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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
リテリア編
31/99

鳥11

 領主夫人は一度熱を出してから、少しだけ子息に対する態度を改めた。

 今まではアルトゥルースが何かうるさく言ってくる度、困ったように笑って流していたのを、じっとアルトゥルースの言葉を聞き、同意を示したり反論を述べたりするようになる。


 アルトゥルースはリテリアに言い返されて、それに必死に応答を考えているときが一番楽しそうで、彼女があっさり引き下がって同意を示すとむしろうろたえる傾向にあった。


 領主夫人がこれ以上言う事はないと黙ってしまうと、何故か少年は無駄な挑発を始めたりする。

 リテリアは呆れた顔をしながらも、冷静にアルトゥルースの意見に自分がなぜ同意を示すかについて説明する。

 すると今度はアルトゥルースがなんと自分の意見の短所すら述べるようになる。

 リテリアはその短所についての所見と、克服の仕方についての私見を述べる。



 若い二人の会話は一度始まると活発で、大抵アルトゥルースが諦めるか、リテリアが相手をしなくなるまでずっと続けられた。



 オディロンは年上で、落ち着いた物腰の男だった。

 彼と共にいると領主夫人も大人びた表情で、何に文句を言うこともない。

 けれど、互いを敬う関係は一方で縮まりきらない距離感の証明でもあり、若い彼女が自分に遠慮していて言えないこともあるだろう、その不満が重なっていかないかと、夫は案じていた部分もあった。

 またオディロンと共にいると、領主夫人は奥ゆかしさの方を強調してしまい、自分から主張することがなくなる。



 アルトゥルースと討論するときのリテリアは、時折幼い少女そのものだった。

 冷静に、理論的に反論をしていることもあるが、時にはアルトゥルースに釣られてそのまま感情的に返してしまう。

 それを、自分自身の感情をさらけ出してしまうことを、彼女は当初非常に恥じていたが、夫も周囲もむしろ歓迎するので、少しずつこわばりがほぐれていく。



 最初は後妻と養子の関係を危ぶんでいたオディロンだが、一度緊張がほどけてみれば年若い者同士、自分にはない交流をしているので安堵し喜ばしく思う。



 リテリアとオディロンの和やかな関係に、時折アルトゥルースが波風を立たせながらも、三人の日々は穏やかに過ぎていく。

 共に寝起きし、食卓を共にし、領地に出て、人々と話をして、時折は自分一人で趣味を楽しんで、それを徐々に分かち合って――。

 領主夫人の生活は、平穏と日常そのものだった。日々につきまとう困難はあれど、とても良い人間関係を得ていたと言っていい。



 季節は過ぎていく。作物は育ち、家畜は増えては減る。

 職人達は作り物に忙しく、商人達は物々交換に忙しい。

 変わらない物もある。変わっていく物もある。



 それでも、領主家族と打ち解けても、気がかりなことがまったくなかったわけではない。


 リテリアが新たな居場所に安心感を覚えるようになると、それを見透かすようにアルトゥルースが青い目でひたと見据えて言ってくるのだ。


「俺は、あんたを母親とは思えない」


 それはまるで、家族ではない、と言われているようで少しリテリアには寂しかった。

 オディロンとアルトゥルースが共有している時間から、自分だけはじき出されているようで。


「では、姉でしょうか」

「は? なんで」

「だってあなたより私の方が大人びています。それとも年が下だから妹だとでも?」

「どっちでもないよ……馬鹿」


 アルトゥルースは一瞬だけ何か言いたそうに言葉を止めたが、結局そのまま終わってしまう。

 リテリアはこっそりため息を吐いていた。


「私、馬鹿なんかじゃありません」


 押し殺して、勝ち気に言い返すポーズを取る。

 アルトゥルースが目を細めた。


「……知ってるよ」


 彼は鼻をかきながら、ぶっきらぼうに、ごくごく小さく言い捨てた。

 顔が赤かったので、熱でも出していたのかもしれないとリテリアは思った。



 時は流れていく。人は育ち、家族が増えては減る。

 変わらない人もある。

 ――変わっていく人もある。



 寝所でいつも通り楽しく話をしていたのに、ふとオディロンが突然黙り込んでしまったかと思うと、じっと見つめてくることがあった。


「どうかなされましたの?」


 無邪気に首をかしげた妻に、老夫は深く息を吐き出し、どこか憂うような表情を浮かべる。


「あなたが、本当に最初から、臣の娘としていらしてくださったのなら」


 なおもきょとんとしている妻に、おずおずと手を差し出して、優しくその頬に触れながら彼は言った。


「……美しくなられました。お会いしたときより、ますます。来年はさらに大人らしくなられることでしょう」

「旦那様ったら、そんなにお口のお上手な方だったかしら?」


 珍しいこともあるものだとリテリアが笑いながら応じると、夫の表情が変わる。


 幼妻は思わず笑顔を止め、不安そうに夫を見上げて目を瞬かせた。


「オディロン様……?」


 覆い被さってくる大きな影に、彼女の黒い瞳の奥で何かが蘇る。



 ――可愛い仔猫ちゃん。言うことを聞く約束だったでしょう――。

 ――誰にも言っては駄目だからね。僕と君だけの、秘密だよ――。



「――様。リテリア様!」


 気がつけば、夫に両肩をつかまれ、真剣な表情でのぞき込まれていた。

 いつの間にかリテリアはびっしりと汗を浮かべ、呼吸も脈拍も乱れている。


「わ、私――あの、どうして――いや、なんで――!」

「息を吸って、吐いて。臣に合わせて、ゆっくりと。大丈夫、何もしません。……何もしませんから、大丈夫ですよ」


 取り乱しそうになる彼女を、オディロンの落ち着いた優しい声がなだめる。

 夫に従って深呼吸を繰り返していると、やがてリテリアは自分を取り戻す。


「あの……申し訳ございません、急に、こんな」

「いえ。……臣が、出過ぎた真似を致しました」


 領主の自分自身を恥じ入るかのような様子に、夫人は何か言葉をかけなければいけないのではないかと考える。先ほど、夫が何か、今までと違った雰囲気だったことも含めて。けれど無垢で無知な彼女には、こういう場合になんと言ったものかわからない。


「……もう、こんな時間です。休みましょう」


 どうするか迷っている間に何事もなかったかのように、そう言われてしまっては、はい、と小さく答えてベッドに身を横たえるしかない。


「旦那様、あの……お熱があるのでは?」

「そう、見えますか」

「あの……気を悪くしないでいただきたいの。でも、明日……」

「そうですね。明日、お医者様に見ていただきましょう。先日の祭りで少し張り切りすぎたのかもしれません」


 夫のどこか様子が違うのに妻がおそるおそる問いかけると、苦笑まじりの返事が返ってくる。

 これならいつも通り、自分の心配のしすぎだろうか、と妻は首をかしげる。


「お休みなさいませ、オディロン様」

「お休みなさい、リテリア様」


 夫婦はそのときも、変わらず共に枕を並べて眠った。




 時が経てば人は年を取る。

 リテリアが嫁いで五年。

 オディロン五十歳。

 リテリア十七歳。

 アルトゥルース十九歳の秋。




 そしてリテリアの最初の夫の、最後の健やかな夜の出来事だった。




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