song.3 魔王の目覚め
(はぁ…!)
とっても気持ちよかった…!
カイリ様のところに居たときは、静かに、荒波を立てずにをモットーに生きていたから。
求められて唄うのではなく、自分の好きな時に自分のために唄えるってなんてすばらしい事なんだろう!
でも、決して求められて唄うことが嫌なわけではなかった。
ただカイリ様の場合は、私の歌をアイラ様と聞かれるのだ。
二人で、仲睦まじく、自分の婚約者の歌を聴く。
どんな気持ちでそうしていたのかは知る由もないが、それが嫌だった。
(私は、蓄音機でもないし、ムード作りのための道具でもないのに…)
今になって悔しさから涙が滲んできた。
今更こんなこと思ったって仕方ないのに…
手の甲でこぼれてきた涙を拭う。
もし今ルカ様が入ってこられたらきっと驚かせてしまう。
楽しいことを考えよう。そうだ、魔王様ってどんな方なのかとか。
頭を振って、考えを変えようと思ったそのとき、扉をノックする音が聞こえた。
「…はい、どうぞ…?」
魔王様が目覚めたのだろうか。
それにしても、さっきルカ様が見えられたときノックなんてしていたっけ…?
でもこのお城にはルカ様と魔王様しかいないと先ほど聞いたばかりだ。
ベッドから足を下ろし、扉に近づく。
すると、扉が重たい音を立てて開いた。
その先にいたのは_________
「お前が、ルカが言っていた客人か」
ひゅっと息をのむ。
想像していた人ではなかった。
ルカ様じゃ…ない…!?
見た目だけなら、ルカ様に似ている。
結んではいないが、宵闇を思わせる漆黒の長い髪。
色こそ違えど、優しさを帯びてゆったりと細められた深紅の瞳。
(この人は…誰…?)
体が、自分の何倍もある背丈の男性を前にして動かなくなってしまった。
喉も凍り付いてしまったかのように声を発することができない。
ただ魚のように口をぱくぱくさせることしかできなくなってしまった。
ふと、目の前の男性は何かに気づいたかのように目を見開いた。
そっと私の目の前に跪き、ゆっくりと私と視線を合わせる。
そして柔らかく微笑み
「自己紹介が遅れてすまなかった。怖かっただろう。
俺の名前はユリウス。ユリウス・シレジア・フィオ・グロリアという。
ルカやヴァルター王国の者が呼ぶ、魔王、だな。」
喋りながら、私の両手に触れて、優しく包んでくれた。
この人が、魔王様…?
頭が混乱してしまって頭痛までしてきた。
想像していたよりも、もっとずっと優しい空気をまとっている。
透き通るような白い肌。ハーフアップにされた長い髪は跪いているせいで床についてしまっている。
「あ…私は、リデルと申します。家名は…なくしてしまって…」
「構わないさ。家名なんて飾りだ。リデル、いい名前じゃないか」
にっこりと笑ってぎゅっと手を握ってくれた。
予想…外…!
魔王といわれれば、悪逆非道、悪事の限りを尽くす鬼のような人を想像していたのだが、蓋を開けてみればどうだ。
こんなにも素敵な人ではないか。
「ん…?あぁ、王。目が覚めたか。」
扉の入り口からひょっこりとルカ様が顔を出す。
「あぁ。今しがた目が覚めた。リデルのおかげだ。」
「そうか。よかった。かれこれ…1か月か。長かったな。」
…?
魔王様が目が覚めたのは…私のおかげ…?
「ちょ、ちょっと待ってください…!」
さすがにそれは突っ込ませてほしい…!
どういうことだ?私が魔王様に会ったお話したのは、これが初めてだ。
初めてお顔を見たときは、ベッドで眠っていたはず。
だったら私が目覚めさせたというのは変じゃない…?
「リデル、お前は歌を唄ってくれただろう。
その歌声を聞いたら自然と目が覚めたんだ。体の重さもなくなっている。
だから、お前のおかげだよ。ありがとう。」
また私の目を見つめて優しく笑った。
ルカ様も微笑んでいる。
分かっていないのは私だけなんじゃ…?
「私の歌にそんな力ありません…!
きっと偶然ですよ。だから…んっ」
それ以上は言うなとばかりに、魔王様の人差し指が私の唇にあてられる。
な?と首を傾げられたら、こちらとて頷く他ない。
わたしがこくこくと頷いたのを確認すると、唇から指を離しゆっくり立ち上がった。
「さて、久しぶりにベッドから出たらお腹がすくな。
ルカ、何か食べられるものはあるか。」
「あぁ。すぐに用意しよう。」
ルカ様は魔王様の言葉を聞き、すぐどこかへ行ってしまった。
きっと食事の用意をするのだろう。
魔王様もルカ様も何事もなかったかのように部屋を出ていこうとして、さぁどうしようかと思っていると、ふと手を掴まれた。
「リデル、お前は空腹ではないか?ともに食事をしてくれると助かるのだが。」
「え…?」
私の反応を見て、魔王様は少し困ったように笑った。
無理はしなくていいと言ってくれたが、違う。
私が反応できなかったのはそういうことではなくて…
「私も…ご一緒していいんですか…?」
そう聞くと、魔王様は当たり前だという顔をして頷いてくれた。
そして、私の手を取って歩き出した。
(あ…温かい…)
繋がれた手から、じんわりと温かさが伝わってくる。
きっと魔王様は本当に、心の底から優しい方なのだろう。
嬉しくなって、繋がれた手にもう片方の手を重ねる。
すると、魔王様は驚いたようにこちらを向き、そして本当に嬉しそうに笑った。
繋いでいた手の体温がさっきよりも高くなったのは、きっと私の気のせい。
「待たせたな。王もアリスも、ゆっくり食べるんだぞ。」
広間に案内され、大きなテーブルの前に着席すると間もなく、ルカ様が食事をテーブルから溢れんばかりに並べてくれた。
そのどれもが、とてもいいにおいをさせていて、今まで忘れていた空腹を思い出させる。
魔王様の方を向くと、すでに食事を始めていた。
(うわ…!食べ方綺麗…!)
ナイフやフォークの持ち方や姿勢、口に運んでから飲み込むまでの動作が全て美しい。
私にマナーを教えてくれた教師ですらあんなに綺麗じゃなかった。
「?リデル、どうした。やっぱり空腹じゃなかったか?」
「苦手な食べ物があれば言うんだぞ。できる限り対応しよう。」
「い、いえ!違うんです!ただ…」
すこし口ごもる。
だって、本人を目の前にして、「食べ方が綺麗だったから見惚れてました」なんて言えるはずない…!
でも私が戸惑っていると、二人は本当に心配になったようで、おろおろとしている。
「アリス…?」
「う…その…」
この際だ。言ってしまおう。
これ以上お二人を心配させるわけにはいかない…!
「魔王様…ユリウス様のお食事の姿があまりにも綺麗だったから…見惚れてしまっていたんです!」
うつむいて、ぎゅうっと自分のワンピースの裾を握る。
恥ずかしくて消えてしまいたい…!
あまりに恥ずかしくて、顔を上げてお二人の表情を見ることもできない。
すると、くすっと笑う声が聞こえた。
恐る恐る顔を上げると、驚いたような顔をしている魔王様と、口元に手を当てて笑いをこらえようとするルカ様の姿が見えた。
「そ…うか…褒められたことなどないから…むず痒いものなんだな…」
私以上に恥ずかしそうにして、頬をぽりぽりとかく魔王様。
ルカ様は何も言わず、ただ愉快そうに笑みを浮かべてキッチンのあるであろう部屋に消えていった。
魔王様と二人きりになってしまった。
「リデル、ルカのご飯は本当に美味いんだ。ぜひ食べてほしい。」
魔王様は微笑んで、そういってくれた。
「はい、頂きます!」
私も笑って返した。
近くにあった、サラダを口に運ぶ。
「…!」
美味しい…!
一口食べると、もう止まらなかった。
そうか、昨日の夜からずっと何も食べてなかった。
そんな状況でこんな美味しいものを食べたら止まるはずもない。
そんな私をルカ様と魔王様が嬉しそうに見ていたのに、私は気づかなかった。
「ご馳走様でした!」
「口にあったならよかった。」
ふわりとルカ様は微笑んだ。
魔王様も食事が終わったようで、ルカ様に空いたお皿を渡していた。
空いたお皿を受け取ったルカ様はそのまま奥の部屋に向かい、数分後にはトレーに何かを載せて戻ってきた。
トレーに乗せていたものを私と魔王様の前に置き、空いた席に自分も腰かけた。
その正体はすぐにわかった。
「ホットミルク…?」
そう、私の目の前に置かれたのは温かいミルクだった。
ふんわりと優しい香りがする。熱すぎず、とてもいい温度だ。
「アリスは砂糖のたっぷり入ったミルクだ。俺と王はミルクに少し酒を入れているがな。」
魔王様もルカ様もカップに口をつける。
私も冷めないうちに頂こうと、口をつける。
こくりと飲み込むと、とても優しい味がする。
思わずため息がこぼれる。安心する味だ。
「しかし、大変だったなリデル。」
魔王様はこちらを見つめてそういった。
大変だった…?
私が逃げてきたことだろうか。
いつその話をしたっけ…
「さっきルカに少しだけだが聞いたんだ。
それで、これから行く先はあるのか?」
そういって魔王様はまたカップに口をつけた。
ルカ様はなにも喋らない。
「行く先…は、ありません。とりあえず、住んでいた所から離れたどこか遠い村に行こうかと…」
確かに、何も考えてなかった。
とにかくあの時は死にたくない一心で逃げてきたから「その後」を考えずに動いていた。
それって、かなりやばいのでは…?
「ど…どうしましょう…あはは…」
笑いしか出てこない…
すると、魔王様はルカ様に何か目配せをして立ち上がった。
ルカ様も立ち上がり、こちらに近づく。
え、なになに…!?
ルカ様は私の座る椅子のすぐ後ろに立った。
魔王様は私のすぐそばに近づき、また私の足元に跪いた。
驚く私を尻目に、魔王様は私を見上げ口を開いた。
「リデル、お前に頼みがある。」