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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
リテリア編
7/99

小鳥4

 母親の不在の間、兄と一緒に過ごすしかほとんど選択肢のなかったリテリアは、自然と人形遊びから読書、そして勉強へと暇つぶしを変えていくようになった。


 単純な話、同じ事をしていた方が場になじみやすい。

 それにリテリア本人が知的好奇心が強く、勉強をさほど嫌わない性質だったせいもある。

 ロステムは自分が読み終わった本をリテリアが望むと、貸すどころか快く譲った。


 バスティトー二世の子ども達のうち、長女ララティヤは政治に興味を示さず、もっぱら何が自分を美しくするか、どうすれば快適に過ごせるか、どういった殿方が素晴らしいか、何が自分の退屈を潰してくれるか――そんな、いかにも貴族の女性らしい悩み事に忙しかった。

 自我の薄いルルセラもまた、ララティヤに従う。

 そんな長女と三女は、長男とあまり気が合わない。

 お互いに興味関心がずれていたため、どちらかが話を振っても会話が続かないのである。

 互いに対する関心も薄かった。


 それに比べて、リテリアは幼い頃から兄の話に関心を示したし、リテリアの知識が増えればますます共通の話題が増える。



「リティ、今日は何の本を読んでいるの」


 ロステムに話しかけられるとリテリアは自然と姿勢を正した。

 兄の少々俗世離れした雰囲気には、何年経っても慣れそうにない。


「お兄様、地図を見ていたの。私たちの国はここ、私たちの住んでいる場所はここなのですね?」

「そう。ここが国の首都。ここからここまでが国境……」


 彼女はどちらかと言えば控えめなぐらいだったが、ララティヤほど喋りすぎないだけで、ルルセラよりは話す。

 つまりきっかけさえ与えてやれば、きちんと会話することができる。

 ロステムは少しの間リテリアが話す事に耳を傾けていたが、ぽつりと言葉を返す。


「リテリアは……この国の外にも興味があるの? よく、そういう本を読んでいるね。外国語の勉強もこの間始めていたし」

「だって私、宮殿の外どころか外宮にも行ったことがないんですもの」

「……そう。知りたい?」

「それは……でも、お母様がお許しにならないわ。お兄様がうらやましい」


 バスティトー二世は秘蔵っ子を離したがらず、内宮、つまり王族の住まう場から政を行う場所へすら娘を出したがらなかった。

 まして宮殿の外、さらに外国なんてとうてい無理だろう、とリテリアにもわかってはいる。


 それでも見たことも聞いたこともない世界の知識を得るのは楽しいし、機会があるのなら実際に経験してみたいと思う。

 ロステムは外の世界にもちらほら足を運んでいるようだったから、リテリアは素直な憧れを口にした。


 けれど兄の反応は芳しくない。

 妹の無邪気な態度に、伏せられた金の瞳はどこか暗い影を落とす。


「それは、どうなのかな」

「……お兄様?」

「外の世界は……楽しいことばかりでは、ないよ。……あまり見せたくはないな。リティは今のままでいいんだよ。今のままで可愛いよ」


(外の世界は怖いことだらけですよ、仔猫ちゃん。お前なんかあっという間に食い散らかされてしまうわ)


 バスティトー二世はリテリアにそう言った。

 母と似た兄も、ほとんど同じ事を言う。


 彼女はしょんぼりと肩を落とした。これではますます自分の望みは叶えられないに違いない。

 すると、彼女のあからさまにがっかりした様子に気がついたロステムが、幾分か優しく言い直そうとする。


「でも、代わりに僕がいくらでも話を聞かせてあげる。お前が満足するように、いろんな事をしてあげる。……だからお前は、ここにいればいいと思うよ。ずっと……ずうっと」


 一見いつもと変わらない様子だったが、なだめているにしては雰囲気が穏やかではなかったようにリテリアには感じられた。

 彼女はにっこりと微笑んで返した。


「ありがとう、お兄様。嬉しい」


 それ以外、自分にできることはないと知っていた。



 ロステムに友人や師のような存在がいなかったわけではないが、彼らは同時に大抵臣下であり、客人であり、時として現在、将来の政敵ですらあった。

 兄は慎重な男で、敵を作りたがらない。

 表面上は親しくしているが、本当に腹の内を明かせる相手などいない。

 母親ですら味方と言えるのか怪しい関係だ。


 そんな中で、リテリアは兄に敵対する理由がないし、周囲から距離を置かれている身なので万が一その気を起こしたところで伝手がない。

 つまり自分は安全圏、気を抜いて喋る相手として最適なのだろう。

 だからリテリアがどこか遠くに行ってしまうと言ったなら、寂しさを覚えるに違いない。


 リテリアはそんな風に心得ていた。

 彼女は母以外に自分を必要としてくれる存在をありがたいとも思っていたが、時折感じる妙な気配や母の言いつけがあっては、兄が望むすべてを叶えてやれない予感もあった。



 人形遊びから一段進化すると、最初は大人しく本を読んでいる事が多かったリテリアだが、そのうち他の芸事もたしなむようになった。


 きっかけは例によって母である。

 バスティトー二世は自分が帰ってきたときに娘が分厚い本を抱えているのを見ると、すっと目を細めた。


「仔猫ちゃん、お前、そんな本を読んでいるの」

「……だめ?」


 指摘されたリテリアがとたんに身を縮めてびくびく聞くと、バスティトー二世は少し思案するような顔立ちになり、最終的には明るく微笑んだ。


「いいえ? けれどそれだけが好きだとまで言うのなら、関心しませんね。もうちょっと興味関心を広げて、できることを増やしましょう。誰か教師を……いえ、わたくしが教えた方が手っ取り早いかしらね」

「お母様が私に教えてくださるのですか?」


 母が自分と一緒にいてくれる時間を増やしてくれると言うので、リテリアは喜んだ。

 彼女の顔に浮かぶ喜色を見て、バスティトー二世も満足そうに喉を鳴らし、甘やかな声でささやく。


「仔猫ちゃん、賢いのは良いことだけど、お前は人間の女の子です。自慢するならお母様になさい。成果を見せるならお母様になさい。他人にお前の素晴らしすぎるところを悟らせては後々面倒です。お前はね、バスティトー二世に溺愛されているけど、本人は大したことがなく、何もできないかわいこちゃん。そのぐらいに思われていてちょうどいいのですよ」


 母はまたリテリアにはわからないことを言った。

 リテリアは曖昧な微笑みを浮かべて流し、母に従った。

 それが自分に望まれていることだと知っていたから。



 母から教わった楽器の演奏や手すさびの刺繍などは、暇つぶしに大いに役立つ。

 兄がさらに忙しくなって会えなくなっても、姉と妹に無視をされても、母がどこかにいなくなってしまっても、リテリアには何かしらやることがあった。

 彼女は静かに一人の時間を埋めることに没頭した。


 けれどその時々は抑えられる不安でも、積み重なれば大きくなり、やがては我慢を越えてあふれ出す。



 リテリアが十歳の時、ついに事件は起きた。

 ――けして、取り返しのつかない過ちだった。

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