鳥16
連続更新2話目
全くの想定外、リテリアのどんな悪い予想をもはるかに上回る恐ろしく醜悪な宣告に、積み上げていたあらゆる覚悟が一瞬にして崩れ去る。
最初リテリアは、神官が何を言ったのかわからなかった。
きょとんと立ち尽くしていると、女神官は笑みを顔に貼り付けたまま繰り返す。
「リテリア様。あなたには婚姻関係の不当性、及び姦通の疑いがあります」
「……一切、身に覚えがありません――説明していただきたいところです」
強烈な頭痛とめまいが襲う。全く心あたりのない疑惑――もはや侮辱をぶつけられたことへの怒りだった。握りしめた拳が痛い。蒼白になり、倒れそうな自分をなんとか残った気力で支えつつ、彼女は唇をふるわせる。すると女神官は酷薄に笑みを深めた。
「ほう? では簡潔にあなたの罪を申し上げましょう。まず一つ。前夫オディロン=ネィメンの妻としての義務を果たさなかったこと。あなたは夜の夫を拒んだ、間違いありませんね?」
「それは、でも――いえ、オディロン様とは王都神殿が、あなた方が確かに神の前で認めた婚姻です。たとえもし、万が一私があの方を真に満足させられていなかったのだとしても――前夫と私は、確かにれっきとした夫婦でした、他でもないあなたたちに断罪されるいわれはありません。それとも王太后様が、何かおっしゃっているのですか」
床入りの儀式がなんであるかわかっていなかった当時のリテリアが夜の夫を満足させられなかったのは、確かにまぎれもない事実だ。けれど、神殿は一度はそれを事実上認識した上で婚姻関係を認めたはず、ならば今更不当と言われるいわれはない。何よりも、他の誰でもないバスティトー二世が二人の婚姻を祝福し、保証している。彼らの婚姻関係に異議を唱えると言うことは、バスティトー二世に反抗しているも同義。譲位し、表の政治から手を引いてなお絶大な人気を誇る残虐な女帝に喧嘩を売るなんて、正気の沙汰とは思えない。
黙り込んだら事実上の肯定とみなされ、一気に不利になる。
無意識にそれを認識していたリテリアが、青ざめた顔のまま素早く感情を抑えて反論すると、女神官はますます微笑みを深めた。
「なるほどなるほど。では、そっちはいいことにしましょう。オディロン=ネィメンとの婚姻関係は確実なものであったと。ですがそうなると、今度は逆に次の罪、姦通罪が成立するのですよ、リテリア様」
「根も葉もない世迷い言を……一体私がいつ誰と、そんなことをしたというのですか」
「お相手はもちろん、アルトゥルース=ネィメン。時期は具体的にはわかっていませんが、少なくともあなた方がオディロンの存命中から通じていた事は、証人から明らかになっています」
「私が、あの人と、オディロン様を裏切って通じていたですって――!?」
「はい、リテリア様。夫とは白い結婚でいておいて、間男とは何度も部屋に引き込んで寝ていたと、証人が確かに言っていましたよ。義理の息子をくわえ込むなんてあなたも好き者ですねえ」
女神官は明らかに下品な言葉を選択し、悪意を以て挑発し始めている。
かっとなって頭に血が上るのを感じた夫人は、とっさに夫を思い出す。
すぐに熱くなる彼。それをなだめる彼女。二人の役割を思い出と共に想起した彼女は、身体をふるわせながらも、なんとか怒鳴らずに言葉を絞り出す。
「そんな事実は一切ありません。私たちが想いを自覚したのは、前夫の喪が明けてからです」
「ああ、いいんですよ、世間の目を免れるためのポーズですよね、わかってますから。だって仮にそれが事実だとしたら、婚姻するまでが短すぎるじゃあないですか。本当は前夫のことも。二人ではかって毒殺でもしたんじゃないですか? それで不穏を察知した兄上にせっかくたしなめてもらったのに、反省するどころか計画を早めて結ばれた。神は許しませんよ、あなたのなしたことを」
リテリアは一度、完全に絶句した。あまりの暴言の数々に頭が真っ白になるのを感じる。怒りと悔しさと、あらゆる衝動的な感情が吹き出してじわりと瞳に涙が浮かぶのを感じた。なんとか口を開けて息をしようとする。
喋っているのは高位神官である神の左手だけだが、周囲で遠巻きにリテリアを見守っている他の者達のまなざしも明らかに冷ややかだ。この場の味方は自分しかいない。呆然としている暇なんかない、と折れそうになる心を激励する。
「……お話は、それだけでしょうか。私、このような屈辱を受けたのは、生まれて初めてです」
何度か口を開け閉めしてからようやく吐き捨てると、リテリアはくるりときびすを返そうとする。
後ろの方からまた不愉快な女の声が追いかけてきた。
「おや。どちらへいらっしゃるおつもりですか?」
「こちらの方々では話になりません。証人がいるならよろしい、連れてきてください。神の御前でも王の御前でも構わない、公の場で私達の無実を証明してみせましょう。ここまでされたら私も黙ってはいません、証人を訴え返します」
「リテリア様、無駄です、無意味です、もう遅いのです。はっきり言ってあげましょうね――あなたのアルトゥルース=ネィメンとの婚姻は、既に解消されているのですよ」
そのまま出て行くつもりだったリテリアは、女の言葉にとっさに振り返ってしまう。
神官はおもむろに、それまで懐に抱えていた巻物を開き、リテリアに向かって突きつける。
――神殿は、アルトゥルース=ネィメンとリテリア=ネィメンの婚姻の不当性を受理し、関係の解消を認める。
リテリアの目が文字を追うが、頭が意味を理解するのは遅い。彼女の全身が、そこにあるものを拒否しようとしている。
現実は、無情に動かない。
嗜虐的な悦楽に顔をゆがめた神の使いが、高らかに言い放った。
「あなたはもうネィメン夫人ではない。さらに言うなら降嫁したため王女でもない。あなたに残された身分は名もなきただの罪人。夫がありながら不埒にも別の男に股を開いた淫売婦」
それが言い終わると、すっと神官の顔が石像に戻った。周囲の下位の者達に、低い言葉で言い放つ。
「この女を拘束しなさい。罪はあがなわれるべきです。ふさわしい場所に送り届けてやるとしましょう」
リテリアの頭が状況を把握する前に、周囲で音もなく立ち尽くしていた神官達が一斉に近づいてきた。
彼らは未だ事態をわかっていない彼女が逃げ出す前に、素早く縄をかけ、身動きを封じてしまう。
「何かの間違いです、一体どうしてこんなことが――」
麻袋まで頭から被せられて、リテリアは言葉も奪われた。
闇の中でくぐもった悲鳴を上げる彼女に、布の向こうからあの女神官のどこか歌うような声が聞こえてくる。
「あなたがたがどう言おうと関係ない。あなたがたがどう思おうと関係ない。あなたがたが何をしようと関係ない。ただ一言、持てる者が黒と言えば黒になる。……権力とはそうしたものですよ、世間知らずさん」
あざ笑う悪魔のような高笑いを耳に、リテリアは見知らぬ場所へと引き立てられていった。




