song.5 夜空の歌姫
(あぁ…私は…)
なんてことを口走ってしまったのだろう…!
ルカ様に用意していただいた部屋のベッドで転がりまわる。
「私に、また夜に唄わせてください」…だなんて。
本当に私にそんな力があるのだろうか。
ただの平民で、伯爵家に追われて、そんな私に。
でも、助けたいと思った気持ちは本当で、だけど……
両頬をパチリと叩く。
頬にじりじりとした痛みが響く。
(大丈夫。痛みだって感じる。)
ぽふりと枕に顔をうずめる。
胸のあたりに手を当て、覚悟を決める。
私は、あのお二人の為に。
私を救ってくれたあの二人のために、私はやらなければならない。
ベッドに寝転がったまま窓から空を眺める。
あんなに綺麗だった青空も、今ではオレンジ色に染まりつつある。
夜が近づいている証拠だ。
さっきからずっとそうだったけど…
「落ち着かない…」
むくりと体を起こし、ベッドから降りる。
どこに行こうとは思わなかったけど、とにかくこの部屋に居たってそわそわしてしまって何も考えられない。
「ちょっと、お城を見て回ろうかな…」
部屋に案内してもらったとき、ルカ様からお城の構造は教えてもらった。
だから迷うことはない…と思う…んだけど…
(まぁ、行ってみよう…!)
右手を強く握り、ガッツポーズをする。
部屋の扉を開け、廊下に出る。
廊下を歩きながらふと思い出した。
(足の痛みが…消えてる?)
お城から逃げている途中に靴を失くし、そのまま森まで走ったらぼろぼろになってしまった私の両足。
自分の足を見ると、確かに傷跡はある。
それでも痛みはないし、なんなら傷も減っている気さえしてくる。
(これも、魔王のお城だから…なのかな?)
ぺたぺたと裸足で廊下を歩く。
廊下はとてもいい風が吹いていて心地よい。
なんだか難しく考えていたのがバカらしく思えてきた。
そうよ、そんなに難しく考えなくていいんだ。
私は二人を助けたい、それでいい。
「やっぱり、外に出ると頭がすっきりする…」
ふんふんと鼻歌がこぼれる。
久しぶりに、こんなに何も考えずに歩けてる。
足の痛みだって消えてる。
「魔王様に、お礼を言わなきゃ。」
ふと歩いていたところの右側を向くと、あの時見た。
そう、私がルカ様に手を引かれて、一番初めに入った部屋。
(魔王様の…お部屋…)
ルカ様の説明の中でも、決して行き方が話されることはなかった部屋…
そこに…
(たどり着いてしまった)
ぶわっと汗がにじみ出る。
ここにたどり着いてしまったことで、何か…消されたりとか…
は、ないか…さすがに。
ふるりと首を振る。
もし、本当に隠しておきたいのなら、最初に私を連れてきたりはしないだろう。
自然に私の手は、豪華な扉を叩いていた。
しばらく待つが返事はない。
入ってもいいのだろうか。
ぶるりと体が震えて、奥歯をかみしめる。
大丈夫、だって魔王様はあんなにやさしい人だった。
もう、怖くない。
扉の取っ手に手をかけ、ゆっくり力を込める。
重たそうに見えた扉は、想像以上に軽くすんなりと開いた。
「失礼します、ユリウス様…!」
部屋の中を見回すが、姿は見つけられなかった。
外に出られているのか、もしくは…
(ベッドの中?)
部屋の中央に置かれたベッドに歩み寄る。
気配は感じない。
でも、ベッドの真横に立ったとき僅かにだが呼吸音が聞こえた。
また魔王様は眠りについている?
誰にも理解されることのない体の重さを、苦しさを抱えて、独りで?
もう、怒られたって、はしたない娘だと言われたってかまわない。
どちらにしろ、今日の夜にすべて決まるんだ。
ベッドを囲む白いカーテンを掴み、横に力強く引く。
シャッと軽い音がして、カーテンが開く。
その隙間から、ベッドの上が窺えた。
(あぁ、これが…)
孤独で眠りについた魔王様。
美しく、長い黒髪をベッドに散らし、透き通るような深紅の瞳は閉じられている。
肌も、先ほどに比べて青白いように見える。
呼吸も静かで、近寄らないと聞こえないほどだ。
枕元に立ち、改めて顔を覗き込むと胸がきゅうと締め付けられる。
こんなにも苦しんでる。
右手を伸ばし、そっと魔王様の頬に触れる。
(あたたかい…?)
青白い肌から、冷たい肌を想像していたのだが、予想に反して仄かに温もりがあった。
生きてる。
それだけでも、少し心が落ち着く。
「…ユリウス様。」
頬に手をあてたまま、名前を呼ぶ。
すると、眠っている魔王様の瞼が少しだけ動いた。
「ユリウス様?」
もう一度だけ名前を呼ぶと、固く結ばれた唇が動き、笑ったように見えた。
魔王様の病気は、私には全然わからない。
辛さも、苦しさも、寂しさも。
でも、それを少しでも紛らわせることができるのなら。
苦しみを、緩和させることができるのなら。
「待っていてください、ユリウス様。
私、あなたのために唄います。聴いていてくださいね。」
独り言になってしまうとしても。
私はユリウス様に誓った。
ベッドから離れて、カーテンを閉める。
部屋を出る前に、もう一度部屋をぐるりと見まわして
「約束ですよ、ユリウス様!」
笑って、ユリウス様に約束を取り付ける。
ユリウス様に目覚めていただかなくては。
(お話ししたいことが、沢山あるんだから。)
森を明るく照らしてくれていた太陽は姿を隠し、気づけば辺りは暗くなりかけていた。
日も沈んだ。夜が近づく。
喉元に手を当てる。
(大丈夫。声もいつも通り。唄える。)
大きく深呼吸をする。
私の歌に、魔王様の目覚めがかかっている。
苦しい、怖い。
だけど、私は決めたんだ。
長く息を吐き、上を向く。
「アリス。準備はできているか。」
扉が開き、ルカ様が入ってくる。
ルカ様も少し緊張しているような面持ちだ。
「はい、ルカ様。私は大丈夫です。」
自分にも言い聞かせるようにして、笑う。
怖がってたって、いい歌は唄えない。
ママだって言ってた。歌は楽しみながら唄うもの。
楽しい事、幸せなことを考えながら唄うものなんだ。
ルカ様は私の手を取り、お庭まで案内してくれた。
お庭は花で満ち溢れている。
上を見上げれば、大きな満月がこちらを見下ろしていた。
(私、やれる気がする)
満月を見上げて目を瞑り、もう一度深呼吸をする。
目を開き、ルカ様のほうを振り返ると、ゆっくり頷いてくれた。
口を開き、歌を唄い始める。
あの日、母が、ママが教えてくれた歌。
「いつかあなたに大切な人ができたとき、この歌を唄ってね。」
記憶の中で、ママが笑う。
ママ、私、ママの言う大切な人かは分からないけど。
守りたい人を、信じたい人を、そばにいたい人を見つけたよ。
歌を、歌詞を紡ぐ。
あの日ママが私に託した歌詞。
今ならわかる気がする。
風がさざめく。お庭の花びらも舞い、香りも優しく広がる。
大きな月も私の背を押してくれる。
遠く見えるユリウス様の部屋のカーテンが揺れる。
ぎゅっと目を閉じる。
歌が、もう終わってしまう。
窓にユリウス様の影は見えなかった。
(やっぱり、私じゃ…)
気持ちが揺らぐ。
やっぱり、私じゃ…ダメだったの?
違う。
私だから、できることだってあるはず。
また、お話ししたい。
ユリウス様はいつも何をして過ごしているのですか。
好きな食べ物はなんですか。
好きな歌はありますか。
両手を固く結ぶ。
どうか。どうか。
また私と、一緒に食事をしてくれませんか。
「リデル。」
後ろから優しく抱きすくめられた。
顔は見えない。
それでも分かる。この声は。
この、温もりは_______
「ユリウス様…!」
ぶわりと涙があふれる。
よかった。目覚められたんだ。
自分の首元に回ったユリウス様の腕を握りしめた。
泣いているせいか、手元に力が入らない。
それでも、離したくなくて今出せる全力で腕を捕まえる。
するとユリウス様も腕に力を込めて、先ほどまでよりも強く抱きしめてくれた。
「リデル、ありがとう。」
ユリウス様は小さな声でそういって、私の右肩に頭を預けた。
表情は見えなかったけど、とても優しい声だった。
ようやく涙も落ち着いたころ、今まで遠くに下がっていたルカ様がハンカチを持って近づいてきた。
彼は微笑みながらそのハンカチを私に渡してくれた。
感謝を述べ、涙を拭わせてもらう。
「王。体は大丈夫か。」
そうだ。もしかしたらまだ本調子ではないかもしれない。
それに優しい魔王様は、無理してきてくれたという可能性もある。
不安に思って後ろを振り返ろうと、ユリウス様の腕の中で体を捩る。
するとユリウス様は、私を抱きしめていた腕を緩めた。
顔を窺おうと後ろを振り返りかけた瞬間。
私の体は宙に浮いた。
「…!」
「問題ないどころか、体が軽すぎて驚くぐらいだ。
あらためて、ありがとうリデル。」
あぁ、これが。
私の待ち望んでいた笑顔。
きれいな深紅の瞳は、私の後ろで輝く大きな月を映してきらめいている。
あの時、ベッドの上で固く結ばれていた唇は、優しい声で言葉を紡ぎだしている。
こつんとユリウス様のおでこが、私のおでこにあてられる。
ユリウス様の優しい表情を見て、また涙がこぼれてしまった。
それに気づくと、困ったように、それでも嬉しそうに笑った。
それからしばらく。
近くに控えていたルカ様が「王、そろそろ」
というまで、私はユリウス様に抱えられて泣いていた。