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卵6

 レィンはしばらくけだるげにくつろいだまま、キリエと会話を楽しんだ。

 少女は貧民街の女の話を飽きる様子もなく聞き出し続けた。

 キリエはぽつぽつと自分が今までどうしてきたかを喋る。おおむね明るい話題ではなかったけど、それでも目の前の少女が不必要に傷ついたり驚いたりしないよう、慎重に話題と言葉を選んで話した。

 そのうち、キリエ本人の話せることが尽きてくると彼女は知人の話を始める。こちらもまた高貴な少女には面白いらしく、銀の目を快さそうに細めてうっとりと聞き入っていた。


 会話の合間、時折牛男がすっと立ち上がって出て行ったかと思うと、食べ物やら何やらを持って帰ってくる。大荷物になるとちらりと店の使用人らしき姿も見えたが、部屋へ入ることは遠慮しているか禁じられているかであるようだった。牛男は何度も入り口と中を往復する。


 キリエは自分の立場上――おそらくレィンの使用人ということになるのだろうから――どう行動するべきか迷った。結局、会話をしていたのもあるし、怪我を抱えたまま不慣れなところで下手にうろちょろしても邪魔になるだけだろうと結論づける。

 レィンはおっとりしているが意地悪な主ではないようだし、牛男は言葉は喋らないがしっかりした従者に見える。たぶん、本当に必要ならどちらかがきちんと指示を出してくるだろう。何も言わずにいて、言わなくても察してしかるべきだろうというような論調では責めてこない……はずだろうと、信じる。


 若干こわごわ様子をうかがいつつ座ったままでいたキリエだったが、彼女の予想通り特にとがめられる様子はなかった。そっと腰を浮かしかけたら牛男は座ってろと言うようなジェスチャーを示してきたぐらいだし……でもやっぱりここは本当は言われる前に動いておくところなのだろうか、二人の機嫌を知らない間に損ねていないだろうか。


 そわそわしているうちに菓子をつまんでいたレィンがのびをしてしどけなく寝そべった。

 柔らかなクッションをいくつも抱えてうとうとまどろんでいる彼女に、牛男がやってきてさっと一枚布を被せると、大きな羽で彼女の顔に向かって風を送っている。


 ――優雅なもんだ。


 半ば呆れてキリエは一枚の絵のように美しい少女の昼寝を鑑賞する。


 すぐに鑑賞にも飽きて、座ったまま居心地悪く身体をさすり、ひたすら時の経過を待った。


 キリエはなんとはなしに優雅で華美な閉鎖空間を見渡す。

 石でできた床や柱、天井はぴかぴかに磨き上げられ、照明の明るさはやや暗いといったところか。

 人の通る場所は触り心地のいい布で覆われているが、一つ一つに細かい模様や装飾が施されていて見るからに高級そうだ。

 手入れの行き届いた側の人工池には造花が浮かび、どういうしかけなのか淡い光を放っていた。

 奇妙な香が適度にくゆって、遠くでうっすら弦を弾く音や人の話し声のようなものが聞こえる。

 遠くの音が、演奏の合間だろうか、ふと途切れると、室内には規則正しい呼吸の音が響く。


 ここでは貧民街の小娘のまったく知らない時が流れていた。俗世のあらゆる喧噪から隔てられた場所には奇妙な調和と静寂があった。


 ――これが、贅沢って奴なんだろうか。


 ふとキリエは思う。彼女の知っている典型的な贅沢とは、あらゆる高価な物を集めて無礼講、大騒ぎすることだ。歓楽街のきらきらした人は、大抵そうしていたように見えた。

 この場所にも物があふれていたが、静けさが違う。


 この部屋は、彼女のためだけの部屋なのだ。彼女が安らぐためだけに作られた部屋なのだ。

 そんなことを、感じた。




「そろそろ家に帰らなくちゃ。お迎えが来る頃だもの」


 いつのまにか、主に釣られてうたた寝をしていたらしい。小さく話しかけられて、キリエははっとし、がばっと身を起こした。


 なんてことを。


 キリエはしっかり選別したクッションをいいように配置してぐーすか眠りこけていた。とっさに牛男の姿を探すと、彼はやはり微動だにせず、それでいて怠慢に惰眠を貪ることもなくじっと主の側に変わらず控え続けていたようだ。


 ……何せ、貧民街で味わったこともない極上の寝心地だったもので、すさまじく堪能してしまった。取り柄だと思っていた自分の図太さが今はちょっと恥ずかしい。

 彼女が帰るというのなら、支度をしなければ。慌てて口元をぬぐったり自分の服や寝癖を直そうとしたり忙しくしている彼女の背中に、ぴしゃんと皮肉っぽい男の声が投げつけられた。


「愚民。貴様は見るからにどんくさくてポンコツだからな、一応先に忠告はしておいてやろう」


 この口調は、とキリエがぎっと振り返ると、はたしてレィンのいた場所に、皮肉っぽく口と眉をゆがめた――少年が行儀悪く寝そべったままこっちに半眼を向けてきている。

 身体はレィンとまったく同じなのに、表情だろうか、仕草だろうか、姿勢だろうか、それとも声だろうか。とにかくまったくの別人に見えるし、何よりこの皮肉屋が喋っているときはレィンがまったく少女に見えなくなるのが不思議だ――。

 あからさまに嫌そうな顔を向けたキリエに、少年はもったいぶったような態度で鼻を鳴らし、早口言葉を繰る。


「まず最初に生き残るためのコツだ、耳を洗って乾かしてぴんと伸ばしてよーく聞け。もう一度レィンが出てくるまで口を開くな、バダンにくっついて歩いて全部奴に従え――それだけだ。お前が今から向かうのは、一言の失敗が死を以ての報いにつながる世界なのだからな、覚悟しておけよ? 最初の頃は我輩たちも多少は協力してやるが、あまり馬鹿を繰り返すようなら容赦なく見捨てるからな」


 大層いいところのお嬢様――お坊ちゃま? なのだろうという推測はついていたし、二人は階級が明らかに違う、だからこの言葉は特別にキリエのことを思ってかけてくれたものなのだろう、と一応頭で理解はできる。

 が、少年のどう見ても全力でこっちを見下している顔に、短気なキリエはすぐ気分をさかなでられた。むっとした顔をすると、少年は今度こそ声を立てて笑う。このまま引き下がると腹の虫が収まらない、一言ぐらい言い返してやろう、とがばっと口を開いた彼女の肩を、とんとんと牛男――バダンがつついた。


 彼はキリエの注意を自分に向けさせると、部屋の隅っこまで移動し、座り込んで手招きする。

 キリエは大人しく従おうとしたが、豹変した皮肉屋レィンの挑発がうっかり視界の端に入って反射的にカチンとくる。

 けれど喧嘩に乗ろうとした彼女に、バダンは物を叩いて大きい音を出すことで注意を引き、愚かな真似をすぐにやめさせてしまった。

 渋々という顔のまま、キリエはバダンの横に座る。



 そのまま何も動かずにいるかのように見えたが、キリエが二人に聞いてみようかと思った瞬間、レィンが音もなくすっと立ち上がった。同時にバダンの大きな手がキリエの頭をむんずとつかんだかと思うとぐいぐい押しつけてこようとするので割と痛い。

 頭を下げろという意図を正確にくみ取ったキリエが慌てて実行すると、部屋の入り口から新たな人物がやってきたようだった。


「また、ここに逃げ込んでいらしたのですか。困ったお方だ、あなたももう大人におなりなのですからこういった悪戯は程々にしていただかないと」


 さっきの少年に負けず劣らずのいやみったらしい声が聞こえた。男だ。成人男性。足音から察するにじゃらじゃらと豪華な飾りをぶら下げて重たそうに歩いている。

 頭を下げたままのキリエは、おや、と密かに首を捻った。

 皮肉屋の闖入者に対する応酬が一切聞こえない。よく聞こえる耳をぴんと立てて様子をうかがってみると、レィンは言葉を出すどころかぴくりとも身じろぎしていないらしかった。たぶん、また気配が変わっている。綺麗で親切な美少女とも、皮肉屋で意地悪な少年とも、妖艶で扇情的な少年――少女? のいずれとも雰囲気が違う。


(……一体いくつの顔を持ってるんだ、この人)


 顔を伏せたまま呆れているキリエだったが、侵入者がこちらに注意を向けた音がすると緊張する。す、とバダンが立派な体躯をわずかにずらした。

 ――視線から、かばった?

 キリエは目の端で隣の使用人をうかがおうとしたが、彼が上がりかけた頭をさっさとつかまえて再び地面すれすれまで戻してしまったためしっかり見ることはできなかった。

 じゃらじゃらの男はレィンに向かって色々言葉をかけていたが、すべて完全に無視される。やがて男は盛大なため息をついて、手を鳴らした。


「……まずはそのみっともない格好からお召し替えを。今だんまりを決め込まれたところで、後で詳しく聞かせていただきますからね」


 人がたくさん入ってきて、にわかに慌ただしくなる気配がした。

 バダンが離れていこうとするのでキリエも身体をあげようとすると、それはやめろというようにぽんと頭を止められてしまう。仕方なく平伏姿勢を続けるキリエの耳は、衣擦れの音を拾った。さっき聞こえてきた会話から推測して、おしのびの服から本来の装束に戻しているのだろう。

 あたしはいつ動いて良いんだ、いつ顔を上げて良いんだとイライラ焦れて待っていると、キリエにとっては待ちくたびれるほどに長い時を経てようやくバダンが帰ってきた。ぽんぽんと肩を叩かれ、おそるおそるゆっくり身体を起こすが止められない。


 ようやく楽になれた、とほっとしようとしたキリエは、見知らぬ男が部屋にいないか確認し、中央部分で視線を止めてあんぐり口を開けた。


 そこに立っていたのは、きらきらしい少年の装束をまとった、少年のレィンだった。元から綺麗な服を着ていたが、今の服はさっきに増して……輝いている。とにかく金色だらけでまぶしい。キリエは思わず夢なんじゃないかと思いっきりごしごし両目をこすった。


 銀の髪、銀の瞳、透き通るような白い肌、同じく白い耳と尻尾、そういった基本的な特徴は変わらない。

 だが今の彼女は――彼は男の格好をしていたし、明確に男とわかる立ち姿を披露していた。

 背格好や顔立ちからしてキリエより年下なのだろうが……なんというか、このレィンには貫禄がある。目を向けられると思わず姿勢を正したくなるような、不思議な威圧感だ。


「――私達の世界では」


 基本パーツは同じはずなのに一体何を変えるとこんなに印象が変わるのか、というかそもそもどっちが本当なのか、女装癖のある男主というのが真実だったのか――などとすっかり目をぐるぐる回していたキリエだが、バダンに脇腹を小突かれると我に返る。

 少年の装束替えを手伝った他の使用人達は、部屋の壁の方まで下がっていっていた。バダンに腕を引っ張られるまま歩かされて連れてこられたキリエは、間抜けな顔のまま少年を見下ろしている。


「目上の人物に直接呼び名を尋ねるのは、無礼にあたる。そもそもそれもわかっていない者が、御前に侍ること自体があり得ない……基本的には、そういうルールだ。当座は知らない顔を見かけたら、事前に周囲に聞いておくがよい。そのうち誰が自分が触れていい相手で、誰が自分が姿を見せてはいけない相手かわかるようになる」


 少年はいやみったらしくもなければ媚びを売るでもない、淡々と感情を廃した、どこか作業めいた単調な抑揚で言葉を紡ぐ。キリエはふと気がついた。

 ――このレィンは、笑わないのだ。目尻を柔らかく下げることもなければ、口に弧を描かせることもない。整いすぎている顔立ちは、真顔のままだと随分と鋭利な印象を与えた。


「とは言え、お前はあまりに物知らずのまま勝手にここに連れてこられてしまった。作法がわかっていないのは当然のこと。だからたまたまうっかり私が自分の名前を呟いてしまおうと、それをその場の使用人がたまたまうっかり聞いてしまおうと、お互い黙っていれば問題ないことだ」


 言い含められるように声をかけられて、キリエは思わず圧されてうなずく。

 彼女の困惑しつつも応じる姿勢に満足したのか、少年は結構、と軽く声を漏らしてから一歩踏み出し、彼女の耳に向かって小さくささやきかける。


「私の名前はイライアス。――イライアス二世」


 学のないキリエには、その場でピンと思いつくことはできなかった。

 少年が口にしたのが、当代国王の――幼く愚かな少年王として有名な、その人の呼び名だということを。



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