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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
リテリア編
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鳥17

 視界を奪われ、行き先も目的もわからないまま乱暴に引きずられて行く。

 何度もつまずきそうになったが、両脇からがっちり抱えられているせいで足がもつれる程度で済む。

 人間より亜人の方が総じて力が強いのは周知の事実だ。リテリアのような小柄な女を運ぶのは、抵抗を受けても簡単な方なのだろう。


 寒気でぶるりと背筋に悪寒が走ったが、周囲の環境のせいなのか自分が怯えているせいなのかわからない。



 永遠の時を歩かされている錯覚さえ覚えそうになったが、終わりはあっけなく唐突にやってきた。



 突然なんの前触れもなく――いや、もしかしたらあったのかもしれないが、あらゆる感覚情報が制限されていたせいで気がつかなかっただけなのかもしれない――手が離れる気配があって、リテリアは前につんのめる。


 どさり、と何かにぶつかる音がした。神官達の拘束が解かれた代わりに、別の誰かに抱き止められたようだった。


「これはこれは。御自ら、お一人でお出ましとは……あなた様らしいことで」


 女神官がリテリアを受け取った人物に声をかけたようだ。


「あとはどうぞ、そちらでご自由に。我々は今回の仕事はこれで済ませましたから、他に御用があるのでしたら次の機会にでも」


 彼女の顔は麻袋のせいでうかがいようもないが、声の調子からなんだか割と不機嫌そうな気配がする。仲の良くない相手なのかもしれない。


 背後に複数あったおそらく神官達は、申告通りこれ以上何かするつもりはないらしく、物音と気配がゆっくり遠ざかっていく。リテリアを受け取った人物は、どうやら彼らを見送ってから動き出した。こともなげに彼女を抱え上げ、どこかに連れて行こうとする。


 リテリアは一度反射的にその手からもがれようと暴れたが、ふっと支えが消えた感触に全身がこわばる。相手は抱え方を変えただけのようだったが、身動きの取れない彼女にとって下手な抵抗はそのまま身の危険につながる。それをひやりと思い知らされた気がした。


(一体誰なの。どこに行こうというの)


 神官達から別の誰かに渡されたということは、神殿の人間ではないのだろう。

 リテリアは――自分自身が無実ではあると主張してはいるものの――今現在、罪人扱いされている。にわかには信じがたいが、被告人どころか有罪判決まで出された身分だ。だとすると、そういう役職の者なのかもしれない。すると今から連れて行かれる咲は、牢屋か拷問室か――。

 一度考え出してしまうと身体中の震えを止めることができず、思考もおぞましいイメージばかりを紡いで彼女を心身共に怯えさせる。


 足音も立てず静かに彼女を運ぶのは、どうやら一人きりのようだった。

 息づかいや鼓動の音も聞こえてくるほどの静寂の中を、止まることなく、迷うことなく進んで行く。


 神官達に引き立てられていた時よりさらに時間が長く感じた。

 何しろ今度は場所どころか一緒にいる相手の様子さえまったくわからない。

 不安がふくれあがって叫びだしてしまいそうになるのを、喉に引っかかった恐怖が押しとどめ、行き場を失った負の感情はぐるぐると腹の辺りでとぐろを巻いて彼女を苛む。



 今度の停滞時間の終わりは、音の変化からやってきた。

 重たい金属がきしむような――ちょうど扉の蝶番のような音がして、リテリアはより一層身を固くする。

 重心がずれる気配。

 直後にやってきたのは、どの想定とも違う柔らかな着地の感触だった。


 リテリアを抱えてきた人物は、布の敷かれた場所に彼女を優しく下ろしたようだった。

 何か頭の後ろ辺りでほどかれる気配がして、間もなく顔を覆っていた袋が外される。


 解放されてまぶしさにくらむ視界は、徐々に元の状態を取り戻す。


 優しくのぞき込む顔が誰のものであるか理解した瞬間、リテリアの残された右目が大きく開かれた。


「……おにい、さま」


 呼ばれると彼はなおさら穏やかに微笑んだ。


 王としての公務中に着る服より随分簡素な格好になっていて、身体の緊張具合からもくつろいでいるのがわかる。

 公の場では何度か顔を合わせているが、私的な状態の兄と接するのは随分と久しぶりだ。

 おまけに自分は覚えのない罪を問われ、未だ拘束状態にある――。



 このときリテリアの頭の、心の大部分を占めていたのは困惑だった。

 何せ状況は彼女の想定外ばかり、わからないことだらけでどうしたらいいのか判断がつかない。

 けれど彼女の身体はどこかで正確に事実を理解し、予兆を告げていたのかもしれない。


 頭痛のような、耳鳴りのような、頭にもやのような何かがかかっていて、思考が妙にもたついていた――。

 彼女はそんな風に自分の様子を表現する。



「お兄様……?」


 唇から漏れる言葉に、ロステムの黒い獣の耳がふるりと揺れ、彼は熱っぽい吐息をもらした。


 ぞくり、とリテリアの身体が震える。

 呆けた様子で黙ったまま笑っている兄を見つめていたリテリアは、自分の唇が空気を求める魚のようにはくはくと動くのを感じる。


「お兄様――わた、私。どうして、こんな、こんな……」

「リテリア、落ち着いて。大丈夫だよ」


 なだめる言葉をかけられると、余計に心がささくれ立つような気がしてリテリアはますます自分自身に狼狽する。

 漠然とした、それでいて決定的な違和感があった。

 なぜ、どうして、が心の中を支配する。


「私、神殿の人に、か、姦通を――疑われて。どうして? そんなことないのに、なんでこんなことに、私……」

「大丈夫だよリテリア。僕には全部わかっているから」


 事情を兄に説明することで自分を落ち着けようとしたリテリアだったが、ふと相づちを打たれたところで言葉が止まる。

 油のさされていない蝶番のようにぎぎぎと動かそうとする首がきしんだ気がした。見なければならないが、見たくない。相反する思いが彼女の動きをぎこちなくする。


 ロステムにのろのろと目を向ける。彼は優しくリテリアを見つめていた。昔と同じような微笑みで。


 ――おかしいではないか。


 薄もやの中から違和感が姿を現していく。


 ――なぜ彼がここにいるのか。


 リテリアは兄をじっと見つめたまま、ゆっくり後ずさった。離れていこうとして、思いがけない低反発な感触に足を取られる。

 後ろ向きに倒れ込んだ彼女に向かって、ロステムが近づいてきた。倒れたままの彼女の上に、のしかかるように位置どって見下ろしてくる。


「リテリア、心配しなくていいんだよ? 僕には君の事で知らないことなんてないんだから」


 兄は優しく微笑んでいる。


 その、この状況にあって昔とまったく変わらない微笑みにこそ、怖気と嫌悪を感じていたのだと――ようやく、リテリアは自覚した。

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