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石版5

 あたしが気がついたときは、もうすべてが終わって王宮に帰ってきたところだった。

 大体一日ぐらい、眠っていたらしい。


 ベッドで目を覚ますと、やってきたお医者様には、体のあちこちに打ち身や痣の症状が出ている他、肋骨にヒビが入っているだろう、と言われた。胸の下辺りを変に動かすと確かに痛みが走った。

 幸いにも軽傷な方で、安静にしていたら数週間で治る程度のものらしい。胸部にコルセットを巻くのはいつものことだし、痛み止めを出してくれるというので自分自身のことはそこまで心配してなかった。ひょっとすると、あの時もコルセットが盾になって軽い方で済んだのだろうか。


 御主人様はどうしているのか尋ねたら、幸いにも何事もなく公務に戻っていると聞かされる。

 暴漢から御主人様を守ったとかで、あたしは忠義心を褒められた。微妙な顔をするしかない。たぶん、守られたのはあたしだったんだから。


 あれからどうなったのか。何が起きたのか。どういうことにされたのか。

 聞いてみたかったけど、自分が油断したら何かおかしな事を口走ってしまいそうで、あまり質問責めにはできなかった。


 すぐにでも御主人様に会って、顔を見て安心して、色々聞き出したかったのだけど、そうはいかないみたいだった。治るまで仕事はしなくていいと言い渡されていた。あたしだけじゃなくて、バダンも。それであいつ生きていけるんだろうかと思ったけど、どういうわけかどうにかなっているらしかった。

 ちなみにバダンの方が重傷らしかった。そりゃそうだ、袋だたきにされてたもの。それでも命に別状はないらしいと聞いて、すごくほっとした。

 バダン本人が無事だったこともそうだけど――御主人様がこれ以上失わずに済むと思って、あたしは安心するのを感じたんだ。



 御主人様はちっとも顔を見せようとしなかった。むしろあたしのことを避けているんじゃないか、いや絶対そうだろってぐらい、姿を見なかった。

 王宮の中だから噂だけは毎回届くのだけど、肝心の本人とは会えずじまい。

 元々、そういう距離の人だったと言ってしまえば、それまでなのだけど。


 最初の頃はちょっとした動きで胸に痛みが走って怖かったからろくに動けずにいたけど、その分ぐるぐる思考は回った。



 あれはなんだったんだろう?

 まず浮かぶ疑問には結構素早く答えが出た。

 きっと、おそらく、まだ会ったことのない人格だった。


 そうなると、落ち着いた今浮かぶのは、もう一つの疑問。

 ――どうして、あの時出てきたのだろう。


 確かに命の危機にさらされていたといえばそうなのだけど、彼らは殺害ではなく拉致が目的だった。ハノンが先に挑発をしかけたぐらいだし、たぶん御主人様も最初はそんな大事になると思ってなかったんじゃないかな、とあたしは考えた。


 だから、その辺のこととかも、どうしても本人に会って聞いておきたかったんだ。

 あっちが会ってくれないなら、どうしようもないなって感じだったけど。


 このまま終わるのかな、このまま空気読んで出て行けって事なのかな。

 そんなことも考えたけど、やっぱり踏ん切りはつかなかった。


 漏れ聞こえてくる噂は、徐々に、徐々に悪いものになっていった。

 郊外で人間達が惨殺され、それで王家へ怒りが高まっていると聞いて、あたしの心臓は酷く跳ねた。

 それなのに話をしたい相手は見えない。外に行ってみようかとも思ったけど……なんだか二度と入れてもらえないような気がして、結局王宮の中の許されている場所、つまり自室とその周辺のほんの狭い場所をぐるぐる歩き回っただけだった。




 数週間、あたしはよく言えば治療に専念していた、悪く言えばだらだらと日々を過ごしていた。

 ある日、与えられていた部屋に意外な、意外すぎる人がやってきた。


 ふっくらしたシルエットの上品そうな白い犬の亜人。

 御主人様のお母様――を、演じていた人だ。


 ……驚いたなんてものじゃなかったよ。深夜にやってくるから誰かと思ったら、よりによって、なんだもん。あの人が鳥籠から出たのをあたしは二年間見たことがなかったから、これは夢なんじゃないかって思ったぐらいだ。


 あんぐり口を開けたままどうしたらいいのかさっぱりわからなくなったあたしに、その人は丁寧に腰を折って礼をし、被っているヴェールの下で金色の目を細めた。


「ようございました。怪我の方も大分よくなったとお聞きしています。よろしければ、少しお話しをしませんか」


 たっぷり数拍分挟んでから、我に返ったあたしは慌てて部屋に通す。このときは本当にびっくりして、お茶とか出すのもすっかり忘れていた。そんなあたしの無調法も一切責めず、彼女はあたしの向かいに座るとそっとしゃべり出した。


「突然押しかけてこられて、さぞ驚いてらっしゃるでしょう」

「……あなたは?」

「元々は高級娼婦でした。その後、先王陛下に雇われて――亡きお方の、お世話係をつとめさせていただいた者でございます。坊ちゃまのばあやのような事も、ほんの一時でしたが、させていただいたことがございます。それから……バダンの母親でもありますの。彼とは、血がつながっているわけではないですけど……」


 自分が何者であるのか。あっさり彼女は暴露した。

 ひとまず飲み込んで理解して、あたしはからからの口で質問を続ける。


「どうしてこんなことに?」

「その問いは、あたくしがなぜあのような醜悪で滑稽な役割を勤めているか、ということについてですか?」


 うなずくと、彼女はふっと視線を遠くし、ゆるゆる首を振る。


「――坊ちゃまが。おかわいそうでした。あんなに可愛らしい子でしたのに……」


 一度区切り、考え込むようにうつむいて、彼女は話を続けた。


「元は――それでも前は、あそこまでではなかったのです。小さい頃からとびきり賢いお方で、どんなにか周りに気味悪がられようと、お母様に合わせて、彼女の前では女の子として振る舞い続けた。一方で、物心ついて周囲がわかるようになってからは、表ではきちんと王子様らしくなされていた。けれど、そのお母様が亡くなられて、次いで先王陛下もお倒れになって……あたくし、尋常でなくお嘆きになるあの方が、お母様を、お父様を探して泣き叫ぶあの方が、不憫で、声を聞いていられなくて。思わず言ってしまったのです。あたくしがお母様です、お母様はまだ生きてらっしゃいます、と。そうしたら――」


 そうしたら。

 ……たぶん、今のレィンが、イライアスが、そして他の彼らが、生まれたのだろう。

 自分を守るために。


 彼女は目を伏せて、ゆるく組んだ両手に視線を落としていた。

 その声は、いつもきいている通りの優しさと、そして憂いに満ちていた。


「あたくしたちのせいで、ああなってしまったのかとも考えると、恐ろしい。坊ちゃまを今お世話させていただいているのは、あたくしと、あの部屋の老人達です。皆、亡きお方にお仕えしていた者達です。……あたくしたち以外、誰があの方を甘やかす事ができるでしょう。けれど――けれど。あたくしたちは、間違えたのではないか。そう思えて、仕方ないのです。もっと他に、何か――なかったのか、と。傍観者である以上に、なれなかったのかと」


 ……籠の中の鳥を演じる人は、きっとずっと誰かに弱音を吐きたかったんだろうと思う。

 あたしはなんとも言えなかった。

 色々、聞いてみたいことがあったはずだけど……質問が喉でとどまって、結局出てこない。


 この人ではない。この人に聞いてみたいのではないのだと、感じていた。


「……坊ちゃまは、あなたを大事に思ってらっしゃるように感じられます。いつも一緒に連れ歩かれて、お気に入りなのだと、バダン以外にも坊ちゃまに心許せる相手ができたのかと、あたくし共も嬉しく思っていました。けれど、先日の件で――何があったのか、あたくしは詳しく知っているわけではありませんが、とにかく危ない事があって――考えが変わった、今はあなたから離れようとしている。違いますか?」


 あたしは答えなかったが、それが肯定だと女の人には伝わったようだった。

 彼女はうなずいて、ゆっくり立ち上がる。


「三日後の夜。こちらでお待ちください。鳥籠にご案内します。……もし、あなたにそのおつもりがあるのなら、坊ちゃまに会ってください。今声を届けられる方がいらっしゃるとしたら、それはあなたしかいないと思うのです」


 あたしは無言でぎゅっと唇を引き結んでうなずいた。

 このままじゃ、何をするにも決め手がない。

 もし御主人様があの時の事で何か思ってあたしにもう会いたくないと考えているにしろ、ちゃんと本人の口から聞いて決着をつけたかった。


 というか、日にちが経つにつれて御主人様への心配よりイライラの方が増してきていて、もういっそ出て行けと追い出されたのならともかく、王宮の中にいてもいいけど従者は暇を出すとか、中途半端すぎる、側にいてほしいのかいてほしくないのかはっきりしろ、そのぐらいのことは言ってやろうと息巻いてたぐらいだった。




 ――レィンが毒を飲む、十日前のこと。


 そのときもまだ、あたしは何も知らない部外者だった。

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