アイカ・テオリス
――成人としては少し幼さもあり、少女というには美しさが表れ始めている。
「――お水は飲めるかしら?」
そう問いかけられた言葉に力なく顔を上げるボロボロの姿の幼女は、目の前の女性を視界に入れた。
「お父さんやお母さんは? な、泣かないでっ!」
幼女は自分を逃すために魔物の大群を相手に殿を務めた両親の後ろ姿を思い出し涙を零した。
「おが、おがあざんも、おどうざんも――「ごめん。ごめんね」」
涙を流すボロボロな幼女を美しい女性は自身の衣服が汚れる事など構うことなく抱きしめる。
人の温もりを感じた幼女はさらに涙腺が緩んでしまい、止めどなく溢れる涙と声を漏らし続けた。
◇◇◇
「――あら、似合うじゃない? テミルは可愛いから何でも似合うわね!」
女性はテミルと呼ばれた幼女にグッと親指を突き出した。
テミルはもじもじとスカートの裾を握りしめ頬を赤らめた。
「ありがとうございましゅ……」
「もう! 照れなくても良いでしょ~? 今日からお客様じゃなくてテオリス家に仕える人間なんだからビシビシ鍛えるわよ!」
ふふんと息を荒くする女性に、緊張した面持ちで背筋を伸ばしたテミルが返事をする。
「よ、宜しくお願いします! アイカ様?」
その言葉を聞いたアイカは小さく手招きをしてテミルを近づける。
「(アイカお姉ちゃんって言ってみて?)」
「ア、アイカおねぇちゃん?」
「ふぐっ! ぎゃわいいっ!」
破顔するアイカがおもむろにテミルを抱きしめるが、年を召した侍女がごほんと咳払いをすると、アイカはしょぼんとした顔で侍女に視線を送る。
侍女が軽く首を振ると、テミルの両肩に手を乗せ言葉を紡ぐ。
「ばあやの教えが厳しくても頑張ってね。お姉ちゃんはいつでも応援してるからねっ!」
困惑するテミルを他所に、侍女は一つ溜め息を吐いてからテミルの手を取り部屋を後にした――。
◇◇◇
「――本日からアイカ様のお付きとなりましたテミル・バーズでございます」
恭しく頭を下げる少女はどこか大人びた表情を見せるも、嬉しさを隠し切れない様だ。
「そう。ばあやの代わりが貴方に決まったのね……」
その声は幼い時に聞き覚えていたアイカの声よりも落ち着いた女性の声がした。
テミルは顔を見せようと頭を上げると、諸手を挙げて喜んでいるアイカの姿がそこにはあった。
「テミルー! 良く頑張ったわねっ! そうだお祝い! お祝いしましょうっ!」
抱き着こうとするアイカを何とか押しのけつつ、テミルは両手を伸ばすアイカから距離を取る。
「私はアイカ様にお仕えする一従者ですのでお祝いは必要ありません」
テミルはぺこりと頭を下げて返答する。
「駄目っ! 私がお祝いするって決めたんだからお祝いするのっ! それとアイカ様じゃなくて、お姉ちゃんでしょ?」
「呼びませんっ! お姉ちゃんには厳しくしなさいって言われてる――! 言われてますからっ!」
「お姉ちゃんって……、今私の事をお姉ちゃんって!」
「言ってません! アイカ様ですっ! 早く身支度しますよっ! 今日は社交界なんですからっ!」
「えぇ~。王都の貴族とか興味なぁい。それならまだうちの兵士達の方が恰好良いもん」
「貴族の社交界はお家の為です。アイカ様ならきっと素敵な殿方が集まって下さりますよ」
「ないない! テミルは見た事ないでしょうけど、魔法が使えるってだけで高慢ちきになってる人達ばっかりなのよ? それに私より魔法を使うのも下手だしね」
そう言ってアイカは指先に火を灯す。
その炎を見たテミルがぼぅっと見つめていると、アイカが少し首を傾げてテミルの両手を握った――。
◇◇◇
「じゃあその時にテミルは魔力を感じたの?」
食事を終えたミミカがテミルの淹れた茶をテーブルに置き、質問をする。
「そうですね。アイカ様が灯した火が煌めいて見えたので見惚れていました」
「……ほんまに感じ方は人それぞれなんやなぁ」
「お兄ちゃんは味がするんだっけ?」
アリベルの問いに頭を掻きながら瑞希が答える。
「ん~……。前よりもシャオとかチサの水が美味いと思う様になったんだけど、正直いまいち魔力自体はわからないな。その証拠にシャオがいなきゃ魔法も使えないしな」
「くふふふ。まだまだわしの力は必要な様じゃな?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながらシャオが嬉しそうに瑞希に尋ねるが、瑞希はシャオの頭に手を置き答えた。
「別に魔法が使えたってシャオがいらなくなる訳じゃないさ。可愛い妹に食べさせたい料理もまだまだあるしな」
ぐりぐりと撫でる瑞希の手を恥ずかしそうにしながらも、シャオは御満悦の様だ。
「それからずっとお母様の従者をしてたのよね? お父様と結婚した時とか私が生まれた時も?」
「はい。年を少し重ねて、バラン様と結婚なされる前に私の生い立ちを聞きました。私は滅ぼされた村の生き残りで、王都近くまで迫って来ていた魔物の大群からアイカ様に救われたんです――」
テミルは昔話を続けた――。
◇◇◇
「――でね! うちの兵団にいるバランが恰好良いのよ! いっつもむすぅっとしてるのに、私が果実を差し入れたらこっそり食べてるのも可愛いし」
「もう何回その話をしてるんですか。アイカ様は王都の貴族との縁談が決まってるんですよね?」
「やだやだやだっ! うちのロベルに剣で勝てるなら考えるけどっ!」
「貴族様の中に剣聖様に勝てる人が万に一つでも居るわけないじゃないですか……」
「バランなら一万回やれば一回ぐらい勝てるわよ!」
「はいはい。早く着替えて下さい。今日もお仕事がいっぱいありますからね」
年甲斐もなく頬を膨らますアイカの表情を見たテミルは、くすりと笑いながらアイカの着替えを進めていく――。
◇◇◇
「だぁ。あぶ」
「ち、ちっちゃいです……」
「可愛いでしょー!? 苦労した甲斐があったってものよ本当に。テミルおば……テミルはおばちゃんって年じゃないわね。お姉さんにしては少し年が離れてるかしら」
テミルに抱きかかえられた赤子は、テミルの指先を握りしめながらじっとテミルの顔を見つめている。
テミルは誰に言われるでもなく優しく体を揺らす。
赤子はその揺れが心地よく、眠くなったのかうとうとと目を閉じる。
「寝かしつけるのが上手いわね。誰に似たのか私以外が抱くと大泣きするのよこの子。夫が抱いたらもう烈火の如く泣くわよ」
「お名前はもうお決めになったのですか?」
「ミミカよ! あの人が抱いた瞬間そう呟いたの! いつから考えてたのかしらね」
くつくつと笑うアイカは嬉しそうにそう語る。
「ミミカ様……」
「この子は私に似て魔法が使えるかしら? それとも剣聖になれるぐらい剣の才能があるかしら」
「もしミミカ様が魔法を使えたらまた夫婦喧嘩になりそうですね」
「魔法至上主義者のせいよね。私も王都に顔を出す度に魔法至上主義者の貴族に勧誘されるもの」
「バラン様はそれが嫌でこちらに単身で来られたのですよね」
「初めは気づかなかったんだけどね。それに私はあの人がルベルカ家だとかどうでも良いの。あの人が剣を振ってる姿が好きなの」
「ルベルカ家と言えば魔法の名家ですよね? 確かバラン様の姉君の――「テミル。あの人の前でその話はしちゃ駄目よ」」
「ふえぇぇぇっ!」
ぐずり出すミミカの声にテミルは言葉を詰まらせる。
アイカはテミルからミミカを受け取ると、優しい声色で子守歌を歌いながら寝かしつける。
「ミミカはこの歌が好きなの。私が居ない時はテミルが歌って聞かせてあげてね」
優しく微笑むアイカの表情はどこか儚げな様子なのであった――。
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