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別離1

「キリエ。お願いしたいことがあるんだけど」


 レィン――かどうかはわからなかったが、ともかく少年がとびきり甘ったるい声で切り出したのは、よりにもよってキリエが一番追い詰められてる瞬間だった。


 不健全な彼らは、若い愚かさに任せて真っ昼間っから盛り上がっていた。

 鳥籠の部屋は窓がなかったから、今が何時かなんて、すっかり彼らに翻弄されていた彼女にはわからなかったのだけど。


「明日さ、バダンに会いに行ってくれる? 一応けじめと治療の専念って事で謹慎みたいな処置にしてるから、こちらからは会いに行きにくいんだけど、キリエならいいかなって気がするから」


 ゆるやかに体を動かしていたかと思うと、上り詰める寸前にぴたりと止める。

 短期間にすっかり手練手管に参らされた体はひとたまりもなく、極端に知能指数の落ちた頭は従順に快楽を追いかけようと羨望と懇願と隷属のまなざしを背後に向けた。

 それを見て、美しい銀色の目がゆるむ。


「ね、考えて? すごく単純なこと。いいって言って? 気持ちよくしてあげる。うんって返事して? 終わらせてあげる。ほら、キリエ。はーやーく」


 耳をなぶられながら背筋を絶妙な強さで撫でられたらたまらない。震えながらこくこく何度もうなずくと、彼は背後から覆い被さってきた。


「じゃあ、いいよ」


 許しを得てようやく、彼女は甘美な悦楽の声を漏らす――。



 そうやってぐずぐずになっている間に約束が取り付けられてしまっていたのだから、つくづくやり口が汚すぎる外道な男だ。

 けれど一度自分で口にしてしまったものを、しかも一応本人も覚えているものを、なかったと突っぱねることもできない。

 少なくともこのときのキリエはそんな大胆な嘘を、レィン相手にはつけなかった。恋する乙女状態だったのだし、惚れた弱みって奴だ。



 ――思い出すだに腹が立つ。レィンに? 自分に? 他の誰かに?

 ――等しく皆、全員に。



 釈然としない思いを抱えつつも、すべてが終わって片付いた後に、


「じゃ、行ってきてね。ちゃんとお返事してくれたもんね、はいわたしあなたの言うこと大人しく聞きますーって」


 とにこにこされてしまうと、どうも反論を返せなかった。

 一応腹の中ではぶっ飛ばすぞこの野郎ぐらいは思っていたけど、喉から言葉になって出てこない。

 フォクスが顕在化していてくれれば、たぶん余裕でできたのだろうけど、違っていたようだったし。


(まあ、バダンのところに行ってくるだけで、やり方はくそ汚かったと思うけど、変なことも嫌なことも頼まれてないし。そこまで怒るほどのことでもないか)


 やや渋々と、小さなあくびをこぼしながら外に出る。

 久しぶりの従者の格好はきりりと身を引き締める思いをさせたが、眠いものは眠いのだ。

 目にした太陽がまぶしくて、とっさに手をかざし、立ち止まる。


「キリエ」


 呼びかけられて反射的に振り返ると、部屋から追いかけてきたレィン――なのか誰かのかやっぱり判然としない、何せ相手は一人だけのはずなのに精神的には完全に一対多だったのだ、大分自分も疲れているのかもしれない――に向かって目を細めると、頭の上から何かふわりと被せてきた。


「あげる」


 かぶり物と一緒に、首から何か飾りのようなものを下げられてしゃらりと鳴る。

 見下ろしてみれば、きらりとペンダントの先端が光った。

 ……見たことがない細長い細工物が紐に下がっているデザインだが、何かのお守りだろうか?


「もっと高価な奴がほしかった?」


 随分長い間手にとってしげしげと見つめていたせいだろうか、からかうような言葉をかけられて、キリエははっと姿勢を正す。


「いえ、そんな――十分すぎます。その、デザインが独特だなって」

「……幸運の、お守りみたいなものだから。そう、それはね、長寿のお守り」


 銀色の目が細められると、キリエはとっさに目を伏せた。頬が熱い。

 やっぱりちょっと、いや大分、疲れているんだろう。いいタイミングだ、バダンのところで愚痴の一つもこぼして息抜きしてこよう。それで頭を冷やそう、そうしよう。

 深く決意していると、白い手が伸びてきて軽くペンダントの先の細長い飾りを手に取り、歌うように呟く。


「死人に口なし、世の中しぶとく生き残った奴が勝ち――ってね」

「……なんの話」

「キリエは図太いし、できる限り長生きしてほしいな。だからこうして呪ってあげようかと思って」

「からかってんの? らしくない。それともハノン?」


 ペンダントを取り返すようにひったくってにらみつけると、見覚えのある艶のある微笑みを浮かべて少年は笑った。


「じゃあね、キリエ」


 ひらひらと手を振る少年に、彼女は舌打ちして背を向けた。


「そこは、またね――じゃなくって、いってらっしゃい、だろうが、馬鹿。……いってきます」


 手を上げて歩き出す従者の背を、笑い声が追いかけてくる。

 視線を感じていたけれど、いってらっしゃいの言葉が聞けなくて拗ねたキリエは振り返ろうとせず、そのまま彼の部屋を後にした。


 ……絶対振り返ってやるものかって思っていたはずが、もう見えなくなるだろうといったところで意思に負けて、ついちらっと後ろを見てしまった。

 少年は部屋の入り口に優雅にもたれかかり、キリエが見ているのに気がついたのか、笑ってまた手を振った。

 彼女は頬を膨らませ、今度こそ本気でふてくされた。




 ――このときのあいつは、結局ハノンだったのか、それとももう彼らから彼になっていたのか、数日間ずっとあいつにのぼせきりだったあたしにはわからない。

 ただ、どっちにしろ、本当あいつ、マジふざけんなよ、悪趣味だろ、最悪にも程があるだろってことだけは確かだった。

 でも、元からそういう奴だったし、確かにそこも含めてひっくるめて、あたしはあいつが確かに好きだった。


 こうやって落ち着いて思い返してみれば、あの時だけは、あいつは一言も、そう一言たりとも、あたしに嘘をついていなかったんだ。


 それなのに、あたしったら馬鹿だから。


 ただね。

 振り向いておいて、本当によかったと思う。

 ……手を振り返すことはできなかったけど、あいつの穏やかに微笑む姿を頭に刻み込めて――。


 本当に、よかった。





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