見慣れた風景
――あの人は違った……。
――でも貴族は憎くなった……。
――アリベルを返して欲しかった……。
――唸り声も聞き飽きた……。
――アリベル……大きくなったかな……。
シャルルの意識が暗闇に閉じ込められてから考えるのはアリベルの屈託のない笑顔だった。
最初は貴族に憧れを持ち、妾に成れた事も嬉しかった。
しかし、魔法を使えない下民のシャルルが陰で虐げられる事は火を見るより明らかだった。
それもガジスがミタスを筆頭とした魔法至上主義者達に体調を崩されなければ救いもあったのかもしれないが、そんな事はシャルルに知る由もなかった。
王宮を出てからの生活は苦しくもあったが、アリベルが生まれてからシャルルは全てが救われた気がしたのだ。
ガジスの血を継ぎ、魔法が使えないシャルルも魔力量だけは多かったため、その子供という存在のアリベルは王位争いを行う貴族からすれば喉から手が出る程欲しかった。
身を寄せた居場所に貴族が押しかけて来たのはアリベルに物心が付いた頃だ。
貴族達からのアリベルの幸せを考えろ、という言葉にシャルルの伸ばした手は止まってしまう。
生まれて来たアリベルに王族の血を引いている事を隠し、自分の下でいつ狙われるか分からない人生を歩ませるより、貴族の家系に引き取られた上で自身の存在を理解した方が余程幸せなのかもしれない、と頭を過ぎった時にはもう取り返しがつかなかった。
アリベルを失い、抜け殻の様になったシャルルが日々を生きていくだけでも貴族の噂は聞こえて来た。
その中にアリベルが攫われたという噂を耳にした時にシャルルは何を憎んで良いのかすら分からなかった。
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いつもの様に体を丸め込み、暗闇と唸り声が聞こえるこの場所に怯える事すら忘れたシャルルは、また一人アリベルの顔を思い浮かべ、アリベルの名を呟いていた。
ふと気付くと唸り声が止んでいる事に気付いたシャルルは、顔を上げる。
その瞬間、辺りを切り裂くような光が差し込み、あまりの眩しさに目をぎゅっと閉じ、眩しさになれて来たシャルルが恐る恐る目を開くと辺り一面に野山の草が生い茂っており、自身は一本道の真ん中に座り込んでいた。
「アリベル――」
見た事もない風景を見たシャルルはゆっくりと立ち上がり、誘われる様に一本道を歩き始めた――。
◇◇◇
瑞希達がベヒモスの体に触れ、瑞希の魔力をシャオに委ねると、瑞希の意識は別の場所で覚醒する。
その場所は三つの扉と窓の他に中央に椅子が存在しており、瑞希と同年代ぐらいの女性の膝の上にアリベルが鎮座していた。
「あ、お兄ちゃんっ!」
「アリベル!? ……と、マリル……だよな?」
アリベルの頭を撫でるバランの顔立ちに似た美しい女性の姿を見て、瑞希は恐る恐る尋ねた。
「左様。よもやこの場所に他人が来るとは思っておらんかったが、その通りだ」
「バランさんが若かったらもっと似てるんだろうな~。って、そんな事よりここは何処なんだ?」
「童の時間はこの姿で止まっておるからの。この場所はアリベルと共有しておる精神世界だ。アリベルが夢うつつの時にはこうしてアリベルの頭を撫でる事も出来たが、今となってはあまり会えておらなんだ」
マリルはアリベルを慈しむ様に、ゆっくりと頭を撫でた。
「え~? 私もマリルに会えなくて寂しかったんだよ?」
「童に会えないのはアリベルの日々が幸せな証拠だ。瑞希の魔力を引きつれたシャオの魔力と共にこの場に引っ張ってみたが、予想以上に上手くいった様だ」
「シャオ?」
「ここに居るのじゃ!」
瑞希が声のする方に視線を送ると、ぷんすかと怒るシャオの姿はいつもの様に瑞希の横に居た。
瑞希はシャオを宥めようとシャオの頭に手を置くと、怒り顔のシャオの顔は緩んでいく。
「な、撫でても誤魔化されんのじゃ……」
マリルはいつもの二人の姿を見て、コホンと咳ばらいを一つ打った。
「今からあちらの扉を開き、シャルルの魔力に穴を空ける。扉を開けた瞬間どうなるかは童にも見当がつかん。下手をすれば童達の魔力をも飲み込まれるやもしれん」
「でも今の俺なら問題ないんだろ?」
「憶測の上ではな。今ならまだ止める事も可能だが……、アリベル今一度聞く、母親に会いたいか?」
マリルは膝からアリベルを下ろすと、真剣な眼差しでアリベルに問いかけた。
「……わかんない」
薄れた母の記憶を思い出そうとも、アリベルの記憶は、嫌な記憶と共に薄れた記憶にまで蓋をされていた。
アリベルは少し顔を俯かせながらポツリポツリと言葉を続ける。
「ママはアリーに会いたくないって言ってて、アリーが何かいけない事をしちゃったからママがアリーを嫌いになったのかなって……。でもアリーは覚えてないからママに会ったらまた嫌われちゃうかもしれないし……」
瑞希は俯くアリベルの両頬を両手で優しく包むと、俯いた顔を上げさせた。
「あほ。直接嫌いって言われたんじゃないだろ? それに魔物達が暴れてるディタルの街で、俺がアリベルのママと会った時はアリベルの名前を呼んで探してたんだぞ? アリベルなら嫌いな人を危険な場所で探すか?」
実際にはアリベルという鳴き声だったのだが、ベヒモスの姿をしていてもシャルルの必死な想いは伝わっていた。
瑞希は少しの嘘を混ぜて、アリベルの気持ちを確認していく。
「ん~……探さないかな?」
「じゃあアリベルは危険な場所でミミカやアンナ、ジーニャやグラン達と逸れたらどうする?」
「探すっ! だってお姉ちゃん達に早く会いたいもん!」
「だろ? それはその人達が好きだからだろ?」
「うんっ! あっ……お兄ちゃんはアリーが居なくなったら探してくれる?」
上目遣いをしつつも照れ臭そうなアリベルの顔に、瑞希は満面の笑顔で答える。
「当たり前だ。俺も皆の事は好きだからな!」
瑞希はアリベルの頭をくしゃくしゃと撫でまわす。
「えへへ~! ……あれ~? じゃあお兄ちゃんはアリーのママにもう会ったの?」
「やっと気付いたか? こっちに来たらアリベルのお母さんを探すって約束してただろ?」
「アリーに似てた!? アリーの事なんて言ってたの!?」
マリルは興奮気味のアリベルの腋に両手を差し込みふわりと抱き上げる。
「アリベル。そんな事ならシャルルに直接聞けば良い。シャルルに会いたいのならば童達と共にあの扉を開ければ会える筈だ。但しそれは危険な事になるやもしれぬ。シャルルに会いたくないと言うのであれば、扉を開かずに帰れば良い。童達はアリベルの意思を尊重するがどうする?」
「マリル達も付いてきてくれるの? お兄ちゃんもシャオお姉ちゃんも?」
マリルに抱かれたままのアリベルは、少し申し訳なさそうな顔をしながら確認する。
「くふふふ。ミズキがどこに行こうともわしは付いて行くのじゃ」
「俺はシャルルさんにアリベルの可愛い顔を見せてあげたいからな」
「えへへ~! マリルは?」
「童はシャルルの愛情を疑っておらんからな。アリベルが幸せに想える事ならば協力を惜しまんさ」
マリルはアリベルを抱えたままくすりと笑う。
アリベルの大好きな者達が、協力するという言葉を聞いてアリベルは花が咲いた様に満面の笑みを溢す。
「じゃあアリー、ママに会ってみたい! 会ってぎゅってしたり、お話してみたいっ!」
「なら行ってみようぞ。ミズキ、頼んだぞ」
「頼まれてもどうすれば良いか俺にはわかんねぇけど……、シャオもいるから大丈夫だ! なっ!」
「くふふ。帰ったら甘い物を作って貰うのじゃ」
「あ、アリーも食べたぁい! ママにもお兄ちゃんのお菓子を食べてみて欲しいな!」
「はいはい。ちゃんと帰れたらな。じゃあ行くぞ?」
瑞希はマリルの言う扉に手を掛け、扉を開いた。
瑞希は扉から差し込む光に目を眩ませた。
再び目を開くと、先程迄の場所とは一変し、民家の居間に立たされていた。
「この部屋って……」
「チサの家みたいな建物じゃな?」
瑞希が辺りを見回すと、柱に付けられた傷を見て確信した。
「爺ちゃん家じゃねぇかっ!?」
見覚えの在り過ぎる部屋の作りに瑞希は、誰に言うでもなく声を上げるのであった――。
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