魔性のホイップクリーム
――すっかり明るくなって来た空に、コロンジャムの甘い香りが辺りに広がる。
ジーニャがその香りに誘われたのか、寝惚け眼のまま鼻をひくひくさせながらテントから這い出て来たのだが、その頭はやはりぼさぼさ頭だった。
「おはよう。もう起きたのか? よく眠れたか?」
ジーニャは目を擦りながら返事を返す。
「おはようっす……。良く眠れたっすけど、この甘い香りは何すか?」
「お主等は主従揃って寝ぐせがすごいのじゃ」
「お嬢の寝相が悪いから、ちょこまか移動してたんすよ……ちょっと櫛で直すっす」
ジーニャは馬車に歩いて行くと、ドマルが寝ているのでこそこそと荷物を漁り、櫛を持ち出してきた。
櫛を通して何とか寝ぐせを直そうとしているが、元々の癖毛が邪魔をするのか中々直らない様だ。
見かねた瑞希が手招きをしてジーニャを呼んだ。
「どうしたんすか?」
「いや中々直りそうもないから手伝ってやろうかと思ってな。ちょっとここに座って」
ジーニャが瑞希の前に座ると、昨日ミミカにやったようにシャオと手を繋ぎ、魔法で頭を濡らしてから、温風で乾かしてやる。
「魔法をこんな風に使う人は初めてっすよ。ミズキさんも魔法を使えるとは聞いてたっすけど、これは気持ちいいっすね!」
「まぁ俺はシャオがいなきゃ魔法は使えないけどな……よし! 前髪が下りちまってるけど、紐か何かで留めるか?」
「お願いして良いっすか? 最近髪の毛切って無かったから邪魔だったんすよ」
ジーニャの髪形は茶色く、サイドの長さが顎先ぐらいのショートボブと言われる長さで元々が癖毛なのか緩くウェーブがかかっていた。
瑞希は前髪に分け目を付け、前髪から少し後ろ辺りから髪の毛を引っ張り、後頭部で髪の毛を結んだ。
「これなら前も見えやすいだろ?」
瑞希は手鏡を手渡すと、ジーニャは角度を変えながら自分の髪形を見てみた。
「おぉ~! 良いっすねこれ! 雰囲気変わって良い感じっす!」
「あぁー! ずるいっ!」
ジーニャの髪の毛を直し終わって、朝食の準備にかかろうかと思い、簡易竃の方に振り向くと、テントの方からミミカの声が響いた。
「お早うミミカ。ドマルとアンナは火の番をしてたんだから静かにな」
「ごめんなさい……」
「そうっすよお嬢。今日も相変わらず髪の毛ぼさぼさっすね」
「……もうっ!」
ミミカの寝ぐせは毎朝なのかと思った瑞希だが、この場では直すことも難しいだろうと思い、ミミカに手招きをした。
ミミカは瑞希の手招きに誘われる様に近寄って行くと、瑞希の前に座る。
瑞希はジーニャの時と同様に寝癖を直した。
「今日はミミカも前髪を上げとこうか?」
「お、お任せします!」
瑞希はミミカの前髪とサイドの髪を一緒に持ち、少し頭から離した所を紐で結ぶと、結んだ髪をその髪の毛の間に通し、くるっと回転させて横に流した。
「ホントは輪ゴムみたいなのがあれば良いんだけどな。まぁ激しく動かさなきゃ大丈夫だろ」
ミミカはジーニャから手鏡を借りると、自分の髪形を見てにやけていた。
シャオは二人の髪形と自分のを見比べ、自分の方が手が込んでいたのが嬉しかったのか、ふっと鼻を鳴らした。
「さて、二人が起きるまでに軽い朝食を作るか」
瑞希はモーム乳の上澄みと、バターを取り出した。
「朝食は何を作るのじゃ?」
「約束の甘い物……クレープだ!」
瑞希はそう言うと、ボウルにモーム乳の上澄み……生クリームを入れ砂糖を加えた。
「これは軽食の甘い物にも使えるからミミカも覚えとくんだぞ?」
「はいっ!」
「じゃあシャオ、このボウル下に冷たい水を出してくれるか? ミミカが作る時は井戸の水とかを使ってボウルを冷やしてくれ」
シャオがボウルの下半分に水を張ると、ビーターを使いシャカシャカとかき混ぜ始めた。
「最初は液体なんだけど、冷たいボウルで冷やしながら混ぜると、モーム乳の脂肪が固まり始めて徐々に固くなってくるんだ。ミミカもやってみな」
ミミカは瑞希からビーターを受け取ると、ぐるぐるとかき回し始めた。
「こうですか?」
「いや、こうやって上下に空気を含む様に混ぜるんだ」
瑞希はミミカの手を取り、シャカシャカとかき混ぜる。
ミミカの体温が気恥ずかしさと嬉しさで急上昇していくのは言うまでもない。
「わ、わかりました!」
ミミカはコツを掴んだのか、シャカシャカと上下に混ぜ始めたのだが……慣れない動きのため手が疲れ始めて来た。
「これっていつになったら完成なんすか?」
「もうちょっとだよ。ミミカ、手で混ぜると疲れるだろ?」
「はいぃ~……」
「よし、じゃあ次は同じ様にジーニャがやってみようか」
「料理は出来ないっすけど、かき混ぜるだけなら任せるっすよ!」
ミミカはビーターをジーニャに渡すと、疲れた手をぷらぷらと休ませていた。
「お? 何か最初より固くなってきたっす!」
「そのままビーターを上に引き上げて、生クリームに角が立つ様になったら完成だ! これをホイップクリームって言うんだ」
「液体が固体になったぐらいじゃもう驚かん様になってしまったのじゃ……」
瑞希はそんな事を言うシャオに指でクリームを掬い、シャオの口に入れる。
「なっ……! 何じゃこれは! もう一口欲しいのじゃ!」
「もう駄目! その勢いで食いつくと無くなりそうだからな! すぐに食べれるから我慢我慢」
シャオが届かない様にホイップクリームが入ったボウルを頭の上に持ち上げ、シャオはボウルを取ろうとぴょんぴょん跳ねている。
瑞希はシャオをからかうのが楽しいのだが、後ろから二人の視線を感じた。
「……えっとぉ。……二人も舐めてみるか?」
「「はいっ!」」
二人は瑞希に差し出されたボウルに指を入れ、一口舐めてみると蕩ける様な甘みに顔を綻ばせた。
「これはシャオちゃんもムキになるっすよ……うちももっと食べたいっすもん」
「ダメ……これはダメ……」
女の子が甘い物を好むのはこの世界でも同じようだ。
「切りがないからさっさと朝食にするぞ? シャオ、小さい火を出してこのバターを溶かしてくれ」
シャオがボウルに入ったバターを溶かす。
瑞希は別のボウルにカパ粉と砂糖を混ぜ、そこに卵を入れた。
「じゃあここからはシャオにやってもらおうか。俺のビーターは生クリームに使ったから、シャオのビーターを使ってくれるか?」
「わかったのじゃ!」
シャオは馬車に走って行くと、寝ているドマルなどお構い無しにガサガサと荷物を漁り、瑞希の元に戻ってきた。
もちろんドマルはびっくりして飛び起き、馬車の中から走って行くシャオとすっかり明るくなった外を見て、欠伸をしながら皆が集まる所へやって来た。
「おはよ~。なんか甘い香りがするね?」
「おはようドマル。もうすぐ朝食が出来るから待っててくれ」
ビーターを持って来たシャオは、瑞希に言われるままに、ボウルの中の食材をかき回し、瑞希はそのボールの中にモーム乳を徐々に入れて行く。
「こうやって何回かに分けて水分を入れると、粉が徐々に緩くなっていってダマが出来難いんだ。モーム乳を入れ終わったらさっきの溶かしたバターを入れて生地の完成だ」
「さっき作っておった瓶の物と、ほいっぷくりーむ、そしてこのとろとろした物はどうやって食べるのじゃ?」
「この生地を今から焼くんだよ。シャオ、こっちの簡易竃に火を出してくれるか? ミミカは皿を持ってきてくれ」
二人は言われた通りに用意をし、瑞希は鉄鍋に油を引くと、お玉で生地を入れ、更にそのお玉で生地を薄く延ばし焼いていく。
「こんな感じで生地を焼く……一人二枚ぐらいでちょうど生地が無くなるな」
瑞希がどんどん焼いて行き、生地が無くなる頃にアンナも起きて来た。
「おはようアンナ。丁度朝食が出来た所だ!」
「おはようミズキ殿。何やら甘い匂いが……」
「良いから早く食べるのじゃ!」
シャオは先程一舐めしたホイップクリームが忘れられないのか、皆に早く座る様に促すのであった――。