「っ……! 知らない! あなたはどうして鍵を狙うの!?」

目の前の少女は、まるで探索の対象者となった者が犠牲になっているとでも言いたいようだった。巴はそれを察知し反論する。所有者が誰なのかは本当に判らない。だから逆に問い質してみたのだ。なぜ犠牲者を出すと解っていながら鍵を狙うのかを。

「欲しいのはわたしじゃないわ」

「!?」

「それでもわたしには鍵が必要なの」

言葉遊びのように話す少女の口元から笑みが消える。声のトーンもいささか低くなった。鍵を狙っているはずなのに、それを求めるのは自分ではない者ということか。その者の為に鍵が必要なのだろうか。頭の中で情報を整理していると再び少女に笑みが戻った。

「ねぇ。あの男の子、わたしの攻撃で怪我しちゃったんでしょう?」

悪びれる様子もなく事実を突きつけてきた。以前に対峙した際、少女が放った気砲は巴に当たるはずだった。だが間一髪のところで静が庇ったのだ。その時に彼は背中に傷を負った。他ならぬ、目の前にいる少女の攻撃によって。

奥歯を噛み締めながら少女に鋭い視線を送る。その視線を受け取ったのか目の前の少女は前回と同じように片腕を掲げ巴に手を翳した。

「──っ……!」

「これからも容赦する気はないわ。わたしにも目的があるもの。あなたたちが邪魔をするならまたいくらでも傷を増やしてあげる……!」

言い終わるのと同時に少女の手から気砲が放たれた。巴は素早く後方へ退きそれを躱す。防御のため致し方なく右手に剣を呼び出した。

「あらやっと戦う気になった? いいわよ向かってきなさいな」

そう言うとキツネ面の少女は無防備にその手を下ろした。少女は解っているのだ。自分が攻撃することに躊躇いがあることを。だからその言葉にも余裕がある。無防備に見えて一片の隙もない。

切っ先を下に向けたまま尚も構えようとしない巴を見て、少女は呆れたように呟いた。

「優しいのね。それじゃ大切なものは守れないわよ。でもそうね……」

巴の姿勢を見て何かを感じたのか考えるように顎に手を置いた。

一呼吸のち、見慣れた笑みを浮かべて言葉を続ける。

「確かにフェアじゃないわ。しょうがないから教えてあげる。ほら」

少女は後ろに流した髪を片手でかきあげる。そしてキツネ面がずれないよう慎重に首を捻った。

露わになった彼女の左耳の後ろ。そこにあるものに巴は目を見張った。

「……!」

「わかったかしら? だからあなたもわたしに遠慮することはないのよ」

巴は思わず息を呑んだ。それを真近で見たことはない。だが彼女の肌にしっかりと刻まれているものには見覚えがあった。

宿り魔と同じ刻印だ。

かきあげた手を弄ぶようにして下ろしながら少女は体勢を戻した。

しばし何も言えず放心する。つまりこの少女には宿り魔が憑いている。しかしそれを自ら知らせると言うことは、彼女は自身の意志に基づいて行動しているという表明だ。

懸念事項はあっさりと明確になった。だとしたら自分がすべきことはこの少女に憑いている宿り魔を祓うこと。それだけだ。それだけ、なのに。

巴は手にしたままの剣の柄を強く握りしめる。

瞬間何かを察知したようにキツネ面の少女が反復移動をした。同時に背後から銃弾が掠め、少女が元いた場所を通過する。

「手間が省けたな」

「静……!」

声のした方を振り向くと静が銃を構えて立っていた。一部始終を聞いていたのだろう。

少年の動向に、キツネ面の少女は不機嫌そうに呟いた。

「あなたは今日呼んでないんだけど?」

「生憎、前回の仕返しが済んでないんでね」

静は言いながら2発続けて発砲すると巴の横まで駆ける。乾いた音が耳に響いた。

キツネ面の少女は軽やかにそれを躱すと先ほど巴がしたのと同じように後方へ退く。ふぅ、と息を吐くと並んだ二人の守護者を見比べて顎に手を当てた。

「分が悪いわ。今日はここまでね」

静は尚も威嚇を止めようとしない。銃口を向けて巴の半歩前に立った。

「逃げる気か」

「人聞きの悪い。血気盛んなのも結構だけど今日はそんな気分じゃないのよ」

「お前の気分なんて聞いてない……!」

再び静が躊躇いなく少女に向けて発砲する。ひらりとそれを避けると、キツネ面から出した口元はまるで彼を嘲笑うかのように緩んだ。

「それじゃあまたね。鍵の守護者さん」

「待て!」

静の言葉を待たずして、少女はスポットの闇に溶けるよう姿を眩ませた。

後には守護者二人が取り残されその場に立ち尽くす。静は悔しげに少女が消えた方を睨んでいた。

途中から二人のやり取りを見るだけになっていた巴は、ようやく力を抜いて息を吐く。そして自分の行動を省みた。

あのまま静が来ず戦うことになっていたら、自分は本当に剣を向けることが出来たのか。宿り魔が憑いていると判っても尚、人間の身体に切っ先を向けることに抵抗がある。

四季が言っていた通りだ。防戦一方だった。自分の無力さがやるせない。

そんな彼女の気持ちを推し量る様に、静が呆然としたままの巴に声をかけた。

「大丈夫か」

「……うん。ごめん」

その声を合図にハッとして静を見た。彼の行動を思い出す。躊躇いなくキツネ面の少女に向かっていく様を。その姿を頭で反芻し、渋い顔を見せた。何か言いたげに巴を見た後、静は「空間が戻る」といつものように言うと彼女の頭に手を置いて二度軽く反復させた。直後にガラスが砕ける音が耳に刺さる。

変身を解きながら、美都が元々歩いていた場所まで戻る。すると違う場所へ出た四季が前方から歩いてきた。

「遅くなって悪かった」

「ううん。大丈夫だったの?」

「ちょうど終わったとこ」

美都は四季の謝罪に首を横に振った。目の前に佇む四季の姿は学生服だ。夕方まで部活をしていたのだろう。確か予定を共有するボードにもそう書いてあったはずだ。

いつもと変則的な事態にまだ頭が混乱している。自分の考えに疲弊しそうになっていた時、おもむろに四季が口を開いた。

「お前は終わったのか」

「あ、うん。わたしもちょうど解散して歩いてたところ」

「じゃあ帰るか」

彼の言葉に目を瞬かせた。

そうか。確かに同じ家に帰るわけだからそうなる。発想的には何も不思議ではない。のだが。

「……訊かないの?」

「何が?」

「なんか……色々……?」

「なんでお前も疑問形なんだよ」

今考えていることを訊かれるものだと思っていた。少し身構えていたので何もつつかれずそのまま帰ろうと促されたことに驚いてしまったのだ。

半歩前を歩いていた四季が一度振り返った。

「別に何も考えてないわけじゃないんだろ。なら俺がとやかく言うことじゃない。あとはお前次第だ」

至極真っ当な意見を正面から言われたことに対し、美都はまた目を瞬かせた。何も応答せず瞬きだけをしていると四季は怪訝そうな顔を覗かせた。

「なんだよ」

「ううん……」

彼なりの気遣いなのだろう。美都は一度視線を逸らした。

先日四季とはそのことについて話をした。確かに後は自分次第だ。自分の考えさえ明確にすればいいだけのことだ。

守護者としてどう戦うか。現実はいつも意外と早く来る。そのことを噛み締め美都は再び四季に向き合った。

「……帰ろっか」

そう言って眉を下げふっと微笑んだ。四季は美都の顔を見ると同じように笑みを零した。

家路へ歩き始めると「ついでに食材を買って帰るか」と彼は所帯染みたことを呟く。

また彼の優しさに助けられてしまったなと思いながら、美都は彼が歩く少し後ろに位置付けて今度は柔らかく微笑んだ。









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