レンスの温泉
――湯気が屋根に集まり雫となって湯船に落ちる。
「うはぁ~……。気持ちいい~」
広い湯船に浸かりながら瑞希は大きく伸びをする。
「船旅だったから湯船は久しぶりだもんね」
隣に座るドマルの顔も湯の温かさによって、実家での出来事を一時忘れられている様だ。
「うぬぬぬ……、何故風呂でこんな服を着ねばならんのじゃ!」
「……お風呂やのに」
「お風呂は裸で入るもんなんな~」
そうぼやくのは湯浴み着を着ている三人の少女だ。
「あほ。俺だって普通に裸で風呂に入りたかったわ」
「いつもは裸で入っておるのじゃ!」
「シャオだけならな。混浴風呂が良いって駄々をこねたのはお前達だろ? ドマルに無茶ばっかり言いやがって」
「この辺の温泉は色々あるから大丈夫だよ。ここは湯浴み着を着るから家族で使う人が多いんだよ」
この温泉がドマルの記憶に残ってたのは、幼い頃両親と良く来ていたからだ。
「シャオが自慢話で瑞希に髪を洗われる気持ち良さを語ってくるのが悪いんな!」
「……うちなんか二人とずっと一緒に居るのに……」
瑞希は垂れさがって来た前髪を両手でオールバックにかき上げながら答える。
「年頃になる女の子と一緒に風呂に入ったら、お前達の親父さんからどんな目に合わされるかわかったもんじゃないからな」
「……家族でお風呂入るんやから別にええやん」
口まで浸かっているチサは、ぶぅ垂れた言葉と共にぶくぶくと音を立てる。
「チサやキアラぐらいの歳ならもう親父と一緒に風呂も入らないだろ? 俺が母親と一緒に風呂にはいってたのだってガキの頃だしな~」
「くふふふふ! 妹であるわしの特権なのじゃな!」
「ん~……妹でもある程度の年齢になったら兄貴と一緒には入らないだろうなぁ」
「なんじゃと!? ふざけるでないのじゃ! わしはミズキに髪を洗って欲しいのじゃ!」
「ミズキの言ってる事は矛盾してるんな!」
「……シャオばっかりずるい!」
「そりゃあ……」
瑞希がシャオと裸で風呂に入る事に抵抗を感じないのは、猫の姿を知っているからというのもあるが、見た目が幼い容姿なので子供を風呂に入れている感覚だからだ。
だがそれを言ったら痛い目に会いそうだと思った瑞希は、シャオの名誉のためにも黙っておくことにした。
「こらっ! 三人共湯船で暴れるな! 他のお客さんに迷惑だろ!」
ばしゃばしゃと水飛沫を上げて暴れる三人を取り押さえ、瑞希とドマルは湯に浸かる他の者達に頭を下げる。
「髪なら洗ってやるから三人共大人しく椅子に座――」
瑞希がそう言いかけた矢先、三人の少女は息を合わせて所定の位置に座る。
「こういう時だけは息が合うんだよなお前達は……」
湯船から上がった瑞希は、溜め息を漏らしながらシャオの頭に手を伸ばす。
「くふふふ! わしからなのじゃ」
「シャオからやらないと意地でも魔法を使わないだろ?」
「当たり前なのじゃ!」
瑞希はそう言いながら三人の頭の上に水球をイメージし、シャオには頭、チサとキアラには冷えない様に体に向けてシャワーの様に温水を浴びせる。
「桶でお湯を掬わなくて良いのは楽なんな~」
「……やっぱりミズキの魔法の使い方は変わってる」
チサの魔法でも水や氷を生み出せるのだが、火魔法との複合魔法はまだ苦手な様だ。
瑞希はシャオの濡れた長い髪を顔にかからない様にかき上げると、軽く絞ってからこちらの世界の風呂場に良くある粘度のある液体を手に取る。
ドマル曰くこちらにある植物から取れる洗剤の様な物で、どこの風呂場にも大抵置いてある物だ。
瑞希は手にその洗剤を薄く延ばしてから、シャオの頭に揉み込む様にして優しく洗い始める。
シャオはにやける表情を我慢しつつ瑞希の指先に神経を集中させる。
瑞希は泡がシャオの目に落ちぬ様に、時折シャオの頭を撫でる様に滑らせるが、シャオにとっては時折来るその感覚も気持ち良い様だ。
ある程度頭皮を洗い終えると、残った泡で髪を軽く洗い、シャオの頭の泡を流していく。
「なんじゃ、もう終わりなのじゃ?」
「もう十分洗えたよ」
シャオが目を瞑りながらそう呟くと、シャオの髪に残った水分を絞りながら瑞希はそう答える。
「……次はうち!」
「へいへい」
既にキアラとじゃんけんをして、順番を決め終えたのか、チサはじゃんけんで出したであろうチョキの形のまま、大きく手を上げていた。
その後ろでは悔しそうなキアラはパーの形をした右手を眺めている。
「じゃあ流すぞ~」
先程と同様に瑞希はチサの頭に魔法で湯を流す。
瑞希に初めて洗髪をされるチサの心境は、緊張と興奮で高ぶっている。
とは言ってもやましい気持ちではなく、単純にシャオから聞いて、羨ましく思っていた体験を出来るからだ。
瑞希はシャオの時と同じ様な手順でチサの頭に取り掛かる。
「かゆい所はないか?」
「……ん~……」
目を閉じながら返答になっていない言葉を漏らすチサに、瑞希は苦笑しながら洗髪を続ける。
髪の毛を乾かして貰ったり、結って貰ったりした時も気持ち良いと感じていたが、普段自分でやっても何も感じない洗髪が、人に、否、瑞希にやって貰う事でこんなにも変わる物かと噛み締めるチサの表情は自然と緩んでいた。
チサの頭を洗い流した瑞希は、最後のキアラに取り掛かる。
「やっと私の番なんな!」
瑞希は、鼻息荒く意気込むキアラの頭に手を乗せ落ち着かせる。
細やかにゆっくりと動かす瑞希の指を感じ、くすぐったさと気恥ずかしさからくねくねと体を動かしてしまうキアラに、瑞希が声を掛けた。
「キアラはもう少し力を込めた方が良いみたいだな?」
瑞希はそう言うと指先の力を強める。
決してごしごしと洗う訳ではなく、キアラの頭皮を揉み込む様にだ。
指と指の間を通る髪の毛が引っかからない様に、頭頂部、側頭部、後頭部へと移動させていく頃には、表情が蕩けていた。
「んな~……」
「流すぞ~」
瑞希の魔法によってシャワーを掛けられると、キアラはハッと我に返りぎゅっと目を閉じる。
キアラの泡を流し終え、髪の毛をかき上げてやると、上を向いたキアラはパチパチと目を瞬いた。
覗き込む瑞希の顔を見ながらキアラが口を開く。
「毎日洗って欲しいんなっ!」
「あほか! 毎日なんて疲れるわ!」
瑞希はキアラの可愛らしいおでこにデコピンをすると、湯船に浸かるために立ち上がり、ドマルの元へと歩いて行った。
「……モモとイナホが黙って撫でられてる気持ちが分かった」
「また洗って欲しいんな~」
「くふふふ。それはわしの特権じゃ! お主等じゃから今回は許したのじゃぞ? ありがたく思うのじゃ」
いつもの様に、ふふんと仰け反るシャオに対し、チサはポツリと呟いた。
「……別にミズキはシャオのもんちゃうもん」
チサの言葉にキアラが頷く。
「独り占めは良くないんな」
「うぬぬぬ! 甘い顔をすればぬけぬけと――「シャオ~! 喧嘩するならこれから風呂は一人で入るからな~!」」
怒り出す寸前で瑞希から釘を刺されたシャオは、怒りの矛先を地面に向けて地団太を踏むのであった。
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湯あたりをしない様に、テラスの様な場所で瑞希とドマルが涼んでいると、瑞希はテーブルに置かれた水差しの様な物を見つける。
「お、飲み物まで置いてある、これって飲んでも良いんだよな?」
「それお酒だよ? しかもかなりきつい奴」
瑞希はドマルの言葉に伸ばしていた手を止める。
「何でこんな所に酒が……」
「街を歩いてる時に気付かなかった? 温泉で身をさっぱりした人は、その酒を飲んでから心に溜まったもやもやを吐き出す。そうやって心もさっぱりさせるって風習がこの街にはあるんだよ」
――この、浮気者ぉぉぉっ!
「そうそう、こんな風にね」
離れた場所から聞こえる誰かの声が響き渡ると、すぐさま次の声が聞こえ始めてくる。
「こんなの、本人に聞かれたら喧嘩にならないか?」
「そこは人によりけりだね。さっきの浮気者~ってのも名前を隠してたでしょ? だからこうやって……」
ドマルは説明しながら酒を口に含み、一気に飲み干す。
喉が焼ける様な不快感を吹き飛ばす様に叫んだ。
「このくそ親父ぃぃぃっ!」
辺りに響くドマルの声を聞いた他の者は、指笛を吹いたりして盛り上がる者や、中には持参した酒を飲んでいる者もいる。
「わははは! 成る程な!」
「はぁ~……すっきりした」
「面白い風習だな。やっぱり街が変われば色んな風習が――「好い加減に顔を見せろ、くそドマルぅぅぅっ!」」
同じ建物内と思われる別の場所から唐突に女性の声で名前を叫ばれたドマルは、思わず瑞希と視線を合わせるのであった――。
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