song.7 歌姫と魔王の事件
そよそよと心地よい風が体を撫で、真っ白なシーツを揺らす。
「いい天気…!」
逃亡から三日。
このお城に住まわせてもらって二日目。
朝、一緒に寝坊してしまったルカ様と二人で分担して家事を行っている。
ルカ様は食事の準備。
私はお洗濯。
何度大丈夫だといっても、危ないからの一点張りでキッチンには入れてもらえなかった。
でも洗濯物を干すのはとても楽しい。
洗い立てのシャボンの香りと涼やかな風、温かい太陽…!
(し…幸せ…!)
私にはきっとご令嬢なんてものは似合わなかったのだろう。
こんな風に家事をすることが楽しいのだ。
風が一際強く吹く。
ぶわりとスカートがひらめく。
花弁が風で舞い上がり、そのまま風に乗って流れていく。
花弁の行方を目で追うとその先に
「…………」
顔を赤くして視線をを逸らすユリウス様の姿が見えた。
「ユリウス様、おはようございます!」
ユリウス様に挨拶をしながら駆け寄る。
するとユリウス様は、ハッとしたように顔をあげ、こちらを見て口を開きかけた…
かと思うと、またすっと顔を横にそらした。
「…ユリウス様?」
何かしてしまっただろうかと不安になり、ユリウス様の服の裾を掴む。
すると、ユリウス様は、ぼっと顔を更に赤く染め上げ、やっとこちらを見てくれた。
そして大きく、長い溜息をつくと
「今日…新しい服を用意しよう…」
と顔に手を当てて呟いた。
「……?
………!!!!」
ばっと自分の服を見ると、オフショルダーのワンピースの裾はほつれ、破れかけており、肩の部分のレースはなんとかつながっているという始末。
そして、さっき吹いた強い風。舞い上がる花びら。
顔を赤く染め、目を合わせてくれないユリウス様。
そこから導き出される答えはひとつだった。
「ご…ごめんなさーーーーーーーい!!!!!」
「…まったく。洗濯物を干すのを頼んだはずなのに、どうしてそんなことになったんだ?」
「うぅ…ごめんなさいユリウス様。ほんとに…ほんとにごめんなさい…」
半べそをかきながらユリウス様と手をつないで、広間へ入った。
ちょうど食事の準備を終え、広間から出ようとしていたルカ様とちょうど出会った。
ルカ様は手をつなぎながら、半べそをかきつつ謝罪を繰り返す私と、手をつないだまま顔を赤くして困り果てているユリウス様を交互に見つめて、心底困ったようにため息をついた。
ルカ様に何があったのか問われたが、さすがに答えることができなくて、そこでもとにかく謝罪を繰り返した。
ルカ様はもうどうしようもないと判断したのか、食事の準備ができたから早く席に着けといってキッチンのほうへ踵を返してしまった。
私たちはなんだかすこしむずがゆい気持ちを抱えて、席に着く。
そわそわしながらルカ様を待っている間、これは…配膳の手伝いに行ったほうが良かったのでは…?という結論に至った。
そうだ、そうしよう!と思い椅子から立ち上がりかけた瞬間、ルカ様が食事を持ってキッチンから現れた。
(夢…破れたり…)
目の前に次々と並べられる食事をただ眺めるしかできない。
一方でユリウス様は少し冷静さを取り戻したようで、食事の前の準備を着々と進めていた。
私も、いつまでも引きずってないで落ち着かなきゃ…
息を吐いて、深く吸い込むとルカ様が準備してくれたご飯のいいにおいがする。
ぐうとおなかが鳴る。
ぱっと顔を上げると、ユリウス様とルカ様は小さく笑っていた。
「もう…笑うなら笑ってください…」
配膳を終えたルカ様が椅子に座る。
そこから自然に食事が始まった。
各自の前に置かれた小皿料理と、テーブルの中央に置かれた大皿料理。
私の家とも、ローレン伯爵家での食事とも違う食事風景。
私とユリウス様の手元に置かれた取り皿が空になると、すぐにルカ様が大皿料理を取り分けてくれる。
私たちのことばかり気にかけていて、ルカ様はちゃんと食べているのだろうかと横目で盗み見ると、ルカ様は短い時間でとんでもない量の食事を口に運んでは咀嚼し、飲み込んでいた。
(長年の訓練の賜物…なのかな)
ともかく、ルカ様がしっかり食べているのが確認できて安心した私はふと前を見た。
するとあの日の姿のまま。今日も変わらぬ美しい所作で食事をするユリウス様の姿が見えた。
(今日もやっぱりきれい…)
思わず食事をしていた手が止まる。
ユリウス様の姿に見惚れていると、ばちりとユリウス様と目が合った。
「…リデル。そんなに見つめられると穴が開いてしまう…」
先ほどまで落ち着いていたユリウス様の頬がまた朱に染まる。
「は…っ! ご、ごめんなさい…!」
恥ずかしさを誤魔化すために、飲み物を口に運ぶ。
冷たい水が喉を通って、火照った体を冷ましてくれるようだった。
「俺の目の前でいちゃつくのは止めてくれないか二人とも。」
私たちの熱を一番覚ましてくれたのは、ルカ様の一言だった。
食事を終え、食後のお茶を楽しんでいたときだった。
ルカ様がふと思い出した、と呟き懐から手紙を一枚取り出した。
それをユリウス様の方へ差し出す。
「ヴェローネのご令嬢からだ。
先日の手紙の分返事を返していないだろう。」
ユリウス様は「あぁ…」とうんざりしたように手紙を受け取り、中身を確認する。
ヴェローネ家、聞いたことがある。
夜会で何度かお会いしたことがあった。
でも、どうしてユリウス様にお手紙を…?
「……ん?」
「どうした、王。その手紙に何か?」
手紙をもう一度読み返し、そして頭を抱える。
「ゆ、ユリウス様…?」
「リデル…確かお前の元婚約者の名前は…」
「カイリ・ローレン様ですけど…?」
あぁやっぱり…といって、ユリウス様はうなだれてしまった。
「あぁもう…!一体いつになったら見つかるの…!」
「落ち着いてください、ヴェローネ様。
公爵領周辺は見回りを強化しておりますし、現時点で目撃情報はありません。」
「それのどこが落ち着けるのよ!確かに最悪の状況で見つかっていないっていうだけで生きている確証にはならないし、最悪の状況を引き延ばしてるだけかもしれないじゃない…」
「はぁ…まぁそういわれましても…」
「あのなあパトリシア。人の従者ひっつかまえて長々と話しをするのはどうなんだよ。」
金色のしっかりと巻いた髪をくるりと揺らし、その女性は声の正体を振り返った。
髪色と同じ金色のまつ毛に縁取られた橙色の瞳は、目尻が少し吊り上がりきつい印象を与える。
彼女はパトリシア・アン・ヴェローネ。
彼女こそがユリウスに手紙を送り続けた張本人である。
そんな彼女につかまり、哀れにも仕事の手を止めざるを得なくなっているのはセルカ・フォン・モール。
モール伯爵家の息子で、侯爵家で従者として働いている。
そしてそんな様子を見かねて、声をかけたのがこの城の当主。
名前はロイ・ヨゼフ・ペンブローク。パトリシアの婚約者でもある。
「だって、ロイ様は気になりませんの?あれから一度だって目撃情報がありませんのよ?」
「気にならないことなんてない。ただそれが悪手につながる可能性もあるだろ。」
「お二人とも、どうか怒りをお納めください。シレジア様からお手紙です。」
従者が一枚の紙をちらりと見せる。
すると今まで胸ぐらをつかみあって喧嘩をしそうな勢いだった二人が、急激にクールダウンして手紙を見つめる。
「僭越ながら、私が先に確認させていただきます。」
封筒を外側から触り、手紙以外の異物が入っていないことを確認して封を開ける。
そして一枚の紙を取り出して読み始めた。
手紙に一通り目を通した従者は、すこし目を見開き、すぐに自らの主と、その婚約者を見やった。
「お二人とも、すぐに外出のご用意を。
……シレジア様の元へ向かいます。」
従者の言葉を聞き、ただならぬ気配を感じ取ったのか、二人は頷きすぐに各自の部屋へ消えていった。
従者も信じられないといった面持ちのまま、馬車と積み荷の用意を始める。
まさか。まさか生きていたとは。
「リデル・ローレン…」