モーム肉のルク酒煮込み
外の夕暮れが過ぎた頃、くつくつと煮込みながらのんびりと過ごす瑞希だが、ずっと良い匂いが漂う店内で我慢を強いられているシャオは唸りながら瑞希に抱っこという名の羽交締めをされている。
「別に待つ必要ないのじゃ! わしが美味しく頂いてしまえば良いのじゃ!」
「あほっ! カインさんとの約束もあるんだからもうちょっと待て!」
「母の料理の時はここまで良い匂いはしてなかったですよぉ! 味見っ! 味見は必要ですぅ!」
「お前もかよっ! もうすぐ来るだろうから落ち着け!」
三人が騒ぎながら店内を賑わせていると、店の扉が開いた。
「待たせたな! 約束の料理は出来てそうか?」
大柄な体躯のカインで見えなかったが、カインの後ろから細身の若い女性が現れた。
「カイン? わざわざここまで連れてきて、もしもまた同じ様な料理を食べさせたら覚えときなさいよ!?」
「今度は大丈夫! ……だよな兄ちゃん?」
「少なくとも美味しい筈ですから大丈夫ですよ」
細身の女性はシャオを抱っこしている瑞希をジロジロと見ると、再びカインに怒鳴り散らす。
「あんたねぇ! 同じ店で食べさせるだけでも有り得ないのに、男が美味しい物を作れる訳ないでしょ!?」
「食べてもねぇのにわかんねぇだろうが! それに女だからって料理が上手いって訳じゃねぇだろ!」
「うるさいのじゃっ! 良いから早く座るのじゃっ! おぬしらが食べんかったらわしが全部食べるのじゃ!」
ずっと良い匂いがする店内で、瑞希に抑えられながらも我慢を続けて来たシャオは、二人が来たのだから我慢をする必要も無くなり、目に見えぬ圧を放ちながら二人を席に座らせた。
瑞希は一連のやり取りが面白かったのか、笑いながらシャオを席に座らせ、鍋の仕上げをする。
「兄ちゃんの妹か? おっかねぇな?」
「カインさん達が来るまでずっと我慢させてたからね。これが約束のモーム肉の赤ワイン……じゃない、ルク酒煮込みです!」
いつの間にかリーンまでカウンターに座り、四人の前に皿が置かれる。
赤ワインの様なルク酒の色味で濃い茶色になったスープに、大きめのモーム肉がゴロゴロと転がり、皿の端にはマッシュポテトならぬマッシュグムグムが添えられている。
仕上げには少し生クリームを垂らされているので、濃い色と対照の白色が料理に華やかさを出していた。
「モーム肉なんかが柔らかいわけないじゃないっ! カイン! あんたまた嘘をつく気!?」
「俺もまさか本当にモーム肉とは思わなかったんだよ! 兄ちゃん本当に大丈夫なんだろうな!?」
「だからうるさいのじゃっ! ミズキの料理が不味い訳無いのじゃっ! 黙って食うのじゃっ!」
「「はい……」」
シャオの一喝により店内は静かになる。
「まぁそっくりそのままリーンのお母さんと同じ料理じゃ無いですけど、味は保証するから食べてみて下さい」
「頂きますなのじゃ〜!」
シャオはスプーンに肉を乗せてふうふうと息をかけ、大きな塊のまま一口で口の中に入れてしまう。
ハフハフと口の中の空気を入れ替えながら咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。
「ミズキは天才なのじゃ! 大人しく我慢した甲斐があったのじゃ! 肉はホロホロで、甘みもあって美味いのじゃ!」
「誰が大人しく待ってたんだよ……でもまぁ時間をかけただけはあるだろ! カインさん達も冷めない内にどうぞ?」
「お、おぉ! 確かに見た目はこんな感じだったな…」
カインは匙を肉に差し込むと、肉は繊維に沿って切れていき、二つに分かれる。
「おいおいおい! これ本当にモーム肉かよ!? おばちゃんのでもここまで柔らかく無かったぞ!」
驚きながらも肉を口に放り込み、もぐもぐと咀嚼を数回するとピタリと動きを止めた。
「……これだ……これだよ兄ちゃん! いや、正確には兄ちゃんの方がさらに美味いんだけど、確かに似てるぜっ! ヒアリーも早く食ってみろよ!」
「わかってるわようるさいわねっ!」
ヒアリーと呼ばれた女性も一口食べると、あまりの衝撃に咀嚼しながら瑞希と料理を交互に確認をしている。
その隣ではリーンが涙を流している。
「これ……カインさんの言うようにお母さんの料理に似ていますぅ……美味しいですぅ……」
「だよなっ!? そうなんだよ! こういう感じだったんだよ! どうだヒアリー! 俺の話は嘘じゃなかっただろ!?」
「……わよ」
「なんだよ? はっきり言えよ」
「美味しいって言ってんのよ! 何よこれ!? どうやったらあの固いモーム肉がこの感触になるのよ!?」
カインは自分の事の様に得意げな顔をして、瑞希に親指を突き立てる。
そんな事は関係ないと言わんばかりにシャオはすでに皿を空けていた。
「おかわりなのじゃ! ミズキ、これはパンと一緒に食べればもっと美味いのでは無いか?」
「今日のシャオは本当に鋭いな? もちろんパンと一緒に食べるのも美味い! リーン? パンを貰って良いか?」
「ぐすっ……え? あ、そこの棚にあるのでどうぞぉ!」
瑞希がパンを切り分けるとシャオはいつもの様に火魔法を使いトーストにする。
シャオの前には新たな皿と、こんがり焼かれたパンが置かれ、シャオはまた嬉しそうに食事を続けた。
「おいおい! 魔法使いとは聞いてたけど、こっちの嬢ちゃんがそうなのかよ!?」
「魔法使いになるのに年齢は関係ないわよ。自分の魔力に気付けるかどうかが問題なんだから。でも詠唱もせず、パンを焼くのに使う子なんて……相当小さい頃から気付いてたのね」
「シャオは昔っからめんどくさがりなんですよ。おっしゃる様に魔法は小さい頃から使ってましたね。僕も料理をする時はシャオに頼って楽をさせて貰ってます」
瑞希は真実に少しの嘘を織り交ぜる。
嘘に信憑性を持たせる常套手段だ。
「料理をする兄と、魔法を使う妹か……変わってるけど、良い関係なのね。私達と大違いだわ」
「そりゃひでぇよ! 俺達も仲良くやろうぜっ!」
「じゃあ何で一人で勝手に依頼に行ったのよ!」
「それは……その……オーク肉なら俺が昔食べた料理を再現出来るかと思ってよ……すぐに戻れるつもりが意外に手こずったんだよ……」
「まったく! ――二人でやればすぐに終わったじゃない」
「お、おう」
「あーもう! そんな話は良いからこの美味しい料理が冷めない内に食べるわよっ!」
「おうっ! 兄ちゃん無理言ってすまねぇな! 本当にうめぇよこれ!」
瑞希は微笑みながら、残ったルク酒をグラスに注ぎ、二人の前に置く。
「お酒は飲めますよね? この料理はこの酒をたっぷり使ってますので、合いますよ」
二人は仲直りの証に乾杯をして、再び料理に舌鼓を打つ。
瑞希はやれやれと、リーンの隣に座り、食事をし始めた。
「ミズキさん。ありがとうございますぅ」
「どう致しまして。お母さんは多分甘みを足すのに高価な砂糖じゃなくて、ルク酒で煮込んでたんじゃないか? どうやって長時間煮込む事に気付いたかはわからないけど、料理は発見する楽しさもあるから、どこかで発見したんだろうな」
「母もすごいですが、ミズキさんもすごいですぅ。話を聞いただけで母の料理に似ている物を作るなんて……」
「それはたまたまだよ。こんな色で、柔らかい肉って聞いたらこの料理が真っ先に出てきただけだよ。とりあえずはカインさん達に納得して貰えて良かったよ」
「これ、私でも作れますか?」
「下準備はあるけど、すぐに出来る様になるよ。とりあえずは料理に慣れるまで何回でも作って、何回でも失敗すれば良いよ……店の事を考えると早く作れなきゃ駄目だけどな」
瑞希は相変わらずガラガラな店内を見渡す。
「ちゃんとレシピを書いておきますぅ! もう一度教えて下さい!」
瑞希はこの料理の作り方とは別に、酒場で出せそうな簡単な料理をいくつか教えてやる事にした。
「リーンがしばらく一人でやるなら飯時はルク酒煮込みだけの方が良いかもな。これなら器に盛り付けるだけだし、すぐに提供もできる。慣れてきたら徐々に教えた料理を増やしていきな」
「本当にありがとうございますぅ!」
「頑張れよ嬢ちゃんっ! またキーリスに来たら絶対に来るからよ! そん時はまたこれを食わしてくれ!」
「私もまた食べたいわ! 絶対に作れる様になっときなさいよ!」
「はいっ!」
その後カインとヒアリーは何回かおかわりをして、満足するまで料理を食べたが、瑞希はヒアリーみたいな細身の女性ではなく、カインの様な大柄な相棒を想定していたので、ルク酒煮込みを余らせてしまう。
「さすがに作りすぎたか……まぁお客さんも来るかもしれないからその時は出して上げたら良いんじゃないか?」
「これを食べれる時にたまたま来る客なんて、相当運が良い客だな! じゃあそろそろ俺達は行くぜ!」
「ミズキって言ったわね? 私はヒアリー・カストル。どっかで会ったらまた貴方の料理を食べさせてね」
「僕はミズキ・キリハラです。もちろん構いませんよ。カインさんもまた何処かで」
瑞希とヒアリーの二人は握手をする。
「何だよ水臭えな! カインで良いよ! 俺もミズキって呼ぶからよ!」
「じゃあカイン、ヒアリー、何処かで会ったら宜しくな!」
「おうっ! 俺達はウォルカに行くからよ、ミズキもそっちに行くならまた飯でも一緒に食おうぜ!」
「ウォルカに? ギルドの依頼か?」
「ミズキ達が狩ったオークがいただろ? どうもあいつが気になってな、報告がてらウォルカの方で依頼が出てないか確認しに行くんだ。今回はヒアリーもいるから失敗しねえしな!」
カインは大声で笑っていると、腹に肘鉄砲を入れられる。
「冒険者が失敗する事を大声で言うんじゃ無いわよ、恥ずかしい!」
「いてて……まぁこんな感じでヒアリーが居てくれると俺も助かってる訳だな」
「わ、私だって助かってるんだからお互い様よっ!」
二人はなんだかんだ良いコンビなのだろう。
瑞希は二人と別れを告げ、見送った。
「さて、俺達も宿に戻るか。長居したからドマルも心配してる頃だろ」
「お腹いっぱいで幸せのまま眠りにつきたいのじゃ〜」
「ミズキさんお料理のレシピありがとうございました!」
「なんのなんの、またいつか来るよ。その時はリーンの煮込みを食べさせてくれよ?」
「はいっ!」
瑞希は店を出ると、すっかり夜の街に変わっていた。
二人はドマルが言っていた宿に向かい歩いて行くのであった――。