船上の料理人
瑞希は魚に詳しい水夫からクロツの特徴を聞いていた。
曰く、並の刃物では腹を開くにも手こずる程の硬さに加え、切れ味が落ちた刃物では柔らかい身がぐずぐずに崩れてしまう様だ。
綺麗に捌ける人間も少なければ、船で捌いたとしても日持ちがしない魔物のため、本当に美味い状態で食べるのが難しい魔物だと説明された瑞希は、その話を聞きながらクロツを豪快に捌いていった。
――なんやねんその包丁……。
「わははは! 今まで使う場面がなかったんですが、作っといて良かった~!」
瑞希がそう説明するのは、剣と一緒に作って貰った魔鉱石で出来た包丁である。
剣と同じく魔力を流す事でその切れ味は増すのだが、切れ味が良すぎるために普通の調理では魔力を流さずに使用したりしていた代物である。
「あ、でも皮さえ綺麗に剥がせば身は普通の包丁でも大丈夫みたいだな」
瑞希は身の柵取をしながら身質を確かめていく。
クロツという魔物は外見からしてごつごつとした黒光りする魔物なのだが、一皮剥いてしまえば瑞希にとって馴染み深いマグロの様な身質をしていた。
そして瑞希が今柵取をしているのは腹側の部位、最も脂が乗っており、マグロで言えばトロに当たる部位である。
柵取を終えた瑞希は、包丁についた脂を濡れた布巾で一度拭い、左手を沿えながら一枚一枚綺麗に切り分けて行く。
「シャオ、そこの荷物からジャルを取ってくれ」
「そのまま食べるつもりなのじゃ?」
「刺身なんだからそのまま食べるさ」
瑞希はそう言って切り分けたクロツの身にジャルを少し付けてから口に運ぶ。
まず口にしたのは元の世界でも高額のためあまり口にしていなかったトロの部分だ。
小皿に入れたジャルを弾く程の脂乗りなのだが、獣系の肉とは違いサラリとした口どけの脂だ。
懐かしの刺身の味に、瑞希の口角は緩む。
「美……味ぁ……」
「そ、そんなになのじゃ?」
「刺身自体が懐かしいってのもあるけど、臭みも全然ないし、脂の旨味がな……、こっちの赤身はどうかな?」
瑞希はそう言いながら、赤身の部位を切り分け、先程と同じ様にジャルをつけてから口に運ぶ。
赤身と謂えど、否、赤身だからこそ脂の旨味ではなく、身肉の旨味が感じられる。
血の味と言えば聞こえは悪いが、その身から感じる旨味は決して嫌味を感じない。
「こっちも美味い! クロツを取らないとかおかしいって! 絶対損してるからな!」
瑞希は誰に言うでもなく、大きな声でそう告げる。
その声を聞いた水夫は勿論、同乗しているティーネ率いる楽団も、瑞希の行動が気になり始め群れを成し始めた。
「ミズキ、僕にも一口頂戴?」
「……うちも食べたい!」
「ちょっと待ってろ、今引くからな」
瑞希はそう言いながら次々とクロツの身を切り分ける。
瑞希の事を良く知る者達や、魚を生で食べる事に抵抗のない水夫達が次々と手を伸ばしていく。
「……美ん味っ」
「え~……僕も過去にクロツを一度食べた事あるけど、その時は焼いても結構血生臭かったよ?」
「血抜きの問題だな。切り分ける前に水魔法を使ってしっかりと体内の血を流しただろ? 魚にしろ獣にしろ血抜きはしっかりしないと、身にその味が移っちまうからな」
――クロツってこんな美味かったんか……。
――おいっ! 手が空いてる奴は兄さんにやり方聞いとけ! 漁師に教えたらミーテルでもこれが食えるぞ!
騒然とする水夫達は瑞希に捌き方を聞くため、質問攻めにする。
シャオとチサは瑞希が切り分けた刺身を皿に移し、その場から少し離れた。
「くふふふ。これは確かに美味いのじゃ!」
「……シャオ、こっちの赤いのも美味いで」
二人が仲良く刺身を食べていると、具合が良くなったのか、船内に続く扉からキアラが顔を出した。
「お早うなんな~」
「今起きたのじゃ? さっきまでクラーケンと戦闘しておったのじゃぞ?」
「そうなんな? 私は一度寝たら起きにくいんな。それより何を食べてるんな?」
「……ミズキが作ったクロツのお刺身。キアラも食べる? 具合大丈夫?」
「ひと眠りしたら気分が良くなったんな! 食べてみたいんな!」
キアラはそう言って二人の前で口を開く。
ジャルを付けた刺身は、キアラの口に吸い込まれ、キアラはもにゅもにゅと咀嚼をする。
「めちゃめちゃ美味いんな!? これはどういう料理なんな!?」
「クロツという魔物を切って、ジャルを付けただけじゃ」
「……やのにめっちゃ美味しい」
「ん~? それって料理なんな?」
「確かに味を付けた訳でも、焼いた訳でもないのじゃ」
「……そのまま食材を食べただけ?」
三人が首を傾げながら、刺身について話していると、その答えをくれるであろう瑞希がシャオの名を呼んだ。
「シャオー! 次はクラーケンを捌くから手伝ってくれ!」
「今行くのじゃー!」
刺身を食べ終えた三人は、瑞希の仕込みを手伝う。
瑞希は大きすぎるクラーケンの足を切り分け、大きな鍋の中に放り込むと大量の塩をかけた。
「そんなに塩を入れては辛すぎるのじゃ!」
「わははは! これは塩もみって言ってな、クラーケンの足はぬめりが多いだろ? 塩をかけて水分を抜くのと同時に、しっかりと揉み込んで表面のぬめりを取るんだ」
瑞希はそう言いながら入念にぬめりを取っていく。
「そしてこの後に一度水洗いをしてから茹でれば、茹蛸ならぬ、茹でクラーケンの完成なんだけど、折角だから干し蛸と刺身でも食べてみるか……」
瑞希はぬめりを取ったクラーケンの足の皮を剥き、刺身用に柵取をしていく。
その作業を終えると、掌よりも大きく薄く広げたクラーケンの身を、塩水に漬け込んだ。
「良し。残りの身は茹でて、別の料理にするか! 今日は刺身盛と蛸料理だな!」
瑞希が楽しそうにクラーケンの足を茹でていると、刺身に疑問を持っていた三人の少女が瑞希に質問をする。
「……刺身って料理なん?」
「ミズキが作る料理にしては簡単すぎるんな」
「クロツを食べた時も、味付けはジャルだけなのじゃ」
瑞希は茹で上げたクラーケンの足をザルに取りながら三人の少女の質問に答える。
「わははは! 確かにただ切っただけじゃあ料理って思えないかもしれないだろうけど、刺身を引くってのは熟練の技術が必要だし、俺もまだまだ修行中なんだぞ?」
「……ただ切ってるだけやのに?」
「そうだな……、じゃあわかりやすくこのクラーケンで説明しようか」
瑞希はそう言って茹で上げたばかりの茹でクラーケンを、魔法で生み出した氷水に漬けて冷やした。
粗熱が取れた足を、包丁を使い切り分けていく。
薄切りにした物を二種類、ぶつ切りにした物、少し変わった形の物を加え、計四種類の切り方を披露する。
瑞希は茹でクラーケンを皿に乗せ終えると、包丁を布巾で拭きながら説明する。
「さぁ、どれも切っただけの茹でクラーケンだけど、どんな違いがあるか試してみてくれ、ドマルはこっちのクロツをやってくれないか? 横で俺も一緒にやるからさ」
瑞希の声掛けにドマルが緊張しながら見様見真似でクロツを切り分けていく中、三人の少女は茹でクラーケンを食していく。
キアラが口にするのは、薄切りのクラーケン。
「むっちりした食感で、じんわり甘くて美味いんな!」
チサが口にするのは、ぶつ切りのクラーケン。
「……顎が疲れるけど、これはこれで美味しい」
シャオが口にするのは、もう一種類の薄切りクラーケン。
「むちむちの食感とこりこりの食感が中々面白いのじゃ」
「こりこり? こっちの薄切りはそんなのなかったんな?」
「……うちが食べたのにはこりこりした部分あったで?」
「おかしいのじゃ。こっちの変わった形のはこりこりしか感じんのじゃ!」
三者三様の感想を言い合う三人に、瑞希はクロツを乗せた皿を持って声を掛けた。
「面白いだろ? 三人共クロツの刺身はさっきも食べたよな? この二つの刺身は俺とドマルが切ったんだけど、どっちが俺の刺身かわかるか?」
「あははは、不細工な出来になっちゃったかな?」
「いやいや、初めてにしては中々上手く出来てるぞ?」
パッと見た感じは同じ様な厚さに切られているクロツの刺身なのだが、三人はその刺身を口にしてどちらが瑞希が切ったのかが分かってしまう。
「「「こっちがミズキ!」」」
「わははは! 正解!」
「そんなに変わるもんなの……? あ、本当だ! 僕が切った奴は変に柔らかくなっちゃってるね!」
ドマルは自分の切った物と、ミズキの切った物を交互に食べ、関心を寄せる。
「刺身は切るんじゃなくて、引くもんなんだ。ドマルに渡した包丁は切れるとは言っても俺の包丁よりかは切れ味も悪いし、包丁の長さも短いだろ? だから切り落とすまでに何回か身を往復するから切った断面がガタついてるし、身も押しつぶされてる。この力加減なんかは料理をしてる人にしかわからないんだよ」
「クラーケンはどういう事なのじゃ!?」
「クラーケンは同じ足を使ってるけど、吸盤を避けて薄切りにした物、吸盤を合わせて薄切りにした物、吸盤ごとぶつ切りにした物、最後に吸盤だけを切り分けた物って事だ」
「そっか、部位の違いなんな!」
「……言われて納得」
「ただ切るだけじゃなく、身質や部位に合わせて食材に包丁を入れるし、クロツなんかは今食べても美味かったけど、もう何日か身を熟成させた方が味は良くなる。その時、その瞬間が美味いと思った日に人に食べさせるのが職人の腕前なんだ。これでも刺身は料理じゃないって言えそうか?」
三人はブンブンと首を振りながら、瑞希の話に納得をする。
「じゃあ食材の味が分かった所で、船に乗ってる皆にクラーケンとクロツを振る舞うから三人共手伝ってくれるか?」
「「「おー(なのじゃ)!」」」
三人が元気良く返事をした事に瑞希は思わず笑ってしまう。
その光景を見たティーネを始め、船に乗っている面々は、だから子連れの英雄かと、誰しもが納得していくのであった――。
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