007 ご愁傷様です
「あのなぁ、ちゃんと召喚を成功させないと授業の評価が受けられないんだよ!」
「浮気の言い訳ですか? 許しませんよ、そんなこと」
「なんでそうなるんだよっ」
俺は今、ルルと言い争いをしている。
ルルは無表情の中で不機嫌オーラを醸し出している。
正直怖いが、俺も退くわけにはいかないのだ。
そもそもどうしてこんなことになっているのか。
それは少しだけ時間を遡る。
◇ ◇
「今日の授業は以前から言っていましたが、精霊の召喚を行ってもらいます」
担任の新任女教師が訓練場の中心で声を張る。
そう、今日は待ちに待った精霊召喚を行う授業だ。
既に皆、それぞれ精霊と契約しているとはいえ、別の精霊を召喚するのは常にどきどきが待っている。
もしかしたら高位精霊を召喚したりできるかもしれないのだ。
とはいえ今回は召喚した精霊と契約できるというわけではない。
精霊と複数契約すること自体は可能だが、その分、精霊の実体化に必要な魔力が単純計算でも二倍になる。
だからそもそも並の精霊使いでは二体以上の精霊と契約すること自体が厳しいのだ。
それでも新たな精霊との出会いに興奮するのは、やはり精霊使いの性だろう。
かく言う俺も、今はせっせと精霊の召喚に必要な召喚陣を地面に描いている。
もちろん目指すは高位精霊の召喚だ。
ルルがいる以上、新しい精霊と契約するのは難しいだろう。
だがもし万が一、ターシャのような優しくナイスバディなお姉さんが召喚陣から現れたら、ふとした気の迷いで思わず契約してしまうかもしれない。
「よし、こんなもんか」
しばらくして、俺はようやく納得のできる召喚陣を完成させることが出来た。
自慢じゃないが他の生徒たちに比べても、相当に凝った召喚陣だと思う。
召喚した精霊によっては授業の評価も変わってくるのだから、頑張らないわけにはいかない。
間違っても、優しいお姉さんを召喚したいから頑張っているわけではない。
嘘じゃないぞ、本当だぞ。
「……ふう」
しかしいくら召喚陣が描き終わったとはいえ、これはまだ準備段階に過ぎない。
ここからが本番だ。
召喚陣に自分の魔力を込め、精霊世界にいる精霊へ呼びかける。
その声に応えてくれれば、精霊が実体化し、召喚成功というわけだ。
実体化するまでは召喚される精霊がどんな精霊か全く分からないので、これまでの苦労を考えれば多少の緊張や期待はある。
覚悟を決めた自分の中の魔力に意識を集中させていく。
俺の魔力に反応した召喚陣が、徐々に光を放っていく。
「我が祈りに応えし精霊よ、願わくばその姿を――」
だが、俺が精霊の召喚に必要な言霊を詠唱している時、予想外のことが起こった。
「えいっ」
普段の無表情で毒を吐いてくるのとは違い、何やら可愛げのある感じのルルが、俺が一生懸命に描いた召喚陣を足で踏み消したのだ。
「なっ!? ル、ルル!?」
さすがに予想外すぎて一瞬ルルが可愛いとか思ってしまったが、よく考えたらそんな場合ではなかった。
一部をルルによって踏み消された召喚陣は、先ほどまでの光はとうに失せ、俺の魔力にも全く反応しなくなっている。
全てが台無しだった。
「な、何やってんだ!?」
俺の努力の結晶が一瞬で砕け散ってしまった。
思わずルルに詰め寄る。
「?」
しかしルルに悪びれた様子もなければ、俺の反応に首を傾げて不思議そうにしている。
「もしかして、私以外の精霊を召喚するつもりだったんですか?」
「っ、そ、それは……」
ルルの棘のある口調に思わずたじろぐ。
いつもの俺だったら、ここで折れていたかもしれない。
だが今日の俺には折れるわけにはいかない理由がある。
「こ、これは授業なんだよ。ちゃんと精霊を召喚しないと授業の評価をもらえないんだ」
「その割にはものすごく真剣に召喚陣を描いていたように見えましたが」
「そ、そりゃあ真剣にやらないと召喚に応えてくれる精霊に失礼だろ?」
ルルのジト目から顔を逸らす。
完璧に俺の行動を読まれていたらしい。
しかし何とか正当そうな言い訳を並べる。
それに精霊を召喚しなければ、授業の評価が貰えないのは嘘でも何でもなく本当のことだ。
「私はアクセルの契約精霊です、闇精霊の、しかも高位精霊です」
「そ、そうだな。俺には勿体ないくらいのすごい精霊だな」
「そうでしょう?」
はい、そうですね。
「最近では多少はマシになってきましたが、闇魔法の使い勝手はどうですか?」
「め、めっちゃ使いやすいです」
「そうでしょう?」
ルルがどういうわけかこのタイミングで、何やら自分の有用性を説明してくる。
事実、闇精霊の高位精霊であるルルの恩恵は計り知れないので、とりあえず頷いておく。
「それなら私以外の精霊なんていりませんよね?」
「ちょっと待て」
ルルの言葉に思わず待ったをかける。
何やら雲行きが怪しくなってきた。
「いいかルル? 今回の召喚はあくまで召喚であって契約する気はないんだぞ? それにどんな精霊でも召喚しなきゃ授業の評価が貰えないんだよ」
もしかしたらルルは、俺が自分以外の精霊と契約するかもしれないというのが嫌だったのかもしれない。
全く可愛い奴め、撫でてやろうか。
だがこれでルルも俺の言いたいことが分かってくれるだろう。
しかし恐ろしいことに、ルルは相変わらず首を傾げている。
「それならもう私を召喚してるから満点に近いんじゃないんですか? 何しろ私は闇精霊の高位精霊ですから」
「なんでだよ」
この幼女は一体何を言っているんだろうか。
「この授業内で召喚した精霊が評価の対象なんだよ! もう契約している精霊は評価には全く関係ないの! つまり少なくとも今はルル以外の精霊が必要なんだよ!」
あまりのルルの分からなさに思わず声を大きくする。
周りのクラスメイトたちが何事かとこちらを見てくるが、ルルを見て、「あぁまたか」となっている辺り、慣れというのは恐ろしいものだ。
「……そんなに浮気したいんですか? へーいい度胸ですね」
「なんでだよっ!?」
だめだこの幼女、話が通じない。
俺は思わず顔を手で覆う。
だがこれ以上ルルには構っていられない。
タイムリミットが今も刻々と迫ってきている。
とはいえ一つ問題があるとすれば、ルルが足で消してしまった召喚陣だろう。
今更それを描きなおしている時間はない。
「? どこに行くんですか?」
「先生のところに簡易の召喚陣を貰いに行くんだよ。誰かさんが俺の傑作を消したりしたから」
「…………」
俺の言葉にルルは何も言い返してこない。
もしかしたら俺を説得するのを諦めてくれたのだろうか。
そうだったら何よりなのだが、とりあえず今は先生に事情を話して、召喚陣を貰わなければいけない。
「? ルル?」
しかし担任の下へ向かう俺を追い越して、ルルがそっちの方へ歩いていく。
一瞬、俺の代わりに召喚陣を貰いに行ってくれるのだろうかと思ったが、すぐにそうではないと察する。
ちらりと見えたルルの横顔。
普段より明らかに無表情だった。
しかもその無表情の中に僅かに影が差していた。
よく見れば、ルルが黒のオーラをこれでもかというほどに纏っている。
「あ……」
どうやら近づいてくるルルに気付いたらしい新任女教師の担任が「ひっ」という風に顔を引き攣らせたのが見えた。
いや、きっと気のせいだろう。
そうそう、気のせい気のせい。
俺は何も見てない。
自分の契約精霊が何をやろうとしているかなど、知らない知らない。
ただとりあえず一つ言えるとすれば、ご愁傷様です。
俺は心の中でそう呟きながら、自分で描いた召喚陣を足で消した。