キーリスの宴
――キーリスの民衆に発表された事柄は端的に纏めると三つだった。
カルトロム家のアリベルをテオリス家の養子とし、アリベル・テオリスとなる事。
客人として王家の子息であるボング・グラフリーが滞在している事。
ムージがダマス・アスタルフに代わり、コバタの街を治める事である。
アリベルがテオリス家の養子となる事を許さない筈のムージが、何故それを許したかと言えば、兄であり、次期グラフリー家の後継者となるバージの発案にあった。
コバタを治めていたアスタルフ家は、バラン当主のテオリス家からも、カエラ当主のウィミル家からも面倒くさい存在だったのだが、王家での出来事でアスタルフ家は失脚。
そのためコバタの領主が居なくなった訳だが、テオリス家にも、ウィミル家にも今は人を割く余裕がなかった。
そこでバージはムージに提案した。
気性の激しい弟ではあるが、王家の取り巻き貴族よりも領主としての才能はある事は分かっていたし、カエラとバランに挟まれる位置であれば、馬鹿な事は出来ないと分かっていたからだ。
バージはアリベルの近くに居れる事、そして瑞希が広めた料理や食材が当たり前にある街だという事を教えると、既に瑞希の料理に屈していたムージの返事は早かった。
テオリス家が治めるキーリスの住民の前に、アリベルが姿を現すと、緊張した面持ちのアリベルはたどたどしくもしっかりと挨拶をする。
事前にミミカと準備していた挨拶を言い終えたアリベルは、緊張から解放されたのか、胸に手を当てながら満面の笑みを見せると、住民達はその愛らしさに大喝采を送った。
続くボングは王家らしくと言えば聞こえは良いが、少し偉そうに、ムージも愛想なくぶっきらぼうに挨拶をした所でミミカが魔法を使い、二人の頭に風球を落とした。
民衆の前で、それもバランが居るにも関わらずミミカが魔法を使った事に民衆が驚く。
そんな事はつゆ知らず、ミミカは民衆の代わりに二人へ説教を飛ばした。
その凛々しくも美しさが見え隠れするミミカの姿に、幼い頃からミミカを知る民衆達は、思わず目を擦る者も居た。
二人に代わり、民衆へ言葉を掛けるミミカの姿に、今は亡きアイカの面影を重ね、目頭が熱くなってしまう者さえ居た。
ミミカの姿を側で見ていたバランもその一人だ。
王家での出来事で一回り成長したのであろう娘の姿を見て、バランは心の中で最愛の妻のアイカ、そして突然の再会を果たし、ミミカに託し、去って行ったマリルに感謝するのだった――。
◇◇◇
民衆への報告を終え、疲れを癒していたミミカとアリベルの元に、待ちに待っていた食事の報せが訪れた。
晩餐時まで我慢を重ねていた二人は、仲良く手を繋ぎながらも早足で用意された部屋へと歩いて行く。
扉の前で待ち構えていた使用人が二人の姿を視界に入れると、一礼をしてから扉を開ける。
そこには豪勢な食事が用意されているのだが、その中でも二人が注目したのは、アリベルが厨房へ押しかけた時に瑞希が作っていた料理である。
食卓の中央にどんっと鎮座しているその菓子は、今まで食べた瑞希の菓子に比べ大きく、二人からすればまるで城の様だった。
ホロホロ鶏が丸のまま焼いてある料理よりも、バランが好きなコロッケよりも、カエラが食した物に似ている熱そうな料理よりも、シャオの好物の代表格であるハンバーグよりも、その城の様な菓子に視線が釘付けになっていた。
料理の説明兼、食事を共にしようとしていた瑞希が、二人の姿を見て咳ばらいをする。
二人がその音に気付くと、既に席に座っている者達の視線に気付き、二人は慌てて席に着いた。
そして瑞希が頃合いを見計らって、口を開いた。
「皆様本日はお疲れ様でした。カエラさんも明日にはミーテルに戻るとの事でしたし、ムージやボング君にはキーリスが誇る乳製品を堪能して貰おうと作らせて頂きました」
瑞希は恭しくそう告げる。
「ミズキはん、そんな畏まらんでも、ここに居るんはうち等だけやしもっと楽にしてや」
「ふんっ! 早く食わねば料理が冷めるだろうが!」
カエラはにこやかに、ムージはぶっきらぼうに瑞希に声を掛けるが、内心は早く料理を食べたい様だ。
「これはどんな料理なのだ?」
「……あんたの好きなグムグムを使った料理やで」
ボングがこそこそと指差した料理は、バランの好物であるグムグムコロッケだ。
瑞希が初めてこの料理を作った時には、チサはまだ居なかったが、バランの度重なる要望で、テオリス城ではコロッケという存在は最早当たり前の料理となっている。
しかし、楕円型のグムグムコロッケの横には俵型のコロッケもあり、瑞希にコロッケ作りを任されていたチサはこんな形のコロッケがあったかと首を傾げていた。
「今日はさすがにポムの実を使った料理はないのか……少し残念」
カエラの隣で誰にも聞こえぬ声でそう呟いているのはドマルだ。
そしてそんなドマルの姿を瑞希は目ざとく視界に入れ、心の中で悪戯顔をしていた。
「では料理の説明は後にして、先に食べましょうか? 冷めない内にどうぞ」
「「「「頂きまぁすっ!」」」」
その言葉を聞いた瑞希に師事する少女達が、手を合わせて号令する。
そしてその声を皮切りに、皆が思い思いに料理や酒に手を伸ばし食事をし始めた。
瑞希はその光景を眺めながらローストチキンを切り分け、皿に乗せ、肉汁から作ったグレービーソースをかけると、各々の前へと差し出していく。
成人を迎えていない子供の前に、手掴みで食べれる部位であるモモ肉の部分を置くと、他の料理を口にしながら悶絶していたムージが恨めしそうに瑞希に視線を送る。
シャオは瑞希が置いたローストチキンの足先をしっかりと握り、大きく口を開けて豪快に噛り付いた。
パリッと焼かれた皮の部分の香ばしさに加え、じっくりと焼かれた鶏の身は驚く程に柔らかく、ふわりと香る香草やオオグの実の香りは、肉汁から生み出された豊かな旨味のグレービーソースと調和していた。
「美味いのじゃぁっ!」
「……皮がパリパリっ!」
「おいっ! おいっ! これは本当にグムグムかっ!? 中から白くトロリとした物が……」
「……あれ? くりーむそーす?」
「それはバランさんの好きなグムグムを使ったコロッケじゃなくて、クリームソースを閉じ込めたクリームコロッケだ。蟹とか海老とか魚介類を混ぜても美味いんだけど、今日はベーコンを混ぜたんだ」
別の料理を配膳しに来た瑞希が、ついでにチサにクリームコロッケを取り分け、チサは箸で割ってから口に運ぶ。
熱々のクリームソースで口内を火傷しない様に、空気を口に含みながら咀嚼するが、その濃厚な美味さに感動していた。
「……美味しい!」
「だろ? 今日はちょっと乳製品の料理が多くなってるけど、こうしてキーリスに戻って来てモーム乳を使うと、その便利さに気付けるってもんだよな」
瑞希が白い歯を見せながらチサに尋ねると、チサは何度も頷いた。
そして、瑞希が持って来た料理に手を付けようとした所で、ドマルが声を上げた。
「美味しいっ!」
瑞希はその声を聞き、どの料理の事を言ってるのかが直ぐに分かり、自身の席に着いてから悪戯めいた顔をドマルに向ける。
「希望に沿えたか?」
「黄色い色が側面から見えたからもしかしてと思ったけど……いや、でもモーム乳も使ってるよね!?」
「ラザニアって言ってな、薄く延ばしたカパ粉と、クリームソース、それとポムの実とモーム肉で作ったミートソースを重ねて石窯で焼くんだよ。表面にはクリームソースとチーズがたっぷりかかってるからドマルでも気付かないと思ってたんだ」
「もう! 騙されたよ! でもこんな騙され方なら嬉しいからいつでも大歓迎だよ!」
「わははは! まぁ騙されて欲しい本命はそっちのカエラさんなんだけど……いかがですか?」
急に話題を振られたカエラは、先程迄美味いと思いながら食べていたラザニアを匙に乗せ、しげしげと眺めていた。
「これ、ほんまにポムの実使てんの?」
「ええ、クリームソースがポムの実の酸味を抑えてくれるからカエラさんでも大丈夫だと思ったんですよ」
瑞希がそう告げると、カエラは匙を口に運び味に集中しながら飲み込んだ。
「嫌やわ~。ポムの実やのに美味しいやないの」
「あははは。ポムの実は元々美味しいんだけどね」
「ドマルはんはそう言うけどや~。でも何でわざわざうち等を騙そうとしたん?」
「何度も一緒に食事をしていると、カエラさんがこっそりポムの実に挑戦してたのを気付きますからね」
瑞希が言わんとする事を察したカエラは照れ隠しに、ラザニアを頬張る。
その味はカエラに取って苦手な味な筈が、嫌悪感は生まれず、心から美味いと思えた。
「もう……嫌やわ~」
カエラはラザニアを飲み込んでからぽつりとそう呟いた。
ムージはバランの席の近くに座っているのだが、恥ずかしげもなく瑞希の料理を次々に平らげていく。
それを見たミミカがいつもの様に悪態を吐く。
「少しは紳士らしく食べなさいよ」
「馬鹿言え。俺はモーム乳がこんなにも美味い物だと知らなかったんだぞ? 何故こんなにも美味い物に今まで気づかなかったんだ? そのまま飲んでも……美味いではないか!」
喉に詰まりそうになったムージがモーム乳を喉に流し込むと、その味にも驚いていた。
「可能性という物に気付けなかったのだ。君がララス様やトーチャの可能性に気付けなかった様に、我々も彼に常識を覆されるまで気付けなかった。だが彼のおかげで我が領地は良い方向へ成長しているし、君達の領地もそうなるだろう? そして、君もバージ君や私達が見出した未来への可能性なのだ。これから宜しく頼む」
バランはムージが発してしまった失言を受け入れながらも、やんわりと突き返しつつ、ムージに課せられた期待を煽る。
そしてそういう言葉でわかりやすく発奮するのがムージという男なのだ。
ムージはその気持ちを食を進める早さで応えた。
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「――さて、そろそろ食事も終える頃ですし、こちらのデザートを切り分けましょうか?」
瑞希が席を立ち、バランに伺う。
「宜しく頼む。ちなみにそれは何という菓子なんだ?」
「これはホールケーキ……ですかね? 俺の故郷では祝い事、特に誕生日なんかに良く食べますね」
「けーき? 確かマリル叔母様に作ったのもふるーつけーきと言いませんでしたか?」
菓子を作る事も、食べる事も好きなミミカが反応する。
「そうそう。マンバを使ったのもケーキって言ってたけど、洋菓子の、それも生菓子の事をひっくるめてケーキって分類なんだよ。チョコレートを使えばチョコケーキだし……まぁ今回はその中でも生の果物と生クリームを使ったケーキってだけなんだ。果物はジラとコロンの実を使ってるけど、故郷で親しまれてるのは苺を使ったケーキだな」
瑞希はシャオと手を繋ぎ、温水の水球を作り出してナイフを温める。
「何だ、マンバは使ってないのか?」
「アリベルがジラを好きだからな。今回は主役のアリベルの好物を入れたんだよ」
瑞希はマンバが好きなムージに説明をしながらケーキを切り分けていく。
「アリーが主役? 何で~? ムージお兄ちゃんも、ボング君も主役だったでしょ~?」
瑞希は切り分けたケーキをアリベルの前に置いた。
「ガジスさんに聞いたんだけど、アリベルが生まれたのは今月らしいんだ。詳しい日はシャルルさんに聞かないと分からないけど、誕生月って事ならアリベルのお祝いをしても良いだろ? アリベル、御誕生日おめでとう。今日はお前が生まれて来てくれた事を感謝する日だよ」
瑞希がアリベルにそう笑いかけると、アリベルは瑞希に抱き着き顔を埋め込んだ。
シャオとムージがピクリと反応するが、どうやら祝いという事で二人共飲み込んだようだ。
「……アリーは生まれて来て良かったの?」
「勿論だ。お前の存在がどれだけシャルルさんを支えになったんだ?」
「……皆の……お姉ちゃんやバランパパの迷惑になってない?」
「当たり前だ。ミミカには可愛い妹が出来たし、バランさんは懐かしい人に会えた。全部アリベルのおかげだよ」
瑞希はアリベルの後頭部を優しく撫でる。
アリベルは心のどこかで感じていた消極的な思いを吐露している様だった。
「……お兄ちゃん達に甘えて迷惑かけてばっかりで、アリーはまだ何にも返せてないよ?」
その声は最早嗚咽が混じり、聞き取るのも難解だったが、瑞希は優しく言葉を返した。
「あほ。子供が大人に甘えるのは迷惑じゃなくて特権だよ。子供の特権なら返す必要なんてないさ」
「うわーんっ! お兄ちゃぁぁんっ!」
「あーもう、泣くなって。泣いたら鼻水が出て来てケーキの味が分からなくなるぞ?」
瑞希はそう言いながら優しくアリベルの頭を叩く。
「お兄ちゃん大好きーっ!」
「はいはい。わかったからもう泣き止……というか、俺を助けると思って頼むから泣き止んでくれ……」
暫くされるがままに泣きつかれていた瑞希がふと鋭い視線を感じると、最愛の妹と、溺愛している兄が瑞希を睨んでいる。
当のアリベルはさらに力強く抱き着く。
「えへへ~……甘えるのは子供の特権……だもんね?」
瑞希は余計な事言ってしまったと少しばかり後悔し始めたが、対アリベル最強の姉が近付いて来たのを察したのか、アリベルはミミカの雷が落ちる前にナプキンで顔を拭う。
「アリー、お兄ちゃんの作ったお菓子楽しみにしてたんだ~! お姉ちゃん、早く食べよっ!」
「もうっ! アリーったら!」
先程まで泣いていたアリベルの顔は、いつもの様にパッと花が咲いた様な笑顔に変わる。
アリベルはそっとケーキを切り分け、憤慨するミミカの口元に近付ける。
瑞希の菓子を邪険に出来る訳がないミミカは、その柔らかさと、味に身悶えする。
それはアリベルも同様だ。
二人共ケーキの美味さに、最早笑いの感情しか生まれて来ないのだ。
そしてそんな二人の笑顔はやはりどこから見ても本当の姉妹にしか見えなかった。
皆が瑞希の菓子に感動している時に、ジーニャが部屋へと飛び込んで来た。
「た、大変っす! シャルルさんが――」
マリル達の頑張りか。
はたまた女神の思し召しか。
瑞希が祝ったアリベルの誕生日に、彼女にとって最大のプレゼントが届く。
そして彼女は今宵の出来事を終生忘れずに語るのであった――。
これにて五章本編は完結とさせて頂きます。
もう少しだけ閑話を不定期に更新しようと思っていますが、
六章で瑞希に何をさせようかは悩み中です。
試作品で晒した新作も、少しは続きを書きたいとも思っていますので、また少しのんびり更新になると思いますが、その辺の予定は活動報告にでも書いておきます。
宜しければ感想やレビューをお待ちしております。