作戦会議
「あ、みとちゃーん!」
少し離れたところから自分の名を呼ぶ無邪気な声が聞こえた。
美都は発信源の方に目をやり、声の主を確認するとそれに応じるように手を振った。
時刻は18時前だ。と言ってもだんだんと夏至に近づくこの季節は、夕方の時間になってもまだ空は明るい。
すっかり部活で帰るのが遅くなり、今日が食事当番だったのを思い出した美都は半ば小走りで家路に着いた。しかしこうも明るいとあまり焦る気にもならない。加えて帰り際、まだサッカー部が残っていたことを確認出来た。つまり四季が帰ってくるのはもう少し先だ。
家の近くまで来て呼吸を整えながら歩いていたところ、マンションの目の前にある公園の出入り口付近から今まさにこちらに手を振る幼い声が聞こえたのだ。
美都はそのまま歩いて那茅と弥生の元へ近づいた。
「おかえりなさい!」
「ただいま、なっちゃん」
彼女らが待つ地点まで数メートルといったところで、母親の手を離し駆け寄ってきた幼子に目線を合わせるため美都はその場へ屈んだ。
名前を呼んで那茅の手を取り立ち上がると、再度弥生の元まで歩いた。
「おかえりなさい、美都ちゃん」
「弥生ちゃん、ただいま。今日は随分遅くまで遊んでたんだね」
娘と同じく帰りを迎えてくれた弥生にも挨拶を交わし、ふと疑問に思ったことを口にした。
いつもであれば遅くとも17時には家に戻っているはずだ。なのでこの時間まで公園にいることは珍しい。
「おとーさんまってるの!」
「今日は珍しく早く帰ってくるから、那茅が下で待ってるって聞かなくて」
「そうなんだ。確かに瑛久さんがこの時間に帰ってくるの珍しいね」
那茅の言葉を補足するように、弥生から説明が入る。
弥生の夫であり那茅の父である瑛久は後期研修医だ。年度が変わったこの1ヶ月は随分と忙しなくしていた。美都もまだ数回しか顔を合わせたことがない。朝は早く出て夜は遅く帰っているようで中々会話をする機会がなかった。連休を前にようやく落ち着いたのだろうか。
久々に早く帰る父を待つ那茅はとても嬉しそうだった。
「みとちゃんもいっしょにまつー?」
「んー……せっかくだし待ってようかな」
弥生に相談したいこともある上に幼子の頼みは易々断れない。以前一度やむを得ず断ってしまったことはあるが。
当番のことが頭を過るが、そんなに遅くはならないだろう。そう考えていたところ、弥生が気遣うように美都に話しかけた。
「大丈夫? 美都ちゃん急いでたんじゃない?」
「あ、わたし今日食事当番で。四季よりも作るのに時間かかるから早めに帰ろうかなって思ってただけだから」
手際よく作る四季に比べ、自分が作る時は簡単なものであるにも関わらずそれなりに時間を要する。
遅くても何も言われないが、待たせるのはしのびない。
弥生は美都の返答を聞くと急に思いついたように声を明るくした。
「あら、じゃあ今日夜ごはん一緒に食べない?」
「え、いいの?」
弥生からの提案に面食らった。瑛久が早く帰ってくるのであれば、家族で過ごす時間も久々なのではないだろうか。
瑛久と弥生に訊きたいことはあるが、せっかくの家族水入らずの時間を邪魔するわけにはいかない。美都はそう考えると、彼女にも伝えた。
しかし弥生は全く気にしないと言った口調で美都に返答する。
「作り足せばいいだけだからそれを手伝ってくれる? むしろ美都ちゃんたちがいてくれると嬉しいわ」
「それはもちろん手伝うけど……何かあったの?」
「んー、別に? ただ最近あまりにも家庭のことを放置しすぎじゃないかなーって。忙しいのはわかるし感謝もしてるんだけどね。あまりにも、あまりにもよ」
(お、怒ってる……)
あくまで口調は柔らかいままだが、相当煮え切らない感情が言動から見て取れる。
那茅もちょうど走り回る年頃だ。児童と遊ぶにはそれなりに体力が必要になってくる。加えて那茅は同年代の子どもに比べて一段と活発だ。家事をしながら一日中娘の世話をするのは相当体力を消耗するのだろう。
おそらく弥生は、瑛久の家での滞在時間が短いことに対して怒っているのだ。
詳しい事は判らないがなんとなく言動からそうだろうと察した美都は苦笑いを浮かべた。
「那茅の前で怒るわけにもいかないし。美都ちゃんたちをストッパーにして悪いけど……」
「全然! 一緒に食べよう! 四季にも言っとく」
肩頬に手を当て、やれやれといった風に息を吐く弥生の言葉を受け、美都は半ば慌てつつ即座に了承した。
彼女の負担が軽くなるのならばそうした方が良い。特に断る理由も無いうえに弥生の気持ちを慮ると自分が出来ることであればそうしてあげたいと思うのだ。
「あ、でも気を遣わないでね。一緒にご飯食べられるのは素直に嬉しいの」
「もちろんわたしもだよ。それに2人に訊きたいことがあったし」
「あらそうなの? じゃあちょうどよかったわね」
突き詰めて言えば彼女らに訊きたいことの詳細を話せるのは四季だ。自分はニュアンスでしかわからない。
だがそれに関しては四季が合流してからで良いだろうと考えていると、足元でそわそわしていた那茅が前方から来る人影に気付き「おとーさん!」と一目散に駆けていった。
幼子を目線で追う。先程と同じように駆けていくと今度は足に抱きついた。
スーツ姿の男性は娘の名前を呼びながらしゃがむと、片手に携えていた黒いバッグを手にしたまま両手で那茅を抱きかかえた。
体勢を整えるとゆっくりと歩を進めこちらに近づいてきた。
父の腕に抱えられている那茅は非常に満足そうな表情を浮かべている。
「おかえり」
「おかえりなさい瑛久さん」
「ただいま。美都ちゃんも、こんばんは」
弥生に続けて挨拶をすると、瑛久は身体を捻り柔らかい笑顔を見せた。
四季よりも少し背が高いせいか自分が見上げる形になる。しかし威圧感は全くない。
さすがに医療従事者だけあって清潔感のある髪型と短く切り揃えられた爪が爽やかな印象を与える。
4歳になる愛娘を軽々抱きかかえられるくらい、力はあるのだろう。
「あなたを待ってたらちょうど美都ちゃんも帰ってきたの。話したいこともあるらしいから今日は一緒にご飯食べない? って誘ってたところよ」
「お邪魔しちゃって大丈夫ですか?」
「もちろんだよ。俺もまだちゃんと話せてなかったし嬉しいな」
弥生の提案に沿って伺うと、瑛久は快く了承してくれた。
今の会話の流れを聞いておそらく良い事だと察知した那茅が表情を明るくした。
「わーい! ぱーてぃーだあ」
無邪気な声で那茅が嬉しそうに言った。
娘の反応を見て弥生がおもむろに息を吐く。
「パーティーって程手の込んだものは作れないけど、せっかくだから品数は増やしましょうか」
先程の話を聞いて少しハラハラしていたが、一人娘の喜ぶ顔にはやはり弱いらしい。那茅は母の言葉を耳にして更に喜んだようだ。
優しい父親と少し甘い母親に囲まれる一人の少女。
その光景を前に一瞬伏し目がちになりながらも美都はすぐに顔を綻ばせた。
「手伝うよ」
「ありがとう。それじゃあ戻りましょうか。美都ちゃん何作る気だった?」
「え? えーとね……」
弥生からの質問に少し硬直する。自分が作れるのは割と限られている。特に今日は部活で遅くなったので簡単なものにしようと思っていたところだ。
ソースを変えるだけで色々楽しめるパスタ。
四季にはまたかと呆れられそうだと解ってはいるがそもそも四季の作る料理のレパートリーが多すぎるのだと思う。
どう応えようか茶を濁していたとき。
「……──っ!」
学校で感じた気配に似たものを捉え思わず息を呑んだ。
弥生と瑛久も同じように何かを感じ取ったらしい。
瑛久に抱えられている那茅は突然大人3人が無言になったのを不思議に思ったのか首を傾げた。
ザァっと風が公園の木々を揺らす音が鳴る。陽が沈み始めたため、辺りは少し仄暗い。
しばしの間、その気配の動向を探る。やはり学校の時と同様だ。
一瞬妖気を感じさせるがそれはあっという間に消えた。
「……宿り魔じゃ、ない」
美都が一人小さく呟いた言葉を弥生が受け取り、彼女も同意するように頷いた。
宿り魔が出現すれば真っ先に指輪が反応する。だが宿り魔とは気配が違う。弥生も瑛久もそれに気づいているようだ。
「妙な気配だな……」
瑛久が怪訝な表情を浮かべ2人の気持ちを代弁するように声に出した。
現役の美都はもちろん、これまで守護者として戦ってきた2人ともが気付くほどだ。
宿り魔ではないのにそれに近い何か良くないもの。学校で感じたものと同じと言って良いだろう。
得体の知れない気配の正体を考えるように一同少しの間黙り込む。
「みんなどうしたの? にらめっこ?」
きょろきょろと3人の顔を見回しながら、一人だけ事態を把握できていない那茅が口を開いた。
にらめっこと言われるくらいなのだから相当難しい顔をしていたのだろう。幼子のきょとんとした声に一斉に現実に引き戻されたように顔を上げる。「ごめんごめん」と言って取り繕うように瑛久が那茅をあやした。
那茅を蔑ろにしてしまったことへの申し訳なさを感じていると隣で弥生が美都に話を振った。
「美都ちゃん、訊きたいことってもしかして今の?」
「うん。今日学校でも同じ気配を感じたの。四季は気の流れがどうって言ってたけど……。二人なら何か知ってるかもって」
弥生は自身が訊いた質問の回答に顔をしかめながら、なるほどと納得したようだった。
彼女は顎に手を当て何かを考えるように難しい顔を一瞬見せたあとまたすぐに顔を上げた。
「わかったわ。ひとまず四季くんが来てからちゃんと話しましょうか」
そう言うと自宅のあるマンションへ踵を返した。美都もその言葉に頷き、弥生に続いた。
瑛久に抱えられている那茅はすっかり機嫌を直したように父親の髪で遊んでいる。
まもなく四季も帰ってくるはずだ。この妙な気配の正体が少しでも解明すればいいのだが。
◇
キッチンで並んでいる二人を見ると、やはり姉妹のように見えるなと改めて思った。
四季はリビングで那茅の相手をしながら視界の端に映った彼女たちを見ながら頷いた。
部活からの帰宅中、美都からメッセージが入ったのはつい30分前くらいのことだ。ちょうど帰路を歩いているとき、学校で感じた気配に遭遇した直後だった。
この件もあり、今日は弥生たちとご飯を食べることになったとの連絡だ。
一度帰宅して荷物を置き制服を着替えてから隣である櫻家に向かうと、既にキッチンには2人が立っていた。今は仕上げの最中といったところか。
「もー! しきくん、きいてますか!」
「はいはい、お嬢様」
よそ見をしていた四季を怒る様に那茅が彼の名を呼んだ。
ちょうど瑛久が仕事の電話に出るタイミングで入れ違うように那茅の相手を任されたのだ。
まだ5つにも満たない少女の相手をするのにもだんだんと慣れてきた。なにせ那茅は人見知りをしない。それどころかお転婆さが余って、冒険心の塊のようにいろんなことに積極的に食いついていく。
最近この既視感に似たものを感じていたが、ようやくそれが判明した。
むっとした表情をする少女越しにキッチンに立っている美都を見る。
先程、この少女の母親とも似てるなと思ったばかりだったが、同じくらい美都と那茅も似ている。だがこちらは主に性格の部分だ。10歳も下の子どもと比べるのは如何なものかとも思うが、既視感はそう簡単に拭えないものだ。
那茅の機嫌を宥めるように頭を撫でてやると、少女は満足そうに微笑んだ。
「悪いな、四季」
電話のため席を外していた瑛久が戻ってきて四季に声をかけた。そのまま首を捻りながらやれやれといった様子で娘の横に腰を下ろす。
「いえ。忙しいっすね瑛久さん」
「研修医に暇など与えられんさ」
4月から市の総合病院で後期研修医として勤務する瑛久はさすがの多忙さに深く息を吐いた。
胡坐を作るとすぐさま那茅が瑛久のうえにちょこんと座った。
家族ともしばらく充分な時間過ごすことが出来ていなかったためあたり前だが、四季自身も瑛久と会話するのは久々だ。それ程までに医療の現場が厳しい事が窺える。
「おしごとたいへん?」
父の胡坐の上に座る那茅が見上げながら訊いた。
瑛久は苦笑しながら少女の頭をゆっくりと撫でた。
「あんまりかまってやれなくてごめんな」
「ううん、へーき! おかあさんがいてくれるもん!」
無邪気な少女の回答に、瑛久は少しだけ肩を落とした。彼もあまり家庭での時間を作れていないことを気にしているようだ。
一人娘を全て母親に任せきりなのは自覚しているものの、仕事に穴をあけられないのは医療に関わるものとしての悩みでもある。
おそらくは弥生もそのことは解っている。だからこそ普段は何も言わず家庭のことをこなしてくれているのだろう。
育児の大変さは、大学後期で良く学んだ。あの時でも相当大変だったのに、更にお転婆になった娘の相手はさぞ体力がいることだと理解できる。
「あいつには頭が上がらないよ」
「ですね」
瑛久の呟きともとれる発言に、四季も苦笑しながら応えた。
実際、弥生の行動を間近で見ている四季も彼女のアグレッシブさに感心する。育児をしながら守護者としてのサポートもしてくれるのだ。彼女のおかげで儘なっていると言っても過言ではない。
そんな彼女を横目で見ると美都とともに配膳に移っている最中だった。
美都が現れたことによって、彼女は以前よりも楽しそうにしているように感じる。お互いに頼り頼られる間柄に発展しているようだ。
「なちもてつだう!」
キッチンから良い香りがしてきたのに我慢できず、那茅が瑛久の膝から降りて美都の方へ向かって行った。
那茅に倣うように座っていた二人も立ち上がりダイニングテーブルへ移動する。
既に並べられた皿の数を見てさすがに弥生の采配だなと感心した。彩りも有り、栄養バランスが考えられている。いつもより品数が多いとはいえ見習うべきだなと思っていたところで、美都と目が合った。
「人には得手不得手というものがありまして……」
と目を逸らしながら言い訳をされた。まるで自分が何を考えていたか理解しているような口調だ。
別に責めたつもりではなかったがさもありなんと思い息を吐いた。
「まあ毎回パスタでさえなければいい」
「頑張る…」
覇気のない美都の回答を聞きながら、四季はカウンターに並べられた皿を手に取り、身体を捻ってダイニングテーブルへ置いた。
そのやりとりを聞いていた弥生がクスクスと笑いながら、
「私も学生のときはそんな感じだったわ。少しずつ覚えていけばいいのよ」
とエプロンを外しながら美都をフォローした。一通り料理が出そろったようで座るよう促される。
いち早く那茅が誕生日席にある子ども用の椅子に座ると、那茅の両端に弥生と瑛久、美都と四季は同性の横に着く形で対面となった。
「いただきまーす」
那茅の溌剌とした声を合図に4人も同じように手を合わせて目の前の料理に手をつけた。
いつものように美味しさを顔で表す美都と対照に、四季は口に入れるものの味付けを吟味しながら食事を進めた。
談笑を交えながら思い思いに箸を進めているとおもむろに弥生が疑問を口にした。
「二人は学校ではどんな感じなの?」
その質問にお互い目を瞬かせた。美都が一瞬考えながら目線を上にやると先に四季が答えた。
「普通です」
「これといって特に干渉するわけでもなく…って感じかな」
実際同じクラスではあるものの、お互いの友人同士で固まることが多い。特に年齢的なものもあって、男女の棲み分けは著しい。
始業式に四季が親戚だと発言してから数日は方々から揶揄されたが、それも最近ようやく落ち着いてきたところだ。だからと言って全く会話しないわけでもない。
そう言った点を鑑みると、干渉するわけでも敬遠するわけでもないので「普通」という四季の回答が正しいだろう。
2人の回答を訊くと、弥生は苦笑しながら何かを思うように言葉を続けた。
「家に帰れば嫌でも顔を合わせるものね」
「棘のある言い方だな、おい」
「あら、私たちのときもそうだったでしょ?」
那茅の口元を拭きながら、瑛久は弥生の言葉に苦い顔をした。
彼女の言葉尻からは当時の二人の距離感が窺える。こうして家庭を持つことになるまで、それなりに何か山があったようだ。
当時の関係性が気になって口に出したのは意外にも四季だった。
「仲良くなかったんですか?」
「悪くは無かったわ。友人の関係が長かったの。お互い学校も違ったしちょうど良い距離感だったのかしらね」
「え? そうなの?」
初めて知った情報に目を丸くした。
自分たちが同じ学校であるため守護者とはそういうものだと思っていたがどうやら違うらしい。
美都の驚いた声に応じるように弥生は説明を付け加えた。
「私はずっと私立の女子校だったの。だから美都ちゃんたちみたいに学校もクラスも一緒っていうと、また感覚が変わってくるわよね」
美都は感嘆とした相槌を打った。
都会の学校ゆえなのかもしれないが、この辺りは私立学校が多い。美都たちの通っている中学は公立で基本的には小学校からの持ち上がりだが、小学校の同級生の中にはやはり中学で私立に編入する者もいた。実際美都も司に勧められたが費用と友人関係を鑑みてそのまま今の学校に進むことに決めたのだ。
「じゃあ宿り魔が出るのも特に決まりはなかったの?」
「バラバラだったよ。弥生の方に出た時はそれは大変だった…」
美都の質問を受け取った瑛久が苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
恐らく先程弥生が言っていた、彼女が通っていた学校による表情だろう。女子校に男子生徒が立ち入ることが難しいのは昔から変わらないようだ。
瑛久は当時の事を思い出したように息を吐いた。その所作に那茅が小首を傾げる。
「そうなんですね。でも、だったらなんで今はうちの学校だけなんだろう…」
瑛久への相槌を打ったあと、美都は一人言のように呟いた。
これまでの対象者は決まって第一中学の女子生徒だ。それも美都たちと同学年。
どうやら目の前に座る四季も同じ事を考えていたらしく、手前の皿を見つめて何か耽っていた。
「──目星がついてるのかもしれないな」
瑛久の言葉に二人は顔を上げる。無邪気に「ほし?」と復唱する那茅の頭を撫でながら彼自身も思考を巡らせていた。
夫の呟きに、弥生も話に加わる。
「所有者の、ってこと?」
「あぁ。逆にそれ以外考えられるか? 守護者が揃って同じ学校で、そこの生徒ばかり狙われるんだとしたら──」
「でもそれだと俺たちの正体が向こうにばれてるってことになりませんか?」
瑛久の所見に四季は即座に疑問を呈した。
四季が言いたいのはこうだ。自分たちが守護者だとばれているため、鍵がその近くにあるのだと考えられている。だから宿り魔の出現場所が限定されているのだと。
瑛久は難しい顔をしながら自身の考えを口にした。
「いや、そうとは限らない。現に美都ちゃんが守護者になったのは周りの子が狙われるようになってからだろ?だとしたら向こうは既にあたりをつけていて、その後に鍵が守護者を選んだ可能性も考えられる」
「鍵は所有者を守ってもらわなければいけないから?」
「その通り」
だんだんと会話が入り組んできたように思え、必死に状況を整理する。
瑛久の考えを咀嚼して訊きかえすと肯定文が返ってきた。
「だからこそ不思議なんだけどな。どうやって絞り込んだのか。俺たちのときはわからなかったくらいだし」
その言葉に弥生が瑛久に同意の目配せをした。彼らの時代にはとうとう所有者は見つからなかった。
それどころかある一定期間を過ぎた後、ぱたりと宿り魔の襲撃が止んだせいで、抑々鍵が存在しているのかというところまで考えたのだという。
「宝くじが当たるよりも確率は低いんだ。何かよっぽどの理由があるんだろう」
この国の人口は1億2千程だ。単純計算して、その中から絞り込むのは至難の業だろう。
瑛久の言う事は理に適っている。
さらに不思議なことと言えば、美都たちの学校まで絞りこめておきながら決定打がないのはなぜなのか。
「あの妙な気配とも何か関係があるのかな……」
ポツリと言った美都の呟きに反応するように、それまで瑛久の推察をおとなしく訊いていた四季が口を開いた。
「瑛久さんたちは、この土地について何かおかしいと思ったことありませんか?」
思い出したように2人に訊いた。本来訊きたかったのはこのことだ。
学校で話したときは妙な気配の正体が学校が要因かはたまた土地柄なのか判断を迷っていたようだったが、先程学校外で感じた気配から土地が原因だと睨んだようだ。
再び弥生と瑛久が目を合わせると今度は弥生が四季の質問に応じる。
「土地に関して言えば……そうね。昔から気の流れが滞りやすい場所だとは思うわ」
四季も学校で似たようなことを言っていた。
近隣に比べて流れる気が妙だと。彼の予測は正しかったようだ。
「昔からって言うのは、やっぱりこの土地の歴史に関わりがあるんですかね」
「わたしも一度気になって調べて見たことがあるの。でもそういうものでもないみたい。それにここらへんって治安はめっぽういい方なの。だから不思議ではあるんだけど……」
四季の考えに弥生が首を横に振った。
確かに彼女の言うとおり、この辺りの治安は他の地区と比べると格段に良い。都内でも郊外ゆえか家族連れも多く住まう街だ。
「気が滞る原因がどこかにはあるってことですね……」
弥生の言葉を聞いて、四季はまた眉間にしわを寄せ考える姿勢に入った。
対して美都は霊的なものではないとわかってほっと胸をなで下ろす。
「宿り魔の発生源がどこかにあるんじゃないか?」
そう言ったのは瑛久だった。彼はそのまま言葉を続ける。
「さっき感じたのは宿り魔に似た気配だ。でも奴らが出現したわけじゃない。俺らでも気付くぐらいだからそれに近しいものなはずだ。だとしたら宿り魔の発生源がこの地区のどこかにあるって考えるのが一番しっくりくるな」
「でも、今までは感じなかったんですよね?」
「あぁ。だからなんで今頃になってなのかが解らない。今までは精巧に隠してきてたのかもしれないし、陽の気で打ち消されていたのかもしれない」
あくまで瑛久の考えは曖昧だ。自論を展開しながら並行して考えられることを口にしている。
それに関しては四季も同様で、決定打に欠ける為難しい顔をせざるを得ないようだ。
「陽の気って?」
「昔から陰陽って言葉があるでしょう?陰は負、良くないもの。陽は言うなれば光ね。ここらへんは教会がたくさんあるからそのおかげで陰の気が散っているんじゃないかってことだと思うわ」
耳馴染みのなかった単語について弥生に訊くと彼女は丁寧に解説してくれた。
陰陽と言う言葉は確かに耳にしたことがあったがそれが気の流れに結びつくとは思っていなかった。
抑々気の流れについて深く考えたことがなかったため、今目の前で四季が考えていることもどうも難しく思えてしまう。
陰陽という単語を聞けば単純に神道的なものかと考えたが教会もそれに当てはまるのだろうか。
教会と言えば、とふと思い出したことをそのまま口に出す。
「菫さんに訊けば何かわかったりしないのかな?」
美都の言葉に弥生と瑛久は何か考えるように上を向いた。その所作が不思議で美都は首を傾げた。
「あの人は会いたいと思って会える人じゃないからなあ……」
「──? 教会に行けばいますよね?」
「いつもいるわけじゃないの。というかいないことがほとんどよ」
今度は美都が目を丸くした。
確かに菫に会えたのは2回だけだ。守護者の指輪を受け取ったとき、そして守護者の力を得たとき。その後数回教会の前を通り過ぎてみたが確かに彼女の姿はなかった。話が途中だったので続きを訊きたかったのだがそういうことだったのか。
美都は深く息をついた。
一つの疑問からまた新たな疑問が発生していく。とてもキリのないことだ。
「……難しいなあ」
「そうよね。私たちも10年近くやってるけど解らない事だらけよ」
ポツリと言った美都の呟きに弥生が肩を竦めた。
肩を並べる大人2人も守護者として戦ってきたものの、原因の追及まではいかなかったと今の話でなんとなく把握した。
ちょうど会話のラリーに飽きてきた那茅が拗ね始めて話題が途切れる。
美都は思い出したように箸を動かし始めたが四季はまだ何か考えているようだった。
「四季?」
「……あぁ。なんでもない」
呼びかけるとハッと気付いたように反応したが、それでもまだ表情は難しいままだ。
これまでの会話の内容を反芻しているのだろう。
ただでさえ見えない敵と戦っている状態だ。宿り魔の発生条件もまだ解っていない。
(……そうだ)
美都も一つ思い出したことがあった。
あの教会での出来事。あのとき遭遇した人物。菫は「いずれ対峙することになる」と言っていた。だとしたらあの人物が何か関わっているということなのだろうか。
口を開こうとして少し考えた後留めた。まだ悉く不明な事象だ。何の情報もないままいたずらに話題にしても余計なことになるかもしれない。
それに四季の思考の時間を邪魔するものでもないかと思ったのだ。
(あれは一体……)
重々しく響く声が耳に残っている。
人間と似て非なる存在。菫はそう言っていた。
姿形を確認していないため、もしかすると獣のような面立ちなのかもしれない。
似て非なるという言葉が引っ掛かり、それを菫に問いたくとも彼女としばらく会えていない。むしろ会える方が珍しいと聞いてしまったので、そう易々と話をすることは叶わないのだろう。
美都はまた息を吐く。
今一度各々で考えて共有したほうが良さそうだ。
まだ手探りな状態が続きそうだなと考えて、残りの料理に手をつけた。
那茅パパの登場です。




