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塩水1

 翌日、宣言通り王宮外に抜け出したイライアスは(人目をはばかるように周りを見回した挙げ句塀をよじ登って抜け出した方法からして、絶対に今日の予定は半計画的無断欠勤だとキリエは確信した)、王宮のある都心部からそれなりに離れた郊外に足を伸ばす。

 そういえば出会ったときも思わないでもなかったが、彼はどちらかというと座っていることを仕事にする身分の割に健脚で、歩くのもやたらと速かったし疲れる様子も見せにくかった。ついていくキリエの方がちょっと大変なぐらいだ。レィンのときはきゃしゃな見た目のままに弱々しいが、イライアスになったときのこの不思議な力はどこから湧いてくるのだろうと彼女はしばし疑問に思う。


「こういうものは王宮内にあると思っていました」


 キリエは目的地にたどり着くと、涼しげな主の横で肩で息をしながら建物を仰いだ。

 人の居住区を離れて静かなその場には、どっしりした門と塀とが立っている。侵入を困難にするためにだろうか、塀の外には堀も存在していた。門の二階部分にいる番人らしい人物は、イライアスの姿を認めると一度だけ上げかけた腕を下ろした。

 ……見間違いでなければ、構えかけられたあれは弓だったんじゃなかろうかとキリエは冷や汗を垂らす。


「祖母であるバスティトー二世は神殿と仲が悪かった。あと王宮内部の祖先の墓にはエルイネス女王やさらに先代達も埋葬されてるから、一緒のところにいたくなかったんだろう。こっちに自分で墓を作ってしまったということだ」

「ということは、こちらにはバスティトー二世陛下も!?」

「祖母ともう一人、そして母が今は眠っている。父の居場所も確保済だ。私は……できればここに入れてほしいんだがな、どうなるかはわからない」

「なんてところにあたしを連れてきたんですか……それに……お言葉ですがその、あのバスティトー二世と同じ墓に入れるだなんて。溺愛が過ぎていたにしても先王陛下はもうちょっとこう他に選択はなかったのかと」


 一人で来るし外装がそこそこ落ち着いていたからてっきりひっそり死んだ愛妾のためにひっそり王が建てた者なのかと思ったら、ばっちり王墓だったんじゃないか! これ公式行事で大勢連れてきて見舞わなきゃいけない奴だろう、絶対!

 さらりと暴露された事実に頭痛が浮かびかけている従者は、このとき頭をおさえるように抱えていた。そのせいで、何気ない言葉を口にした瞬間、イライアスの表情がぐっと歪んだのを見逃した。


「いや……彼女は、とても。喜んでいると思うよ」

「お母様が、ですか?」


 何も知らない従者の無知な問いかけに、彼はなんとも形容しがたい曖昧な薄い微笑みを浮かべ、キリエから故人の眠る場所へと目を向けた。


「偉大なる祖母は、母が死ぬ一年前にみまかられ、あらかじめ建てていたこの場所に神を伴って入られた」


『わたくしはここで待ちましょう。もうあと三人ぐらいは余裕がありますよ』


「父には、そんな言葉を遺していたらしい。だから母もここにいるというわけだ。祖母にはちょっと気持ち悪いぐらい先見の明があったようだから。……思えばあれが、父の最後の正気で良心だったわけだな。母の願いを一つだけは叶えたということだ」


 つぶやきの意味を、彼女はさっぱり理解することができなかった。ただ、主の言い方から一つだけ非常に引っかかった部分がある。


「バスティトー二世陛下は、ひょっとして、あなたのお母様と知り合いだったのですか?」


 キリエの問いかけに、今度は返答がなかった。

 む、と頬を膨らませてキリエは考える。

 ひょっとして彼の父と母とは、祖母とのつながりによって会ったのだろうか? 事情が事情だから名前もあまり出せないみたいだけど、バスティトー二世の天下では諸国から貴人を集めていたという話しだし、案外行儀見習いに来ていた貴人の侍女か、本当にどこかの王族だったのかもしれない……。

 彼女は主の心も知らず、平和にのんきにそんな風に想像を、妄想を進めていた。



 ――答えられるわけがなかったと、今なら思う。その一方で、ヒントばかりは律儀にちりばめていたのだ。ひねくれもののあいつはいつもそうだった。気づいてほしいのか、そうじゃないのか、あいつは自分でもわからなかったのかもしれない――。



 彼は当然の顔をして石造りの廟の内部に侵入し、祭壇のような、祈りを捧げる場のようなところに座った。

 彼の見つめる先は数段高くなっており、そこにきらびやかな石像が安置されている。察するにあれは生前のバスティトー二世をかたどったものではないかとキリエは思った。レィンと同じ白い耳に白い尻尾、それから面立ちが少し似ている気がする。

 バダンが当然の顔をして抱えてきた花束を、いつの間にかせっせと近くから汲んできたらしい塩と水も一緒にして備え、落ち着いた美声で朗々と言葉を唱える。内容をよく聞けば、彼らの労をねぎらい、また子孫達の現状報告としてこの一年にあったことを報告しているらしい。


 後ろで見守っているだけだったキリエははっとした。

 イライアスの言葉は、レィンが籠の中の偽物の母親に伝えていた内容と酷似している――というより、同一のものだった。


(偽物の生きた母に嬉しそうに告げる虚構の娘と、現実の死んだ母に淡々と語りかける現実の少年……)


 一体どちらの姿が正しいのだろう。あるいは、どちらの姿が彼らにとっての本当なのだろう。


「母上。私は今日も健やかに、幸せに暮らしています」


 その言葉が、本当のものであるように。

 静かに両手を合わせて目をつむるイライアスの後ろで、キリエもいつの間にか同じポーズを取っていた。

 彼女の主のことを、願いながら。




 明け方に王宮を抜け出してきたのに、すっかり午後を過ぎて夕方になっていた。

 こっそり帰るのは深夜になるな、と思っている彼女に、墓参りを満足するまで終えたらしい彼がくるりと振り返って告げる。


「今日は外泊するから帰りの心配はしなくていいぞ」


 ――だから、そういうことは、事前に言ってくださいと!


 主のことを恨めしそうににらんでわなわな震えたキリエだが、王墓を出て少し歩いたところで何やら見慣れぬ人相の悪い一団にざざっと周りを取り囲まれ、バダンと共に警戒する。


「何者だ。路上強盗の類いなら、悪いことは言わないから引っ込んでおけ。蹴散らされるぞ」


 あたしじゃなくて後ろの二人に。

 キリエは従者として主の前に出ておいておきまりの口上を述べ、そっと末尾の言葉を飲み込む。


 実際、荒事になったら逃げ足だけにしか自信のないキリエと違って、後ろの二人はすばしこいし筋力はあるし容赦がないし最終的にどうにもならなくなっても権力で殴るし、喧嘩やカツアゲ相手として嫌な部分しかない。

 特に、見た目からして明らかに強いバダンより、見かけはやわな美少女ないし美少年の癖に腕相撲でまったく相手に勝ちを譲ってくれない主の方が、悪質度は高いとキリエは思っていた。これだけの軽警備でホイホイ遊び歩く悪癖も相まって。


 ところがすわついに主の怠慢のツケかあたしも首が飛ぶか、と軽く覚悟を決めかけたキリエを前に、ざざざっといかにもならずもの風情の男達が一斉に音を立てて膝をついた。


「姉御! お迎えに参りました!」


 え、と振り返ると、さらっと銀髪をたなびかせて、なんだかすさまじく得意そうな美少年……美少女……なんかそういうものを超越した何か……が立っている。


「お馬鹿。ハノン様とお呼び」

「申し訳ありませんでした、ハノン様アアアアー!」


 妙に色っぽく尊大な態度の年下主人と、地面に額をこすりつけるいかにもカタギではない男の群れ、そしてこんなときでも平常心を顔から失わないバダン。


 ――あたし、今度から、頭痛に効く薬、常備しよ……。


 キリエは頭を抱えながら心に誓った。

 胃薬とどっちか、少し迷った。




 男達の用意した輿で運搬され、ハノンはそのまま郊外にあるやっぱり外から見ても一般人ではない豪勢な邸宅まで連れてこられた。

 王宮ほどの広さはさすがにないけど、結構内装の豪華さはいい勝負してるじゃないか、ともはや白目が絶えないキリエを半ば引きずるように、主人と先輩従者は勝手知ったる様子で屋敷の中を歩いて行く。

 貴人をもてなす空間なのだろう、どこかの高級娯楽施設を彷彿とさせる広い空間に、色とりどりの美女達に囲まれた男がいた。

 彼は銀髪の亜人が部屋に入ってくるのを見ると、だらしなく表情をゆるませていた中年の男が目を丸くして立ち上がり、ドスドス歩み寄ってくる。


「ハノンたん! ひどいじゃないかっ、一体どれだけボクちゃんを待たせるつもりなのっ!?」

「ダーリン、おすわり」

「ああんっ、そんなハノンたんがしゅき! ……君たちっ、ほらっ、帰った帰った! 今日はもういいから!」


 ……来たかと思ったら、ハノンの足下にスライディングする勢いで滑り込んできて彼女の――あれ、彼女でよかったっけ? よかったんだった……――靴に口づけのポーズを取る。

 それを見て、ここまで丁寧に送ってきてくれた男達と、さっきまで男をちやほやしていた女の子達が心得た様子で、別れの挨拶と軽い会釈をハノン達にしながらあっという間に退散する。


 なんだこれ。あたし、疲れているのかな。

 ふらふら頭を揺らしているキリエの肩を、しっかりしろという感じに先輩が結構強くぽんと叩いた。

 彼女は我に返る。

 するとちょうど、見るからにだらしないその辺のスケベ親父という様子だった男が、キリエに向かって思いがけない鋭い眼光を向けてきているところとかち合った。


「この子は?」

「四ヶ月前に拾ったの。お買い得だったのよ」


 思いがけず視線を合わせてしまってちょっと驚いたキリエだったが、もうかち合ってしまった者は仕方ないと即座に開き直り、そのままじーっと相手を見つめ返し続けた。

 すると注がれていた眼光と威圧感はふっと消え、男はまただらしなく相好を崩すと甘ったるい声でハノンに言った。


「本当だ。こりゃいい買い物をしたね」


 言われてハノンは少し得意そうに胸を張った。

 キリエの方は、自分が今褒められたんだろうか、というかこれってどういう状況なんだろうか、と未だ混乱の渦中にあって忙しいのでさっさと耳打ちしてネタをあかしてほしいところなのであるが。


「でねー。そのときちょーっといざこざがあって、ヤザンのくれたお守り、なくしちゃったの。ごめんね」


 ハノンが喋っている事に、キリエはふと聞いたことがあるなとピンと思い立つ。

 どこでだったっけと考えている彼女の耳に、その間にも会話は届けられる。


「もーハノンたんたらー、おじちゃんが見張ってないときに悪戯したらだめじゃないかー。あの女がここにお守りを持ってきたのは、そういうわけだったんだね?」

「この子本人は見ての通りなんだけど、ちょっとおまけが面倒な相手で、あとあたしの気に障る事言ったから、引きはがすために」

「……ま、もともとハノンたんを守るためにあげたものだし、上手に使ってくれたみたいだからよかったのだけど。駄目だよー、変な人を挑発しちゃ」

「そのときはダーリンがなんとかしてくれるんでしょ?」

「ハノンたんっ! ……してあげるけどぉ、その場で傷つけられちゃったらさすがのボクちゃんだって駆けつけられないんだからねー」

「ダーリン、頼りにしてる」

「またそうやってボクちゃんのことをもてあそんで! 本当にもうっ、悪い子ねっ!」


 男がぽっと顔を赤らめ、ハノンがいかにもそれを適当にあしらっているのを見つめながら、あ、とキリエは口を開けた。


 ダーリン、ヤザン。そうだ、最初にレィンとハノンに会った時にも聞いた言葉。あの時の話と、今の様子から総合して、遊び歩くためのパトロン……と言ったところなのだろうか? 男の具体的な身分は知らないが、あの周りに侍っていた男女とか、この生活に不自由してないどころかたっぷり遊んでそうな様子からして、その道の実力者なんじゃなかろうかとキリエは推測してみる。先ほど急に鋭くなった目といい、ただのスケベな中年親父とは侮らない方がよさそうだ。


 それにしてももう一つ気になるのは二人が話していたことに微妙にまだ心あたりがあるところだ。

 キリエの脳裏に、罵声を浴びせようとする母と、何か見知らぬ塊を投げつけたハノン、それから後で店主と訳知り顔で語っていたハノンの様子が蘇る。


「はあ、でもこれでようやく決着がつけられそうだ。向こうはさ、くれたって言ったからもらったって言って譲らなかったし、ハノンたんはどっちのつもりだったのかなってちょっと困ってたんだよー。はっきり聞けてよかった、これで処分が決められるね」

「ああそう、それもね、今回片付けようと思って、この子を連れてきたの」

「……あたし?」


 主が急に自分に話題を向けてきたので、キリエは忙しくしていた思考を打ち切ってきょとんと目を丸くする。

 年下の主は、この人格にしては妙に晴れやかに無邪気に言ってのけた。


「キリエ、チャンスをあげる。喜んで? ――あんた、憎い母親とおさらばできるわよ」


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