遺書
ごきげんよう。気分はどう? 今はきっと、旅の途中かな? 最悪だって返されそうだね、ははは。いやあ、ごめんごめん。だってバダンはともかく君は事前に言ったら猛反対しそうだったから。
この文だけは、君に宛てて書くね。
先走らないようにまずはじめに言っておくけど、君がこれを読んでいる頃には、ぼくはもう確実にこの世の人間じゃない。
バダンにはぼくが死んだらって言ってある。彼は信頼すべき、忠実なる臣下だ。けして裏切りはしない。
それに、ジローディア=ムロフェリは賢い女だ。ぼくを生かしておく、その意味をきちんと理解しているだろう。新しい世の中にぼくは生きていてはいけない。でもきっと彼女は淑女だから、そう痛い思いはせずに済むよ。殺されることについては特に心配していないんだ、たぶん薬殺だろうし。
だからぼくを追いかけても無駄だし、無意味だ。馬鹿なことはしないでくれるとこっちも努力が報われて助かる。
今、すごく穏やかな気分なんだ。
君がとどまり続けてくれたとき、ぼくがどんな風に思ったか。君にはわからなかっただろう。ぼくが君にどれほど感謝をしていたか、きっとわからなかったことだろう。
感謝しといてこの仕打ちかって言われたら、まあ、あんまり返す言葉がないんだけど。これでも結構悩んだんだよ? ぼくは人に弱味を見せない癖がつきすぎているから、君も見えていなかったかもしれないけど。
どういうことなんだって色々思っているだろうから、本題を始めないとね。
そう、つまりはこういうことだ。
ぼくは死ぬ。もう随分前から決まっていた。囲い込まれていた、政治にあんまり興味のない君にはわかってなかったことかもだけど、市民の声を抑えておくのも限界だったんだ。
ぼくは君と一緒に死ぬことはできない。君はぼくと死んでいい人じゃない。
これがぼくの出した結論で、譲ることはできない部分。
……ってかっこよく断定的に決めてみたいんだけど、大分卑怯な手になっちゃったのは正直、もう一度君の顔を見たら決心が揺らぐような気がしたからなんだ。結構情が移りかけてた自覚あったし。君って本当にお人好しなんだもの。なんだかんだ全部許してくれちゃいそうなでさ。
だからぼくは、甘えてはいけないと思った。
すべてを話すと言ったから、君にはぼくがどうしてここで死ななければならないのか、ぼくたちの本当の理由を教えないとね。
レィンとイライアスと、彼らの分身達であるぼくたちは十四歳になった。
声変わりが始まってた。背が伸びてきた。のど仏が出てきた。丸い輪郭はすっかり固くなり、体つきが変わっていく。
思春期。成長期。なんて忌々しい言葉。ぼくは大人になんかなりたくない。なってはいけない。
少女は少年を内包し、少年は少女に通じる。性が芽生える前の未成年の性別は曖昧だ。だからぼくは私で、私はぼくで、我々は一つの存在でいられた、そこになんの矛盾もなかった。
……ええとね。君はたぶん今、わかるように説明しろって顔をしかめたと思う。誤解しないでほしい。馬鹿にしてるわけじゃないんだ。いやまあ、もしかしたらしてたかもしれないけど、だったらごめん、これ、無意識。ぼくはこの通り自己完結しやすい奴だから、キリエのイライラした顔見るとどうやってわかってもらおうかなって考えるから――君のそういう態度、嫌いじゃなかったよ。
あ。今悪趣味って思ったでしょ。馬鹿だなあ。悪趣味じゃなかったら君なんか拾ったりしないよ。
知っていると思うけど、ぼくはとびきりの、性悪だから。
それで話を続けるとさ。
ぼくたちが何よりも恐れたのは、ぼくたちの変化、ぼくたちがぼくたちのままでいられなくなることだったんだよ。
ぼくはもう、レィンでいられなくなる。それはこの世の破滅と一緒だった。レィンを守ることがぼくの、ぼくたちの存在理由だった。
だからぼくはここで終わることにしたんだ。強いられてなんかない。まぎれもない、ぼく自身の意思で。
君はさぞかし、ぼくのことを馬鹿だと思うだろうね。
父上も母上もとっくに死んでいるのにって。もう果たす義理もないだろうって。お前の自覚は……本当はレィンでもイライアスでもないくせにって。
そう。ぼくはちっとも良い子ではなかった。良い子でいたかった。良い子でいる限り甘い夢がぼくを包んでくれたから。
ぼくは今、ぼくたちを整理するために一人になりつつある。レィン以外は皆ぼくと一つになった。死ぬ時だけレィンに戻る。男になる前にぼくを終わらせ、そしてレィンは完成する。
どうしてそんなにレィンにこだわるのかって思う?
だって、もしかして――本当はそうじゃないことを祈っているけど――もしかしたらさ。死後の世界で、またお父さんとお母さんに会えることがあるかもしれないでしょう?
そのとき、ぼくはね。「レィン」になりたい。ぼくは唯一の「レィン」になりたい。
誰よりも無垢で美しい、理想の少女。本物の姉よりも、さらに完璧に、彼らとぼくが望んだとおりに――それで今度こそ、本当に幸せな家族になるんだ。ぎりぎり子どもの今なら、ぼくはまだ、ぼく達を騙したまま少女として彼らに会えると思う。
ぼくはね、彼らを愛していた。たとえ永遠に現実の、生身の苦しむ醜いぼく自身を見てもらえないのだとしても、同じ感情をかえしてもらえないのだとしても、それでも応えてあげたかったんだ。
……あんなことをしておいて何をって思われちゃうかな? 矛盾してるよね。だけど両立するんだ。
愛しているから殺したい。好きだからいつまでも一緒にいたい。憎んでいるから酷い目に遭わせたい。嫌っているから視界に入ってほしくない。
どれもまったく、ぼくの本心そのものなんだ。矛盾するぼくたちは常に一人だった。
だからぼくは、なおさら分離しなければいけなかったのかもしれないな。
――ぼくたちはただ、愛して愛されたかっただけ。
ああ、それから、君と生きられない理由はもう一つ。
ぼくがもし、この個人的な血族の妄執を克服できていたとして、仮にぼく自身が新しいぼくとして生きていたいと願ったとする。それでも絶対に変えられないことが一つある。
壊れた壺をどんなに上手につなぎ合わせても、けして割る前に戻るわけではない。
ぼくがたどってきた過去は、どんな人にだって癒やせない。
ぼくは――認めよう。とても辛く、ぼくを千々に引き裂いてまでも消そうとした事なのだけど、まぎれもない事実として、認めなければならない。
ぼくという子どもは、たくさん傷つけられて、生きてきた。
だから、その分人を傷つけずにいられない性分の持ち主になってしまった。
あるいは、元からそういう奴だったのかもしれない。
生得か環境か。つまらない原因を追求するのはやめにして、大事なのは、この性質が一生治らないってことだ。
ぼくの存在は他人を必ず不幸にする。愛する人をこの手で殺さなければ気が済まず、それでいてずっと後悔し続けるんだ。何故あの時、許してやれなかったのか。今でも許せないのか。ぼくはもう十分味わった。
母上と父上を殺したあの日から、ずっと苦しかった。
一方で、罪という束縛はぼくたちに安寧をもたらした。
ぼくはこの世で最も恐ろしい事を二人にしたけど、ゆえに、誰よりも深く、二人とつながっていられる気がした。
……わかるだろう? わからないかい?
誰よりもぼく自身が、許されたいと思いながら、同じぐらい許されたくないと願っている。
こんなぼくの更生はね、不可能だ。ぼくに普通の穏やかな人間らしい生活はできない。そうしてぼくは、生きている限り毒をまき散らし続ける。
一週間だから君に優しいふりもできた。それでも途中で結構危なかった。
白い喉が頭にちらついて離れなくなるんだ。それを折りたくなる。男の体は衝動的で、ぼくは獣の衝動を抑えられない。
大人になんかなりたくない。男になんかなりたくない。きっとぼくは、いや絶対に必ず、父と同じ事をする。そして第二第三の母を作って、たくさんのぼくをまたこの世に生み出し、母とぼくから恨まれるんだ。
そんなの絶対に、嫌だ。
だったら可能性は潰さなきゃ。
ぼくという存在ごと、未来にぼくが、父上が、母上が――もう一度、もう二度と、産まれてくることのないように、全部消してしまおう。
だから。
ぼくは一人で逝く。一人でなければならない。他に誰もいらない。
君はぼくと一緒に来なくても大丈夫だ。
少しだけ変わったところがあるけれど、とても普通の――優しい人だもの。
君は許して許される人だ。差し出された手を取れて、別の人に手を差し出せる人だ。それなら人の中で――人として、生きていける。
君は歩いて行く。光の中を、どこまでも。そこにぼくはいらない。ぼくはいてはいけない。
じゃあね。これで本当にお別れだ、可愛い子兎ちゃん。
たぶん。ぼくは――かつてぼくたちだったぼくは。
君のことが大好きだった。
ぼくがもう少し普通の人間だったら、一緒に生きてみたいと思う程度には。
たぐいまれな善性を持つ、親愛なる友人――キリエに。
……そしてきっとここまで支えてくれたであろう、将来もぼくの素晴らしい理解者であり部下である男、バダンに。
ありがとう。そして、永遠に、さようなら。
願わくば、死後も、来世も、このままもう、二度と運命が交わらず、ぼくたちが相見えぬことを。
大好きな人達の、幸福な人生を願って。
――レクトール




