閑話 弱者のプライド 中編
――ガチガチと歯を震わせ、剣を構えながらうちの前に立つ男の子が吠える。
「は、早く逃げろっ! 僕が時間を稼ぐからっ!」
「あふっ! あふっ!」
グルグルと音を立て、何度も吠えながら威嚇を繰り返すイナホの頭に手を乗せ撫でる。
「……落ち着き。シャオにも言われてるやろ?」
うちは痛む身体を誤魔化す様に歯を食いしばり、冷静を保ちつつ杖に魔力を込める。
「……魚さん、魚さん――」
今日も雪が良く降ってるなぁ。
はよ帰って新しいペムイ料理食べなな――。
◇◇◇
「――よ、よしっ! 任せろっ!」
降り積もる雪の中を走るハクトは、待ち構えていたボングの頭を足蹴にしてから逃げて行った。
「……また逃がしたん?」
「あふ~」
「五月蠅いっ! 雪の中を走られると何処にいるか分からないだろうが!?」
ハクトは小さくとも魔物であり、その脚力で蹴られればたんこぶも出来る。
既にいくつかたんこぶを作りあげたボングは悪態を吐きながらも涙が滲み始めている。
「……任せろ言うたやん」
「真っ直ぐ来ると思ったんだっ!」
「あふっ!」
雪の中から飛び出した別のハクトに飛びついたイナホが首元に噛み付くと、小さく確かな音が響き、ハクトから動きを奪う。
「……イナホ。血抜きするからこっち貸して」
「あふ!」
ミズキから止めを刺す時や血抜きをする時に躊躇はするなと教えられているので、うちはミズキに習い手を合わせてからハクトの毛皮を汚さない様に首元にナイフを入れ血を抜いていく。
「女の癖にそんな事までするのか?」
「……美味しいお肉にするためやもん」
「生き物を殺すなんて気持ち悪くないのか?」
「……あほか。そんなん言うてたら何も食べられへんで」
うちはそう言って汚れた手を水球で洗う。
「……どこ行くねん!」
勝手に歩き出し、森の中へと進んでいくボングに声を掛ける。
「ハクトみたいな小物は僕に似合わない! ゴブリンやコボルトみたいな魔物ならちゃんと狩れるんだ! 師匠も僕と同い年の頃には街周辺の魔物を狩ってたらしいからな!」
「あふっ?」
どうするの?
と、うちに視線を向けるイナホを見て、うちは大きく溜め息を吐いた。
「……連れ戻すで」
そしてうち等はボングの後を追う――。
◇◇◇
――森に入り、異変を感じたのはイナホだ。
普段はのほほんとしているイナホが、緊迫した表情で鼻を何度も鳴らしている。
「……早よ帰るで」
「なんでこんなにも魔物がいないんだ!? これじゃあ僕の活躍が――「……どいてっ!」」
うちはボング押し退け、茂みから飛び出して来た白く大きな前足を、寸での所を氷壁で防ぐ。
「……重っ」
しかし詠唱もままならぬ薄氷は、威力を多少軽減した程度で、うちの軽い体はその前足に吹き飛ばされてしまう。
「チサっ!?」
木に叩きつけられたうちを心配するボングが名前を呼ぶが、どしんどしんと重そうな足音が弱った私にゆっくりと迫ろうとする。
「あふっ! あふっ!」
私に駆け寄り威嚇するイナホの声が響く。
背中を強打し、途切れる呼吸を冷静に落ち着かせる。
こんな時に思い出すのは師匠であるシャオの教えだ。
冷静に。冷静に。
あんな魔物よりシャオの方がよっぽど怖いやろ。
帰ったらペムイの新しい食べ方もあるんやし、さっさと帰らな。
「おい動けるか!?」
剣を構えるボングが声を上げる。
「は、早く逃げろっ! 僕が時間を稼ぐからっ!」
「あふっ! あふっ!」
グルグルと音を立て、何度も吠えながら威嚇を繰り返すイナホの頭に手を乗せ撫でる。
「……落ち着き。シャオにも言われてるやろ?」
うちは痛む身体を誤魔化す様に歯を食いしばり、冷静を保ちつつ杖に魔力を込める。
「……魚さん、魚さん――」
今日も雪が良く降ってるなぁ。
「……凍てつく刃を彼の者へっ!」
くるりと空中を泳ぐ魚さんが、降りしきる雪を次々と凍らせていく。
細かく鋭利な氷の刃は、目の前に佇む真っ白な毛を逆立てる魔物へと刺さる。
しかし、少しひるませた程度で、大きな体躯を振り回し、氷の刃弾いてしまう。
「……あんま効いてへんな。じゃあ次は……魚さん、魚さん――「良いから逃げろっ! 僕のせいでチサまで死ぬのは嫌なんだよっ!」」
「……死ぬ訳ないやん。うちが誰の弟子か知っとるやろ? 魚さん、生え抜く刃をっ!」
魔物の周りにある降り積もった雪から氷の刃を作り上げる。
うち達に迫ろうとしていた魔物が、その刃に気付かずに踏み抜くと、次々に突き刺さる痛みに雄叫びを上げる。
うちはその隙に魔物から少し離れた場所に太く大きめの氷柱を生み出しておく。
「……魚さん、大きな大きな塊を!」
魔物の上空に生み出した氷塊を、魔物に落とす。
魔物が倒れた拍子に先ほど生み出していた氷柱が、氷塊の重みのままに突き刺さった。
「……あー疲れた」
魔力を使いすぎたのと、目の前の脅威が去ったと思ったうちの体には、叩きつけられた背中の痛みが戻ってきた。
杖に体重を預け、倒れない様に先程魔物に視線を向けると、胸に穴を開けた魔物が最後の力を振り絞り、うちを道ずれにしようと迫って来ていた。
「……やばっ」
その手が差し迫る前に血飛沫がうちの顔に飛ぶ。
魔物の首元にはボングの剣が突き刺さっていた。
動かなくなった魔物から少し距離を取り、ボングに感謝を述べる。
「……助かったわ」
「逃げろって言ったじゃないか!? チサが死んだらどうするんだ!?」
「……うるさいなぁ。元はと言えばあんたがこんな所まで来るからやろ」
うちがそう言うとボングはバツが悪そうに黙り込んだ。
「……こんなのが森におったらそらハクトも街まで逃げてくるわな」
横たわる獣型の魔物を見ながら独り言ちる。
「あふっ! あふっ!」
警戒態勢をまだ解いてないイナホの声と同時に、木々を押しのけ現れた先程よりも巨大な同種の魔物が視界に映る。
うちがなけなしの魔力を込めようとした所で、空から一陣の風が舞い降りた。
「――いつまで遊んでおるのじゃ! さっさと帰って飯にするのじゃっ!」
「……もっと早よ来てや」
うちがそう呟くと同時に先程の魔物が大きな音を立てて倒れた。
ボングは目の前で起きた現象に、パクパクと口を開け閉めしている。
「甘えるでないのじゃ!」
座り込むうちの頭に軽く拳骨を落とすシャオは、そのまま言葉を続ける。
「最後に気を抜いておったのは頂けんが、まぁ動ける程度に最後の魔力は温存しておったようじゃし、戦略も中々じゃった」
「……ずっと見てたん?」
「くふふ。弟子の育成には丁度良いと思ったからの」
「……いじわる」
「危機迫る状況で何が出来るのか、それは教えても伝わらんからの。そこで震えておる小僧にならこの言葉の意味がわかるじゃろ?」
ボングはシャオに言われ、ハッとした表情で自身の両手を見つめる。
「力の使い方や、考え方、ある程度の事は教えられても、それがその者に身についているかはその時にならねばわからんままじゃ。あの愚兄もきちんと小僧に技術と力を伝えておる様じゃの」
ボングは沈黙のままシャオの言葉に耳を傾けている。
「小僧。教え込まれた技術は所詮薄皮の技術じゃ。それを自身の力だと思い込み、過信していてはいつまでたっても成長はないのじゃ。チサに追いつきたいのであれば身の丈に合った力の使い方を覚えるのじゃな」
シャオが得意気にそう言うと、うち達の体がふわりと浮き上がる。
「さぁさっさと帰って飯にするのじゃ! チサ、ハクトの肉はちゃんと確保しておるのじゃろうな?」
「……にへへ。森の近くの雪に埋めといた」
うちがそう言うと、シャオは満面の笑みで魔力を放出した――。
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