鳥5
一応前日も今日の昼も顔は合わせているのだが、お互いにかなり着飾ってのこと、素の状態で対面するのはこれが初めてと言ってもいいかもしれない。
大人の年はどうも見分けにくいが、新郎は帽子を脱ぐと体毛が白いせいもあってか、やはり年配の印象を受ける。逆に元から白いから白髪が目立たないというメリットもあるのかもしれないが。
顔のところどころに刻まれた皺や目の下の隈は、彼が今まで味わってきたであろう長年の苦労を刻みつけている。
瞳の色は黄色系統で、瞳孔が人間よりも横側にちょっと伸びていた。
リテリアと同じようなデザインの、上下のつながった前開きの薄い着物に身を包んでいる。
まだ少女のリテリアに比べれば、老いが出始めているとは言え男の身体は縦にも横にも大きかった。
「オディロンと、申します」
男は散々迷った挙げ句、そんな言葉を最初に選んだ。
礼とセットにされた、シンプルな自己紹介だった。
「リテリアでございます」
釣られて彼女も丁寧に腰を折り、挨拶をする。
しばしの間、ぺこぺことお互いに相手をうかがっては頭を下げ合う奇妙な時間が発生した。
ただ、こうしていてもらちがあかないということは二人のどちらにもわかっている。
どうしたものか、と言った様子のオディロンに、今度先に口を開いたのはリテリアの方だった。
「あの」
話しかけて、相手が特に異を唱えないようなので、少女は目を伏せたまま小さな声で続けた。
「お恥ずかしいことですが……この後どうすればいいのか、わからないのです」
新郎が、きょとんとしたのが見なくてもわかる。
その後、彼は再び何やら慌てかけたようだが、リテリアが続きの言葉を上げると動きを止めて耳を澄ませる。
「いいえ、この後のことだけではありません。私は十二年間、内宮のみで過ごして参りました。礼節、作法なら教わりましたし、書物はいくつも読みましたが、外の世界の事は何もわかっていません。あなたも知っての通り、私は世間知らずな小娘です。片目もないですし、ご満足にはほど遠いでしょう。きっと、外では物わかりの悪い、常識知らずなことばかりして、あなたを何度もがっかりさせてしまうかもしれない。……いいの、偽らないで。わかりきった嘘をつかれてもむなしいだけ。この婚姻があなたにとって不本意であろうことは、私もわかっているのです」
リテリアは最初の方こそ消え入りそうな言葉で喋っていたが、話している内に覚悟が決まってきた。
一度自分を落ち着かせるように深く息を吸い、今度はちゃんと顔を上げて、夫の顔をじっと見て言う。
「ですが、どうかそういうことがあったなら、是非そのままにせず、ご指摘いただきたいのです。私、そこまで賢くはありませんから、お母様のように何でも先に理解して……と言うような事はできませんけど、その代わり、見て、聞いて、話して――そういうことなら、できますから。あなたの妻として、皆様も認めてくださるように、私も精一杯頑張ります。どうか、どうか……最初だけでも、すべてを諦めないで、失望しないで、私を助けていただきたいのです」
オディロンが瞳を揺らす。
リテリアはもう一度、思い切り息を吸ってから、再び礼をした。
今度は会釈のような軽いものでなく、膝をつき、頭を地につける最敬礼だった。
「ふつつか者でございますが、こうして夫婦となりましたのも何かの縁。どうかお導きください――」
リテリアはふと肩に感触を感じて言葉を切る。
うながされるように顔を上げると、彼女と同じく膝をついた夫が、困惑だろうか? ちょっと眉を下げた表情で、彼女をのぞき込んでいる。
「どうか、顔を上げてください」
優しい声音に、リテリアが思わずゆっくりと従うと、彼女が完全に身を起こすのを待ってから、オディロンは静かな声で話し始めた。
「あなた様が、とても正直におっしゃってくださいましたので、臣もそうしようと思います。確かに臣は最初、あなた様を妻に迎えることをけして快くは思っていませんでした。臣は富みに優れているわけでもなければ名家の出身というわけでもなく、老いぼれで田舎者で、王都育ちの高貴でお若いあなた様とは色々と合わないはずでしょうし、この結婚がうまく行くとはとうてい思えなかったからです。……ですが、今、少し考えが変わりつつあります」
オディロンは彼女の肩に触れていた手を離すと、その後少し迷う。
リテリアが不安そうにじっと夫を眺めているのに気がつくと、微笑みを深め、彼女の両手をそっと取った。
「陛下があなたをことのほか大事になさっていた理由が、少しわかった気がするのです。正直、その上で、やはり臣めに賜るには過ぎるお方だと思うのですが……陛下は思慮深いお方、あなた様もこの婚姻をお断りにならなかったと言うことは、何か――そう、事情あってのことなのでしょう」
リテリアはさっと目をそらす。
黒い瞳が心あたりに揺れるのを見て、羊の獣人はさらに穏やかに言葉を続けた。
「あなた様が臣めに、お話ししたいと思うときに、お話ししたいと思う事を、おっしゃってください。臣も……少しずつ、そうしていこうと思います。ただ、その……ええと、誤解のないように言っておきますが。あの、片目がなくとも、あなた様は、十分に――」
神妙に大人しく話を聞いていた新婦だったが、ここで小さなくしゃみをした。
驚くようにぴんと耳を反応させた夫に、妻は申し訳なさそうに縮んでしまう。
彼は彼女が震えていたのが緊張だけではなく薄着のせいもあったのだと気がつくと、これは失礼を、と苦笑した。
帳をかき分けて、寝台に新妻を導く。
掛け布団を彼女の肩に羽織らせると、「あなたも寒いでしょう?」と余っている部分に入れとでも言うようにリテリアがそっと裾をめくる。
彼は少し硬直してから、苦笑いして首を振り、言葉に甘えて彼女の隣に座ると一緒に布団を被った。
「とりあえず、今晩はお互いのことをもっと話しませんか。何をするにしても、お互い何も知らなさすぎる。……とは言っても、あなた様がどんなことにご興味をお持ちなのか、臣には見当もつかないのですが――」
「私、本を読むのが好きよ。楽器を奏でたり、刺繍をするのも嫌いじゃないわ」
「本は、どんな本がお好きですか」
「一番好きなのは物語の本なの。冒険譚は大好きよ。知らない世界の事を色々書いてあるから……」
お互いが、真剣にお互いの話を聞こうとしているからだろうか。
白熱して盛り上がるとまでは行かずとも、穏やかな会話はリテリアがあくびをして就寝を促されるまで途切れることがなかった。
夫婦は互いに満足し、仲良く挨拶を交わすと並んで共のベッドで眠った。
それ以上のことは、何も起こらなかった。




