song.1 逃走、出会い
_____どうして。
どうして私が。
草木の生い茂った森の中を駆ける。
ここまで逃げる途中で履いていた靴は脱げてしまった。
地面を踏みしめるたび、痛みが走る。
痛い。足も、肺も、心も。
「おい、いたか!?」
「いえ見つかりません!」
後ろから追手の声が聞こえた。
見つかれば最後、きっと私は殺されてしまうのだろう。
一縷の願いを込めて、近くの大木の根元に身を潜めた。
_____どうして私がこんな、罪人みたいな。
事の始まりは3年前。
私の住む小さな村に、ローレン伯爵の一人息子であるカイリ様が視察に来た日。
とあることから私とカイリ様は知り合った。
その数日後、我が家は燃え盛る火に飲み込まれた。
偶然外出していた私は無事、両親と共に生まれ育った家は灰と化した。
そして孤独になった私を、カイリ様は婚約者として迎え入れてくださった。
彼に見合う婚約者になるため、昼夜努力は惜しまなかった。
勉強も沢山した。テーブルマナーも、歴史も、ダンスも。
カイリ様が好きだと言ってくださった歌も練習した。
でも、私は捨てられたのだ。
私が努力していた3年間、カイリ様は他の女性と親密になっていたのだと後から知った。
ある日の夜会で、私はカイリ様から婚約破棄を告げられた。
理由は、カイリ様のご友人殺害未遂容疑。
カイリ様のご友人とはもちろん、親密になっていた女性。名前はアイラ様。
銀のゆるく巻かれた美しい髪、大きなピンクの瞳、うるうるとした艶やかな唇。
とても美しい女性だった。
まっすぐ伸びた背中も、穏やかにたたえられた微笑みも。
カイリ様の横に立つには十分な魅力だった。
いくら未遂であるとはいえ、殺人は重罪。
それも伯爵家の一人息子のご友人なのだ。
どれだけ冤罪だと訴えても、一般市民の、しかも親を亡くした孤児ともなれば、そんな言葉を聞いてくれる者はいない。
私、冤罪を着せられてこのまま死んでしまうのだろうか。
それだけは、嫌だった。
だから逃げた。夜会から、カイリ様から、全てから。
そして逃げ延びた先は、シレジア王国の端にある森。
通称「魔王の森」 陰鬱な雰囲気からそう呼ばれていると聞いたことがある。
ここなら誰も来ないのではないか。そう思って逃げてきた。
だけど……
「おかしいな。このあたりにいると思ったんだがなあ。」
「足跡も途中からなくなってますしね。引き返したとか?」
「可能性はあるな。もう少し探してみるか。」
足音と話し声が遠のいた。
深く、長く息を吐く。そのまま大木に身を任せる。
(足が痛くて、これ以上走れない。もしまた、追手が来たら…)
嫌な想像をしてしまい、首を横に振る。
(大丈夫…大丈夫よ、きっと。)
でも、何も策はない。お金もないし、国にも、村にも戻れない。
頼れる両親はすでにいなくなってしまった。
もう、引き返せない。賽は投げられたのだ。
きつく目を瞑る。もう一度大きく深呼吸をした。
そのときだった。
目を瞑っていてもわかる。
自分に影が落ちた。
誰かが、いる。それも、すぐ近く。
「そこで、何をしている」
静寂を切り裂く、低い声。
どうしよう、もう足が痛くて走れない。
このまま私はここで、殺されてしまうのだろうか。
恐る恐る目を開く。
そこにいたのは、1人の男性だった。
宵闇を思わせる、漆黒の長く、柔く結ばれた髪。
眼鏡の奥で、訝しげに細められたエメラルドグリーンの瞳。
きっちりと着こなされたスーツを着た男性が、手を伸ばせば触れられるほどの距離にいたのだ。
目があったまま、なにも話さない私を不審に思ったのか、彼はもう一度口を開いた。
「そこで何をしていると聞いている。アリス。」
ぞわり、と全身に震えが走った。
恐怖?違う。なんでかは分からない。
でも、喋らなければいけない。そう思わされるのには十分な一声だった。
「あ…わた、し…今、追われてるんです…!」
そういうと、彼は妙に納得したように頷いた。
そうして一瞬悲し気な顔をした後、こちらを見てはっきりと言った。
「俺は、お前を助けに来た。行くぞ。そろそろ奴らが戻ってくる。」