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卵5

 銀髪の少女は言葉を出せずにいるキリエを前にしばし黙り込んでいたが、やがて気を取り直すように手を軽く叩いて話しかけてくる。


「わたくしの名前はレィン。あなたは?」


 無邪気な少女に、少しの間だけ迷ってから素直に答えた。


「……キリエ」

「キリエ。そう、良い響き。美しい名前ね」


 嬉しそうに呟かれ、もぞもぞと居心地悪そうに手をすりあわせる。

 すると相手の少女の方もそっと目を伏せ、肘の辺りを抱きしめた。


「わたくしね、ええと、その……何て言ったらいいのかな。突発性入眠夢遊病って言ったかしら? 昼間でも急に眠ってしまって、眠っている間も身体が勝手に動いて行動する。……そういう、特殊な病気なんですって」

「……とても、寝ているようには見えなかったけど」

「そうらしいわね、人から聞いた話だと、皆そう言うわ。でもわたくしは覚えていないの。ふっと意識が切れて、また戻って。そういうことを繰り返すのだけど、その間もわたくしの身体は動いているの。大抵人が変わったようになってしまって、普段とはまったく違う様子になってしまうんですってね。でもわたくしはその記憶がないどころか制御もできない。眠るように、意識がなくなっているのですもの」


 キリエは相づちもそこそこに、困った顔のまま黙り込んでしまった。何と言葉をかけたらいいのかわからないのだ。あまりに彼女の知っている常識とは逸脱していたし、かといって少女が嘘をついているようには見えない。貧民街で育ってきたキリエには自分が相手の嘘をある程度見抜ける自負がある。

 ――荒唐無稽なように聞こえる話だし、事実かはわからない。ただ、少女はそれを本当の事だと信じ切っている。それだけは、確かなことだとわかる。

 最終的に彼女の思考が導き出したのはそんな答えだった。


 銀髪銀目のきゃしゃな少女は、視線を上げてこちらを見据える。心臓が跳ねた。美貌の少女にじっと見られると、なんだか無性にどきどきした。美しいものは、男女問わず人の心を浮き足立たせる。


「わたくし、あなたに何か失礼なことをしてしまったのではなくて?」


(あの子は何も知らないから、あなたも合わせてちょうだいね)


 問いかけられ、答えようと口を開いたキリエの頭の中に、とっさに記憶が蘇る。

 目の前の人物であり、確かに別人だった彼女からかけられた言葉を、頭が理解しようとして鈍く痛む。

 キリエは口を開けたまま黙り込んだが、少女が不安そうに瞬きをしたところではっと我に返り、一度咳払いをしてから仕切り直した。


「あんたは――あなたは、あたしの命を助けてくれただけだ。お金を出して、ここまで連れてきて、傷の手当てをしてくれた。……ありがとう」

「……本当に? わたくし、あなたのお役に立てた?」

「……うん。とても」

「そう……嬉しい」


 言ってやりたいことや、問い詰めたいことがたくさんあったはずだが、目の前の人物にはふさわしくない気がした。おそらく彼女もまた困惑するだけだろうし、悲しんだり傷ついたりするかもしれない。

 ――それは、自分の本意ではない、はずだ。きつい言葉を浴びせたい相手は、この彼女ではない。

 キリエはそこまで考えて頭を振った。

 あたしは一体誰に言い訳してるんだろう、馬鹿らしい。

 顔を上げて少女を見ると、ひたすら無邪気で善意に満ちあふれた様子に、なんだか無性に勢いが削がれ毒気が抜かれる。肩を落としたまま、キリエは考え、やがてようやく問いを一つ見つける。


「知らない間に自分の身体が勝手なことをしているって……その。色々と、不都合じゃないか?」

「バダンが見てくれているの。わたくしが危ない目に遭いそうになったら必ず助けてくれるのよ」


 相変わらず空気に溶け込むようにその辺に微動だにせず控えている牛の従者を示してレィンは続ける。

 確かに見るからに体格もよく屈強そうな亜人だったが、それにしたって高貴な方の付き人が一人というのは、やはりいくらなんでも少なすぎるのではなかろうか。

 キリエはほんのり疑念を浮かべるが、ひとまず様子を見て、黙って聞いたままになる。


「彼はわたくしの乳兄弟で幼馴染で従者なの。お母様は病弱な方だったから、わたくしは別の方に育てられたの」


 ――お母様。

 その単語を聞いた瞬間、キリエはぶわりと自分の肌があわ立つのを感じた。とっさに腕を抱えて少女に目を向け、息を呑む。


 無邪気で温厚、のんびりおっとりした上品な少女――そのはずだった彼女の瞳から、つかの間完全に光が消え去っていた。


「でもこの世で一番愛しているのはお母様よ。だって産みの母親なんですもの、嫌いになれるはずがないでしょう?」


 少女が銀色のまつげを瞬きすると、うつろな目は消え、元通りの表情が戻る。

 けれどキリエは今見た光景が幻や錯覚ではないと確信した。


 ――そういえば、さっき、キリエの母を前にしたときも。


「これ以上冗談が過ぎるとママにも泣きつけないほど怖い目に遭わせるよ」


 キリエの母は見知らぬ貴人の子どもをそうあざ笑った。その瞬間、子どもの顔から笑みが消えたのだ。


 この話題には、彼女の母親については、不必要に触れてはいけない。

 直感し、ごくりとつばを飲み込む。


(我輩は我慢なんかしないぞ、どこぞのおっとり馬鹿とは違うのだからな!)

(――女神なら、いる。そのために我々は存在するのだから)

(動転させるとまたアタシたちが出てこないといけなくなっちゃうから)


 彼女の顔をした、別の彼らの言葉を思い出す。きりきり頭が痛んだ。口にする言葉を探している間にうっすら額が汗ばんでいる。


「……優しいんだな、あんたは」


 最終的にキリエが口にできるのは、当たり障りのなく耳心地のよい言葉だった。


「ありがとう。そう言ってくれるあなたも、きっととても心の優しい方なのね」


 少女はけれど、素直にキリエの言葉を受け取り、はにかむように頬を染めて喜びを示す。色素の薄い彼女が笑うと頬が薔薇色に染まった。


 なんとなく罪悪感じみたものを覚えて目をそらしてから、キリエはまた慎重に考え、質問をする。


「あなたってその……あたしなんか、本当は口を利くどころか姿を見ることも許されない、すごく高貴な方なんだろ? どうしてあんな場所へ? それに、供がこの人しかいないのは、危険なんじゃないか?」

「気分転換と――それからお母様にさしあげるお話しを探して家出中なの。お母様はお外に出られないから、わたくしがお外の事を教えてあげようと思って。それにバダン一人でも大丈夫よ。今までだってずっとそうしてきたのだもの」


 母親思いなんだな。

 浮かびかけた言葉をキリエは飲み込んだ。自分が言うとどうしても皮肉っぽい口調になってしまいそうだったし、何より先ほどの様子から言うべきではないことのように感じられてならなかった。

 大事にされてるみたいじゃないか。

 次に浮かんだ文句も封印する。――こちらについては、思えば直接尋ねて答えが返ってくるような質問でもなかったと反省する。


 ひとまず答えすべてに納得した顔をしてうなずいておき、これからどうしようかと思案しようとする。

 すると少女も同じ事をちょうど思っていたらしかった。


「あなた、誰かから逃げていたのでしょう? それはもう大丈夫なのかしら。眠っている最中のわたくしがどうにかできたのかしら」

「うん……まあ、ね」

「そう、ならひとまず安心ね。それで、これから行く当てはあるの?」

「……いや。家出は成功したけど、その後身を寄せる場所はないんだ」


 キリエは元々気の合わない母親しか身寄りがなかったし、あんな騒ぎを起こした以上あの界隈にもう一度戻る気にはなれなかった。

 多少の打算とほんのわずかな期待を込めて言葉を選んでみると、果たして少女は嬉しそうに提案してきた。


「だったら、うちにいらっしゃいよ。バダンは力持ちだけど、男の人だし、喋れないから……わたくしのお話し相手になってくれたら嬉しいわ」


 別の彼女は、キリエを金で買い上げた――つまりその後自分の奴隷なり使用人なりで使うことを疑ってもいなかった。けれどこの彼女はキリエを買った事を覚えていない。身分や立場を鼻にかける様子はみじんもなく、友人になってくれ、とでも言うような気軽さでキリエを誘う。


「あなたが、それでいいなら」


 美少女は笑みを深めた。彼女が手を差し出してくるので、キリエもゆっくりと重ねる。


「よろしくね、キリエ」

「……よろしく」


 年下の彼女の手は小さく頼りなかった。銀色の瞳が幸せを隠そうともせずじっとこちらを眺めるのに耐えかねて、とっさにキリエは目を伏せる。


 何にせよ、恩があるのは確かなのだし、他に頼れる相手もいない。だったら、覚悟を決めて彼女に、彼女たちに仕えてみようか。この彼女のことは、嫌いではないように思えるし。


 ――キリエはレィンに対しては、このように、最初の頃から好感は覚えても反感はあまり抱くことがなかったのだ。

 彼女のどこか危うい部分を、既にうっすらわかってはいたのだろうけれど――むしろ、わかったからこそなんだか放っておけない気分になったのかもしれなかった。

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