鳥15
更新1話目
ララティヤに追い出されたリテリアは、釈然としない思いを抱えながらもきょろきょろ辺りを見回し、注意深く移動する。
行きにここまで案内してくれた使用人は、別の用事でもできたのか、どこかに行ってしまっているらしい。
誰かを呼んだ方が、と思う心は、先ほどララティヤから忠告されたことが頭に浮かぶと勢いを失う。
(祝うべき姉の結婚式に来て、どうしてこんな後ろ暗い事のあるような動きをしているのだろう)
自分の姿を客観的に判じようとするとそんな思いも浮かんでくるが、それでもララティヤの言葉を一笑して派手に振る舞おうとするのははばかられる。
脳裏にちらつくのはロステムの顔だ。感情をどこまでも抑えたような静かな顔。どこか得体の知れない、何かを隠すような顔。
(……ああよかった、こちらの方向であっていたみたい。ようやく元の場所に戻ってこられたわ)
幸か不幸か誰とも会うことなく、自力で明るい喧噪の中に戻ってこられたリテリアは、ほっと深く息を吐いた。暗くなりがちな思考を振り払おうとするように首を左右に振る。
彼女がちょうど帰還の気配に気をゆるませたその瞬間――横合いから声をかけられた。
「ネィメン夫人、リテリア様であらせられますか」
――悲鳴を上げるかと思った。
跳ねる肩と心臓をなだめながら彼女が振り返ると、暗がりの方からぬるりと人影が姿を現す。
高位な者のみ身にまとうことを許される緋色の衣を身にまとい、巻物らしきものを抱えた神官は、型通りに一礼すると、生命力や精彩の欠けた、彫像のような顔でじっとリテリアを見る。
「そうですが……そちらは神殿の方ですね? 私にどのようなご用件でございましょう?」
「いかにも。ああ、突然失礼いたしました。私は神の左手でございます。リテリア様、あなたに神殿から大事なお話しがあります。我々と共にお越しください」
神の左手――やはり、王都神殿の神の三柱が一人、時には王に助言を与えることも許されるような権限を持つ神官だ。妙齢の女性であることが目を惹くが、よく見れば初めて気がつく事であり、老成した雰囲気は俗世を超越して人を寄せ付けない印象をもたらす。
正直に言ってしまえば、目の前の人物は突然の申し出といい、明らかにどこかおかしい気配がした。困惑と不審に黙り込んだまま、どうしたものかと眉を寄せて黙り込むリテリアを、けれどいつの間にか現れた数人の神官達が取り囲んでいる。――まるで狩りの獲物の逃げ場を塞ぎ、追い詰める猟師のように。
「……それは、任意ですね? 私はもう降嫁した身です。王家の人間としてお声をかけられてこられたのでしたら、権限を失った私に何かしようと無意味なことです。国王陛下に直接かけあってください」
「ええ、確かに今の所、我々にあなたに何か強制する権限はない。王都神殿は領主夫人に対して微妙に管轄違いですし。ですが、夫人には是非我々といらしていただきたい。あなたのご家族に関わる大事な事ですから」
「家族……いいでしょう。ならば、夫と子も伴うのが道理では? 私のみでなければいけない理由はありますまい」
「いいえ、あなた様のみの方がよいのです」
「離席して随分経ちます。一声かけるだけでも――特に娘はまだ乳飲み子です」
「いいえ、今すぐがよいのです」
「それほど緊急な用事なのですか? このように内密にしなければならないような話なのですか?」
女神官は無言でうつむいた。そうやって、肯定であることを強調するかのように。
何かの含みを持たせながらやんわりとこちらの要望を否定し続ける言葉に、リテリアは不愉快を隠そうともしない態度になりつつあった。
けれど神官は不気味な静寂を身にまとったまま、もはやほとんど脅迫に近い含みを持たせてリテリアの不安をあおりたてる。
「それとも、こう申し上げた方がよろしいでしょうか。我々はあなた様と秘密の鍵を共有する縁者でございます、領主夫人――いえ、元第二王女殿下」
沈黙を保ち、それでも自分がうんと言わなければこれ以上おかしなことはできないはずだと考えていたリテリアの顔がさっと青くなる。
秘密の鍵――。
それはけして外部に漏れるはずのない、リテリアを縛り付ける魔法の言葉。置き去りにした過去の罪の残滓。
冷静に活路を見出そうとしていた思考が一気にばらけて混乱する。
大きく右目を見開いた彼女に、初めて女神官が笑みを浮かべた。どこか猛獣の威嚇めいた顔の歪みを、気弱なバスティトー二世の次女に向けてくる。
「――ご同行、願えますね?」
今度こそ、リテリアは拒否ができなかった。
神官達に取り囲まれ、引きずられるようにして移動する。
振り返れば、アルトゥルースとレィンのいるはずの明るい場が遠く、外の光は奇妙に遠い。
何か、とてつもなく悪い予感がした。ララティヤの言葉がいくつもよみがえる。夫の、我が子の姿が想起されるが、彼らの姿は追憶の中で遠のく一方だ。
それでもこうなってしまった以上、リテリアには大人しく彼らに従うほかの道が見いだせなかった。
きっと地獄への、あるいは処刑台への道だと予感していても、歩みを止めることはかなわなかった。
彼女が連れてこられたのは宮殿にある神官達のための区画――の、ようだった。いまいち断定しきれないのは、場所が外宮に位置するからだ。宮殿と一口に言っても、実際は王の私的空間である内宮と、公的な業務を行う外宮とでまったく別れている。リテリアは内宮の様子ならそれこそ知り尽くしていると言っていいほどだが、外宮についてはほとんど伝え聞いた情報しか持っていない。だからずっと暮らしてきたはずの宮殿の事でも、外宮関連だと無知に近い。
リテリアがオディロンと婚姻の儀を済ませた神殿は、宮殿とはまた少し離れた場所にある。そこまで行こうとすると遠いから、彼らは一番近い自分たちの領域で用事を済ませることにしたのかもしれない。
(一体、なんの話があると言うの)
祭壇のような場の手前で神官達が止まり、先導していた緋の衣の女神官が振り返る。
リテリアは気を取り直そうとした。唇をぎゅっと噛みしめ、何を言われても自分を保っていようと意気込んで待ち構える。
神官は石像のような無表情から再びあの歪んだ笑みを浮かべた。
祭壇上からリテリアを見下ろし、彼女はさらりと言ってのける。
「では、単刀直入に申し上げましょう。ネィメン領主夫人リテリア様。あなたは不義密通の罪で告発されました」




