歴史の味
――瑞希が厨房に入ると、料理番の者達から奇異の目を向けられる。
ある者は男が厨房に入る事を、ある者は今回の騒動の噂を聞いた事を、瑞希がどうしたものかと頬を掻いていると、ララスに付いている執事が料理長に耳打ちし、その情報が伝播していく。
そして、瑞希に向けられる眼差しは羨望や憧れの眼差しへと変化していった。
瑞希はどういう事かと執事に尋ねた。
「簡単な事です、ララス様を美しく変え、料理の腕が認められた事でテオリス家の婚約者となった人物だと教えたのです」
王宮の料理人からすればシャルルに並ぶシンデレラストーリーを歩く人物な上に、ララスの姿を知っている者達からすれば魔法の料理を作る人物に当たる瑞希に注目が集まるのは自然な事だった。
瑞希は顔をひくつかせながらも、シャオに重要な事を確認する。
「ここにある砂糖は大丈夫なのか?」
シャオはその事を聞かれると分かっていたのか、自信満々に答えた。
「安心するのじゃ。昨日バージがわしの元へ訪ねて来て件の砂糖は処分したのじゃ」
「そっか。なら料理番の人達は知らず知らず使ってたって事か」
瑞希は一先ず安心した所で、今回の調理に必要な食材を探すため、料理長へ話しかけた。
目的の食材はカルトロム家に聞いた例の物を作ろうとしていたのか、瑞希が使いたい状態で放置されていた。
「良かった! これならすぐ作れます! チサ、そこにある俺の荷物から瓶を取り出してくれるか?」
チサは瑞希に確認しながら瓶を取り出すと、瑞希がミーテルの塩屋で手に入れた事を知っているため、中身の味を思い出し、しかめっ面をしながら手渡した。
「……苦水使うん?」
「苦汁な。トーチャが代表する和食は納豆だけじゃないんだ。和食にはトーチャを使った料理が古くからずっと伝わって来てるって前にも言っただろ? 今から作る食材も和食には欠かせない代物なんだよ」
チサはその言葉を目を輝かせる。
シャオは肉を使わない事に若干がっかりした様子だ。
「それは何という食材なのじゃ?」
「豆腐だ!」
瑞希はそう言いながら調理へとかかっていく――。
◇◇◇
――ガジスが横たわる寝室では付き人を連れたララスが看病をする。
ガジスは眠っているのだが、ララスはガジスの腹部にそっと手を触れ回復魔法の詠唱を行う。
ガジスの傷はほぼ完治している事にララスも気付いている。
それでも元気を取り戻して欲しいと願い、ララスは時間を見てはガジスの治療に当たっていた。
「お父様――」
ララスが回復魔法を使う中、入口の扉近くでそれを見守るフィロとリルドが話している。
「毎回思うけど私達迄ここに来て良いのかしら?」
「ララスが付いてきて欲しいって言うんだから良いんだろ? それよりフィロはどうするんだ?」
「なにが?」
「これからだよ。ミズキに付いて行くのか?」
リルドの質問にフィロは少し視線を遠くへ向ける。
「リルちゃんは? バージちゃんの所へ行くの?」
「俺はララス達が良いって言うなら、ララスに付いて行こうかと思う。あいつ危なっかしいだろ?」
「あらやだ。同じ事考えてたの? 私もそうしようかと思ってたの。勿論ララちゃんが良いって言うならだけど」
「くっはは! 何だよ? フィロは貴族に仕えるって柄じゃないだろ?」
「嫌ぁねぇ! それを言うならリルちゃんもでしょ! 貴族を毛嫌いしてたくせに!」
フィロの言葉にリルドはララスに優しい視線を向ける。
「そう……思ってたんだけどな。バージとかララスみたいな貴族がいるってのも分かったし、あいつ等がどんな風に街を変えて行くか近くで見てたいんだ。それに貧民街出身の奴が王宮に仕えてるってのも面白そうだろ?」
「そうね……。ララちゃん達が間違った事をするかもしれないし、その時はお叱り役も必要だと思うのよね。でもリルちゃん、バージちゃんはララちゃんの物だから、誘われたって付いてっちゃ駄目よ?」
「あ、当たり前だっ! お前こそミズキの事は良いのかよ!?」
「ミーちゃんには素敵な人がいるみたいだからね。乙女は勝算がないなら潔く引くものよ」
「なんじゃそりゃ……」
リルドが苦笑していると部屋の扉がノックされる。
フィロとリルドが警戒しながら声を掛けると、聞き慣れた声が返され、二人はその人物を招き入れた。
「丁度噂してたのよ?」
「俺のか? 碌な噂じゃねぇだろ?」
「良く分かったな? それよりそれはミズキの作った料理か?」
バージの後ろを付いてきていた使用人がトレイに器を乗せていた。
「あぁ、ついさっき出来た所でな。ミズキは他にも作る物があるからってまだ調理中だ。この二品は消化も良いし、栄養も満点だからこっちのスープだけでも良いから飲んで欲しいってさ」
使用人が手に持つトレイの料理からは湯気が立っており、優しい香りが広がっていた。
その香りに釣られたのか、はたまたララスの治療が効いたのか定かではないが、ガジスの目がゆっくりと開いた。
「お父様、御気分はいかがですか?」
「……あぁ、まだ体が重いな」
「ガジス様、件のミズキにガジス様の体力が回復出来る様な料理を作って貰いました。一度試してみませんか?」
バージは使用人からトレイを受け取り、水差しを置いているナイトテーブルの様な場所にトレイを置く。
「食事か……」
「えぇ、ミズキの料理は凄いですよ? あちらに居るリルドの病気を治し、貧民街の住民に活気を取り戻したぐらいです。ガジス様もきっと元気が出ます」
「そうですよ。私が変われたのもミズキ様の御料理のおかげです」
ララスはそう言いながらガジスの体に手を入れて体を起こし、バージは匙とスープの入った器をガジスの目の前に差し出した。
器の中には白い液体に、柔らかく煮込まれた根菜が見え隠れしている。
「良い香りだな……」
「トーチャから作った調味料で、味噌ってのを使ってます。ミズキは白味噌って言ってましたが、私には何の事かさっぱりわかりません。ですがあいつの出す料理に嘘はありません」
「噂で聞いたキーリスの英雄の料理とは楽しみだな」
ガジスはそう言いながらバージから器を受け取り、スープに匙を入れる。
匙には白くふわふわした物がスープと共に乗り、ガジスはゆるりと匙に口を付け啜った。
白味噌を使った事で甘さを好むガジスの舌は、その味を受け入れる。
さらにふわふわと浮かぶ物が味噌の甘味とは別の甘味を生み出しているため、ガジスはそれを確認するためにもう一度匙を口に運ぶ。
「……美味いな」
「それは良かった。ミズキ曰く今食べているスープも、こちらの白い固まりになってる料理もどちらもトーチャが主体の料理なんだそうです」
「トーチャでこの美味さが作れるのか?」
「あの時は言いそびれてましたが、ガジス様に食べて貰った納豆もトーチャから出来ています。トーチャは栄養も豊富で、作物としても育てやすく、ミズキの故郷の歴史を語る上で、なくてはならない食材なんだそうです」
「……歴史の味か」
ガジスはそう呟きながらスープに浮かぶ具を口に運ぶ。
中にはマグム、カマチ、デエゴが入っており、形が崩れないギリギリの柔らかさに煮込んであった。
ガジスは野菜の持つ自然な甘さに酔いしれていた。
「砂糖の様な甘さではないのに、この器に入っている全ての食材から感じる甘さといったらどうだ」
「ミズキの故郷でも遥か昔は砂糖が高価であったため、こういった食材の甘さを尊重していたそうです。ガジス様の好みも考えてこの様な料理にしたのだと思います」
「温かい料理だ」
「ふふふ。ミズキ様の人柄が分かる御料理ですね」
呟きながらも匙を運ぶ手が止まらないガジスの姿を見たララスは、くすくすと笑う。
「もしもまだ食べられるのであれば、こちらの御料理もいかがですか?」
「そっちの料理もトーチャから作られているという話だったか?」
「えぇ。トーチャから作った豆腐という食材です」
「この二つの料理は何という料理名なのだ?」
「今食べて貰ったのが呉汁、次に食べて貰うのは汲み上げ豆腐とミズキは言っておりました」
「彼は豆からこの様な物も生み出すのか……」
「あいつはそういう意味では本物の魔法使いですからね」
バージが苦笑しながら器に入った豆腐に、備え付けていた汁を掛ける。
ガジスはバージから器を受け取ると、その淡い美味さにゆっくりと微笑むのであった――。
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