なろうで小説を発表することはどういう事なんだろうか?~婆が経験から語ってみる~
本を出版するというのは夢だったんですが・・。
半世紀以上本が好きで読んできたばあさまが、今朝読んだ三人の方の著作から考えたことを書いてみましょうかね。
・水源さんの活動報告
・酒井日香さんの出版社、なろう批判のエッセイ
・Hiroさんのエッセイ
このお三方の言い分をなるほどなぁーと思ったり、私はこう思っていたんだけどと思ったりしながら読ませて頂きました。
私が最初になろうで書いてみようかと思ったのは、香月美夜さんの「本好きの下克上」を見てからです。
その小説の良し悪しというよりも、出版をしているのになろうのサイトに全文を載せているのが素晴らしいと思ったのです。
ネット小説を読んでいた者からしてみたら夢のような状態でした。買うと何千円もする本がタダで読めるのですからね。でも読んでいて本当に好きになって読み返すようになったら、買うんです。ファンというものはそんなものです。
これは新しい形態の商売の仕方だなと思ったんですよ。
私は倒産した手芸本を出版する某会社で三年間ほどパートの地方営業部員をやっていたことがあります。
その時に本業界の裏側を見て「おかしなシステム」だなぁーと思っていました。出版社に力がないんです。発言権も何も。本屋にも力がないんです。「うちに何冊入れて欲しい。」と言われても出版社が融通できるものはほんのポッチリで、問屋が頷かない限り本が回ってこないのです。
問屋は大量に仕入れてくれる本屋を優先します。無理もない力の経済原理ですよね。
そのためにとても素晴らしい小さな本屋が次々と潰れていくのを見て、がっかりしました。
私は外国に行っても本屋巡りをする人間です。日本ではそれこそ、本屋を見かければ大抵入ってしまいます。
なので棚を見るとそこの本屋さんの力量がわかります。「おおっ、おぬしやるなっ。」と思った本屋さんでは必ず本を買うようにしているんです。
しかしデパートのような大きさの大型書店だと、売り手側の意図が伝わってこない茫洋とした面白みのない棚が多いのです。
拙作「王子の夢を誰も知らない」の冒頭でもちょっと書きましたが、本屋さんは儲からない上に万引き被害に遭ってますます儲からない。万引きで潰れた本屋さんも知っています。
だから正社員を雇えないんです。アルバイトに棚を任せている所も多いです。そうなると力量に物凄い差が出ます。
そしてチェーン店の本屋さんは、何故か店長さんを三か月おきに変えるんです。そこの本屋に愛着を持つ暇もありませんよね。引っ越しが大変だと店長さんに聞いたことがあります。そうすると良い人もその会社に居ついてくれませんよね。他に働けるところもないから仕方なしに辞めないんだと言われている方もいました。これって仕事のモチベーションも下がりますよね。
そういう本屋事情を知っていたので、香月さんがされていたやり方は、出版の新しい方法に思えたのでした。
そしてそこから踏み込んで、問屋を通さない出版方法があるのではとも思いましたし、もっともっと踏み込んで、なろうで書くだけでいいんじゃないかしら?と思ったのです。
これには経済的なこともありますから、賛否両論あると思います。
ただ「文章を書くってなんでしょう。」と思った時に、登山家が山に登る時に言った「そこに山があるから。」が一番近い感覚のような気がします。
「好きだから」「自分も面白い本を読みたいから」というのが一番根底にあるんですよね。
ねっ、究極を言うと
なろうで書くだけで作家としての欲求は満たされている。
ということですよ。
なにせ文章を読んだり書いたりする仲間が何十万人も集まっているんですよっ。他の外部の人にわざわざ見てもらわなくてもいいじゃないですか。(笑)
さて、今回私は、お仕事小説コン、モーニングスター、ツタヤリンダ大賞などに出してみようと思って、何作かにキーワードを付けてみました。
これは若い頃の「自分の本を一冊でも出してみたい。」という夢がくすぶっていたからですね。
今回は無理だと思っていましたが、死ぬまでに一冊ぐらい紙媒体の本が出せたらいいなぁと思っていたのです。
それが今朝、酒井さんのエッセイを読んで夢と消えました。(爆)
思っていたよりもエグイ世界なんですね。出版業界って。
あの事情を読むと、私の場合全然ダメなんです。何故かというと知り合いが全員「老眼」だからなんですよ。(笑)
誰も本なんか買ってくれません。
なので、キーワードは潔く全部外しました。
私がなろうで書く前記の基本的欲求と、子孫に向けての脳内遺産、この二本柱で行くことにしました。
今回、自分の立ち位置を改めて確認できてよかったと思っています。
このエッセイが上記の三人の方と合わせて、一つの意見として皆さんのご参考になれば幸いです。
シンプルに自分らしく生きるのが一番でした。