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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
リテリア編
49/99

女帝

「急に訪ねてこられて、一体どういうおつもりでしょう。先触れもなかったので出迎えの用意すらできていませんが」


 全くなんの連絡もなく急にやってきた女王は、装いもお忍び気取りなのか簡素なもので、供もお気に入りの必要最低限しか連れてきていない。譲位して後、王都から数日離れた離宮に「神」と一緒に引っ越して籠もりきりだったはず、全く予告のない急な突撃だった。


 行動が軽薄だ、仮にも王太后が道中で何かあったら、と責められないのがこの女の恐ろしい所だ。むしろ道中で襲撃されるようなことがあったら確実に誰もが相手の方に同情する。女の暇つぶしの玩具にされて人生をめちゃくちゃにされること間違いなしだ。

 バスティトー二世とはそういう女だった。歩く災害。それでいてやっかいなのは嵐同様、引っかき回す一方で恵みももたらすところだろう。だからこそ譲位した今でも人気が褪せない――。


 とても歓迎しているようには見えない、硬い態度のロステムを前に、彼女はいかにも楽しそうに優雅に尻尾を揺らしている。


「ただの気まぐれな休暇です、こっちも勝手に押しかけたのですから過度なもてなしは不要。そう構えて威嚇せずともよろしい」

「……何をしにいらっしゃったのです?」

「遊びに。あとついでに嫌がらせに」


 バスティトー二世はしれっと言ってのける。


 神のごとし、と讃えられる女王の最大の凶器は、その細腕からはまるで想像もできない豪腕でも、発想力に優れた頭脳でもない。彼女は魔性の声を持つ。彼女の操る言葉は不思議な抑揚と色を持ち、聞いている者を無意識のうちから屈服させ、従えさせる。


 ただ、例外がないわけでもない。女王の魅力を冷めた目で流す者もいる。イライアス一世――ロステムがそんな希少な例外の一人だ。家族だからと言うより、元から馬が合わない。女王が話し出すと、ぼーっと彼女の言葉に耳を傾け、指示を待つばかりになってしまう周囲に、苦虫を噛み潰したような顔を向けている。

 急に彼女は息子に向ける目を細くしまなざしを鋭くした。


「それとも、わたくしに見られて困るようなものでもあるのですか?」

「……何も?」


 ロステムはすぐに短く返答する。女王が微笑みを薄くするとにわかに空気が凍え出す。無言の圧力を挟んでから、息子がそれ以上言うことがなさそうだと理解した彼女はふいと目をそらした。金と銀の目を周囲に流す。


「ところでそなたたち。そこで突っ立っている事が仕事なのですか? 部屋に案内なさい、わたくしは久々に息子と水入らずで語り合いたい。そのぐらいの時間と場所はあけてもらえるでしょう? 外宮でも内宮でも、都合の良い方で構いませんよ」


 矛先を向けられてにわかに慌てた様子でばたばた動き出す侍従達と、微動だにしない女王の連れの者達を横目に、ロステムはそっとため息を押し殺した。



 間もなく親子は賓客用の部屋の一つに通される。

 飲み物とつまむ程度の菓子が用意されると、王太后はさっさと人払いを済ませてしまった。

 国王が何も言わずとも皆動く。彼女がいると、彼女に従うのが当然であるように誰しも錯覚するようだ。

 唇を噛み、うつむいている息子に向かって、母は一口陶器に口をつけてから切り出した。


「時にお前。最近飼い始めた小鳥とはうまく生活できているのですか。噂ではかわいさ余っていじめた結果、嫌われているということですが。修行が足りませんね」


 晴れやかに爽やかに言い切った母親に、無表情を保つ息子の空気がますます冷たくなる。


「おっしゃる意味を理解しかねますが」

「模範的すぎて落第ですね。もうちょっと上手なとぼけ方はないのですか?」


 挑発的な言葉にロステムは鼻を鳴らし、自分の分の飲み物に手を伸ばすと一度喉を潤す。


「王太后様、ではこちらもお尋ねいたしましょう。神様のご機嫌はいかがです。近頃特に以前に増して伏せってらっしゃることが多いと推察されますが、放っておいて一人遊びなどなされるのはいかがなものでしょう?」


 息子の言葉に、母は嫌がる顔をするというよりはそう来たかと納得――というより、呆れている表情になった。


「芸のない男ですね。あの人のことを持ち出したらわたくしがすぐ怒るとでも? というか怒るでちょっと思い出しましたけど、離宮の流通が定期的に著しく怠慢になるのは、一体どういうつもりでやっているのです? 何がしたいのかわからないので放置してますけど、お前なりの何かの主張なのですか、あれは」

「別に……ただ、私はあなたとは違う。あなたが嫌われ者すぎただけだ、そういうことでしょう。私は何もしていませんよ」


 現国王の答えで聞きたいことはわかったのか、彼女は鼻を鳴らすと一度言葉を切る。


 バスティトー二世は神殿とも貴族とも――つまりは旧来の支配勢力と――基本的に良好な関係でない。

 彼らに名誉は与えるが、実利はこちらで抑えておく。彼女の在位中の方針はそのようなものだった。彼女は非常に独裁的な政治を行ったので、王の力と権利を強調するために、その他を牽制する必要があったのだろう。


 一方でロステムは、即位前からどちらかと言えば旧来勢力よりの方針を進めてきていた。自分で望んでというよりは、自然と、また仕方なく――という部分が大きいのだが。

 先代女王バスティトー二世の政策によって新勢力の――つまりは庶民の力は前に比べれば強くなっているが、神殿や貴族の既得権がすべてなくなったわけではない。なんだかんだ、彼らはまだ支配者側として君臨しているし、国政を担う部分も大きい。

 先代に対する抑圧の不満が、当代への多大な下心を込めた期待に変わるのは自然な流れだ。


 なんとなく利害が一致したのでなんとなく手を組んでいたら、いつの間にかここまで来てしまった。正直に白状するなら、そういう表現が一番正しい。


 ちなみに今さっき女王が訴えてきた不満は、主に神殿が女王の顔色をうかがいながら続けているみみっちい嫌がらせに対してのものだろう。王があえて見過ごしている、一連の一つ一つは些細な、でも積み重なると地味に鬱陶しい流通の不便に、彼女は単純に呆れているだけらしい。追い詰められていたり、苛立っていたりといった様子は全くない。あくまでも、「なんという面倒な事を」と言うような風情だ。


 嫌がらせを甘んじて受け入れていると言うことは、脅威とみなされていない証拠でもある。ただ、離宮周りの流通にそれなりに大きく干渉できる神殿は、女王ではなくロステムの味方だ。だからちょっとした情報制限をかけて行動を出遅れさせることもできなくはない。現にバスティトー二世は次女の危機に間に合うことができなかった。女王の本心がどういうものであるにせよ、リテリアの囲い込み作戦についてはロステムの方が圧倒的に優位な状況を進められているはずだし、今のバスティトー二世には無理をしてでも娘をどうにかする意思も力もない――。


 ロステムは母の消極性に賭け、あえて強気に出る。


「いずれにせよ、あなたが昔ほど力を持っているわけではないことは確かだ。私に命令しても無駄です。このまま大人しく田舎に引っ込んでいてください。そうしたら私もこれ以上あなたの余生を脅かそうとは思わないし、あなたの神にも関心はない。……お忘れならば是非思い出していただきたいですが、私を王にしたのはあなたですよ、母上」

「冷遇の自覚はありましたから、せめて権力ぐらいは好きにさせてあげようと考えただけなのですが、やっぱり安直すぎたか。お前という子は、どうしてこうことごとく、わたくしの悪い予想の方に育っていくのでしょうね」


 元女王は目元をおさえながらゆるやかに首を振る。息子の方は頑なな態度と冷め切った目を崩さない。

 彼女は会話の合間に菓子を一つつまみあげると、手にしていた飲み物にそのままひたす。手元に目を下ろしたまま、ふと何気なく口を開いた。


「ロステム。お前、本当にこのままやっていくつもりですか」


 彼女が思わせぶりなことをほのめかしてからこちら、暗に深入りするなこの話題に触れるなと返し続けてきた息子の言葉は全面無視されることになったらしい。露骨に顔をしかめている王の方は見ずに、くるくると遊ぶように菓子で液体をかき混ぜながら、彼女は続けた。


「神は人とは違います。人と獣も違います。男と女も全く別の生き物。愛したら同じだけ愛されるなんて幻想にすがるのはおよし。どれだけ深く想おうと、共感や見返りを求めるのは二流どころか三流のすることです。奉仕人は御主人様に、自分の忍耐や努力の片鱗すらうかがわせてはならない。はっきりいいますが結構色々と辛いですよ、何も返してくれない相手を養い続けるのは」


 男の身じろぎする気配を察知したのか、白い耳が揺れて金と銀の瞳が動く。見つめられている間、黒い猫は耳や尻尾も含めて微動だにしなかった。言葉もまったく出さない。


 女王の美声は、いつのまにかロステムにかけるものにしてはひどく優しい調子を帯びている。


「別に、王として人としてどうのこうのなんてことは、この際どうでもいいのです。わたくしは今、あくまで鳥籠としての欠点について指摘している。……わかりませんか? 貫き通してはじめて、檻は献身を実現し、証明することができる。お前、生涯、いえ死んでも、生まれ変わってもただ一人の相手に片想いを通す自覚は、覚悟はありますか」


 つややかな赤い口の中に菓子が放り込まれて消える。一口に食べてしまっても足を組んでいても、女王の所作からは何故か品が失われない。何をしても彼女は優雅で、静かな自尊心に満ちている。彼女の姿勢から、態度から、言葉から、自信がなくなったことはない。彼女が自分の目的を見失ったことはない。


「わたくしは、わたくしならそれを、上手にバランスを取りながら、なんの問題なく完遂できると思ったから。我が君の檻になったのですよ、ロステム」


 ――自分でも自分がどうしたいのかはっきりわかっていない、貼り付けの、見かけ倒しの姿を、なんとか維持し続けるロステムとは違って。


 瞬きもせず母をにらみ続けている息子に、彼女は再び深く息を吐き出すと、空になった陶器を置いて立ち上がる。


「わたくしの言葉は、たとえ貴重な先人の助言であっても聞きたくありませんか。ならばせめて、子どもに尽くしておやり。母親に不満があるならなおさらのこと、父親として溺れるほど愛してみるとよいでしょう。そうすればお前のそのがらんどうの胸も、少しは埋められる日が来るかもしれない」


 彼女の口調が再びいつもの突き放すものに変わった。

 バスティトー二世は手早く身支度を自分でととのえてしまうと、出口まですたすた歩いて行く。

 そのまま出て行ってしまうようにも見えたが、ふと寸前に立ち止まり、一度だけ振り返る。


「では、ごきげんよう、国王陛下」


 ロステムは母に顔を向けなかった。彼女はしばらく、まるで息子が彼女に応じるのを待つかのようにじっと横顔を眺めていたが、彼は一切の返答をしようとしなかった。言葉も、行動も。

 王太后は一瞬だけ自嘲するように顔をゆがめると、それ以降はまた息子を顧みず、勝手に自由に歩いて行ってしまう。周囲をざわつかせている気配が遠ざかっていくのを聞きながら、ロステムは目の前の陶器に手を伸ばし、残っていた液体を一気に飲み干す。絞り出すように、唸るように一言だけ彼は口にした。


「二度と来るな、雌猫――今度は噛み殺してやる」


 彼の手の中で、陶器が音を立てて砕け散った。

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