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彼の真実 前編

 さて、とは言っても何から話したものか。


 あの時の事から? さあ。私にもはっきりしたことがわかっているわけではない。


 ただ、お前の体が空を飛んで、お前が連れて行かれそうになった時、キリエがいなくなる、と思った。

 私たちは、キリエがいなくなってしまう――もしかしたら永遠に。

 全員がそう感じた。

 それはとてもいやで、望ましくなくて、危険なことだと思った。

 あってはならないことだと思った。



 ――そうしたら、ああなっていた。



 守った? そんな優しいものじゃない。

 私たちは自分の欲望を叶えたに過ぎない。思い上がるな。

 私だって知らなかったんだ、こんな事を自分がするなんて。

 お前が近くにいる事が、なんだか当たり前になっていたから、不安になったのかもしれない。


 だから、私たちはこれ以上お前の近くにいない方がいいと思った。

 お前と一緒にいると、また私が、私たちが、何をするかわからないから。

 そうとも、ひどく打算的な思考の元の結論だ。


 ……だが、レィンはお前と一緒にいたがった。お前と離れるのはいやだとゴネた。

 宙ぶらりん状態にしたのは悪かったが、まあそんな我々の見解の妥協の結果が、お前を今まで放置した理由だ。納得はできたか?



 それが好意だって? 傷つけるのが怖いから一緒にいたくない、でも好ましく思ってるから一緒にいたい。

 お前と私の気持ちは一緒だと? それなら共にあるべきだと?


 どうだろう、私はそうは思わない。

 私は基本的に私の事を信用していないから。


 好意を抱いているというのならまさにお前の方だろう。

 私に余計な期待をするのはやめろ。

 私はお前が思うほど優しい人物ではない。



 ……そうだな。全部教えると言ったのは私だ。ならもう話してしまおう。



 お前は前に、私はもっと深いところにいると言ったな。自分よりももっと深いところにいると。



 聞いてみるか?

 私がどうしてこうなったのか、本当の理由を。



 楽な姿勢にくつろぐといい。少し長い話になる。



 * * *



 物心ついた時、漠然とした違和感があった。その頃には既に、私は女の私と男の私を使い分けていた。

 優しい父。優しい母。私は当初満たされていた。

 文字が読めるようになり、話を覚えていられるようになると疑念は確信になった。


 ――私の家族は異常者なのだ、と。


 貧民街で生きてきたならお前も知っているだろう? 

 大人は案外、子ども以上に大人げない生き物だ。私の前で、物事がわかっていない子どもだからと平気で真実を話した。時には父の目を盗み、わざわざ私の耳元にささやいてまで。


 鳥籠に鍵をかけて、誰にも見せずに閉じ込めて愛でる。

 自分の息子を死産した娘と思い込み、自分の夫を亡くした恋人と思い込んで優しくする。

 どちらも、普通ではなかったのだと。

 私の父は為政者としてはまあ及第点でも、人としては最低な男だったのだと。

 私の母は社会的に表沙汰にできない存在で、人として最底辺な扱いを受けていた女だったのだと。


 ……それでも最初の頃は、変わっていても、そのおかしな部分ごと両親を信じ、愛していたように思う。

 子どもが信頼できるのは親だけで、親が自分を愛してくれるから自信がつくんだそうな。

 だからそういうことなんじゃないか?

 私は、私の親以外に誰も味方なんかいないことをよくわかっていたのだし。



 私が鳥籠の中の母に会いに行ける時間はいつも決まっていて、それを過ぎると部屋から連れ出されてしまう。

 他のどんなわがままだって叶えてくれた父が、これだけは、母の事だけはいつも、譲ってくれなかった。


 父さんは、母さんを一番に、お前を二番に愛している。他は誰もいらない。


 挨拶みたいに毎日聞かされていた言葉だよ。

 笑えるぐらい――いや、もう笑うしかないぐらい、本音に満ちてるだろう?


 母も、私と離されることを嫌がったが、ずっと私と一緒にいたがったが、結局は父に従わざるを得なかった。

 父に何事かささやかれると、彼女はいつも大人しくなる。

 それが余計見ていて悔しくて――私一人仲間はずれにしてむつまじくしているように見えて――幼心に、私は不満を募らせた。


 父はよく私に言った。

 ――これから、大人の話し合いがあるんだよ。

 私はよく聞いた。

 ――じゃあ、私が大人になったら混ぜてもらえる?


 父は意味深な微笑みを浮かべるだけだったさ。私は都合良く、それは肯定なんだと解釈した。

 今思えば、あいつは大人になったところで、「真実」を説明するつもりはあっても「大人の話し合い」に混ぜるつもりは全くなかったんだろう。

 ……混ぜたらそれこそ大問題だ。私に対しては、息子か娘に対する愛情しか持っていなかったんだと信じたいよ。



 本当に、本当に小さい頃だけは、私は夢を現実だと信じることができていたのだけど……理想が崩れるのはあっけなかった。


 あれは、そう……六歳か、七歳の頃だったかな。

 私は勉強を終えて、大好きな母とお話しをしていた。

 そのうちに、なんだか母の様子がおかしくなっていった。

 時々あったことだ。

 母は病弱で、病気の発作で、症状をわかって収められるのは父だとすり込まされていたから、私はそのときも従順に父を呼んだ。



 でもね……そう、肝心なところで私の言うことをきいてくれない二人に対するちょっとした反抗心が芽生えていた頃だったし、論理的な思考ができるようになってきた頃でもあった。


 私はね、大人達を欺くことにしたんだ。

 さすがに鳥籠の中に居座ることはできなかったけど、ちょうどそこの、ほら、外にも色々物が置いてあって、ちょっと大きめの籠がそこにあるだろう? 少し前からちょっとずつ準備をして空にした私は、体が小さかったのもあってまんまと潜り込んだ。


 私は部屋に残ったままだったけど、母は軽度の錯乱状態にあって私所じゃなかったし、部屋の周囲の大人や父は私がいつも通り気を利かせてもう出て行ったと思い込んだし、そのさらに外の母の正体を全く知らない者達は私が母のところで長居しているのだと思った。


 自分で言うのもあれだけど、本格的に分裂する前の私は父の言うことをきく、驚くほど聞き分けの良い優等生だったからね。

 そんな子供じみたことをするとは思っていなかったのさ、皆。



 ともあれ。

 私は部屋に残り、籠の隙間からそっとのぞき見して「大人の話し合い」がどんなものなのかドキドキしながら待った。

 そうとも、浅はかで幼稚な子の好奇心と悪戯心だ。

 ……だが、大惨事を招いた。


 いや。見つかったわけではなかったよ。驚きすぎて暴れたり叫んだりする余裕すら私にはなかったんだから。



 鳥籠の中、紗幕の向こうで二人分のシルエットが動いていた。

 私も、たぶんお前ほどではなかったと思うけど、亜人だから耳はそこそこいい。

 二人の口論の内容はちゃんと聞いてしまった。


 ――あなた、誰――?

 ――ここは、どこ――?

 ――アルトゥとレィンは――?


 怯える母はそんなことを口走った。

 アルトゥ? 私には初めて聞く言葉だった。


 するとね、父が、聞いたこともないような恐ろしい低い声で喋り出したんだ。


 ――久しぶりだね、リティ。こっち側に戻ってきたのは。


 母はしばし沈黙してから、絹を裂くような悲鳴を上げ、暴れようとした。

 それを父が押し倒す影が見えた。


 ――いや! 離して、離してぇっ!

 ――冷たいことを言うな、せっかく正気の世界に来てくれたんだ、心を込めてもてなすよ。

 ――悪魔! 人殺し! アルトゥ、助けて――!


 何かを張るような音が響いた。


 父だよ。母に暴力をふるったんだ。


 ――その名を私の前で口にしたら許さないと何度言ったらわかる? 仕方ない、体に覚え込ませてあげよう、何度でも。


 母は泣いていた。

 びりびりと、布が裂けるような音がしていた。



 ……うん。そういうことだ、キリエ。

 父は母を強姦していたんだ。母は父を愛してなぞいなかった。私はその決定的な現場を見てしまった。



 ショックだったよ。世界が、自分が、ばらばらになってしまうかと思った。

 他のすべてが偽りでも、幸せな家族の形だけは真実だと思っていたんだから。

 父が、あんな下劣なものだと知ったのもいやだったし、父にあんなことをされてしまう母のことまで嫌いになりそうだった。

 そんな風に二人を思ってしまう自分のことは、さらにいやだった。




 でもね。私は逃げ出すこともできずに、籠の中で一部始終見届けて、聞いてしまったから、もっととんでもないことまで知ってしまったんだ。


 母のすすり泣きが喘ぎ声に、嬌声に変わっていく中で、あの人は何度か言った。



 ――ロステム、お兄様、やめて。いや、もう、産みたくない、お兄様――。


 私が聞き間違いようがないぐらい、何度も言った。


 おにいさま、と。











 キリエ。おかしいと思わなかった? いくら嫉妬深いにしても、あんなに徹底して監禁する必要が、外の人達が誰も王子の母親の事を知らないような状態にする必要がはたしてあったのかって。愛妾にしたならなぜ罪人のような扱いをする?


 ――そう。必要はあったんだよ。彼女の正体を絶対に隠し通さなければいけない理由は、あった。これが答えなんだ。



 私の母の名がリテリアだと言うことは、元から知っていた。

 父の、昔嫁いでいって死んだ実の妹の名前が同じリテリアだと言うことも、知っていた。


 わからない? キリエ。

 知っていた二人は同一人物だった。

 私の叔母は、私の母で、私の伯父は私の父で、私の祖父母は二人しかいない――。



 つまりそういうことだ。

 私は近親相姦でできた汚らわしい身ということになる。


 イライアス一世はね、実の妹を愛人にしていたのさ。

 前の家族と引き離し、その死を偽装し、鳥籠に閉じ込め、狂気の世界に追いやってまで……妹に私を産ませたんだ、あの男は。



 わかってしまえば、すべての不審が全部綺麗に解決した。

 そして嘘だらけの両親の間に産まれた事がわかった私には不審しか残らず、それでも私は良い子でいたかったし、両親のことを愛していたかった。



 ……だから、思い返せばあれが二度目の、そして本格的な分裂だったかな。

 私は、レィンと、イライアスと、それから良い子の私たちが受け入れられない部分を押しつけるための三人目とに別れたんだ。




 キリエ。君は逃げなくて良いの? 昔と違って籠は開きっぱなしだ。君はいつでもそこから外に出て行ける。いやになったらすぐそうするといい。




 ……それとも、まだ聞いてみたい?

 私の底を、のぞいてみるつもりはある?




 そう。

 じゃあ、私たちの本当の懺悔を、受けてくれる?

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