船上の歌姫
――帆を張った船は大海原を進んで行く。
船に乗り込んだ一行の中で、真っ先にはしゃいでいたのはチサとキアラだ。
水平線が広がる海の上というのを経験した事のない二人は、案内された部屋の探検を済ませると、船から海面をのぞき込んだり、しょっぱさを感じる風を感じたりと、初めての船旅を楽しんでいた。
そして案の定というべきか、己の異変を感じ始めたのはキアラだった。
「気持ち悪いんな……」
「……大丈夫?」
「おかしいんな……体調は良かった筈なんな……」
「……イナホ、ミズキ呼んできて!」
「あふっ!」
広い甲板の上、別の場所で女性から事情を聞いていた瑞希とドマルの元へ、イナホが走って行く――。
「――ただで乗せて貰ったのに部屋まで分けて貰って本当に良かったね? 私達は荷物置き場でも良かったね!」
「あははは。これはウィミル家の所有する船ですし、気にしなくても大丈夫ですよ」
「カエラさんからクラーケン退治の依頼も受けたしな。まぁそっちが目的だったりするけど」
「どんな料理が食べれるのじゃろうな! 早く食べたいのじゃ!」
「俺はクラーケンよりクロツってのが気になるな~、魚系の魔物なら刺身で食いたいしな」
兄妹揃って新たな食材を楽しそうに語る。
その姿を見た女性はポカンと呆気に取られていた。
「キーリスの英雄ともなればクラーケンも怖くないね?」
「見た事もない魔物ですけど、妹がやる気になってますしね。最悪無理そうなら逃げ帰れば良い訳ですし」
「ふふん! ミズキの事はちゃんと守ってやるのじゃ!」
「シャオちゃ~ん、ついでにこの船も守って欲しいな~?」
ドマルは恐る恐るシャオに強請る。
「ふん! ミズキを守るんじゃから、船を守るのも同義じゃ!」
出会った当初は邪険にしていた相手でも、シャオなりにドマルにも気は許している様だ。
瑞希がシャオの頭を一撫ですると、ドマルもニコリと微笑んだ。
「なら良かった。ところでレンスで最後の公演って言ってましたけど、演劇か何かですか?」
「演劇もするけど、私の売りはこの声を使った歌ね! 今回は私が大好きな御伽噺を歌に乗せてるね!」
「へぇ~! 歌劇かぁ。そういやそういう娯楽らしいのって行ってなかったな~」
元の世界でも、今の世界でも娯楽よりも仕事をしてる事の方が多かった瑞希は、ちらりとシャオに視線を向ける。
シャオのためにもそういう所にも顔を出そうと思った様だ。
「この船の御礼に是非見に来て欲しいね! 私が舞台に立てるのはもう少ししかないからね!」
「もう少し? 病気か何かですか?」
ドマルの質問に女性はふるふると首を振る。
「私の家系は昔から吟遊詩人をしていた家系ね。旅をしながら各地であった事件や有名人を聞き込んでは、街から街へ伝えて来たね」
「あぁ、だからミズキの事に詳しかったんですね」
「そうね! 団員の皆と旅をしながら、その街や地域で起きた事件や有名人の聞き込みをして曲を作るね! 最近は大きな事件がなかったから昔話で編成したけど、キーリスとウォルカに来てみたら、キーリスの英雄や、子連れの英雄って言われる、ミズキ・キリハラが話題になってたね!」
「あははは! じゃあミズキの曲も作るんですか?」
顔をひくつかせる瑞希の表情を見たドマルは、笑いながら質問を続ける。
「そうね! ……あ、いや、これからの事は次の世代に任せるね! 私が最後に歌うのは別の人を歌うね!」
「さっきも言ってたけど何で最後なんですか? 見た所お元気そうですけど?」
その質問に女性は顔を少し曇らせる。
女性は自身の喉に指を差しながら答えた。
「私達の一族の喉は短命ね。喋ったり普通に歌ったりは出来るけど、二十歳までには声に陰りが出て来るね。だから陰りが出てくる前に劇団を再編成するね。今回のレンスでの公演でこの編成は解散してしまうね」
解散と再編成という言葉を聞いたドマルは、とある楽団を思い出し恐る恐る尋ねた。
「えっと……もしかして、貴方の団ってギルカール楽団……?」
「その通りね! もしや私達のお客さんだったね?」
ドマルはブンブンと首と手を振り否定する。
「とんでもない! 一行商人である僕がギルカール楽団の入場券なんて取れませんよ!」
「有名な人達なのか?」
「有名も有名! ギルカール楽団って言えば入場券が発売される数日前から長蛇の列が出来るぐらいだよ! 天界の歌姫と呼ばれるティーネ・ロライアの声は聞いた者の心を震わせ、天にも昇る様な心地良さって言われてるんだよ!」
「あは~……そこまで言われると照れるね~」
「ご、御本人ですか?」
「そうね! 自己紹介がまだだったね! ティーネ・ロライア、十八歳ね!」
女性、改めティーネはそう言ってドマルの手を取り握手を交わす。
「大層な二つ名の割には幼げな容姿じゃな」
「そんな事言ったら俺も人からは英雄って呼ばれてるのに、この見た目だぞ?」
瑞希はシャオの失言をフォローする様に自虐を交えてそう告げる。
「ミ、ミズキは別なのじゃ! ミズキはいつでも、その……恰好良いのじゃ……」
シャオがもじもじと照れ臭そうに言葉尻を濁していると、イナホが鳴きながらミズキの元へと駆けよって来た。
「あふっ! あふっ!」
「どうした?」
「あふっ!」
イナホは瑞希のズボンの裾を咥えると、ぐいぐいと引っ張る。
瑞希はチサかキアラに何かあったのかと思い、イナホを抱え上げ二人の元へと走って行った。
瑞希達が到着すると、キアラはチサに寄りかかりながらぐったりとしていた。
「……キアラが急に気持ち悪いって」
「吐きそうなんな……」
その状況を見た、ミズキとドマルはほっと胸を撫でおろした。
「良かった。ただの船酔いか」
「船酔い……ってなんな?」
「上下左右に揺れる波の揺れに酔ったんだよ。船酔いするかは人によりけりだけど、普段鍛えてる人や揺れに慣れてる人は酔いにくいって聞くな。今は目を閉じて体を楽にしとけ」
瑞希はそう言いながらキアラの側にしゃがみ込み、キアラの腕を取り体重を預けさせる。
「その内慣れるだろうから頑張れ。気休めにしかならないけど、何もしないよりかはマシだろ?」
瑞希はそう言って腕にある一般的な酔い止めのツボを押しながら念のために回復魔法をかける。
キアラは目を閉じながら側に瑞希が居る事の安心感と、軽く握られる腕の圧迫感に心地良さを感じていると、眠気を誘う歌声が聞こえ始めて来た。
川のせせらぎを聞いている様な、母の子守唄を聞いている様な、とても落ち着くその歌声を発しているのはティーネだ。
キアラはその声に誘われるままに静かに寝息を立て始めた。
「あは~。英雄様の看病が効いて良かったね」
「……お姉ちゃん歌うまぁ」
「歌声もじゃが、お主の声は耳に残るのじゃな」
二人の少女が感想を述べていると、歌い終えたティーネは胸を張る。
「これでもこの道で食べてるね!」
ティーネが少女達にピースサインをする中、ドマルは只々拍手をしていた。
ピクリと反応したのはシャオと瑞希だ。
「ティーネさん、少しの間キアラの看病をお願いしても良いですか?」
「それぐらい構わないね! 急にどうしたね?」
瑞希とシャオの視線を向ける先には、一部の海が黒くなっており、その黒さは徐々に広がり船に迫って来た。
――クロツの大群や! 直にクラーケンも顔を出すはずや!
船員の大声は船中に広まり、瑞希達は戦闘態勢に入るのであった――。
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