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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
リテリア編
13/99

小鳥9

 閉ざされた神域が開かれるとき、空気が変わったのを肌で感じる。


 リテリアは衝撃に身体を硬直させた。

 思わず手に抱えていた籠を取り落としそうになる。


 少し遅れてから、外扉の開閉に連動して、数十、いや数百もの鈴の群れが神域に己の来訪を一斉に告げたことに気がつく。

 遠くで耳を澄ませていたときにも同じ音が聞こえていたはずなのに、渦中に立たされるとこんなにもずっしりと重たい。


 ここは異界の門だった。

 ここが世界の境目だった。

 この場が冥府の入り口だった。


 りんりんしゃんしゃんと鳴り響く鈴の向こうには薄暗い――それこそ灯り一つもない、闇の染みこんだ廊下が広がる。

 彼女は今からそこに踏み入らなければならない。「手」と違って目も耳も健在の彼女には、二つも重要な感覚の情報が剥奪されることになる。



 心臓が胸を突き破って飛び出てしまいそうなほど、うるさく早鐘を打っている。

 最高潮に達した過度の興奮は、身体を熱くするどころか冷まし、吐き気とめまいすらもたらしそうになる。

 頭から被っている布越しにも、自分の視界が回っているのがわかった。


 こめかみの辺りを押さえ、しばしその場にとどまって自分が落ち着くのを待つ。

 ゆっくりと深い呼吸を、特に吐き出す方を意識して何回か繰り返せば、身体の震えは徐々に抜けていく。


 おそるおそる振り返るが、この位置からならまだ見える門番は変わらずリテリアに無頓着だ。

 侵入者は排除せよ、けれど関係者にはそこまで注意をむけるな――ひょっとすると、そんな風に厳命されているのかもしれない。


 何にしろ立ちっぱなしでいいことはない。

 侵入を戸惑っていることがわかったら、さすがに不審がられてしまうだろう。

 行くか。戻るか。決めるしかない。今、ここで。


 息を吸う。からからの喉につばを飲み込もうとする。冷や汗が浮かび、熱が上がっているのか下がっているのかもわからない。


 けれどただ一つ。こんな機会はもう一生巡ってこない。その一心だけが彼女を前に進ませる。


 長い時間にも思えたし、一瞬にも思えた。

 逡巡の後、リテリアはついに覚悟を決めて外壁の扉をくぐり、どこかひんやりした神域内部へと足を踏み入れた。

 暗い、暗い、地の底へと、壁に手を当て、ゆっくりと降りていく。



 宮殿奥、神域と呼ばれるその場所は、単純な位置関係だけで言えば外宮より内宮に近い――というか、ほぼ内宮の中にあるし、元は内宮の中にこじんまりとあったものだった。

 古来より王族と神の結びつきは重要で、内宮には宮殿建造当初から神域がもうけられ、歴代の王や王に連なる者達がその場所を代々大切に利用していた。


 それを増築、改築して今の姿にしたのが、やはりバスティトー二世その人だ。

 彼女は彼女の特別な神のために、内宮からはみ出す程の外壁を拡張し、その中に神のための居住空間をもうけた――。



 リテリアは十分神域の入り口から離れたことを確認してから、持ち込んだ籠の中から明かりを取りだす。夜光石と呼ばれるその石は、一面の黒の中でほんのりと白い光を放った。


 真の暗闇は生き物に本能的な恐怖を引き起こす。

 歯が鳴る程にがたついて震えたリテリアの身体だったが、灯りを確保して状況を悟るとやや落ち着いてきた。


 おそるおそる照らして確認してみれば、壁には模様がついている。天井にも、床にも、同じようにびっしりと。

 それはどうやら外の生活や風景を描いた絵画で、リテリアも見慣れた使用人達のような姿もあれば、話にだけ聞いたことのある庶民らしい姿もあった。馬や犬、家畜のような生き物の姿も見える。あれは職人だろうか。これは畑――だとすると農民だろうか。

 こんな状況でなければ、そんな風にじっくりと一つ一つ眺めて推測し、楽しめたかもしれない。


 少し見ていればすぐにわかることだが、彼らは皆、一つの同じ方向を向いている。まるで何かを目指すように。あるいは何かを示すように。

 彼らに導かれるようにして、リテリアの足は頼りなくふらふらと進み出した。



 バスティトー二世は、神域への侵入者対策にあらゆる凶悪なしかけ――たとえば急に落ちてくる天井だとか刃だとか落とし穴からの串刺しだとか――や呪いを備えているという話もあったが、実際に歩いてみればそこはただ光がないだけの迷路だった。

 元が小さな神殿を拡張しただけの場所、いくら力のある彼女と言ってもできることには限度があったのだろう。


 とはいったものの、目的地もわからず見知らぬ闇の中を歩き続けることは、明りの下で暮らすことを常態とする生き物にとってかなりのストレスである。

 それにバスティトー二世の性格が性格だ、落とし穴ぐらいだったら普通にあり得そうだし、この暗闇の中、進行方向を見失ったら迷子になって餓死することだって十分考えられる。


 リテリアは何度か想像力に負けて心が折れかけ、引き返しそうになった。

 それでも彼女が前に進み続けたのは、灯りの照らす壁画が時折姿を変えていたこと――環境的な要因や、せっかくここまで来たのだからという気持ち――精神的な要因があったからだろう。


 気が遠くなるほどの時間をかけて歩いた先、彼女はどうやら自分の歩いている迷路が迷路というほどのものではなく、緩やかな螺旋を描いて中心部に向かう形をしているらしいと気がついてきた。

 完全な暗闇の中ならそれこそ何もわからなかっただろうが、灯りで壁画を照らせば道案内にも慰めにもなる。


 灯りは文字通り冥界をさまよう彼女の生命線、死活問題だった。

 この得体の知れない闇の中に取り残されたら、比喩でなく恐ろしさで死んでしまうかもしれない。

 念のためもう一つ予備も持ってきているが、もし万が一夜光石が途中で光度を失いそうになる気配があったらその時点で引き返そう。


 リテリアは自分を励まし、何度も足を止めながら、刻一刻と弱くなっていく手元の光に怯え、今が中断時か、今が中断時かと悩み――。



 それでも彼女は歩み続け、賭けに勝ったのだ。



 最初、リテリアはそれが自分の求めているものであると気がつけなかった。

 ひたひたと触った壁が今までと様子が違うことに気がつき、注意深く目を細めて観察し、何が底にあるか理解してからは逆に何度も己を疑って目を擦った。



 物言わぬ人々に導かれるまま、彼らの顔の向きを頼りに歩いてきた。

 その彼らが、ここが終点だとばかりに一点を見つめている。


 そこにあるものは扉だった。

 一際頑丈そうで、けして人の手では壊すことができなそうな、重たく見える金属の扉。



 リテリアはなだめていた呼吸が再び乱れるのを感じる。

 彼女の手は反射的に首元を探り、がくがく震えながらもそこにあるものを、迷宮で自分を励ますように蝋燭と逆の手に握りしめ続けていた物を取りだし、吸い込まれるように差し出す――。



 何度か手の震えで失敗したが、それでもついに、彼女はそこに――鍵穴に鍵を差し込んで、捻った。


 かちり、と確かに、何かがかみ合う音がした。

 体重をかければ扉はゆっくりと動き、開く。



 暗闇に急に光がもれ出てリテリアは目をしょぼしょぼと瞬かせた。

 今まで通ってきた道が嘘のように室内が明るい。

 一瞬昼の外かと錯覚しそうになるほどに。



 ふらふらと、手を目元にかざしたまま室内に入った彼女は、明らかに誰かが住んでいるらしいその空間に呆然と口を開けたまま数歩歩んでいき、明りに目を慣らしながら部屋を見回そうとして――。


「何者だ、貴様」


 予期せぬ自分以外の誰かに声をかけられ、ついに悲鳴を上げて荷物を手から取り落とした。


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