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浸食2

 すっかり日が顔を出し切った頃、たっぷり時間のかかった身だしなみチェックが終わった。このために日の出ないうちから起き出してきたのかとキリエは納得したが、時間をかけた割には結局それほど派手でもない装いになったことに少し驚く。


「お父様もお母様も、あまり華美すぎるのは好きじゃないから」


 キリエの視線に気がついたのか、そんな風にレィンは笑った。


 鼻歌でも歌い出しそうなほどに上機嫌の主の後をバダンと共にくっついていくと、彼女は内宮の、キリエがまだ足を踏み入れたことのない場所を慣れた足取りで進んでいく。


 未だに新参者はどこに何の建物があるかで混乱する広い王宮は、ざっくりわけるならさらに外宮と内宮に別れていた。外宮が昼間仕事を行う場所、内宮がいわゆる後宮を中心とした王の私室空間だ。一日の始まり、起き出してきたときがレィンだと内宮内の自室でくつろいでいることが多いが、イライアスの場合はさっさと男になって外宮に公務をこなしに出て行く。だから今日は内宮で過ごすのだろうとは思っていたが、レィンが普段生活しているところよりもさらに静かで人気のない場所に向かっていくので、キリエは本当にこちらであっているのかと何度も首をかしげることになった。


 腕をさすっているキリエは、やがて進行方向に門番らしき人物の姿を認める。

 部屋の入り口の前に立っているらしい二人の男は、それなりに高位の身なりとたくましい体つきをしており、レィンの姿を確認すると露骨に嫌そうな顔をした。


「まともじゃない方が来やがったか」

「陛下。そちらも同行させるおつもりでしょうか?」


 片方がごくごく小さい私語を呟き、もう片方はキリエに顎をしゃくってレィンに尋ねかける。


「せっかく新しく従者が増えたのだもの、ご紹介してはいけない?」

「従者と言えど、そんな肥溜めから拾ってきたようなガキを……」

「お父様は許してくださるわ。お優しい方だもの」


 なるほど彼らが先代国王の私室の番人達か、とキリエは推測した。

 門番は二人とも明らかにキリエを入れる事を渋っていたが、レィンがいつも通りの天真爛漫な様子で答えると深いため息を吐いて道を開ける。


「ちょっとだけ待っていて、キリエ。先に少しご挨拶をしておくから」


 主に言われたので彼女がその場にとどまると、少しの沈黙を経てから横合いからキリエがよく聞こえるウサギの耳を澄ませるまでもなく嫌味な声がかけられる。さっき私語を口走った方だ。


「ご機嫌取りもここまで来るとご苦労なことだ。気狂いのごっこ遊びに付き合ってまで特権がほしいのか」


 キリエはちょっとの間だけ流すか考える。相方の門番含め、誰も止める相手がここにいない様子を確認し、しばし間を置いててから顔も向けずに控えめに言った。


「そうですね、先王陛下の御身を任される大役に任じられながら、他人へのひがみに忙しいお方よりは、将来出世できる目もあるかもしれません。これからも心を込めて主に仕えさせていただきます」

「なんだと!?」

「大きな独り言ですが、心あたりがあったのなら失敬。一応職務中ですからこれ以上の私語は慎ませていただきますね」


 キリエ、とちょうど中から呼ばわる声に心の中で親指を立て、それ以上絡まれる前にさっと彼女は立ち上がる。さすがにここで事を荒立ててもつまらないと向こうも思ったのだろう、悔しげな横顔と、相方に「今のはお前の絡み方が悪い」と言われているのをちらっと見て、キリエは内心舌を出していた。


(バーカ、その通り。こんぐらいにもとっさに気の利いた言葉返してこられないなら、そっちから口喧嘩なんかふっかけてくんなっつーの)


 高貴な方々というのは基本的に下々から抗われる事がないからだろうか、王宮にはこのように投げた喧嘩が返ってくる事を全く想定していない人種というのが定期的にあった。もちろん中にはしかけるとしかけ返してくる骨のある人間もいるのだが、そこまで頭の回る奴ならそもそも向こうから下手くそな勝負を挑みかけてこないのだ。ゆえに雑魚戦ばかりで、貧民街生まれの貧民街育ちの退屈しのぎにはなるが、そろそろ芸がなくてつまらない――。


 そんな事を考えているうちに、キリエはふと足を止めた。

 思わず鼻を覆う。きつい、香の匂いが焚きしめられていた。


「お父様、レィンが参りました。今日のお加減はいかが?」


 部屋の中を見回すと、世話係らしい人物が何名かおり、バダンも彼らの隣に立って控えていた。レィンは部屋の隅の紗幕が下りている箇所の近くに腰掛けて、声をかけている。


「キリエ、キリエ。こっちに来て」


 なんとなく、室内に立ちこめる重苦しい空気に飲まれそうになるのを感じながらそっと控えの列に加わろうとしたが、呼ばれてしまったので渋々主に近づく。

 むっとする香の匂いが悪化した。

 どうやらこの紗幕の向こう――寝台から香ってきているらしい。


「あのね、あのね……新しい従者が来てくれたの。キリエって言うの。とっても頼りになる女の子なの。それで、今日ね。お母様に会いに行ってもいい? この子のことも紹介したいの」


 なんとか顔を覆うことをこらえているキリエの前で、レィンは椅子の上から寝台に向かって一生懸命話しかけていた。白い耳と白い尻尾が彼女の興奮を表すように揺れたり立ったり忙しい。

 反応はない。

 一応、紗幕の向こうに、人の影というか気配というかは、ある。

 だが動かない。音を出さない。言葉は一切返ってこない。


(……眠っている、のか? それにしたって静かすぎるが)


 立ちっぱなしのキリエには拷問にも等しい時間だったが、レィンはずっと、楽しそうに、嬉しそうに、一人で何の応答もないどうやら父親らしい人のいる場所に話しかけ続けていた。とりとめもなく、キリエのことや、自分のことや、その他色々な事をずっと。


(部屋の空気がどんどん悪くなっていってる気がす……いや気のせいだ、たぶんきっとそんなことはない、大丈夫だ)


 そろそろ意識を手放しかけたところになって、ようやく満足したのか帰る素振りを見せてくれた。

 慌てて彼女に付き従ったキリエは、出入り口のところであの門番が去り際に「ほら見ろ、お前にもわかっただろう」と言わんばかりの顔を向けてくるのが見た。今度は主の手前もあり、何より香りで大分ダメージを負っていたのでこちらも黙ったままだった。


(先王陛下は……そうか、病気だったのか? それなら全然出てこない理由も多少はわかるが、なんだろう。この違和感というかというか……)


 まだむずむずが残る鼻をこっそり擦りながら、くらつく頭で考え事をしようと試みている従者は、主が道の途中で振り返るのを見て慌てて姿勢を正す。


「ね、キリエ。優しそうなお父様だったでしょう?」


 ――さてどう答えたものか。

 他の人格相手なら感じたことをそのままぶちまけてやらないでもない――それほどには結構酷い思いをした自覚のあるキリエだったが、何の悪気なく喜びと楽しみの世界に生きている幼い主相手には大分言葉を選んだ。


「……先王陛下は、いつも……ええと、ああして寝ていらっしゃるのですか? 出歩いたりはなされないのですか?」


 結局、やや話題を逸らす形の言葉を返す。はいともいいえとも言わない、つまりは逃げだ。場所が誰がどこにいるともわからない王宮の廊下だったせいもある。全力で後ろ向きな態度のキリエを、しかしのほほんとしたレィンなので特にそれ以上責める様子もない。少ししょんぼりと耳と尻尾を垂れさせて、主は答えてくれた。


「三年前にお身体を壊してしまったから、それ以来はあんな風に……でもね、その前はもっと遊んでくれたのよ。今はああして、一日中寝てらっしゃる事が多いけれど、レィンのことも、お母様のことも、とても愛してくださっているの。わたくしは二人がいてくれればいいのよ。二人がわたくしを愛していてくれていればいいの」


(……ふうん?)


 キリエはまたももやもやが広がるのを感じたが、それ以上こちらが問いかけなければ向こうも詳しくは話してくれなそうなので、その場はいったん流れる。踏み込むにはまだ、時というか材料というか覚悟というか――とにかく、今のキリエにはまだそれ以上こちらからアクションを起こすのに、足りていない状況に思えたから。





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