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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
愚者編 後
95/99

愚者4

「パパ、パパ!」


 騒々しい知り合いの声で、白昼夢から現実に引き戻される。


「ねえ、あれ買ってよ。ねーえ、いいでしょ!?」

「――ん? ああ……」


 見渡す限り、人の群れだった。しかもどいつもこいつも着飾っておめかしして、華やかで鬱陶しいことこの上ない。しかもそれは僕自身にも言えたことで、見下ろせば服に着られた凡人の姿が目に入ってきた。

 一瞬見慣れない光景に、きょとんとして何度も瞬きを繰り返す。


 つないでいない方の手で目を擦ってようやく、ここがいつもの生活圏と少し離れた都市部の中心街であることを思いだした。


 都市の鍛冶屋は基本的に騒音や防災などの問題から、住宅街を離れた周縁部に位置していることが多い。ゆえに僕の普段の拠点も、川近くの知り合いばかりが身を寄せ合う我が家周りの集落であるわけだが、今日は少々事情が違う特別な日だったのだ。


 夏至祭り――この日ばかりは、普段はぱっとしない小都市でさえも、昼から夕方、夜まで出店が出て大通りを隅から隅まで彩っている。


 我ら鍛冶屋の一家は前日まではそれこそいつもの数倍、寝る間も惜しんで作業に明け暮れていた。

 そしてその分というかなんというか、当日は遊ばせてもらっているわけである。


 幸いにも我が愛すべき愚弟子共は話のわかる奴らで、「売る方はばっちりこっちでやっておくんで、親方は一日おかみさんと楽しんできてください!」と非常に気の利く言葉で心強く僕と妻と息子の背中を送りだしてくれた。またの名を余計なお節介とも言う。


 行く当てのないごろつき共の寝食の面倒まで見ているものだから、完全に家庭の事情まで割れてしまっていていけない。僕が最近、なんとなく天下様のご機嫌を損ねっぱなしなのもお見通しなのだ。

 ちなみにかみさんが僕に不機嫌なのは、軽薄な僕の浮気をほんのりと疑っているからだが、身体的な面に関しては全く以て無実なので心配の必要はない。精神面に関しては、少々手紙や石版につづられた空想の美少女に取られてしまっているかもしれないが、そこはなんというか、寛大な御心でもって情状酌量をいただきたいところである――。



 まあ、そんなこんなで弟子共に楽しく送り出された我らだが、今現在は絶賛別行動中だ。

 別に大喧嘩したと言うわけではない。最初はちゃんと家族三人ぴったりくっついていたが、そわそわする妻の様子と頃合いを見て、そっと僕が言い出してみたのだ。


 ――どうだいお前。子どもはこっちで見ておくから、羽を伸ばしてきたら。いつもの所に行ってくるといい。僕と息子は屋台を見て回るから。


 彼女は目を丸くし、それからちょっと顔を赤らめた。


 そりゃ毎年夏至祭りの度に引っ張って行かれていれば、嫌でもかみさんの好みはわかる。

 奴はわかりやすい面食いだ。かく言う僕も結婚してもらえたぐらいだし、しがない鍛冶屋にしてはいい顔なのではないかといううぬぼれがあるが、本職の役者に叶うはずもない。そして僕はお芝居を見る事自体は嫌いではないが、僕より綺麗な顔の男にキャーキャー言っているかみさんを見て心穏やかでいられるほど心の広い自信もない。確実に拗ねる。というか過去実際拗ねた事がある。


 ちなみに息子はまだ幼いためか、劇の内容云々ではなく、単にじっとしていることができない。そしてこれも幼さのためか、そこそこ空気の読めず、耽美空間に浸りたい大人には不愉快な野次を飛ばしかねない。ゆえにもうちょっと落ち着く年頃になるまでは、母親の神聖なる趣味の空間からの隔離措置が懸命であると推測されるわけである。


 つまり、これは夫婦の美しくも清らかなる妥協点なわけだ。

 僕はただ、僕の純心を以て、ドラマチックな恋情があるとまではいかないが、結構長い間の付き合いで、これからも付き合いを続けていく間柄のこの可愛い人との思い出を、美しくしておきたいだけなのだ。

 けしてそう、ここでちょっとご機嫌取っておいたら普段の態度がもうちょっと軟化したりしないだろうか、なんていう浅知恵を巡らせているだけではない。


 そんなわけで、互いの利害が一致し、別行動は果たされた。

 妻もまあ、僕のちょっとした下心に気がついていないわけではなかったのだろうが、結局自分自身の下心にも勝てなかったらしく、集合場所と時間についてきっちり釘を刺しつつもうきうきした様子で旅立っていった。


 一方、せっかくのお出かけ日和、しかもお小言のうるさい母親のいない状況に興奮しきっていた息子だったが、金は出してくれる物の父親の少々無関心が過ぎる態度に、すっかり腹を立ててしまっているようだった。

 僕の手を利用して何度もぴょんぴょん跳ね、懸命に不満を訴えかけてくる。


「ねえ、パパ、パパってばぁ、ちゃんと聞いてるー?」

「ああ、聞いてるよ」

「うーそ! さっきからずーっと話しかけてるのに、あーとかうーばっかり。こっちの方も指さしてる方も、見ようともしないじゃん!」

「いててて悪かったって、パパが悪かったからジャンプしながら足を狙ってくるのはやめなさい、おいこらやめろと言っているだろうに、わかった何がほしい買ってあげるからパパの弱点を的確に狙い撃つのはやめろぉ!」


 幼い息子はまだ軽い方だが、ジャンプの勢いを利用して集中的にすねを狙われたらこちらもたまらない。

 あっさり降伏すると、彼は機嫌を一転させた。


「わあい、パパ、大好き!」


 我が子ながら現金だ。というかせこい。やり口が汚いしかも性格が単純すぎる。その上顔はそこそこ良い。一体誰に似たのやら、それとも即物主義な僕の教育方針が間違っているというのか。一理ある。


 息子がほしいほしいと僕にねだり続けていたのは、砂糖をまぶした揚げ菓子だった。母が一緒にいると健康への大いなる配慮から量を半分程度に制限されてしまうわけだが、僕だけならホイホイ一つや二つ、なんなら三つ買って与えてしまう。

 まあいいじゃないか、お祭りの日なんだし。

 早速両手に欲望を抱えてニコニコしている単純な我が子をほほえましく見守っていた僕は、ふとなんとはなしに、次に菓子を買いに来た人のために屋台の前ではしゃいでいる息子をどけながら相手に向かって頭を下げようとして――そこで棒立ちになってしまった。



 せっかく息子に世俗の中に連れ帰ってきてもらったというのに、また夢の中に入ってしまったのだろうか?



「お兄様」

「大丈夫。ついておいで」

「でも……」

「あれがほしいんでしょう? さっきから見ていたもの。買ってあげる。半分こしよう」



 僕たちの後ろからやってきたのは兄妹だ。兄の方はうちの子より少し上だが、いかにも利発そうでしっかりしていて、妹の方はあどけなく愛らしかった。その兄の方はしなやかなシルエットに真っ白な肌と髪がよく目立つ。妹の方は肌の白さは争えないが、手入れの行き届いたつややかな黒髪を揺らしていて、二人ともお揃いの、空のような青い目を瞬かせていた。


「でも、お母様が、はしたないって……」

「ばれやしないよ。万が一怒られたら僕が悪いことにすればいい」


 雰囲気やら所作やら着ているものやら話し言葉やら、子ども達は見るからに品が良くそれなりの身分であることが察せられた。妹の方は、どうやら兄に釣られて抜け出してきてみたものの、このような庶民的な遊びに手を出すことに大分心配をしているようだった。対して兄は子どもにしては賢しく、けれどとても頼もしい誘惑を向けている。


 そんなほほえましいやりとりを見ていた店主が気を利かせたのか、代金一つ分で二つの砂糖菓子を兄妹に与えた。

 兄は丁寧に礼を言って妹に渡し、妹ははにかんで目を伏せている。内気なのだろうか、実に可愛らしい。庇護欲をそそられる女の子である。


 だが何よりも重要なのは、二人の胸元にお揃いのようにかかっている小さな首飾りだ。

 その先端には細長い、一見すると特に関心もしない尖った形の飾りが吊されている。

 お守りにしても、随分と簡素な形をしていた――。



「パパ?」


 僕の袖を引っ張る感触がする。見下ろすと息子がこっちに向かって、食べかけの砂糖菓子を出してくる。


「……食べる?」


 数拍分きょとんとしてから、僕はすぐに理解した。

 なるほど、再びぼーっとしてしまった父の気を引くためか、それとも黙り込んだことで不機嫌になってしまったと思ってご機嫌取りをしようとしているのか、いじらしい子ども心である。自分が既にほとんど食べ尽くした後で思いつくあたりがまさに我が息子らしくて笑えてしまう。


 ――甘菓子を受け取って、しまったと顔を上げた。


 見渡しても、うっかり目を離した隙に一体どこに消え失せてしまったのか、あの素晴らしい兄妹はいない。

 結構目立つ外見をしていたのに、やはり祭りで大勢人が出ているのだ、群衆に紛れてしまったのだろうか。


「パパ?」


 思わず肩を落としていると、くいくいと、再び袖が引かれた。

 見下ろすと、彼は心配そうに眉を下げ、ぐずりそうな気配すら見せている。


 ――ため息が漏れた。我が子が可愛い。憎らしいほど愛おしい。


 僕も家庭を持ち、血のつながった存在の可愛さを知った。どうしてこの存在を置いて、おのれの浪漫のみ追求することができるだろう?



 素早く食べかけの菓子を口に放り込み、笑顔を作って小さな温もりを抱き上げる。


「すまない。ごめんよ、パパもお菓子が食べたかったんだ。ありがとう、とても美味しい」

「本当?」

「本当だとも」


 僕は嘘を言ったわけではない。実際、大人になってもまだ子ども味覚となじられる程には甘党で、怖いかみさんがいなければ毎日だって甘い菓子をつまんでいたいような奴だった。



 僕に抱え上げられた息子が、祭りの喧噪を高い位置から見られて歓声を上げている。

 幼いとは言っても大分重たくなってきた。それとも僕が年を取ったのか。


 道行く人の群れに目をやっても、もう見覚えのある首飾りを下げた兄妹の幻影を見つけることはできない。




 あれは本当に幻でしかなかったのだろうか。

 ――否。

 僕だけはすべての答えを知っている。鍵も箱も両方持っているのだから。



「なあ、息子よ。パパはお前に多くは望まんが、是非健やかに育ってくれよ」

「なあに、パパ」


 抱きかかえた息子に頬ずりしてささやきかけてやれば、半分嬉しそうに、半分迷惑そうに、素直な我が子は返してくる。


「お前が大人になったら、パパはとびきりの秘密を教えてやろうと思う。まわりに吹聴するも、お前の胸一つにとどめておくも、無関心を貫くも――すべてお前の自由だ」


 珍しく軽薄な父親が真面目な顔をして厳かに言うからだろうか。幼子は追求をすることもなく、目を合わせるとごくりとつばを飲み込んだ。


 ……すごく真面目そうにぎゅっと引き結んでいる口元に、食べかすがばっちりとついている。

 駄目だ、やはりこの子には勝てない。


 僕は笑い、口周りをそっとぬぐってやった。


「あんた!」


 親子でたわむれているうちに耳に飛び込んでくるのは、聞き覚えのある麗しきかかあ様の御声である。

 芝居ももう終わったのか。それにしても、あんなに息を荒げて急いで帰ってくることもなかったのに。


「あんたに任せてたらどこまでも甘やかして浪費するでしょ」


 僕の顔から考えを読んだのか、ひったくるように息子を奪って彼女は半眼になる。

 現金でわかりやすすぎることに定評のある息子は、一瞬だけうげっという顔をしたものの、結局は母親に抱かれると安心するように表情をゆるめた。

 お手上げです、のポーズのつもりで両掌を向ければ、かかあ様は行くよと号令をかけてきた。

 地面に下ろされた息子が、母とつないでいない方の手を僕に差し出してくる。

 僕はその小さな手を握り返し、家族三人で祭りの中に踏み込んだ。



 かかあ様のたくましく頼りになる声や、息子の行儀の良い早口に紛れて、時折耳の奥に子ども達のささやき声がこだまする。


 ――おにいさま。

 ――おいで。


 しゃらりと彼らの胸元で首飾りが揺れる。そのなんて甘美な響き方。



 僕もまた、こっそりと胸を押さえた。


 ――僕の祖先が命がけで継いできたという、秘密の箱。けれど、言ってしまえばなんの保証もない。これはただの、僕の妄想に過ぎないのかもしれない。ひょっとしたら、僕の期待が産んだ幻影が走り去っただけなのかもしれない。

 けれど、もし、彼らが実在し、真実が確かに事実の一端であったとするのなら。


 僕だけが、秘密を知っている。

 僕だけが、きっと彼ら自身も知らない彼らの正体を知っている。

 それはとても光栄なことで、満足なことだ。


 ――願わくば、この秘密が、子に伝わり、孫に伝わり、そして僕たちの誰かがまた彼らに会えますように。

 今度は袖が触れ合う一瞬ではなく、もっと深い縁を結ぶ相手として。




 この現実を手放すつもりはない。

 けれどいつか、夢が叶うときも、僕の、祖先の、僕たちの願いが本当の意味で叶うときが、やってきますように――。



 そんな純粋な邪念を忍び込ませつつ、小さな右手をそっと強く握りしめた。

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