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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
リテリア編
29/99

巣と金糸雀

「どうですか、先生」


 そわそわ帰りを待っていたオディロンは、夫人の診察を終え、領主の部屋までやってきた医師の姿を認めると早速立ち上がり、おろおろとした態度を隠そうともせずに尋ねる。

 白髭をたっぷり蓄えた専門家は、じろりと半眼で老父をにらんだ。


「疲労ですな。ま、慣れない環境にちょっと気がゆるんだところで、一気に出てきたのでしょう。今晩ぐっすり眠って、心配なら熱が下がるまで安静にしておけば大事ないですよ。薬も置いていきますから目が覚めたらさしあげるとよろしいでしょう」

「ああ、よかった」


 急に熱を出して倒れた幼妻がひとまず重病ではないことを知り、彼はほっと胸をなで下ろす。

 すると医者は自分の手荷物の中から薬を漁りながら、大げさに咳払いなんかして話しかけてくる。


「ご領主様。わかりますぞ、お可愛らしい奥様ですからな、舞い上がる気持ちは。新婚生活に喜んで励まれてらっしゃるのは結構ですが、まあ物事には限度があると言いますか、少しは奥様の事を考えていただかないといけませんな。まだ彼女はお小さいのですからな、しばらく自重なさいませ」

「……はあ。え? あ、いや、先生、それは、その――」

「これからもお仲よろしゅう過ごされませよ、ホッホッホ」


 最初は間の抜けた返事をしたオディロンだったが、直後に何の嫌味だかからかいだかを言われているか気がついたようだ。


 慌てて否定しようにも、役目を終えた医者はさっさと出て行ってしまうし――何しろ、結婚式を正式に済ませたことになっている以上、表向きには皆夫婦が最低一度は最後まで事をなしたと判断しているのだ。

 それにリテリアが寝る前に色々とオディロンに話をせがむもので、つい甘やかして相手をすると寝室に夜遅くまで明りをともすことになり、結果として召使い達を筆頭に誤解が加速していくわけである。


 リテリアは夜のことについてまったく無知なようだった。

 全責任を押しつけられたオディロンの方は、幼妻が可愛いことは確かだが、それとこれは完全に別問題、さすがにここまで小さいのに事に及ぶのはどうかと思う。

 とうていその気にはなれない。


 ――が、世間の大半は医者のごとく考えているようで、つまりはネィメン卿のことを正しくロリコンだと思っているわけだ。

 というかオディロンがロリコンだからこそ成立した婚姻関係だと思われているわけだ。


 裏にある深い事情の事をあまり大っぴらにわめきたてるわけにもいかない以上、領主は周囲からの煽る言葉に、おおむね困ったような苦笑を浮かべるのみである。

 幸いなのは、領地の民達がさげすみの目ではなく祝福の目で見つめてくれていることだろうか。


「父上」


 実害がでているわけではないが少し精神的に堪えるものがあるな、と頭を押さえてため息を吐いているオディロンに、医者と入れ替わるように部屋に入ってきたアルトゥルースが声をかけてくる。


「おお、アルトゥ。安心なさい、疲れが出たということらしい。命に別状はない」


 故領主夫人の墓から倒れたリテリアをおぶって一目散に館に帰ってきた領主子息は、お世話係の女性達に彼女の部屋から追い出されると、ずっと眉に力を込めたまま入り口をうろうろうろうろ往復し続けていた。

 医師が来てからは邪魔だったらしくさらに追い払われてしまい、以後はオディロンの方の様子をうかがっていたらしい。それこそ飛んでくるようにやってきた。


 口を開けば悪態のようなものを吐いているものの、彼が意地を張っているだけで、本心では新しい領主夫人を憎からず思っているらしいことは、気性を知っている周囲には明確だった。

 本気で嫌っていたらそもそも話を交わそうとすらしないはずなのだから。


「今日は本当にありがとう。お前がいなかったら、発見も処置も遅れていただろう。……本当に、本当に、ありがとう」


 父が心からねぎらいと感謝の言葉をかけるが、息子の方は変わらず浮かない顔を続けている。


「父上。その――あの人……なんか、色々と、悩んでいたみたいで」

「……今回のことは臣の不徳だ。姫君に負担をかけていたことに気がつけなかった。お前にも苦労をかけている。不甲斐ない父を、許しておくれ」

「そんな――」


 少年は言いかけて、一度黙る。

 オディロンは彼を優しい目で見守っていたが、沈黙が長引くと促すように声を上げた。


「まだ何かあるのか、アルトゥ。言ってみなさい」

「……俺が、意地張ってるから。気にしてたみたいなんだ」

「お前も彼女が嫌いというわけではないんだろう? それともやはり、臣の後妻というのが、どうしても気に入らないか」

「しっくりこない。年下の母親とか、やっぱり無理だ」

「でも性格は、嫌いじゃないんだろう」


 息子がぶすっとした表情で黙り込んでしまうと、父の苦笑いは深まる。


 やがて、そういえば夫人の看病をしていたおかげで晩ご飯がまだだった、お前は食べてきなさい、と切り出そうとした領主に、アルトゥルースがぽつりと独り言のように声をかけてくる。


「なあ、父上。あの人、どうして父上の嫁に来たんだ。他にも結婚相手の候補はいたんだろう」


 不意に、急に核心を突いてくるような質問に、オディロンの言葉が切れる。


「俺、第二王女は世界で一番可愛がられてるって聞いて、信じてたよ。皆そうだ。だけどさ、なんか……なんか、話と違うみたいだから。噂通りだったけど、そうじゃない部分もある。父上、俺、気になってることがあるんだ。あの人、倒れる前――自分は母親に捨てられたんだ、って言ってた。俺と同じように」


 アルトゥルースの青い瞳がすっと上がり、羊の亜人の父に向かう。


「それって、どういう意味か。父上なら知っているのか?」


 父は迷うように視線をさまよわせ、考え込んで下を向く。

 明りに照らされてできた二人分の影に目を落としていた領主は、ぐるりと部屋を見回し、彼らの他に誰もいないことを確かめる。


「……誰にも言わず、と思っていたが。お前には、むしろ話しておいた方がいいのかもしれないな」


 それから息子をもっと側にと手招きした。


「アルトゥ。お前、約束は守る男だな」

「うん――はい、父上」

「なら、約束だ。誰にも言わないでくれるか」


 自分のベッドに腰掛けて、オディロンは隣に息子を座らせる。

 少年が神妙にうなずくと、静かに、ゆっくり、父は低い声で話し始めた。


「お前も含めて皆知っているだろうが、臣は最初、この結婚を断ろうと思っていた。ウレイスの事もあるし、姫君が臣の妻に馴染めるとはとうてい思えない。……だが、考えを改めた。陛下に言われた言葉があったからだ」



 ――は? 馬鹿ですかお前は。誰がそんなきまじめに本物の夫婦になれと言いました。

 わたくしはただ、わたくしの姫の夫になりなさいと言っただけですが。


 婚姻の辞退を申し出ようとしたオディロンに、真っ先にバスティトー二世が上げた言葉がそれだった、とオディロンは続ける。


 ――亡妻が未だ恋しいと。よろしい、ならばそのままで。操を守りたいのでしたらそれも尊重しましょう。

 十年、いや、八年でいい。あの子が大人になるまで、それだけの間でも構わない。

 大事に扱ってくれるなら恋情も愛情もなくともいいわ、元からさほど期待していない。

 ただ、わたくしと内宮に変わる新しい壁がほしい。

 女王の希望はそれだけですよ、ネィメン卿。


「おっしゃる意味がわかりかねます。なぜ、臣なのでしょうか。なぜ、まだ年端もいかない姫君を、今嫁がせなければならないのでしょうか。他にもいくらでも良縁がありましょう、これが最適とはとうてい思えませぬ。無理を通すならせめて理由をお教えください――あまりの言いように、臣もそう口に出してしまった。するとあの方は、なんと答えたと思う」


 ――愚鈍。のろま。まぬけ。お気楽。あほの丸出し。

 草食動物って皆頭に草でも詰め込んで腐ってるんじゃないの。


「ちょっ――父上、本当に言われたんですか!?」

「いつものことだ。あの方に罵倒されなかったことはない。そんなことより続けるぞ」

「そんなこと――!」

「アルトゥルース、何度も言っているだろう。陛下はそういうお方だ」


 ――わたくしはね。あの子が成人し、わたくしがわたくしの神にお仕えするのをやめられない以上、なんとしても姫を内宮から叩き出し、ひとまずは安全な場所に放り込みたいのです――いいや、必ず、絶対になさねばならない。手遅れになる前に。

 正直消去法と妥協の嵐でしたよ、でもお前が一番の適任者なのです、それは確か。だからこうして、女王としての最後の私情を通そうとしているのではないですか。


 ……オディロン=ネィメン。皆まで言わせるなよ。

 口に出せない(・・・・・・)事情です(・・・・)あの子の名誉を(・・・・・・・)守りなさい(・・・・・)



 最初は女王の言いように憤慨していたアルトゥルースだったが、話が続けられるとその異様な内容に、息を呑むように硬直している。

 顔色をなくしつつある息子を前に、オディロンの方は静かに落ち着き払っていた。


「臣は、それでも当人の合意が得られないなら結婚はできない、と最後にお答えした。……そして、あの方は、ここにやってきた。もし、あの方が陛下に捨てられたとおっしゃるのなら、陛下はご自分の本意をあの方に語らず嫁がせたのだろう。おそらくは、口に出せない(・・・・・・)事情(・・)ゆえに。臣も、姫君がいつか話したいと思ったなら、お聞きして、陛下のこともお話しするつもりだが……一生知らずにいても、いいとさえ思っている」


 少年は口も目も開きっぱなしにしたまま、絶句している。

 すべてが語られたわけではないが、断片的に指し示される、何かひどくおぞましい気配に――そしてリテリアがそれを避けるためにここにやってきたという事実に、言葉が出ないのだろう。

 老夫の穏やかな目が、悲しげに揺れた。


「なあ、アルトゥルース。お前も難しいのは……仕方ないことだ、あまりにすべてが急すぎた。ただ……彼女が目を覚ましたなら、あと少しだけ、姫君を優しく受け入れてくれないか」



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